2013年3月27日水曜日

フォーラムの続き/統合失調症


当事者の若者がどこもかしこも息子に似ていると私がびっくりして隣席の友人に
そういうと、彼女は(統合失調症の弟がいる)おかしそうに、
「あなたの息子は薬なしでああなんでしょ、あのヒトは薬を飲んでの今なんだから」
それがそうだとして、やっぱり私の頭のなかは感動?を受けて、
注意が舞台上の進行からそれていってしまう。
舞台に二つの大きなスクリーンが準備されており、
必要に応じて彼の、話し手の顔が大写しされるからだ。

なんて悲しげな、なんて不可解なものごとにとりまかれているという表情なのだろう。

彼は指名されるたび黙って考えるふうだ。そういうところも息子にそっくりなのである。
よくよく考えた末に、1000人の聴衆にむかい、多くは患者の家族であろうし、
なかには当事者もいるはずであるが、彼は司会者の問いに答えている。
ウソをつくまいとし、相手を失望させまいとして、しばらく考えるのだ。
たとえば、今後のあなたの夢はなんでしょうかときかれて、
(12才で発症、10年入院生活をして退院、今は働きながら実家でくらしいる)
彼は、こんなふうに答える。
「・・・・ぼくは、音楽がすきで、音楽のなかに逃げ込んだり、
音楽のおかげで助けられたことが多いので。
だから、いつか音楽に・・・音楽に恩返しをしたいというのがユメです。」
そう・・・日常見慣れてしまって、きちんと考えたことはなかったが、
こどもの時から、私の息子もまた大変な苦労をしたのではないか。
あたえられた人生になじめないで。

司会の町永さんと平安、伊藤両精神科医の説明による統合失調症の、
発症と再発の科学的な説明。
経過には陽性症状と陰性症状とあって、防御因子としては、
薬物療法、心理社会的アプローチ、生活支援、就労支援。
そんな講義につれて、統合失調症を病む人の実感や現実の体験が紹介される。
ふたりの当事者の話、ふたつのスクリーンに映し出される別の当事者の生活。
統計や、みじかくまとまった文章。


統合失調症を生きる、というフォーラム


懐かしい友人に誘われて「統合失調症を生きる」というフォーラムに出かけた。
フォーラムとは公開討論会のこと、NHKエンタープライズの主催である。
エンタープライズって? この際しらべたら事業とか企画である。
はるばる横浜駅まで渋谷を通っていく。
3月17日のことだけど、東横線が新装なってなんと地下五階の駅に。
横浜駅だってもう空恐ろしいぐらい新しく変って、わけがわからずウロウロした。

でもとてもいい集まりだった。
この日の参加者そごう横浜店9階に1,000人。
私がいっしょに行こうと誘ってもらったのは、この病いがけっこう身近かだから。
彼女も私も身近かに統合失調症をかかえる人がいるのである。
病気を治すには。
病気にならないようにするには。
病気でもしあわせにくらそうとすれば。
そういう問いを私も案外自然に持っているわけである。
それにしても1000人の人、人・・・会場はもういっぱい。

たぶん医学的詳細やフォーラムの進行についてはNHKがなんとかしてくれるのだろう。
私はただもう自分の感じたままを話してみたい。
町永俊雄モトNHKのキャスターがコーディネーターだと案内に書いてあったけど、
この人の司会進行はすばらしい。
用意周到、当意即妙、なによりの理解力と感受性。
しかも気持ちのやさしさが、舞台上の討論を聞きやすくわかりやすいものにするのである。

横浜の精神病院の先生がふたり。学歴経歴ばりばりピカピカ。
ハーバード大や琉球大までをふくむ学歴資格肩書き眼が眩むほどの専門家と
経歴肩書きばりばりではあるが、IPS 、ACTにとりくむという専門家と。
ふたりとも医学博士である。
ちなみにIPSは個別就労支援、ACTは包括的地域生活支援プログラム。
壇上には司会の町永さんとこのふたりの精神病の専門家、
それから当事者がふたり、男女である。
かれらが1000人をまえにパネルディスカッションを行うのだ。

