2018年7月27日金曜日

爆発の不思議


変な日で、
ヘリコプターが昼間、等間隔で、何時間も飛び続けた。
後から思えば5時間だろうか。
ずっと飛行機の轟音の連続。灰色の雲間にカーキ色の戦闘用ヘリが見える。
戦争に出掛けて行くようだった。
立川基地からいったいどこに行くのかと私は思った。
近所のスーパーマーケットに行ったのは4時頃、
すぐ前の歩道橋の手すりに作業着の男が何人かいる、空をみて、話している。
彼らは雲の合い間に見えるヘリコプターを眺めて、不思議そうだった。
やっぱり異常だと思っていると、私は思った。

ヘリコプタ―が規則正しく南の方角に飛ぶ、空には雲しか見えなかった。
関心を示している人は誰もいない。
マーケットの入り口のホールでは、
ゆっくりと大人や子どもが涼んで何かを飲んでいる。談笑している。
普通に人々が買い物をしている。買い物客は買い物のことしか考えていない。
キュウリだとか、大根や納豆や今日に限って安い鶏の胸肉だとか。
夕方なので、みんないそいでいるのだ。

もしかして戦争が始まる日も、こんなことだろうかと想像する。
ふつうの、いつもと変わらない午後、いつの間にか膨大な飛行機や戦車や
ミサイルで武装したわが国の自衛隊が、こんなふうに、都民や市民をよそに、
なんの知らせもせず、政府の命令で戦争を開始するのかと。

いやな日だと私は思ったけれど、それだけでなんにも気がつかなかった。
唐木田といえば我が家から歩いて15分の距離なのに、
一日中、家にいたのに。
尾根幹道横の工事現場で大爆発があり5人もの人が死んだなんて、
まるで知らないまま一日が過ぎた。
なんの物音もしない、
あとで見せてもらったスマホの画面の中で、巨大な泥色の噴煙が、
とぐろを巻いて辺りを覆い、尾根幹線道路の途中で、膨れてのたうち回っている、
そんなこととは、全然知らなかった。
団地の中は、暑さに参って、人影もない。たぶんみんなも知らないのだろう。
そう思った。

なんにも知らずに、私は夕方多摩ニュータウン通りから橋本に出掛け、
21時過ぎにクルマが尾根幹線を走ると、前方がキラキラと真っ赤だった。
おびただしい数の救急車、パトカー、輝く通行止めの警告灯、警察官たち。
なにがあったのだろうかと、その時になって驚いたのである。

多摩市唐木田一丁目の大型ビル建設現場が、地下3階で火事を起こした。
320人もの作業員が働いていて。


オウム真理教の死刑囚13人がまとめて死刑になった日だった。

2018年7月26日木曜日

地下鉄京王新宿線


お見舞いに代々木病院に行った。

千駄ヶ谷で降りて、帰りはまた千駄ヶ谷から電車に乗る。
くたびれたからか、熱いからか、ふらふら反対方向へ行く電車に乗った。
どうもあやしいと思いながら、ドアが閉まりそうなので、
あわてなくてもいいのにあわて、あわてるから間違える。
でも不意に、反対でもいいか、市ヶ谷で乗り換えればと思いつく、
よかったと、私は市ヶ谷で電車を地下鉄に乗り換えた。

優先席が空いていたから、座る。
隣には若い男の子が、赤いマークのラベルをリュックにつけて、
身体を折り曲げて、がっくり眠っている。
赤いラベルがポンと無防備に見えるのは障害の存在を知らせているのだろう。
その姿はどこか温かく、どこか無邪気で、私を安心させる。
男の子が、ううんと起きて目をあけたので、私が笑うと、
彼もにっこり。電車がどこにいるのかわからないらしく、きょろきょろする。
「どこだかわからないんですか?」
・・・だって疲れて眠っちゃっていたんだものね。
そうすると彼は、ぼくは障害があるのでと、ごそごそし、
僕のお父さんがこうやって行きなさいとこれを書いてくれたんです
と私に小さいノートの切れ端を見せる。
「このままで、僕、そこへいけるでしょうか?」

