2011年10月31日月曜日

西洋人は向日葵よりも背が高い


娘がリックと日本を旅行する。
何日かうちにも泊まるのよ、といったら、友人がそれならお掃除をといい、
ある日私のかわりにせっせと働いてくれたのだけれど、その着眼点がおかしい。
リックは195センチ?
堀 辰雄ふうにいえば、オランダ人はヒマワリよりも背が高い。
だから、低いところはともかく (久保さんはよくお掃除するから)、
高いところが問題だというのである。
たとえばドアの上。たとえば本棚の上。たとえば階段の天井のほう。
冷蔵庫や食器戸棚・の上。
そうかもしれない。見えないところは、たしかに蜘蛛の天下かも。
おかげさまで、いまや、うちはさりげなくすっきりしている。
それはそうと、
リックってさ、見えたとしても「見ない」ヒトなんじゃないの、冷蔵庫の上なんて。

オランダに行ったとき、リックの実家にご挨拶にうかがって、おどろいた。
迎えにきてくださったリックのお父さんのクルマがホンダのフィット(私とおなじ)。
これはまあ、ときどきある話かもしれない。でも家までがまったくおなじタイプだった。
三階五部屋のテラスハウス! あらためて案内されなくても、どこがどうなっているのか、
自分の家のようによくわかって、落ち着きもしたし、おかしかった。
あのとき、庭は別として、オランダの家のほうがちょっと大きいとも思わなかったから、
あの家でもリックはドアの仕切りに頭をぶつけたりしていたのかしら。

おんなじような家を選ぶ親をもち、おんなじようなクルマを買う生活環境で、
おんなじようにロシアにでかけてロシア語を学ぼうとして。
ヒトがヒトと出会う場合、それとは知らず、
かれらはおたがいにわかりやすかったのかもしれないと思う。

2011年10月29日土曜日

のんびり


のんびり
の んびり のんびりだ
しゅうめいぎくが ゆれている
きたかぜに
ガラスどのむこうで いちれつにならんで
こっちをむいて
かぜのないひは えのように うごかず
わたしがDVDで
サーカスなんかみてると
こまかくゆれて
みなくても みえてる 
みえてる 
みえてる 
とみんなでいってる
しろいはな はな
のっぽ
の んびり
のんびり
のっぽの
しろい
はな
はなしが
わたしにとどくのは
きいろい
ちいさな
芯のところの
せいかしら。



2011年10月27日木曜日

職員室の幸せ  2010


ある日のことです。
男の子がふたり、職員室の薬戸棚の前に連れてこられて、
それぞれ片手で頭をおさえて、泣きながら立っています。五才です。
ふたりを連れて来たのはフリーの先生、この人とっても忙しい。
「園長先生、おねがいしていいですか?」
彼女ははやくも両手に紺色木綿の湿布用ハチマキを用意し、
「痛かった、痛かった、冷やそうね」
と泣いてるふたりに言い、私にはこう説明、
「園庭で激突しちゃったんです、ケンカじゃなくて。」
ハチマキを渡すや、仕事にむかってふっ飛んで行ってしまいました。
さて、
残されたふたりがおなじ模様の保冷剤入りのハチマキをしますと、
可愛いふたりは、ぜんぜん似てないのにソックリの双子みたい。
泣きべそをおなじようにかき、言われるままに小さな椅子にこし掛け、
泥がついた片手で、それぞれゲキトツのあとを押さえているのです、シンメトリックに。
私が思わずアハハと笑っちゃったら、ふたりともおかしいらしく泣き笑い。
大丈夫かしら、すこし休んだほうがいいかしら。
「本を読んであげようか?」
べつべつの一風変わった坊やたちなんだけど、双子みたいにうなづくので、
私はヘンテコリンな本だよと言って、
レイン・スミスの「めがねなんか、かけないよ」を読みました。
この本が好きなんですね、私は。
一人がクスクス笑うと、もう一人も笑って、ふたりはゲラゲラ笑ってきいていて、
そのうち私たち三人は世間話、つまりこのあいだの歯科検診の話になりました。
ふたりともムシ歯があるんだとカミングアウト。
歯医者さんに行ったときの話になって、一人は「泣かなかった」と言ったけど、
もう一人は「ぼくは泣いた」と言って、思い出し笑い。
泣いたというのが自分でもおかしいのよねえー。
それからしばらくふたりにしておいたら、
ゲキトツしたふたりは、ごめんね、さっき、なんて言いあっていて、
それから、もう大丈夫になって、園庭にもどりました。