当事者とは統合失調症を病む人であるが、
この日の出演者のなかで、このふたりよりニンゲンらしい表現をした人はいなかったし、
統合失調症というわかりにくい病気を、このふたりほどわかるように語った人はいなかった。
2011年に見たイタリア映画「人生ここにあり」は涙なしには見られない映画だったけれど、
精神病院を国策として廃止したイタリアの哲学が納得できるような、
ほのぼのとした愉快な作品だったと思う。
それを思い出した。
今日ここでふたりの当事者に、
こんなふうに自由に語らせたプロセスのすばらしさを思う。

男女ふたりのうち、
女性は自由奔放に見え、
男性は私の息子そっくりに見えた。
私の息子は精神病院にいったことはない。
私はいままで一度も息子が統合失調症ではないかと思ったことはない。
でも彼は私の息子にうりふたつだった。
もの哀しげな大きな瞳・・・。
質問にこたえる前の沈黙の重さ。
それこそ外国の映画にでてくる羊飼いみたいな衣類の風情。
私だけではないと思う、
1000人の聴衆は、魅せられたようにこのふたりの当事者を眺めていた。
たぶん、私たちはみんなこのふたり、この正直で純粋なふたりに、人知れず似ているのだ。
どこかしら似ているのだ。
そして困惑の極みにいるのだ。

2013年3月21日木曜日

なにをくよくよ川原の柳


病気になったから寝てばかりいて。ラクである。
働いていないし、いまさらクヨクヨなんかしない。
家には野田さんもいてくれる。
ハンカチほどの庭に白いラナンキュロスなんか植える。
青いネモフィラ、白いヒヤシンス、クリスマスローズと水仙と、それからなんだかなんだか。
多すぎちゃって、がたがた、あわない。
だからしょっちゅう、鉢の位置を私は動かす。
それでまだ気にくわない。
風が吹いたり、柿の木の枝が芽吹き始めたり。
春だ、春風がほんとうにあたたかい。
私の庭の柿の木は、二月のはじめ、シュールな形に伐られてしまい、
アッとおどろくようだけど、葉っぱがちょんちょん姿を現してくれたのがうれしい。

野田さんが働き口を得た。
離婚して、50歳をすぎていて、彼女がここで働きたいという場所。
週に三日というのもいいじゃない?
いろんなところを落ちたあとなのだ。
すごい。

しかも、しかもというとおかしいが 、4/14のライブの会場が競争で取れた!
抽選で勝ったのだ。
出演者も、おもしろくって、私の英会話初級クラスのエドワード先生が、
ドクター・スウスの絵本を朗読(韻をふんで)、スクリーンに絵本。
このお願いをするのに私なんか、ついに始めから終わりまで日本語。
エドワード先生はUCLAの演劇科でティム・ロビンスと同級生だったという猛者である。
日本語のほうは、私の朗読のクラスから中さんとみっちゃん。
弾き語りはふたり、息子と西村くん。
中さんは演劇的な朗読ができる。
みっちゃんはリアルで思慮深い朗読をする。
私の息子はヘンな奴で、西村くんは若くて渋い。ふたりとも儚くユーモラスである。

年を重ねることのよさは悩まなくなることだと思う。

わかれた夫が一人ぐらしで破滅寸前になり、彼の妹の気が優しい秀子ちゃんと、
横浜の病院のケースワーカーに今後の相談をしに行った。
息子たちは4月4日に二人とも仕事を休んでケースワーカーに会う。
数えれば離婚して20年近くが過ぎたのである。
10年ひとむかしといえばこれはふたむかし・・・。
彼の友人たちにもそのあいだずっと心配をかけた。
私は大丈夫だけれど、秀子ちゃんは病身、彼女の夫は入院中。

