2015年3月12日木曜日

沖縄に行ってくる


沖縄に、友人がふたり。
ひとりは沖縄の人で、ひとりは劇団所属だったころの友人だ。
同世代で、みんな同じように基本的に「ワリくって 」くらしてしまい、
けっきょくああなんて私はバカなんだろうと思うが、
そう思ったって間に合わない、自分を変えられない、変えたくもない。
・・・みたいな。
何年も前に沖縄にもどった竹内さんと 、この2月に沖縄に引っ越した森山さんと。
沖縄にそういう友人が、別々なんだけど、ふたりになった。

考えてみると、私ってそういう「不器用人の輪っかの中」でくらしているのね。
おたがい同士はみんなべつべつ、知り合いじゃないんだけど。

だれかに会おうとか、どこかに行こうとか。
そういうことは難しい。
沖縄は私には、恥ずかしいことに遠くて。

むかし、家を売って、買うということをしたとき、
世間なみのトラブルに私も出会った。
最終的にお世話になった野村アーバンネットの若い社員が教えてくれたことがあった。
久保さんは友達とおっしゃいますが、
友達にも二種類あると考えると、ハッキリするんじゃないですか?
知人と、友人と。それを分けてみると、いろいろなことがハッキリしますよね。
特にこういう場合はね。
ははは。ほんとにそうだった。

蛍のかごの中に住んでるみたいだな、久保さんの話を聞いてると。

そう別の友人に言われた時にはサッパリ見当もつかなかったけれど、、
(主観的で頭がわるいし滑稽だと言われたような感じがしたけど)
今になると、よくわかる。
私が認めるというか好きな蛍は、
「不器用人の輪っかの中」にいる蛍だったわけである。


2015年3月7日土曜日

春・ヒヤシンス


私はヒヤシンスの香りが好きで。
毎年、お花屋さんの前に長いあいだ立ち止まって、やっと花の色を選ぶけど、
白いヒヤシンスだけひと鉢買いたいとか、高価なものだなあとか。
どの花が健康そうかしらとか、一番いいのはこの鉢かなとか、ぽかーんと考えて、
そうしているうちに、駅の構内の雑踏になんとなく気を惹かれ、
あの人は幸せだと思うとか、ああなんてつらそうな若い人なのかしらとか。

今年は二階の父の遺品の大テーブルの上に
(私はそれを白くペンキで塗っちゃったんだけど)
その上に白ばかりのヒヤシンスを鉢ごと三つ、四つならべた。
テーブルは父に言われて大工さんがつくったもので、上等なところはなんにもない。
今ではベニヤ板を張り付けた角がほんの少し壊れかけている。
父が経済学の「寺子屋」をひらき、いろいろな人たちがそこで勉強したのを思い出す。
勉強嫌いの自分、それから懐かしい父の質素だった望み、理想主義、
私は後悔してもムダな思い出と向き合って、アイロンをかけたり、なにかを書いたり。

今年の冬はヒヤシンスのおかげで二階の部屋のドアをあける時、うれしかった。

花の香りだ。
つかのまのなんとも言えない嬉しさ。
そんなことをしたのは、淑人さんとみっちゃんにコストコに連れていってもらったからで、
ふつうの花屋さんより値段がすごく安いとビックリして、思わずつられて。
一鉢買うのがせいいっぱいだったのに、三鉢、つぎに行った時また一鉢。
ははは、とんでもないことだった。

でもなんで温室ではヒヤシンスをあんな花房の大きいものにするのかしら。
その方がきれいだから? 茎と葉がいまにも花の重みで折れそうだ・・・。
花が終わると、3月ごろ庭のどこかに苦労して、球根を植える。
庭がハンカチみたいに小さいので、うっかりすると他の球根をひっかいてしまうのである。

忘れたころに、忘れた場所に、小さなヒヤシンスが7分の1ぐらいの花を咲かせる。
去年やおととしの、ピンクや紫、それからもちろん白い花。

小さな香りがやっぱりして、そうやって咲いてくれる花は可愛らしく、素朴でまたいいのである。


2015年3月2日月曜日

あかちゃん、会話に参加か?