この話を園内の通信に載せた時、投書をもらいました。
こういうのでした。
『 痛みがおさまるまでの時間。
やわらかくて、楽しくて、ゲキトツもたまにはいいか、みたいな。
これが小学校だと、「気をつけろ」とか「保健室の先生が大変じゃないか」とかって
怒られて、子ども同士も、「お前がぶつかってきたんじゃないか!」となりそうです 』

この投書を読んで、、自分の子どもには、私もまたガミガミの一点張りだった、
と思い出してしまいました。



「めがねなんか かけないよ」 
レイン・スミス作  青山 南訳  ほるぷ出版


2011年10月26日水曜日

ランキン・タクシー


明治公園で行われたデモの日、
ランキンタクシーというヒトがいると初めて認識した。
息子といっしょだったからだ。
ランキンタクシーが出る(舞台)ならきてよかった、本当によかったと彼はにっこり。
大江健三郎さんも出るんだのに。彼の卒業論文は大江健三郎論だったのに。
「なに、それ? 知ってるヒト?」
大群衆の中だ、私にはランキンタクシーという音がとれない。にほんごか、それ?
「なんだって?」
ロックの世界の大物で、尊敬しているんだとかなんだとか。
息子ときたら、デモ行進が出発し始めるころ、
前方の舞台めがけてジャンジャン歩いて行ってしまう。
アナウンスがあって、
舞台にランキンタクシーが登場、いまから歌うとわかったせいだ。
こんな六万人もいるところで迷ったら、なにがなんだか判らなくなってしまう。
私は友人と、もうしょうがなくて群集をぬって息子が消えた方角へ進んだ。
原発反対の会場で、労働組合の旗の下をくぐって舞台の真下に行くなんて。
しかもロックの王様にむかって突進しているわけでしょ?
なんだかこう、こんなのってありなのという気持ちだった。

でも私たちは舞台近くに歩いて行って本当によかったのだ。
ランキンタクシーは、その日、圧倒的にすばらしかったから。
会場の遠くにいたら、マイクの調子はおかしいし、ご縁もできなかったろう。

後日、私はインターネットで、もう一度ランキン・タクシーの歌を聞いたし見た。
友人が私のパソコンに映像を送ってくれたからである。
こんな見事なものがある、と知らせたくて、私が若い友達に送ったメール。
「ユーチューブでランキン・タクシーを検索すれば『誰にも見えない匂いもない2011』
というのが出てきます。それ以外に非常に下品なパフォーマンスも出てきますが、
決してそれは見ないようにして下さい。かしこ。」
すぐに返事をもらったけど、それがおかしい。
「見るなと言われると、見たくなるじゃないですかぁ。」

2011年10月25日火曜日

サンジュウマル


その三人にあうと、なんとはなし春にであったような気分。
お母さんに連れられてくるお兄ちゃんと弟。小さいマル顔がもうそっくり。
お母さんもまたほっそりして、ふたりの息子にすごくよく似た小型のマル顔だ。
それで朝なんか、三人がむこうからやって来た場合、
私の目には、大中小のマル、マル、マル、が並んでということになり、
しかもこの三人は、一年を通し 「気候温順太平洋波平らか」 とでもいうか。
不機嫌だったこともなく、泣き顔だったこともなく、大笑いはしないけどいつもニコニコ、
情緒が安定していることといったらふしぎなくらい、どうしてなんだろう?
もちろん、子育てに適したおちついた家庭だから。
考えてみると、こういう家族はホントいまどきめずらしい。
かえってわけがわからなくなっちゃう。
それはそうでも、目が楽しいし安心安定、なんだか冗談も言いたくなってきて、
「あなた達のこと、サンジュウマルって呼んでるわよー、わたしは」
そう言ったらお母さんが、ええ、よく似ているって言われます、と笑いだした。
家族の都合なのかお父さんが子どもたちを連れて来る日もあって、
「きょうは二重マルで幼稚園に来ました、ははは」
四人で来るとちょっと壮観、1000円札というわけね、なーんて言ったものである。
一家のなかでこのハンサムスッキリスーツのパパだけが、面長だったからである。


