2019年4月19日金曜日

老後の幸福


最近、私の住む市は、工事の現場だらけである。
あっちでもこっちでも通行規制をしている。
やってきた車を止めてゴーサインの旗をふる人は、初老の人が多い。
時々、自信なげにヘルメットごと首をのばし、これでいいのだろうかと、
あたりをうかがっていたりする。
この人には、この現場に、相談できる人間がいるのかしら。
そういう姿を車の中から見ると、
仕事が変わるたびに、こわくてこわくてたまらなかった自分を思い出す。

灰色の髪の、背高のっぽでメガネの老人が、痛む足を隠して、
不自由を見せまいと歩いていった、なんて絶望的で不幸な様子だろうか。

なぜ、ごくろうさまと報われる権利が、老人たちに、あたえられないのか。
たとえどんな一生であれ、とにかく生き抜いて、昨日も今日も、明日も、
迫りくる病気をかくし、見知らぬ現場で、慣れない道路工事をしているではないか。
そう思う。個人の欠点をあげつらうのではなく、
余生を幸福にくらす準備金を、と思う。


2019年4月12日金曜日

多摩センターで上映


映画の上映が、突然、多摩センターで始まった。
4月12日から4月18日まで。イオンシネマで。
そうなる、とわかったのは10日まえで、ウッソォ!という感じ。
多摩市は老人が多く、活動家ともいうべき人はともかく、
日常ネットで情報を調べて、さて映画館に行こう、なんて。
そういう人は、少ないと思う。

チラシをみなさんにお願いして、450枚、配る。
団地の掲示板にも貼らせてもらい、知り合いのお宅のポストに手紙といっしょに
投函。昼間だと、ちかくの公民館で待ち合わせて、受け取ってもらう。
となりの公園に犬の散歩に来てもらい、手渡す。
速達で送る。

電話が私にかかって、映画館には伺えないとおもうけれど、
朝のラジオ体操の時、みなさんにお配りしますからと。
ー100才をすぎた母上のそばを1時間以上離れられなくなったからー
(朝のラジオ体操の時なんて、すばらしい展開、
              願ったり叶ったり、とても嬉しい!)

自分はいつもなんだか親切じゃないのに、親切にしてもらう。
気が退ける、気が重い、気に病む、つい恥ずかしくなってしまうけれど、
あーあ、現状の私としては、そういう屈託はおさえこんで、
とにもかくにも宣伝おねがいの一日である。


2019年4月6日土曜日

読書


図書館で、ヘンな本を、というと申し訳ないが、借りてきた。
春風亭柳昇著「与太郎戦記ああ戦友」 ちくま文庫。
読みやすそう、と借りて、読みやすいものだから、一日で読んでしまった。
戦争と貧乏を、落語家が語ると、こんなふうになるのかと、
自分の生まれや視野の狭さが、恥ずかしくて、無念であった。

解説を読むと、本書について、
「戦時中の生活が熱っぽく、最近の出来事のように語られ、落語家生活は遠く静かに語られる。」とある。
解説者は昭和46年生まれなので、40代のひとである。
徴兵制のあった時代の空気を自分は実感できないと、書いている。
彼は短い解説の中で、柳昇について以下のように書く。
「本書に通底しているのは、終戦までーもっと言えば、出征まで、だと思うーの
生活こそが自らの帰属すべき本来の場所であり、多くが喪失された戦後の生活は、
仮の宿に過ぎないという感覚である。柳昇の体内にあった時計は、上海沖の洋上で
アメリカ軍の銃撃を受けたとき、その動きを止めたのだろう。
柳昇は晩年までその若々しさを言われたが、その精神において、彼は幼少期から
二十代半ばまでの記憶とともに、一生を過ごしたと私は推察している。」

「与太郎戦記」「陸軍落語兵」に続く第3作から、私は読み始めたわけである。



桜祭りをする


鶴三会が例年のごとく桜祭りをする。

朝、集まって買い物。私は、いつもついて行く。
まじめなヒトばかりで、 自分はあんまり役に立たない。いるだけだ。
お酒に詳しい。おかずに意見がある。なんだってぜったい役に立とうとする。
それらのヒトが、なぜかなんだか、好ましい。
熱心な顔って気持ちがいいものだ。
買い物につきあう人も好きだけれど、つきあわない人だって好きである。
ながく一緒にいるからこその、適材適所、自然。
自分にはできないことを、その日のために、不思議にしてくれるから好きだ。