ディエゴのイマちゃんとカッチが陽文(ひふみ)くんを連れてきてくれた。
まだ3か月だから、小さな口から音は出すけど、みたいな。
泣かない平和なあかちゃん。だまって、みんなの話をきいているというか。
だれに抱っこされても泰然として、不安がらない。
うまれてから、不安になったことがないのね、きっと。
わー可愛い。一寸法師のむかしの挿し絵みたいな子だ。
てん、てん、点、と、目とはなと口があって、
わたしなんか近眼だし老眼だし、よく見えてなかったんじゃないかと思うなー。

礼美ちゃんが家に初めてきて、かわるがわるひふみクンを抱っこさせてもらった。
ずっしりと重たい。首がやっと据わりかけていて、まだすこしばかり不安定。
礼美ちゃんは絵を描く人で、彼女のポストカードに、
このひふみクンがちょっとおおきな男の子になったみたいな絵があった。
もうちょっと大きくなって、カッチに似てきたみたいな絵もあった。
なにか、なんの話かわすれちゃったけど、私たちがわいわい言ってたら、
聞いていてごきげんになったらしく、ひふみクンもアーとかウーアーとかムーとか言う。
赤ん坊に意見はあるか、そもそも話をきいてわかるのか、
びみょうな感じである。・・・なんという存在感。

きれいな瞳だ。純粋なだけの。
あかちゃんが いるだけで、うちの中の空気がすがすがしくなったような。
これはきっとイマちゃんの育った家の家風が自然なのね。
それにしても人見知りしないうちに連れてきてもらってよかった。
カッチがあかちゃんを可愛がること。
それもよかった。
ねむたくなったひふみクンをタテに抱っこし、定位置で足を上下に屈伸している。
エレベーターみたいだ。
「これ、効果あるんスけど、こっちの体力が続かなくて」
なんともおかしくてワッと笑ってしまった。


2015年3月1日日曜日

野田さんのお引越し


野田さんはいつごろ私の家に来て何年いたのかしら。
三年ぐらいだ。あの日に来て、この日に来て。
そのうち引っ越してきた。荷物がどうやって運び込まれたのか、思い出せない。
たぶん冬で、私がオランダに行ってた時なのかもしれない。

私の家はウナギの寝床みたいな三階建てのテラスハウスなので、
(つまり、間口がせまい)
私が一階、息子が二階、野田さんが三階で暮らした。

朗読の日にはなが年の友達が来るから、楽しかっただろうし、
健のライブの日には健の友達にまざって、話をしたし、手伝ったりもしてくれて。
ヒトの家でくらすわけだから大変だったろうけれど。

彼女がいなくなればさびしい。
そういう暮らし方を、私の家でした人だ。
いつも親切で、しんぼう強くて、感じがよかった。

野田さんは三年のあいだに、働き口を得て、そこでも頼りにされ、
ライフワークも見つけたし、遠くの国へ旅行もした。
それぞれに自立した三人の子どものサポートもした。

引越しの日、萱野さんと横山さんと久保田さんと大原さんがきてくれた。
お昼ご飯とお茶会の大荷物といっしょに。
ところでトラックが来て出発しても、本人は一緒に行かなくてもいいんだとか。

ふだん通りの四方山話をみんなでして、話はつきず、しまいには立ち話、
またくるからと野田さん、なんだまた会えるのよね、とみんなが笑った。
荷物がすぐ送り先につかないシステムだから、お別れものんびりだ。

みんな五時ごろまでいてくれて、帰って行った。
健が帰るまで、三階の掃除をしたり、ゴミをゴミの日に合わせてまとめたり。
野田さんが待っててくれると知らせたので、健も急いで帰ってくる。

風のように来て、風のように、スーッといなくなるんだね。
三年は長いのに、あっという間だったなあ。
十時ごろ野田さんがいなくなると、健がそう言った。

ねえ、母さん、よかったね、こんなふうに三年が過ぎて。
たいした人だったよね。
僕たちも楽しかったしね。

・・・そうだ、本当によかったのよね。
それになんだかホッとしたわよねー。
人と別れるって、なんであれ、すごくむずかしいことだもの。