My Mother said that I never should play with the gypsies in the wood, The wood was dark; the grass was green; In came Sally with a tambourine. I went to the sea-no ship to get across; I paid ten shillings for a blind white horse; I up on his back and was off in a crack, Sally tell my Mother I shall never come back. -Songs of Mother Goose-
2011年10月11日火曜日
ひとり植木屋
朝、起きてコーヒーをつくり、庭をながめた。
柿の木の落葉がはじまっっている。
園児のパパが「ひとり植木屋」さんで、去年うちの庭を手入れしてもらった。
それで柿の枝ぶりをみるたび、いかにも人柄がよさそうな人だったと思い出す。
お昼に、うちの息子がつくった水炊きを、息子の友だちとみんなで食べたっけ。
もっと何かおいしいものを出せればよかった。
ぼくは鍋物がすきなんですよ、と言ってくれたっけ。
作業しながらの世間話も、いかにも職人らしい物の見方がよかった。
ご縁で幼稚園の樹木の剪定をお願いしたのだが、いい仕事っぷりの人である。
お嫁さんのカラカラした明るさを思うにつけ、あのふたりが親であれば子どもは
きっと、ぶじふつうに成人するのだろうと思う。
それは細部をみないおおざっぱな感想だけど、
おおざっぱでふつう、ということほどありがたいことがあるだろうか。
親がじゃましなければ、子どもはこの場合は、それなりに育つのだ。
なにかに子どもがじゃまされた時、ちゃんと相談相手になれる親だということが
それだけが、だいじなのだとさえ、私は思うんである。