私たちはなんのために、このかくも残酷な人生からたえず学ばねばならないのだろう?
・・・よく学ばなければ、許してもらえないと脅かされ続けるからではないのかしら。
貧乏人の無力を許さないのは誰だろう?
神様だとはとても思えない。
文科省がつくりあげた当代日本人が襲いかかってくるという感じ。
老いも若きも官僚主義が洋服を着て。非力な者には残酷無関心で。
そうして、そのなかの一人でもある自分がまた、自分自身をつぶすのである。
この仕組をなんとかして、といつもいつも思う。
人のせいにしたってもう始まらない。

そういう枠組みのなかで、へんてこなライブをやって、
花をたくさん植えたからってなにがわるい?
春風春水一時に来たるというのが私の心意気である。


2013年3月11日月曜日

3月11日


今日という日が過ぎた。

政府が国立劇場で行った記念式典の天災のみを嘆く演出のソラゾラしさ。
ここ数日間の報道に関して私がつくづく思うことは、
被災者の嘆きではなく、国民の努力ではなく、私たち日本人の怒りの表出には、
どんな多種多様なことがらがあるのだろうかということだ。

税金の流れを、被災者救出を第一に考えて、変えるべきである。

デモ。
ボランティア。
インターネットによる情報獲得。
自分はこれらの「行動」に思うように加われない。
昨日も今日も、私の生活は「自分のくらし」のなかで過ぎてしまう。

私は自分に可能な怒りの列に加わりたい。

原発が爆発したと聞いてすぐ逃げたが、親類から放射能を持ち込むなと言われ、
避難所からは満杯だからよそへ行けと言われ、すぐさま自分の家にまいもどり、
それ以後とり残された動物たちにエサをやりながら、原発から一キロの地点に、
たったひとりで生きる男の人がいることを、今日テレビを観て知った。
この人はそうやってくらす理由をきくキャスターに端的になんどもなんどもくりかえした。
「なんでって、ほっとけば死んじゃうだろ」「かわいそうだろ」
眼が怒りでいっぱいだった。
ガスも電気も切られたなかでのくらしが映し出された。

私は思う。
こういうやむを得ない怒りとともに、じぶんなりのくらし方を見つけたいと。


2013年3月9日土曜日

多摩市民塾 3/8  朗読発表会


六ヶ月にわたる朗読講座の終わりの日。
それでこの日は発表のみとした。
教室に椅子席をつくってそこが客席。
朗読者はひとりテーブルの向こう側に立ち、課題の詩を朗読するのである。
朗読にあたっては自分なりの前置きをつけてみる。
どんな練習をしたか、どんなことに気をつけたか、どんなことを考えたか。
なんでもよい、それが自分の話しならば。
今回の市民塾での私の講座のテーマは「今を生きる」だった。