それは5,6行で書かれた、この少年によく似たきちんとした文字だった。
地下鉄新宿線の新宿3丁目で下車、
丸の内線に乗り換えて、そうすれば新宿御苑前に着く。
「新宿御苑に行きたいの?」
「そうなんです、いけるでしょうか?」
といっているうちに、電車は新宿3丁目の構内に入っていく。
あっ、新宿3丁目に着いたらしいわ、ここよ、降りなきゃ。
丸の内線よ。降りたら丸の内線をさがして乗る、
「新宿御苑はどの電車にのるんですかって、きいてね」というと、
彼はズック靴をはきなおし 、肩に赤いカードをつけたリュックをかけ、
ぶじプラットホームの人混みの中に立った。
ありがとうございます、といいながら。
私を見たから、手を振ると、にこりとして手をひらひら振っている、
賢いお父さんがいる家庭の17才ぐらい、それだけしか知らないけれど、
そう思うとうれしい気持ちになった。

・・・彼は、新宿御苑駅で降りて、それからどこへいくのだろうか。
考えたってしょうがないわよね、
彼のお父さんのように 、
信じて、手伝って、まかせるのが一番よいことなのだろう。

あんただって、と私も、自分のことをそう思う。
反対に行く電車にうっかり乗っちゃって、
それで、こんなふうなよい一日が、待っててくれたわけじゃない、
そういうことでOKでしょ。


2018年7月18日水曜日

神保町で



大学時代の友人に、信山社あとのカフェであう。
約束がすらすらと成立して、間違えずに会えたのは、
彼も私も、書物からはなれない人間だからで、
私たちは、50年も、この小さな街を離ればなれに彷徨っていたのである。

信山社は岩波の本を売る書店で、格調が高く、それが売りだった。
ところが岩波のブックセンター・カフェになったら信山社の雰囲気は消失。
「神保町」という名の地下鉄駅ちかく。岩波ホールのそばという幸福な立地。
それなのに、予算がないという作り方で、内装になんのセンスも感じない。
本が並んでいても、岩波の本だぞというかつての誇りは、もうない。
岩波書店側の予算の都合で店をつくるなんて。
むかしの名前で出ています、といわんばかりの残念至極な上から目線だ。

信山社の、岩波の本だぞ、という迫力を私たちは愛した。
だから神保町に行くと、必ずその主張の空気にさわるわけだった。
それから千変万華の本の街に彷徨い出る。なにも岩波の本だけが本じゃないから。

もうそういう時代じゃないとメディアは安直にニセ情報を垂れ流す。

そうかもしれないし、しかし、そうじゃないのかもしれない。
神保町は今でも、書物なしには生きていたくない人々の街だ。
書物に埋もれて落ち着きたいさまざまの人に、少し歩けばすぐあえる街、
話をしなくても、孤独なまま、孤独だということに癒やされる 、

幾多の本棚に護られて神保町は今でも、・・・そういう無言の街なのに。




2018年7月17日火曜日

本ができた。


朝日新聞出版から、本が送られてきた。
みるからに丁寧な手の入った「君たちは忘れない」の新装復刻。
映画化を期に、37年前に書いた疎開保育園物語が、
よみがえった・・・。

「あの日のオルガン」

読んでみると、
書いた時と、今では、読後感がちがう。

若くて落ち着いた上坊真果さんがずーっとついて、
丁寧な仕事をしてくれたので、本は映画化の帯をまきつけて、さらに暖かい。
なぜ37年も前の本が復刻なのか、
今、ていねいに、ていねいにこの本を作りなおすということは、
本書を書いてからの、先の見えない私個人の、灰色の網目をほどいて、
いまは亡き保母さんたちの歴史に、しかるべき明るい光をあてることだったのだ。

ヒト運に恵まれて、可愛い本ができた。



2018年7月16日月曜日

泊り客


勉が5年生を二人つれて泊まりに来た。
チガシとタカだ。

まー大変だった。

少年というのはなんと、すがすがしいのだろう。
子どもなんだけど、あらゆる人間らしさが、すでに備わっていて。
黙っていても、笑っていても、おじさんとゲームをしていても、
外へ行って、暑くてすぐ引き返してきちゃっても、
かたっぽうは眠く、かたっぽうはまだまだ起きてゐたくても、
きゃあきゃあと、すみきったかん高い声で笑う声が耳に残る。

