2018年8月23日木曜日

山本周五郎の短編


「桑の木物語」を読んだら、感激してしまい、しくしく泣きながら、
3回も4回も読む。短いので、何度でも読めるのである。
武士道のお手本みたいな物語集だから、手放しで感動なんかしていいのかしらと、
私などつい考えてしまうが、ついつい感激する。

友情とか、激情とか。愛情とか。
そういう、むかし日本人の心に脈々と息づいていたはずの気持ちが、
じゃかすか読む者に迫って、心臓をかきまわす。
ふと時間つぶしに書店で買った何十年ぶりかの山本周五郎だけれど、
まあ、なんという凄みを帯びた筆力だろう 。

蓮田市にむかって行く電車の中で、活字から目をあげると、
窓外の田園風景が、自然と人間の営為の結果となって、迫ってくる。
沢木耕太郎編という案内にひかれて買った「将監さまの細道」は、
編集が当りだと思う。

図書館でべつの短編集を借りて読んだけれど、おなじ山本周五郎でも、
息が詰まるようだった。




2018年8月22日水曜日

バスケ4選手が買春


8/21東京新聞の朝刊を手にとって、第一面をみると左上段に概略こうある。
 日本オリンピック委員会によると、ジャカルタ・アジア大会に出場した代表選手4人が、試合後売春行為をし、代表認定取り消し、事実上選手団追放となった。
彼らは試合後、日本選手団の「JAPAN」のロゴ入り公式ウエアで選手村から外出、
食事飲酒のあと、女性を紹介されホテルへいき、9000円を支払って買春行為に
及んだのである。
 新聞の27面を見れば、帰国後の記者会見の写真、公式ウエアを着て、並んで
謝罪している。個人的買春の恥の国家的処罰にこれ以上の方法があろうか。

・・・記事をとくとくと書いた記者の態度に、だんだん腹がたってきた。

なんの配慮も加えず、よってたかって選手の恥を公表するオリンピック協会の指導者が
おそろしい。その指導者の「まずはオリンピック」というご都合主義になんの疑問もも
たず、顔写真をでかでか公表する東京新聞の紙面構成が、無残なものに思われてならない。なんという雑な上から目線だろうか。

自分がもしこういうことをやらかして、と想像する人はいないのか。
時代劇のお白州に引き出されて。買春行為で全国に顔をさらして。
当面の報道には、軽率で恥知らずで無考えな20代の4人の、これから先の人生を心配
した痕跡がひとつもないが、そんなことはどうでもいいのか。
資格剥奪も、選手団追放も、ここに至るまでの彼らの長い選手生活を考えるならば、
充分な罰である。

まともな反省には時間が要るものだ。
時間をかけてよく考える権利こそ、人権の基礎ではないか。
昨今の国会を思うに、議員ならば破廉恥行為も罰されず、若いものなら資格剥奪、全国
民に顔を見せて一律お詫びという形式。
いつかなにかの折りに、私たち国民の運命にこの不公平が割り込んでこないと、
いったいだれが言えようか。



2018年8月18日土曜日

山登敬之氏の書評



オランダの遥からメールがきて、精神科医の山登さんがフェイスブックに
レビュウを載せてくださったからと、私の携帯電話に転送してくれた。


                  *
オレの夏休みの課題図書、ちびちび読んで終戦記念日にようやく読み終わりました。
『あの日のオルガン~疎開保育園物語』(久保つぎこ著、朝日新聞出版)。映画化に
際し36年ぶりの復刊であります。
敗戦の前の年、1944年4月に幼稚園閉鎖令が施行され、同年8月からは小学3年
生から6年生までの集団疎開が始まるのだが、保育園は「戦時託児所」と名前を変え
数を増やした。就学前の幼児の「疎開保育所」が地方に開設されたのは、終戦のわず
か2か月前、東京大空襲の後であった。

そんな時節にあって、44年11月に幼児疎開を単独で決行した民間の保育所があっ
た。戸越保育所(現・品川区)と愛育隣保館(現・墨田区)である。このふたつの園
から幼児53名と職員11名(うち保母8名)が、旧国鉄桶川駅から6kmはなれた
高虫の荒れ寺を住処にするべく移住したのである。

幼くして親元を離れた幼児は3歳から5歳、親に代わって子どもたちの保育にあたる
保母は19歳から27歳。日々の激務と負わされた責任の重さからか、終戦までの約
9ヶ月間、保母たちは全員が無月経であったという。
童話作家であり新劇の女優であり3人の子を持つ母親であった久保つぎこは、丁寧な
取材と調査を重ね、3年の歳月をかけてこの本を書きあげた。登場する人物、とくに
若い保育士たちが活き活きと描かれているのは、著者の経歴と経験によるところが大
きい。インタビューの言葉ひとつひとつにリアリティがある。

内容が内容だけに反戦・非戦の想いがこめられているのは言うまでもないが、読み進
むうちに、子どもを育てること、子どもが育つこと、人が生きることの根本を問われ
ている気がしてくる。
疎開保育園の子どもたちは、終戦の日まで全員無事であった。しかし、その中には1945年3月と5月の東京大空襲で、親きょうだいをすべて失った 子どももいた。
そして、疎開せず東京の親元で暮らしていた幼児たちの、いったい何人が戦火に焼か
れたことか。
本書の原題は「君たちは忘れない」だったそうである。忘れないだろう。忘れてほし
くない。私たちも忘れない。世界に平和を。Love& Peace。

                   *


(冗談だけれども)
   この書評を読んでから、順序良く書けばよかったなーと。
 現代史の発掘調査腕っこきの、橋本進さんが、私にはついていたのですが。
 当時のあの書類と資料の山、わけても東京大空襲関連の本の大きさ重さ。
 ひりひりと、仕事が手につかない絶望感。歴史上の事実を整理分析できない
 つらさ。なんとかしてふてくされるのはやめよう、もう書いちゃったんだ、私は。