まど・みちお「人生処方詩集」に収められた詩をわけて朗読する。
あらかじめの稽古は前回もう終わっているのである


私の感想。
「クロとぼく」
クロにむかいあうかわいらしい「ぼく」の気持ちを追う、朗読者の気持ちが、
今でもパーッと浮かぶ。何日もたったのに。真剣に立ち向かうって鮮やかで感動的だ。
「むかしむかし」
いつもみんなの世話を献身的にしてくださった人で、朗読はまったく門外漢だそう。
「?」という気持ちから脱出していくさまが実に爽やかでいい。素敵な練習ぶりだ。
「生まれて来た時」
今を生きているように、母の産道をひたむきに前向きににこにこして走って、そして
彼は生まれたのか。私たちはみんなこんなふうにして生まれるのかと思った。いい朗読!!
「とおい ところ」
この詩に空気をかよわせ、星空を見せ、その空間に存在するよみ手の感情を
きくものにわからせた。みずみずしい朗読でおどろいてしまった。
「ぼくが ここに」
まどさんの有名な詩。哲学的教訓的に読むまいと思うと難しい。そこをあぶなくも
くぐりぬけて、とても謙遜な朗読になった。できないことをやりとげたのである。
「あしよ リズムで」
とてもよかった。足のまわりに小さな風が柔らかくまとわりついているのが見えるようだった。
ステップを踏みながらの朗読。自由が自己表現になってイキイキ元気、いいと思う!
「とおいけしき」
前置きのおはなしが、このひらがなとカタカナばかりのちいさな詩に、巨大な重みを
もたせた。朗読にあたっての発想が彼女の感性の豊かさを私たちに伝える結果になった。
「おばけなら いうだろ」
いつもおもしろい朗読をする人だけどこの日は前回欠席のため初見。それがザンネン。
でもですよ。自分で悩みながら練習した人よりよかったら私も困っちゃうもんね。
「ガーゼ」
へんな詩?でこんなのが当たると・・・と困惑しきり。そういう風情が私は好きだ。
いかにもの深みを創りだしている。客観、批判の在りようが朗読の個性になっているのだ。
「アリ」
この朗読もそう。こういう一見朗読しようもないような手におえない詩を、よみ手の個性が
ブッタギルというか。観客が詩よりもよみ手を愛する瞬間である。
「ボール」
朗読しにくい詩であってどんなふうに朗読したのか、ただそれがいかにも彼女らしく、
みんながよく知ることとなった彼女のしなやかな強靭さが跳ねたことは確かである。
「するめ」「ワニ」「ケムシ」「ノミ」そして「ひぐれ」
ははは。詠んだ人にぴったり。苦味ばしった朗読で、どこか突き放したようなメロディが
じつにおかしくって面白い。新聞のちいさな記事を読むみたい。
「春がすみ」
だれの朗読をきいても自分にはとても真似ができないと思うけれど、これもそう。
いまでもちょっと少年のような声が聴こえる。詩のなかで息づいているようなね。
「ねむり」
ていねいにていねいに、まどさんのひらがなをたどりながら、練習したのだろう。
詩人の感受性とよみ手の感受性の出会いを見る思い。すごい。


しみじみ思う。
教えることは教わることだと。
これは私のむかしの先生たちがくりかえしおっしゃったことばだけれど、
ほんとうに、参加者の朗読に胸をうたれ、驚いて愉しんだ、ゆたかな二時間。
みなさん、よい時間を本当にありがとう。


2013年3月7日木曜日

ヒヤシンス


ヒヤシンスは香りがすばらしい。
春がくるとついつい買ってしまう。
机においたり本棚においたり、
日々ながめていると冬がおわる。
鉢植えで買ってきたヒヤシンスは、
温室で育てられてどういう魔法か立派だけれど、
花がおわると、葉を切って、地面に植えて、
ああやっと春がきたなと思って。
すると、この根はつぎの年、律儀にミマワリ小さな、
つまり3分の1ばかりの白い花を咲かせる。
何年たっても、だんだん小さくなりはしても、
花をつけて野生にかえったようなこの花は、
そうなると鈴蘭といってもいいような。

私の庭がちいさくて、
土にねころんで、ヒヤシンスにお礼が言えないのが
ザンネンだ。



2013年3月4日月曜日

思い出の詩


期待はいつも裏切られる
ここは現実の地点、おれの椅子
ぎらりとだんびらの痛みを引き抜いて

これを書いた詩人はどこにいるのだろう?
高校生のころ夏をすごした信濃追分で、
秋の別れの前に、幾人かがもらった
彼のなんの飾りもない白地の詩集にあった言葉だ。
不思議にもこの詩句をくりかえして、
くりかえして、いつのまにか、今という時がきた。
有名な詩人になったのだろうか?
うっかりした人で、京都大学の、文学部ではない理科系の人で、
追分の村道を何人かで歩いていると溝におっこちたりする。
なにか子どもなんかにはわからないことを考えているのだろう、という感じ、
いかにも詩人だなあと思ったものである。