老人会のいいところだ。

トシをとってしまったなー、と思う。
みんなトシをとって、今ではあの人もこの人もいなくなって、
家族じゃないのに、家族のように残されて、淋しい。

桜も今年は今日こそ満開、それなのに、心なしか後方に霞んで影が薄い・・・。
なぜかなぜなのか、あの人がいないからか、あの人も死んでしまったせいなのだろうか。
それとも、地球に対して私たち日本人が行った悪業が、あまりにも酷かったせいか。
過酷な猛暑の影響で、桜も、弱っているのだと聞く。

私は一日中、なんだか、ふらふらしていた。
見ればみんなも、ふらふら、そんなにラクでもない様子。
楽しい桜祭りをあつまって祝うのも、
当然のことながら、けっこう努力しなければならないのが、老年で、
みんなといっしょにいる限り、
それが老後の幸福、無病息災というものだと、考えるわけである。

 

2019年4月3日水曜日

「あの日のオルガン」の故郷


蓮田市の「桜祭り」に行く。
蓮田はかつて私が書いたルポルタージュ、「疎開保育園物語」のご当地である。
どこまでも平坦で広々とした、人影のない畑ばかりの土地を、
クルマの窓ごしにずーっと見ていると、
今も、昔も、風景がそんなに変化しない不思議について、考えてしまう。
今度、はじめて高層のビルディングが駅前に建つときいたけれど、
それが、人口の激減をとめる施策にいったいなるのだろうか。
そういうことがこの土地柄になにを招くのだろうか。

私が最近読んだ本によれば、
21世紀の終わり、日本の人口約1億2千7百万人が、5千万に減少する、と。
21世紀って、今が、21世紀なんでしょう?
これから百年間のことなんでしょう?

かつて疎開保育園のために、食料提供を引き受けてくれた土地柄というもの・・・。
戦争の末期だったのに、どこか大らかで、懐(ふところ)が深く、
現実を受け入れて、親切な。「消費班」と悪口も言いはしたが、とにもかくにも、
親から離れて生きる幼児たちを憐れんでくれた、その素直な素性のようなもの。
埼玉の、桶川の、蓮田の、高虫の、ふつうじゃない何か。

蓮田市の桜祭り。
雨模様だし寒くって、ヒトの集まりも普段の半分ぐらいだったというが、
この市の気合いというか、お祭りに賭ける元気が、地元商店街の参加ぶりが、
人々の表情が、私にはうらやましい。
「なんにもないところだから、お祭りとなるとみんな張り切る」
説明してもらうとそういうことなのよね、これが。
自然をぶっ壊して造成しなおし、コンクリートばっかりにし、
水仙だろうが、雪柳だろうが、チューリップだろうが、行列で咲かせる、
その名も多摩ニュータウンの住民の、私などにはわかりっこないなにごとか。

ダックレースとかいうお祭りの恒例目玉のひとつが好ましい。
これはお祭り会場の脇を流れる、悠々たる「もと荒川」に5千羽のダックを放ち、
市民が幾ばくかの賭け?をする、ヘンテコリンな競技。

驚くなかれ、オレンジがかった黄色のビニール製ダック、つまり人工の小アヒルが、
時間がくると5千羽、もと荒川におしあいへしあい、浮かぶ。
しかし、風がない日だと、いくら小さくても集団でもダメ、下流へ流れない行かない。
すなわちレースにならないのだ。
わぁぁぁ・・・とおかしそうに笑う見物人・・。
すると、長靴を履いて板切れのホウキみたいなものを持った男性が2人、
しょうもなさそうに、停滞したダック群を、はたりはたりと追うわけで・・・。

見れば彼らの長靴は、ダック群をどこまで追って川を下ろうと、沈まない。
驚くなかれ、もと荒川とはいうけれど、幅はあっても浅い川なのである、
晴天の春ならば満開の桜が川面を飾って、それは綺麗なんだそう、今日はだめだけど。
説明が、なんだかおかしくて好きだ。悠長がうらやましい。
都会育ちの私なんかには、もう絶対にない品格。

のどかだし、品がよいし、本気にならない冗談って感じがいい。
この、なんともいえない間延びこそ、だいじな気質なのではと思ってしまう。
効率主義ではない人生の、それがやっぱり親切をうむのでしょうね、きっとね。