My Mother said that I never should play with the gypsies in the wood, The wood was dark; the grass was green; In came Sally with a tambourine. I went to the sea-no ship to get across; I paid ten shillings for a blind white horse; I up on his back and was off in a crack, Sally tell my Mother I shall never come back. -Songs of Mother Goose-
2018年1月20日土曜日
ギクシャクする本
「死の海を泳いで」を図書館から借りる。
71才で闘病の末に亡くなった批評家にして作家スーザン・ソンダクの死。
少し読んでは時々、本を閉じて表紙の写真をながめる。
世の中にこんな綺麗な女の人がいるのかとビックリして、
そのたび私は本文にもどろうと努力する。
読んではすぐイヤになる不自然で高尚で複雑そうな、
息子(ジャーナリスト)が書いた、母親の死に至るまでの九か月。
T・S・エリオットの詩
私は時がつねに時であることを知っている
場所がつねに場所であり、場所にすぎないことも
現実のことはただ一度だけの現実であり
そして一つの場所においてのみ現実であることも
だから私は、物事がありのままの姿であることを喜び、
その祝福された顔をあきらめる
私など、このエリオットの詩句の引用からして、ブッくたびれちゃう。
そんなことを言われると、読むまえから無呼吸症候群のようになる。
物事がありのままの姿でそこにあることを喜んだことなんてないので、
広大な敷地たる現実をたとえはすかいにでも認識したくはないと感じるので。
もっとすごい引用もある。
18世紀のフランスの作家が友人にたずねる。
「僕はこんなに生を憎んでいるのに、どうしてこんなに死を恐れているのだろう?」
知らないし、知ってても言いたくないよ。
子どもの時だったら、父にこういう時は「相談」した。
自由自在に、愚かな子どもの質問・感想にこたえて、文学や評論の世界を
無理なく拡げてくれる人だった。
よく笑ったものだった。
私の父の返答はなんとなく諧謔的で、かいぎゃくなんて字はしらなかったけれど、
おかしくって、人間が好きになってしまうというオマケがついていた。