きみは見ていた 一群の雲が
孤児なる舟をみちづれに 未来の熱にむかって降りてゆくのを

これはアポリネール。
英語塾にかよっていた時だから、高校一年生だったろうか。
学校が青山にあったので、新宿や渋谷をブラブラしはじめたころだ。
「アポリネール全集・第一巻」を買って渡してくれた人がいた。
英語の先生の家の下宿人で、まもなく結婚するという佐伯さんである。
労働者だというあのころの説明がなつかしい。
学者じゃなくて、サラリーマンじゃなくて、と思ったものだ。
佐伯さんはどこに行ったのだろう? 下宿を出て? 結婚して?
それは平野家で、いかにもロフトの平野 悠が誕生しそうな場所だった。
1950年代が終わるころのこと、レッド・パージされた人なんかが隠れていた家。
しかし、思い出せばそういうことだったわけで、
そのころはただ「英語きらい、できない」と思っていただけだった。
「アポリネール全集・第一巻」は千部限定、背表紙が皮でいかにも高価であり、
両手でかかえて、それが自分のものになったなんてとても信じられなかった。
ああ私なんか、ただの馬鹿だったんだけど、
この重たい詩の本をどこでくらす時も持っていったのだから、
一財産のたましいをもらったようなものだったのだ。

翻訳がいかにも、いかにも美しい。
新宿の紀ノ国屋書店でこの重たい本をみつけて、でも高価なので買えなくて、
あの本、あの詩の本と、私は平野さんの英語塾でなんどか悲しんだにちがいない。
詩は一生いつも私にくっついてきたが、こういう気質を守ったり育てたりしてくれた人が、
見知らぬ人にちかく、二度とあうこともない人だったというのが不思議である。

あのころの日本人はゆたかではなかったけれど、再生の夢をもってくらし、
自分の夢でもって人を育てようともしてくれていたのだろうと思う。



2013年3月3日日曜日

神奈川県立近代美術館  葉山 3/2


葉山へ出かけた。
ぜひごらんなさい、と関上さんが教えてくださった絵を見る。
松本竣介の<立てる像>1942年。
私が生まれる前、戦争中に描かれた絵である。
なにかで見て知ってはいたが、実物はおそろしい迫力、
背後の色彩が死人のように蒼白なのである。
ゴッホが死の直前に描いたカラスの飛ぶ麦畑の絵を連想した。
死神がすでに画家の生命を捕らえて、死が行進を始めているというような。
あるいは、時代の趨勢はこうなのであるという画家の見たこの国の様相。
奇怪な雰囲気。
彼は結核で1948年36才で死んだ。
「真白な地の上に黒い線を一日引ひてゐるだけで、僕の空虚な精神は満足する。」

若いころ、西周(にしあまね)についてなにひとつ知らず、
知人の息子さんが周くんで、いつも周という字はどう読むんだっけと四苦八苦した。
たぶん周君のお父さんは、「哲学」という日本語を創った大学者にユメを馳せたのだろう。
美術館の今回のタイトルは、
美は甦る  検証・二枚の西周像  -高橋由一から松本竣介まで


春の海を見る。
    

    (この展示は3月24日まで。月曜休館 Tel 046/875/2800)

追記
上手に御案内できないけれど、日本の近代美術を眼でたどることができる。
高橋由一をはじめとして、
たとえば思いもよらず、前田寛治、関根正二、藤田嗣治、村山魂太、岸田劉生、
佐伯祐三、永井 潔、内田 巖などなど、多数の画家の作品が展示されているから、
そしてそれぞれが少数であるから、思い思いに、見ることができる。
つかれたら、庭に出て、海をながめ、また美術館にもどるということもできる。
春のはじめにふさわしい一日をすごすという感じ・・・。


TIC/修了式で(初級英会話)


修了式の発表。
私たちはエドワード先生の少年時代のテキストをつかって、
台本をつくり、15分ばかりの寸劇にしたのであるが、
けっこう大変な経験であった。

大変の一番は私がこねあげた台本にある。
さいしょ、絵本の絵とエイゴの文字をみて、
語呂合わせみたいなことだ、カンタンかもとつい思ったら、
rhythm rhythm とエドワード先生がさかんに言う。
語呂合わせだからといって、ドクタースウスの詩は韻をふんでいるのだから、
リズムがだいじ、リズミカルに暗唱すべき、とそこは変えられないのである。
リズムをrhythmと言われて、私などポカンとし、
なるほどエイゴじゃそう発音するのかと感心するレヴェルなんだもんね。
初級のクラスなんだぞ。
韻を英語でふみつつ、物語の人物になってセリフを言う、なんてことは無理である。
これは大変なことをしちゃったとスグにわかったけど、もう手遅れ。
時間がないから台本も変えられずひたすら強行するしかない。
初級だというのにとんでもない高級ワザ。
すごくクラスメイトに苦労をかけた。

