屋上のコンテナ(100x50x50)を半日かけて6台、カラ にする。
それをコンテナごと、5日までにぜんぶ撤去しなければならない。
物干しの台も、物干物干し竿も、どけろと言われている。
ばからしい。ぜんぶに、お金がかかる。
残すものよりは捨てるものが多く、ゴミ袋が九つにもなった。
思いがけなく、失くしたと思っていた大型のショールが見つかる。
くすんだブルーの・・・・・・とても、なつかしいものだ。
何十年もまえ、別れた夫の入院先に、姑(はは)と一緒に行った日は、
クルマから降りると、風がピューピュー、とても寒い日だった。
風が冷たい暗い日で、私は車にこの青いショールを取りに戻り、
お姑さんをくるみ込んだ。
姑はとても喜んだ。
「あたたかいわぁ」
にこにこして暖かい声。
そういうお人柄だったから、別れた嫁の私もこの病院にくっついてきたわけで、
「つんこさん、これとても素敵ねぇ、さぞかし上等なものなんでしょうね」
はははは、私はついつい笑っちゃって、
ひろったのですよ、これ、と言ってしまった。
「ひろったの! まあこんなにいいショール? 落ちてたんですか!」
「ええ、ゴミ置き場にね、一か月ぐらいまえに」
いいでしょう、お姑さん、これ? 大きいし、色だってステキだし。
お洗濯はちゃんとしたから、きれいよ。
あのころ、日本人は、ステキなものをたくさん捨てたのである。
バブルだったにちがいない。私なんかもうまるで無関係だったけれど。
拾ったもので自分をくるんだのかと、お姑さんが気を悪くしそうで
心配になったけれど手遅れ。まあ、いま思えばそれどころではなくて。
私たちは、窓口で手続きをすませ、階段を登り、彼の病室を訪ねた。
姑には親としての怒りがあり、私には別れた嫁としての屈託があった。
あとで義妹の秀子ちゃんから、
お母さんからつんこさんの拾ったショールの話をきいて、
みんなで(3人姉妹)大笑いしたのよと言われた。
あの日の帰り、私たちは鬱憤ばらしに大きなお蕎麦屋さんに寄り、
しゃくにさわるからと、ビールで乾杯なんかした。
きっと、お姑さんは、その話だって娘たちにしている。
姑は、だいじな息子のざまに憤慨してプンプンしながら、
蕎麦屋のお品書きにあったビーフステーキを2人前、
私と自分に注文したのである。
・・・あのころのお姑さんは、いまの私のトシをすぎていたかしら。