My Mother said that I never should play with the gypsies in the wood, The wood was dark; the grass was green; In came Sally with a tambourine. I went to the sea-no ship to get across; I paid ten shillings for a blind white horse; I up on his back and was off in a crack, Sally tell my Mother I shall never come back. -Songs of Mother Goose-
2020年6月5日金曜日
おはぎ
6月3日、私は77才になった。
ふわふわするし、ぐらぐらするし、用事が出来ると、次の日はぐったり。
半日よこになって、できるのは睡眠と読書だけ。
1日働いて、1日さぼる。
おとなりの可愛い女の子が、おはぎを作って、
おめでとうございますと、お母さんといっしょに、お祝いにきてくれた。
甘味をすごく抑えた小豆と黄な粉の御萩で、
考えてみると77才だからケーキじゃなくて御萩だったのね、和風に。
夜中、遥からメール。
お母さん
お誕生日おめでとう。仕事から帰ってメールしてるから
遅くなってしまったけど、こちらはまだ3日なんだよ。
お母さんが元気でやっていてくれると嬉しいです。近くに
いられないから心配だけど、何か困ったら相談してね。
とにかくめでたいね、今年も。
実り多く幸福な年になりますように!
それじゃ。 遥
75才をすぎてから、
ほんものの老人になったような気がしだした。
ほんものの老人になって嬉しいことは、
子どもがこんなふうな大人になって、
私が、かばわれる立場に、つまり立場が逆転したことだと思う。
私は乱雑なまとまりに欠ける人生を送ってしまったが、
すじを通そうという努力だけは、自分なりになんとかしていた。
朗読の集りを昔から、どんな時も続けたのもそれである。
いつのころからか、幼稚園の親たちが、みごとに個性をもった人になり、
それがほんとうの幸運だったと思って。
みっちゃんは、働きながら、ライフワークとして被爆者と共に生きようとした。
みっちゃんは私が心配で、朗読の会にいつも来てくれた。
みっちゃんの悲劇?は被爆者が、自分より老人だということである。
先に死なれてしまうのだ。
朗読が私に運んでくれた幸運は、追い越してもらえることだったのだ。
朗読のヒトたちはみっちゃんが好きだ。
尊敬しているから好きなのだ。
みっちゃんはずっと私のために朗読の会に来てくれていた。
「ひとつのライフワークが終わっても、朗読のみんながいるじゃないの」
先日、私たちがふたりで話したことだった。