2011年10月19日水曜日

小さな絵本美術館にて


夏のあいだ、休暇を取らなかった息子を説き伏せて、小淵沢へ。
すこし気分をかえないと、気持ちが開放されないだろう、と思って。

むかしは、原村周辺を出たり入ったりしていた。
八千穂村の村会議員だった友人、東京から移住した母親とふたりの子ども。
白州には従姉夫婦のすてきな別荘もあったっけ、家具工技場つきの。
ああ、十年はほんとうにひとむかしまえ。
現実のことだったと思うことが今となってはふしぎにできない。

はじめて、一番塚をまがったところの「小さな絵本美術館」へ。
月曜日だった。道がわからず到着したのは四時すぎで薄闇のもやがかかるころ。
自動車をおりて、アーチになった門をくぐると、
枯葉でいっぱいの静寂にみちみちた庭づたいに通路があり、
そのむこうにミカンいろのあかりがともる大きな窓、
事務室らしいその部屋には、若い女性がふたりと泣いているあかちゃん。
ふたりがおどろいたように立ち上がって、私たちのほうを眺めている。
あ、人がきた、なんて思ったのだろう、きっと。

フェリックス・ホフマン展(後期)開催中。生誕100年記念。
五時閉館なのでゆっくりはできなかったけれど、
すばらしく美しい絵や版画の数々におどろかされる。
気がつけば、
幼稚園に常備されている「オオカミと七匹の子ヤギ」はホフマンの挿絵なのだ。
「ヨッケリ ナシをとっといで」という絵本と カップ「ヨッケリ なしをとっといで」を買う。
ホフマンはスイス、アーラウの画家である。版画、壁画、ステンドグラス・・・・・・。
そんなことをいえばヘンだろうけれど、ものすごい腕前である。
帰ったらもう一度、絵本をよみなおしてみよう。

美術館の外にでると、ふたり乗りのブランコやハンモックのような遊具、
かしいだ地面をかこむ小川の跡、白樺が夕暮れのなかで、
いま見てきたばかりのホフマンの幻想的な絵のようだ。
なんて素朴で洒落た風情の美術館なのだろうか。

こんなところで育つと、子どもってどんな子どもになるのかなあ、と息子がいう。
うつくしい、童話みたい、きれい、かわいい。わるいものがない。じょうひん。
さーてね・・・・・・。
よく考えてみなくちゃならないわね。



2011年10月16日日曜日

自立ということ

9月25日(日曜日)の東京新聞に哲学者の文章があった。
・時代を読む・というコラム。
タイトルは
自立的な「我らが世界」を
著者は立教大学大学院の内山 節先生である。

イタリアの話だった。
今から三十年ちかく前のイタリアはどういう国だったか。
リラの下落。政権は不安定。毎週代わるみたいな首相。おおきな企業も少ない。
ダメだこんなの、というイメージ。
ところがである。
十年もするとヨーロッパの国々は経済不安と失業率の高停まりに苦しむ。
その時、よく見るとイタリア人の生活は「健全」で幸福そうだった。
けっこうヨーロッパじゃ軽蔑されていたのに。
どうしてか。
第一次産業などでくらしている人間が多いから、と内山先生は書いている。
自営業、職人仕事、地域サーヴィスなどなど。地域密着型の職業選択。
つまり大企業に依存している人が少ない、と。
つまるところイタリア人は、
「国の経済がどうなろうとも、そんなことに影響されない自分の仕事の世界を
もっている」、というのである。

「イタリアはうつ手がなくなってダメになるかもしれないが、イタリア人は大丈夫だろう」
という評判なんだとか。ホントウ?そんなことを考えてもいいなんて。

日本は打つ手がなくなってダメになるかもしれないが、日本人は大丈夫だろう。

そういわれるような、
そういう人種になれたら、どんなに安心だろうか。
しかし、そのために必要とされる「自立性と柔軟性」という内山先生の文字を、
どう考えたらよいのだろう。
依存性と硬直、無考えと保守、長時間労働と不勉強。甘えと強情。
その逆の態度を、自分たちの生活に今さらどうやって、とりいれたらよいのだろう。