自分が親だったころ、私はなんでまた、
うるさいばっかりだっ」と思っていたのだろう。
私は怒ってばかりいて、勉などは
こんなに恐ろしい人はこの世にはいないと思ったという。
登校拒否、などと思うにつけても、その前に母さんの屍(しかばね)を
乗り越えてと思うだけで、もう恐ろしくって思考停止状態になったと、
冗談半分にしても、それほど私って怖かった。
自分の子どもほどかけがえのない者は、私にはない。
私は、だから本気だった。

孫のうちにいま私が見るものは、勉とムギの懸命の子育てが生んだ個性が、
未来に輝く萌芽のようなものとして、不意に姿を見せるときだ。
どんなに賢い子か知らないし、どんなに強い子なのかもわからないが、
おかしくて、可笑しいことが嬉しくて、そのおかしさを油断せずに測りながら
いま笑いこけているこの子に、私は自分の父親からの伝言をみる。
理解力の出発って、そんな姿かたちのものではないかと思って。

しかしまあ、男の子ふたりというのは無限の体力、
つぎこおばーさんとたけしおじさんは、どうにかボロをださずに、
5年生二人が勉に連れられて帰るまで、生き延びてまことに幸いである。


2018年7月14日土曜日

おたがいさま


思うに、後藤さんが救急車をよびたいとなると、私を指名してくださるのは、
おととし、私がもうむちゃくちゃに後藤さんのお世話になったからだと思う。
私たちは同じ団地で、おなじ鶴三会のメンバーで、私は先ごろ亡くなった奥様
がユーモラスな日本人離れした方でもう大好きだった。
でも、そんなことでは 人と人の間にある生垣は越えられないとわかったのは、     最初の救急の時だった。奥様が亡くなる前後、私は理事会の広報担当だった。
もう全然うまくやれなくて、パソコン だのコピー機だのに手をやいて、脳天に
きてしまい、後藤さんに電話をしては、パソコンを抱えてお宅に駆けて行った。
お正月だろうとなんだろうと、〆切があるからである。
どんな時も後藤さんはかならず私を招き入れて、私の難関を見捨てなかった。
クリスチャンだからか。優しい人だからか。合理主義者だから だろうか。
たぶんぜんぶなのだろう。いつだって断られたことがない。
奥様が亡くなったのは元日で、葬儀場は一週間先しか予約できなかった。

そんな時でも、後藤さんは自分だけじゃ分からないからと、建築委員の中村さん
に電話をして「もうパジャマに着替えて寝るところだと中村さんが言ってました」
とおっしゃって。でも大丈夫ですよ、と。
そのうち中村さんがやっぱり来て下さって、これは民話のようだと私は思った。
雪の降りそうなお正月の夜、奥さんを亡くしたおじいさんと、パジャマを着替えた
おじいさんと、頭の弱いおばあさんが、相談をしているのだ。
深々と冷たい紺色の夜で、それはたいしたことで、
私は亡くなった楚子さんがすぐそこの空にいて、にこにこしていると思った。

こんなに厄介を掛けてばかりだから、後藤さんは救急車をよぶとき、
私には頼みやすかったにちがいない。
だって、この団地にはほかにいくらでもシッカリした人がいるのだ。
親切な人が 多い団地なのだ。

なにしろ、知らせていただいて、私ときたら、
「はい、救急車をよんですぐお宅にうかがいますから」
と電話を切ったはいいけど、あの時は救急車の番号を知らない、わからない。
あてずっぽうに119に電話をしたら、当り、だったのである。


2018年7月13日金曜日

救急


朝、7時直前に電話がかかった。
後藤さんが熱中症だと、中村さんが。
病院をさがす。入院先がきまる。
救急車よりはと、中村さんと後藤さんと病院までクルマで行く。
てきぱきやった、と言いたいところですが、
後藤さんを病院に置いて自分たちは帰るとなったら、
とたんに私は、いつものごとくクルマのカギがみつからない。
病人は、85才なのに、熱をはかり(41・8度)、かねて用意の水を飲み、
日ごろの必需品をがっちり入れたリュックをもって、
私はさすが後藤さんだと感心したけど、
病院に到着したらかんじんの診察券がない。
私にさっき渡したと後藤さんが言ってる、と中村さんにいわれて、びっくり、
身に覚えがないけど、渡されてないという記憶もない、とうとう判らず。