一位にのみ賞品が渡されるが、二位だったのが残念。
初級にあるまじきワザをつかったというのに。

いろいろなことがあった。
おどろくほどユーモラスで素人ばなれしているクラスメイトが2人も3人もいて、
練習ではその人たちを見るのがみんなの楽しみだった。
上手だしケッサク、まあおかしくて、rhythmical な時間が流れる。
あの人やこの人にこんなセンスがあるなんて誰も知らなかった、もうけた。
こういう埋もれた達人ってけっこういるものなのですね。
感動的だと思ったのは、声が思うようにでない人で、
舞台に立つなんて初めて、メイワクをかけちゃうとすごく悩んでいた。
でもがんばり通すすがたや態度が勇敢で、かわいらしくて、
学ぶところの多い人たちだった。
素直、謙虚、
そして never give up 投げ出さない。

修了式が終わったあとの謝恩会で、
各自のすわる席をくじ引きにしたのはとても残念なことであった。
クラスがばらばらになってしまったし、お世話になった先生とも離れてしまった。
今季でお辞めになる先生とも離れる、新しい先生とも離れる。
私たちのクラスの授業はつねに4時から5時半まで。
主婦も多いから、夕食時で、急いで帰宅せざるを得ない。
親しく交流するチャンスがまったくなくてそれがこの一年残念だったという声もある。
私はエドワード先生の講評をみんなで聞きたかったなあと思って。
練習をずっと見守ってくださったのである。
客観的な、そしてやさしいアメリカ人である。お礼だって真っ先に言いたい。
国際交流をうたう組織なのだから、そういう人情をまずだいじにしてほしかったと思う。



2013年3月1日金曜日

4月14日・日曜日・2時開始・ライブ


ライブというのもなんだかおこがましいのですが、
私も観るばっかりじゃなくて、ライブの主催者になってみようと思いました。
場所は小田急多摩線唐木田駅、駅から3分の公民館ホールです。
できてまもないので、洒落ているしきれいです。
人気があるので一ヶ月前の抽選に負けるかもしれない。
負けたら私の家でなにがなんでも実行。
家はそこから公園のなかを歩いて15分です。
公園も春らんまんの時なのできれいです。

私の生活はいま、
ライブの会場に足を運ぶ。
朗読の会を行う。
ブログを公開。
鶴三会(わが愛する団地の老人会)と
そこでやってる俳句の会。
英会話サークル万年初級。
それとただふつうのことをしている、掃除とか、笑うとか、怒るとか。生きてる。
だけど、これを世代で考えると、
20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代まで。
しかも運がよくてなかなかの人たちを発見、
なんとかおたがいの存在を知る機会をつくりたいとずっと思ってきました。

音楽をきいて、詩もきいてみて、おいしいお茶を飲み、
それからなーんとなくご飯を食べる。
食べながら飲む。
どうか私のお知り合いのみなさん、
ご参加ください。
私の友人のそのまた知り合いでも歓迎です。

ライブにはタイトルがあるのもないのもあるそうです。
私は「迷走のときは」としました。
迷走のときは、音楽や物語の断片を愉しみつつ、飲む! 

ご案内
ホールを借りられたら、
2時ー4時   ライブ「迷走のときは」
           出演  西村卓也(ティアラ) 久保 健(ディエゴ)・・・・・弾き語りです。
           中 深乃、本間美智子ほかの朗読。

4時半      久保つぎこ宅に移動(公園を15分歩く)して酒盛りと食事、8時一応解散。
          食事用意 野田恵子ほか。

   チラシを早急につくりますが、まずはお知らせまで。