「自立的な地域の確立」と書いてあるけど、なんかこうデキなさそう。がんばれない。
「私たちのコミュニティー」とか「くらしの創造」とか。自分の生き方の範囲なので、
とりあえずそれをやろう、できるかも、ということかしらん。

なんにもやらないより、腕まくりして始めるほうが、ずっと健康だ。


2011年10月15日土曜日

島津碧巖 近作書展


JR鶴見駅まで、島津碧巖(へきがん)氏の近作書展を拝見に。
バスにのって、多摩急行にのって、南武線にのって、京浜東北線にのる。
のぼったり、おりたりしては、歩く。
遠い、これじゃほんとの東北についてもおかしくない。

川崎ちかくで、斜め向こうにいるサラリーマンふうの若い男の子がつり革に
ぶらさがりながら、電車の床に崩れ落ちかかったのがショックだった。
ぱさぱさの髪と真っ青な唇、しろい顔色。貧血をおこしたのだ。
前の座席の女性が席を立ってやり、ふらーっと腰掛けたが大丈夫なわけがない。
次の駅で電車を降りていったけれど、ろくにごはんも食べていないのだと思う、
がたがたにやせているのだ。
お母さんがみたらどんな思いをするだろうかと、胸がいたんだ。
会社ではどんな働きかたをしているのだろう。
ちゃんとかまわれていたら、あんなふうにはならないものだ・・・・・。

島津さんのお書きになる「書」。
私の家で、書をたのしむお茶の会を、島津さんに来ていただいて開催できればと、
それも私のユメのひとつだ。子どもをもつ人たちが、いろいろな人や世界にふれて、
すこしは人間がつくるこの世をゆるすことができるように。
島津さんの「書」は、そういう心構えを、温かく清らかに伝えるものだ。
島津さんの童心と厳しさ、そのあるがままが伝わる「書」をみながら、みんなで話す。
やってみたい! 芸術作品を直(じか)に見るのって、とても楽しいので。

来年の四月の末なら、できそうですって。
てつだってくださる方はいませんか。

(お断わり  碧巖の巖はまちがいですが、直せないのでとりあえず)

2011年10月14日金曜日

どろんこ こぶた

とてもよくできた絵本がブックオフに。
どろんここぶた、という。アーノルド・ローベル作。
ローベルの絵本は「ふたりはともだち」が有名だけど、
どろんここぶた、が私はすきかな。
物語がいい。絵がとてもいい。翻訳もいい。
こどもと読むとき、これだと自分もたのしい。
しかも長くない。短くないのに長くないって、なかなかのこと。
そういう絵本はなかなかないのである。


「どろんこ こぶた」  アーノルドローベル作  岸田衿子訳
文化出版局ミセスこどもの本

2011年10月13日木曜日

バイキンマンがすき


けんかしたりケガをしたりで、たびたび職員室に連れられてくる。
三人兄弟の真ん中、自分だって小さいのにもうお兄ちゃんなのだ。
トラブルが続いているけれど世にも素直。心というものがそういうふうにできてる。

おとなの世界からやってきた私のお手上げでマヌケな質問。
「テレビ、みるの?」
彼は小さな顔に大きなメガネをかけてるんだけど、泣きながら、
「うん、ぼ、ぼく、」
ぼくは、ぼ、ぼくは、いい子だと、いい子な時だとゆ、夕方、テレビを見せてもらえる。
なんてりっぱな話しぶりなのだろう、まだ三才にしかならないのに。
あなたはテレビづけじゃない子どもなわけねと私は思い、
「ふうん、あなたのママは、いいママなんだねー?」
「うん、マ、ママ、いい、いいママ、なんだよ」
うなづきながら、また新しく泣きはじめた。
ママにあいたい、という。
そういうわけにいかないのよ、と私はまたもお手上げ、
「幼稚園がおわるまでもう少し、あの時計を見てごらん、あと1時間27分」
なみだの目が読めない時計をみて、ぼうぜんとしている。
どんなに悲しいんだろうかなあ、この子っていま。
「テレビだと、なにがすき?」
アンパンマン、と彼は言う。ハスキーヴォイスでもって。
「アンパンマンかあ。あのさあ、アンパンマンのなかのだれがすき?」
彼はタオルでなみだと泥をけんとうはずれに拭きふき、
「ぼくはね、ぼくね、ぼくはバイキンマンがすき」
「えー、これはおどろいた、どうしてなの?」
彼が、バイキンマンをすきなわけは、こうだった。
「ぼくはいまはまだ小さいんだけど、だけど、いまに大きくなるから、
きっと大きくなるから、大きくなったら強くなって、そうなるから、
そうしたらバイキンマンみたいにやっつける人になるんだから、
わるものたちををやっつけるんだから、きっとそうなるんだから、いいんだよ」

今はまだ小さいけれど、きっと大きくなるから、きっとそうなるんだから。
こんなに自然な希望にみちた声というものがあるだろうか?
ああ、ずっとそう思いながら大きくなってくれたらどんなにいいだろう!