ご近所、老々介護のお粗末。
でも、婦長さんがやさしくて、診察券はなくても大丈夫ですって。




2018年7月12日木曜日

税務署


いまごろ確定申告。
3月15日ごろ、日本国民たるものは、ほぼ全員が税金と取り組む。
いまは7月だからすごい。
前年度は無事に、粛々と陰気に、しかし無事に確定して申告した。
それが嬉しかったから、それらしき税金の材料を、大紙袋に入れては、
去年程度に確定申告を済ませたいとかなんとか、思っていたのである。

大紙袋を、不安だからみっちゃんの家にいき、淑人さんに点検してもらった。

それでもって、これならと日野税務署へ。クルマで家から30分の距離。
日野税務署には一年に一度しか行かないが、
行くと毎回、ここは労働組合の活発な活動が必要だと、ヘンなことを考えてしまう。
なんだか、不幸せで活気のない灰色の職場 、という空気。
でも、まあ、それはそれとして。
この一年間で彼ら役人はずいぶんと居丈高になった。
受付の女役人まで不機嫌むきだし。男は上から目線で怠惰なもんである。
気働きをまったくしないという、放置感惰がどの顔にも浮かんでいる。
去年はこんなじゃなかったのに。なにがあったのだろう。

どんなに相手が不機嫌であっても、私の欠点はどうしようもなく修正不可能、
必要書類がなかなか見つからないし、てまひまはかかり、能率ゼロだ。
役人の不機嫌と失礼と上から目線をしり目に、
私のほうも、自己嫌悪がエスカレート。
相手にも申し訳ないし、これはお手上げだという結論にいらいら、
マイナス感情が高じてくる。
むこうも不機嫌だけど、私だってこっちで勝手に不機嫌爆発、
自分にいらいらして、私の不機嫌が相手の不機嫌を上回るのだ、
不機嫌の押しくらまんじゅう、というか。

解せないことに、・・・なんの加減か、役人がふいに親切になった。
私がこの手の混乱にまったくお手上げだと、彼の判断がそこに至ったらしい。
足りない書類を決めてくれて、自分の名札を指差し、
「出直す場合、こんど来るときは私を呼んで下さい」といってくれる。
初めからやり直さなくてすみますからね、と内気な笑みまで浮かべて。
私は出直して、その人に散々お世話になって、やっと4時すぎに一件落着。

6時45分までに調布にいかなきゃならない。
「あの日のオルガン・上映実行委員会」
帰宅がまたしても1時すぎ。
気がついたら眠っちゃって、電車が終点の橋本にいるじゃないの 。

税金疲れ、だと思う。



2018年7月11日水曜日

小鳥は何時に起きるのだろう


小鳥は何時に起きるのだろう
どうも夜明けの3時半みたい
そのころきちんとおきれば、私もひと仕事できるのに

東の空に太陽の赤色が千差万別に混ざる、暗黒をおしのける

小さい団地を見つけて住んでいるので
点々と、知っているご近所さんのことを思い浮かべる、
作為もなく、わけもなく
いや、おそらくなにか、わけはあるわけでも
イメージは不意にやってきて、あてもなく消えてしまう

こんなに何年もかたまって住んでいるのに、
知らない人のほうがずっとずっと多いって、
へんだしふしぎだし、
快適でも不自然よね




2018年7月10日火曜日

ナイン・パーティーに行く


やっとのことでナイン・パーティーに参加。
憲法9条改悪に反対するロックバンドのライブ。
毎月9日、19時半ごろ。下北沢「スリー」で開催。
ゴロゴロのユウくんの企画。私にとっては少ない希望のひとつである。
少ないギムのひとつである。良心に照らしての義務というもの。
現政権下での憲法改悪に反対する有効なプロテスト。 
私は家が遠くて、終わりまでいると帰れなくなる。

23時11分の小田急電鉄にやっとこさ間に合って、家にもどって来た。
ホッとして、もう。

この1年、
疲れがひどいからと、電車が新百合ヶ丘駅に着いたというのに引き返し、
ノロノロ帰宅したことが2度ぐらい。忘れたことも何度か、ある。
下北沢のライブハウスに着いたとして、それから3時間轟音と向き合うなんて。
1日に家事+用事+ライブはもう無理で、電車に乗ってからできない相談と思い知る。
トシだからと人にも自分にもそう説明するが、そんなことでもないのかしら。

