My Mother said that I never should play with the gypsies in the wood, The wood was dark; the grass was green; In came Sally with a tambourine. I went to the sea-no ship to get across; I paid ten shillings for a blind white horse; I up on his back and was off in a crack, Sally tell my Mother I shall never come back. -Songs of Mother Goose-
2020年8月8日土曜日
あのこはだあれ
あのこはだあれ
だれでしょね
なん、なん、なつめのはなのした
おにんぎょさんと あそんでる
となりのみよちゃんじゃ ないでしょか
これって、だれがつくった童謡だろうか。
相模原障害者殺人事件の記録を読んでから、時間が少したって、
学校教育の過酷、長期自民党支配の弊害、官僚の自己陶酔などと、
私も「漢字」をつかって考えるわけだけれど、
けっきょく、この「ひらがな」の、
むかし、だれでもが知っていた単純な歌に思いがもどってしまう。
私は、自分だったらこんなふうに考えて、朗読し歌いたいと思う。
おばあちゃんが、隣りにちょこんとこしかけている孫をあやしながらきく。
あのこはだあれ?
すると、となりのまだ3才にもならない孫が、老いたゆびの先を見るのだ。
だれでしょね ?
あのこがよく知っている人だったから、
小さい孫はなぞなぞがあたったように、にこにこするのかもしれない。
涙のあとなんかがほっぺたにまだあれば、遠くの「あのこ」を、
たとえばもう大きい「カンちゃん」を、 ただふくれて見ているだけかもしれない。
あっちのほうの、とおく、
なん なん なつめのはなのした
なつめの花は、香るんだろうか、どんな影をつくってくれているんだろうか。
あの子のために。 50才になっても口がきけず意志疎通のままならない、
「カンちゃん」のために。
カンちゃんはおにんぎょうさんを、だいじにだいじにしている。
お人形さんが好きだし、だれにでもやさしい、
ときどき、あばれてすごくこわいんだけれども。
おにんぎょさんとあそんでる、
あのおにんぎょうさんは汚れていて、足や手がもげたのを、またくっつけて、
おばあちゃんに縫い付けてもらって、カンちゃんにはかけがえのないものだ。
あの子はだあれ、誰でしょね。
かわいい「カンちゃん」じゃないでしょか。
おばあちゃんの歌は孫のためにやさしいし、カンちゃんのためには母親らしい。
おばあちゃんはどんなヒトだろうか。
日本の母親というものは、そもそも、どんなヒトなんだろうか。