2011年10月11日火曜日

ひとり植木屋


朝、起きてコーヒーをつくり、庭をながめた。
柿の木の落葉がはじまっっている。
園児のパパが「ひとり植木屋」さんで、去年うちの庭を手入れしてもらった。
それで柿の枝ぶりをみるたび、いかにも人柄がよさそうな人だったと思い出す。
お昼に、うちの息子がつくった水炊きを、息子の友だちとみんなで食べたっけ。
もっと何かおいしいものを出せればよかった。
ぼくは鍋物がすきなんですよ、と言ってくれたっけ。
作業しながらの世間話も、いかにも職人らしい物の見方がよかった。
ご縁で幼稚園の樹木の剪定をお願いしたのだが、いい仕事っぷりの人である。
お嫁さんのカラカラした明るさを思うにつけ、あのふたりが親であれば子どもは
きっと、ぶじふつうに成人するのだろうと思う。
それは細部をみないおおざっぱな感想だけど、
おおざっぱでふつう、ということほどありがたいことがあるだろうか。
親がじゃましなければ、子どもはこの場合は、それなりに育つのだ。
なにかに子どもがじゃまされた時、ちゃんと相談相手になれる親だということが
それだけが、だいじなのだとさえ、私は思うんである。


2011年10月10日月曜日

深夜


はくびしんは白鼻心というヘンな漢字のタヌキみたいなジャコウネコ科の哺乳類
なんだけれど。最近どうしたのか、まったく姿を見ない。
以前息子が卒論を書いていた真夜中、ふと食堂のガラス戸の外をながめたら、
タヌキの親子みたいなのが庭を通行中、あとから聞いたらはくびしんだった。
おたがいしっかり目があったからめずらしい。
自由な立場(野生だから)の親子の親のほうが、けっこう長く立ち止まって私を
見たが、けげん(怪訝)なふうである。怪訝とは怪しくいぶかしいということだが、
あっちが、こっちを、そんなふうに考えるということが、ねむかったせいかすごく
おかしく思われた。よく考えればあたりまえなのに。
はくびしんは鏡で自分を見たりしないだろうから、私のこともはくびしんだと思い、
なんでエプロンなんかかけて人んちの中にいるんだ、はくびしんなのに、と思って
るんじゃないか、とそういう気がした。深夜のできごとだからだろう。
垣根をみると、ももんがみたいな小さいのが?ながなが親を待つふうで、たぶん
子どもにちがいない。めずらしい。かわいい。

パンがあったかなと、私がそーっと動いたら、アッというまに消えてしまった。
あとはあとばかり、土管のそばなんかに住んでるそうだけどホントウ?

2011年10月9日日曜日

今週は「ルック チャップリン」


ディエゴ主催の「ルック チャップリン」 

フージーロッ久というバンド名は仮の名称だそう。
リーダーをフージーとかいって、
ステージに出てきた姿はぐにゃぐにゃのオンボロ、かけた眼鏡がズレてフッ飛んで、
マイクを投げればヘンなところに落ちるし、飛び上がったらせまいからぶつかるし、
ギターを持ちだしたと思うとすぐさまテレ笑いになり、
「さっき、練習の時、弦が切れちゃって、だれかかしてくれませんかね」
しかし、そこはもう存在感のある出番待ちの ”SEVENTEEN AGAIN”の
よく知られたリーダーがフージーにギターを貸してスーッとキレイにつなぐので、
彼らの正直な音楽が、あっと思うまに板の上を凄まじく反抗的に滑りだした。
納得拒否の生活感覚、怒りがあって邪気はなく、ガンコ清新な演奏。
チームワークも私にはよかった。
しめくくりにフージーがうたった歌がとても気に入って、たのんで歌詞をもらう。
こんなのだ。