昨夜こそは素晴らしく楽しくて、優秀なパーティーだった。


2018年7月9日月曜日

スリー・ビルボード・メモ書き。


最初、このアメリカ映画がきらいだった。
身近な、凄まじいパワーハラスメントを行った会社員そっくりの下級警官。
娘をレイプされ焼き殺された母親が、なんとこの差別暴力サイコ野郎に共感、
ふたりして、軍が隠ぺいした真犯人を、ぶっ殺すかもしれないけど、
もしかしたらそれはやめるかもしれない。
とそういう結末に我慢ができなくて。不愉快で。

次の日、もう一度みる。・・・するとそんな映画じゃなかった。
世界は現在、結末もなにもふくめて、この脚本の通りではないか。
「スリー・ビルボード」は現代を寓話化、この映画は鳥獣戯画なんだ。
マキシム・ゴーリキイの「どん底」を下敷きにした理詰めの脚本。
母親による大看板(ビルボード)三つ。
「事実」と「責任者の名指し」と「告発」。
憤怒と暴力と偽善を代表する主役三人。俳優は超一流。
気がつけば現代アメリカ全体を完膚なきまでに分析、批判して秀逸。
脚本、監督、俳優にまったくスキがないから、惹き込まれてしまう。
どんなにイヤでも。
スキがないとはどういうことか。
情緒など問題外といわんばかりの人物造形がみものだ。
つまり、
徹底した憤怒は反省抜き。
警官は単純バカで人種差別暴力OK南部型マザコン。
そして警察署長の永遠なる偽善。ダブルスタンダード。
結果右も左も、世界中が偽善にホント好意的。
そういうわれらが世界 ではないかと、この映画はいう。

・・・「あの日のオルガン」の対局にある映画。

宮沢りえ主演の「お湯を沸かすほどの熱い愛」はクロサワの「生きる」が下敷き。
名優志村喬の市役所役人が、宮沢りえの場合お風呂やに変わっていた。


2018年7月8日日曜日

映画館にいく!

 
どうして「!」をつけたかというと、ひとつもマトモに進行しなかったので。
まず本を読んじゃって東中野で降りなかった。
まさか、新宿の、次の次の駅が東中野だなんて。
気がついて降りると、中野駅って、
どうも東中野に止まる電車のプラットフォームが一つじゃないらしい。
普通には電車はこない、でもそのうち来る、というプラットフォームがあるのだ。
階段を降りて昇って、そのばかばかしいプラットフォームに着いてしまった。
一つ隣の各駅停車の駅なのに、東中野は。
電車が来ないから行けない。映画の開始時刻に間に合わない。

新宿にもどってお昼ご飯を食べてから映画、と考える。
時間がありすぎるので、新宿の地下道をずーっと中村屋まで歩く。
食べるのに時間がかかりそうなセット・ランチを注文。
「コールマン・カレーってどういうものですか?」
ボーイさんが、ヨーグルトとクルミのスープでなんとかと言う。
鶏肉がいやだったので、お肉はと質問すると、
「牛肉でございます」
忙しい時でイライラしたのだろう、ボーイの目の色が冷たくなって、
失礼だし不愉快だった。私をばかだと思っている、それが私に伝わらないと
なぜ思うのか、不思議だ。
しばらく待つと注文のセットが別のボーイによって運ばれてきた。
どう見てもカレーに浮かんでいるのは、ジャガイモと鶏肉の塊なので、
これはコールマンカレーですか、ときくと
「さようでございます」
客とは気の弱いもので、鶏肉みたいな牛肉なのかもしれないと、思う。

コールマンカレーは殆ど残した。腹が立ってきて、
ウェイトレスにきてもらい、説明がまちがっていたと申告する。
気の毒そうに平謝りしただけで、彼女は向こうに消えてしまう。
中村屋ってなんなのだ。
そう思いながら食べていると、しばらくして、
私にこれはコールマンカレーだと答えたほうの人が来た。
少し年配だから、ボーイ長なのだろう。
謝ってこれからきちんと教育をいたしますので、という。
悪気もなんにも彼にはないが、それだけである。

