2018年1月17日水曜日

カシミヤのオンボロ


こんな冬にはカシミヤのセーターがいい。

いちばん気に入っている黒いセーター がおんぼろになって、
洗濯のしすぎなのか、あっちこっちに穴がある。でも一番だ。
ネックが少し持ち上がっているので、軽々とほんとうに暖かい。
これがカシミヤだけど、
着ようとするたび「襤褸」という文字がピッタリだとおかしくって。
新しいのは買えないほど高いにちがいないから、
セーターの下に黒いTシャツを着て自分をごまかす。
最近は肘のところにもどかんと穴があき、笑える。
私もオンボロだと思うと、なんだかおかしいというか。
カモフラージュの Tシャツだって出がけだと半袖しか見つからない。
でも。
着る。
カシミヤってゆっくりと暖かいし、たとえボロだって。
黒い襤褸を着て、その上に胴衣(ベスト)、その上に別のセーター。
オーバーなんかいらないぐらい暖かい。
修理ぐらいしなさいよと自分に言うが、そんなこと言ったって忙しいし。


2018年1月16日火曜日

衝動買い


外套と藍色木綿のワンピースの間に
襤褸をかくせそうな大きい胴衣のようなものがあって、
売れなくてインド製だから少し壊れて、という。
高価なものが三分の一の値段なので着てみたら、ボタンがバラッと取れた、
「すみません、ほかのボタンにも後日おなじようなことが起こります、
ボタンが黑い糸で巻いてあるだけなので、」
そういう予言?とともに店主がまたも千円値下げ。
ついつい、買ってしまう。
この町にむかし住んでいて、私は30年以上前からのお客さん、
いい買い物客ではなく、時間ばかりが過ぎた 客なのだ。
よそ行きはこんな具合にここで買うことが多い。食器とか布類とか便箋も。
ここでさがすのが安心なのだ。

いつの頃からかそうなって、店主も自分も、おなじく年をとって。
ささやかな贅沢というもの。



2018年1月15日月曜日

東京新聞・本音のコラム・1/14


本音のコラムのおとといの小見出しは「反逆の意義」だった。

小学館発行の雑誌APIO最新号で、反日的と批判された山口二郎先生の反論。
 「特定の政権を国家そのものと同一視し、
  政権批判を行う者を反逆者と攻撃するのは、
  独裁国家に共通した論法である。」
と書いてある。
 「権力に尻尾を振って、権力のなすことをすべて正当化する人間こそ
  国を誤った方向に導く元凶であるという
  歴史の教訓を学ばなければならない。」

山口さんは法政大学の先生だ。
オーソドックスとは、うちのガタガタの古い広辞苑をひくと、
伝統的な教養・学説・方法論を受けつぐもの、とある。
ものごころついて以来の親の代からの自分の常識にてらして、
山口二郎先生のお話は素人にもよくわかるものだ。
オーソドックスで、つい頼りにしてしまう。

先生は、コラム9行目にスカッとお書きになっている。
「けんかを売りたいなら買ってやる。」
言論の自由に照らして、
どうすればこういう臨機応変の勇気が身につくのだろうかと悩ましいが、
こういうカンカンに怒るという生き方を、見習いたいものである。



2018年1月14日日曜日

仁義なき戦い


俳句の締め切りを連日意識しているのに、頭はからっぽ。
小林さんが催促してくださって、申し訳なくもやっとこさ投稿。
このごろ、一日に五千歩はきれいな冬景色の中を歩いて通るのに、
電車から窓外の景色を、俳句、俳句とながく見て考えようとするのに、
いつのまにか意識が横にすべってどうしようもない。


夜になって、深作欣二監督の映画(DVD)を初めて観た。
なんて乱暴・雑多混乱粗暴殺人過多な日本だろう。
あのころは俳優さんたちもシノギをけずって毎日楽しかったにちがいない。
悪役、灰汁役、ただもうひたすら強烈な存在たらんがために、
なにがなんでもワンサカギラギラの大努力、
東映、日活、松竹、新劇入り乱れて、物凄い混成俳優部隊が、ギラギラギラギラ。
「仁義なき戦い」第一弾! 第二弾をつい臆病になって借りなかったのが残念 。
この作品は続編がたくさんあると聞くが、二作目までがいいんだとか。




2018年1月13日土曜日

パソコン


しょっちゅう使い勝手が変わる。
頼んでもいないのに、ややこしくなり、不便になってしまう。
スピードアップしてくれと頼んでいないのに、
私個人のパソコンに、いつのまにか他者が、技術の暴君みたいなものが
「もっと便利に」と手を加える。
しかもパソコンは起動すると、アルファベットから。

日々、個人の家にズカズカ入り込まれたようで不愉快だ。
一人一人のささやかな生活に黙って入り込み、その人のささやかな独立を
かきまわしてしまう「技術革新」。
ワードプロセッサーはもう少し素朴でよかった気がするが、
そういうものはあっというまに市場から消えてしまうのである。

沈黙の軍隊。




2018年1月12日金曜日

復刻版


朝から気力なし。きのう仕事で遠くまで行ったからかしら。
むかし書いたルポルタージュが復刻版になるという話。
単行本にして再発行というのだから嬉しい。
私は〈虔十公園林〉という童話絵本をもって行った。

この本の挿絵画家に絵を描いてもらって下さい。
どうしてかって、虔十という頭が足りない子がかわいい。
いじめられても、なぐられても、喜んで笑っても、可愛くてリアル。
ほかのただの子ども達も、よく見ればすごく子どもらしい。
なんにもない畑ばっかりの農地の貧乏ったれぶりが、いい。
美しいけれど、寒くて、過酷な自然というもの、
戦時下の農村、疎開保育園が張り付いていた土地そのもの、
この画家の絵は、詩のようでいて厳しくリアルです。

戦後70余年、私たちは繁栄してそういう風土を失った。
37年前に書いた時は考えもしなかったことだけれど、今となると、
ロマンティックな追憶の土台が、どうしても私は必要だと思っているんです。

そう言ったんだけれど。


2018年1月11日木曜日

公園を横切ると


急いで公園を横切る。
早朝である。行く先は築地市場、家はあっちから見れば地の果てだ。
なんてまー寒いと思う。寒い。
震えまいとするが、ガタガタ震えて私は、ううう、とよける。
後ろからガシ、ガシと自転車の車輪がたてる音がする。
太めのおじさんが、すみませんとも言わずに、私を追い越した。
あったかそうなこげ茶のオーバーに軍手はめて、毛織のズボン。
後ろ姿を見送った・・・。
耳あてふうの毛糸のネックウォーマーが帽子、黒白の縞目、
ハゲの部分だけまんまるく露出、
毛糸がたりないデキ。クビのためのものだもの。
それでもってグングン曲がって 消える。

後頭部・・・。
わっお日様みたいと、少しばかり好意をもってしまいました。