おいしいごはんを食べよう
きみとごはんにしよう
よく噛んで残さずにね
強く大きく なれないよ

楽しいごはん
窓の外
誰かがミサイル放射能
大きくなったなら
強く正しく ならなくちゃ

気が遠くなるような夢のまた夢の中
気を強く持たせて花を贈れ
誰にも邪魔はさせないよ
ああだこうだ済ませて ごはんにしよう

気を引きしめるような音をくれ
気を付けておいでねと キスをくれ
伝えることを愛と呼んでみたら
ああもうこんな時間 ごはんにしよう

シャボン玉飛んで 壊れて消えた
暮らしは続く ごはんにしよう



この漢字の使いっぷりを見よ。このオンボロ小僧のことをフーテンの寅なら言うだろう。
おまえ、さしずめインテリゲンチャンだな、と。 ははは。

ざわめく心


先週まちがえたので、またも下北沢/THREEへ。
ライブである。
フージーロッ久(仮)   SEVENTEEN AGAIN   DIEGO

三つのロックバンドが競演。
いい集まりだった。

大学時代に読んだセルゲイ エセーニン(ロシア)の詩を思う。   

花よ、どうしてお前たちを愛さずにおれよう?
できるものなら、お前たちと仲睦まじく酒を汲み交わしたいものだ
においあらせいとうともくせいよ、ざわめけ
私の心に不幸がおこった
私の心に不幸なことがおこったのだ
ざわめけ、においあらせいとうともくせいよ

エレンブルグはエセーニンと同時代の作家だが
大著「人間・歳月・生活」のなかでエセーニンの詩をこう説明している。

においあらせいとうともくせいが樫や菩提樹のようにざわめくことができないことは
だれにもわかっている。それにもかかわらず、この詩はすばらしい。
が、さてなぜすばらしいかとなると、説明不可能だ。
そういうものが詩というものだ。


不幸に対して大胆に向きあおうという心と、向きあえない心とがある。
今日、私はむねがいっぱいになった。

2011年10月8日土曜日

ひっこぬく


歯をひっこぬいて、
それがきのう
ハーブの根をいろいろひっこぬいて
それがおととい
夜、玄関の暗闇に立って
ひっこぬく ひっこぬく
さきおとといはなにを?
おもしろいじゃない?

なんにも
ひっこぬかない日なんて
ないと思うけど
どうしても思いだせない 
ひっこぬいたこと
さきおとといって
どういう日だったかしら?
そんなに昔じゃない じゃないの

マザーグースをしらべたけど、ひっこぬく はなかった
ひっこぬくはないんだ
こげついたり ばらばらになったり おどったり 
とだながからっぽになったり はあっても
やれやれ
しょうがないもんだなー
秋なのねー

秋だと
秋にたどりつく
けっきょく


2011年10月7日金曜日

かわいいおばけ

こんなに哀れでかわいらしいおばけを、よく創れたものだと思う。
なんとも、かわいい。挿絵も、それをよくあらわして、たのしい。
あんじゅう、といい、くろすけという、まだこどもの妖怪である。
中篇を集めた小説だが、この子?が表題をつとめるのも当然だ。
山中湖で買った厚ぼったいハードカヴァーの本。
すじだては、どうもなじめないが、このおばけちゃんが出色。

よく書けたなあ、こんなかわいらしい、もののけ。


宮部みゆき 著   「あんじゅう」
中央公論新社 

2011年10月6日木曜日

敬老のお祝い会が好きだった


幼稚園では9月に 『敬老のお祝い会』 を行う。
なつかしい幸福な一日。
どんなことばで、説明したらよいのだろう?
その日、幼稚園のホールは、
にこにこしながら集まってくださった祖父と祖母たちでいっぱい。
一生を努力しながら生きて。子どもをぶじに育てて。そして生れた孫が可愛くて。
平和とはこういう現実の重みを言うのだと、そう感じさせるゆたかな光景である。
暖かさ、理解力。ひと時代を越えたという落ち着き、疲労への共感のような。
そう、いっしょにとしをとった、ということの有難さ、私にとっては。
ちいさな孫の幸福をよろこぶ気持ちがつくる、うれしい会だった。
2010年には、『敬老のお祝い会』が終わったあと、こんな感想文が届いた。
きちんと原則的にかんがえて書いてくださってと感動、園内通信で紹介。
この方と私はおなじ学校の子どもの親同士であった。