こういう場合は料金を取るべきではない。
それが老舗の立場である。高価な設定はいい加減をゆるさない。
料金を支払うかどうかは、間違えられた客が決めることだ。
もちろん些細なことだから、客は当然、料金は支払うのである。
払いたくなければ、料理が運ばれた時点で、抗議しなければならなかった。

私の扱いにこまって、お飲み物をサービスいたしますと、
衆人環視のなかで彼は言ったが、私はサービスを追加しろと言ったのではない。
なにもかもセットしてあるランチを注文したのだから、
お飲み物はもういらないのだ。

また東中野に行く。
映画館のカフェで、まーだ時間があるので「お飲み物」を注文。
腹が立つけど、そういう日なのだ、きっと。なんかかんかが掛け違う。
ちょっと、可笑しいというか。
前の回なら講演つきだったのに、それだってダメになった。
ロクなことがないけど、そういう日もあって、それでなんとか、日常の均衡が
保てているのかもしれないのですよね。

映画は、ドキュメンタリーではなく、劇映画だった。
「返還交渉人」である。こういう企画。俳優たちの努力。
「あの日のオルガン」も、こんなふうによかったと思ってもらえたらと願う。


2018年7月6日金曜日

朝から晩まで右往左往


早朝から、もうずーっといそがしい。
ハナウタまじりにやればいいかもしれないけど。
お弁当を作り、朝ごはんを作り、ついでにメールに「スリー・ビルボード」という
コーエン兄弟系統の映画の感想文を入れたら、
朝だというのに終末間隔、もとい感覚。
7時が8時になり9時になり、
朗読の自主サークルたんぽぽの人たちが11時に到着するのに、
朝ごはんが半分のこって、テーブルの上にある。
洗濯だって半分しかできていない。曇りだし、雨だし。
台所がすごい。

なんとか頑張る。お湯を沸かしておこうと思ったところで、7人が到着。
1年に1回のサークルの5回目、いつのまにか5年・・・。
こういうのを定点観測というのかしら。

今回は「ないた赤鬼」の、青鬼さんと赤鬼さんの物語り、輪読である。

練習が終わると、中西さんが打ってきてくれたお蕎麦をみんなで食べる。
不思議にも中西さんはこのサークルの、たった一人の男性だ。
いつもお蕎麦にいろいろ乗せるように準備してくれる。
かつお節、おろし大根、ワカメ、ジャコ、鶏肉、紅ショウガ、
だれかが運んでくれた青い小茄子の浅漬けまで、お蕎麦にのせて、
私たちは中西さん特製のだし汁をぶっかけて食べ始める。
自分じゃできないことだし、すごくおいしい。
お茶も飲むし、お菓子も食べるし、果物もあって。

老境の5年は、過ごし様によっては、豊かな内面をはぐくむものらしい。
府中の多摩市民塾から派生した小さな独立小グループ。
時がたてばたつほど、こだわりが姿を消し、
不器用だったり、難しかったり、神経質な人もいるはずなのに、
どんな心遣いでこの人たちは5年をもちこたえたのだろう、
一人一人がいかにものお人柄そのまま、にこにこと落ち着いて、
めずらしいことだと会うたびに思う。
うれしいし、こうなると見たり聞いたりもラクチン。
朗読の練習も私は気がねなく、くったくもなく、ぽんすかぽんすか。
まー、まぁ、さいわい私はコーチで、上から目線。
みんなの方はドッキリしちゃって、1年に1度の「教師」相手の朗読だし、
おもしろくもおかしくもないのかもね、私ほどには。

夕方、洗濯を乾かしにコインランドリーに。
乾かすあいだに、生協で食材を買う、お米とか、お醤油とか、ゴボウとか。
雨が降って、クルマもびしょぬれ。
乾いた洗濯物を 袋詰めにし、ジャンジャン雨がふる中を
帰宅。

よせばいいのに、「やかまし村の春夏秋冬」をDVDで見る。
あんまり自然で、子どもらしいので、笑いながら泣きながら見て、
映画の中の子どもが笑うと笑ってしまい、あんまり幸福そうだから泣いたりして。

今日はいくらなんでも一冊も本を読まなかった。