ぼくは昭和15年生まれで、
幼稚園は小さい組4才、大きい組5才の2組だけでした。
 それに時代が時代でしたので、園のあそびは軍国主義的なものでした。
 いつ頃からか艦載機の空襲が始まりました。
 その度に、大きい先生、小さい先生の指示で家に帰りました。
 帰り道は途中でアメリカの飛行機が頭上に来ていて恐ろしくて仕方ありませんでした。
 普段食べ物はどんなものを食べていたか覚えていませんが、或る日家に帰ると、
 ゆで卵がお皿に乗っていたのがとてもうれしかった事を良く覚えています。
 八王子は、敗戦の一週間ぐらい前にB29の空襲で焼け野原となってしまい、
 小さい組を修了しないうちに通園しなくなり、
その後どうなったのか今だに判らないままです。
 一年に満たない幼年時代で忘れられない事の一つに、
空襲で医療刑務所近くの岡に母たちと逃げた時、
 遠くに艦載機の群れの一機に高射砲が当たったらしく、
えんじ色の玉となったのがはっきり見えました。
 僕は、その時その飛行機に乗っている人は〈死んでしまった!〉と思いました。
 そして戦争は本当に嫌と思い、今でもその事が自分の心を育ててきた
強い支えになっています。
 今日、小さなかわいい子たちを観ていて、
いつまでも僕らのような経験を決してさせてはいけないと思いました。
 みんなのエネルギーをもらって、ジィジィ野性人に成ってこれから頑張ります。
(原文のまま)



としとった人たちの知力がこんなに必要な時代はない。
とにもかくにも平和にくらせた感謝と御返しを、みんながどこかでできたら、と思う。


山中湖に行ったら

山中湖に行ったら、びっくりした。
自動車を運転していて、なんとなく横目でみたら、湖の水が側道すれすれの
ところに来ている。もうちょっとであふれちゃうのか、と気味がわるい。
湖というのも、なかなか、こわいものだと思う。

もうひとつ、おどろいたことがある。
自衛隊のトラックだの戦車だのがすべるように走っていくのだが、それがなんだか
ケーキみたいに見える。出来立て。上等。かたちもステキ。それが、ひっきりなしに
走っていく。なんであんなに新品ばっかり?

二晩とまって、はじめのうちは雷の音かと、かんちがいしていたけれど、
朝八時から、ドカン、ドカーンと富士山麓で、あれは大砲だかなんだかの音なのだ。
一日中やってる。 一年中こうなんだ?
これはショックだった。

           (小学校の時からの友達のみっちゃんとふたり旅)

2011年10月1日土曜日

下北沢

「ディエゴ」は息子のロックバンドで、ライブの日、下北沢に行く。

下北沢は、ごたごたの仕方にセンスがあって、町がとても楽しい。
私は子どものころ、ちょっとこの辺に住んでいたから、知らない町じゃなく、
このライブハウスに行くのは、今日が二度目だし。
はやばや出かけて、古本屋とオールドファッションな珈琲屋に寄った。
少し本を読んで、あっちに行ってこっちに行って、いい調子で歩きまわって。
感心にも定刻に、目的の場所にたどりついた。
チケット。地下まで階段をぐるぐる。いつか見かけたソファ。
そのソファに無事こしかけた、というところまでは普通だったんだけれど。
あーあ。知ってる人がだれもいない。

来る日を一週間まちがえたのである。
それなら帰っちゃう、とソファから立ち上がるというのもなんだかで。
音響がいいライブハウスなんだし、
息子の大学の後輩だというヴォーカルの女の子が、とても親切だし。
ディエゴの日とまちがえたんだってと紹介してくれて、つぎつぎに。
まあいいかー。
おもしろいかー、まったく知らないロックバンドのライブというのも。
きいてかえろうかしらという気になった。

かわった体験。
こういうのもあるのねと、やっぱりおもしろくって。
和光大学の卒業生たちが集まって音楽をやってるわけで。
テクニックはいいし、どんなという興味もあり、音はそれはきれいだし。

まったく、なーんでこうも、まちがえちゃうのかな、私って?