2013年10月29日火曜日

鶴三会・第五回句会/の続き


九月十九日の句会をギブアップしたら敷居が高くなり、
今回は会計報告を小林さんがなさるにちがいない、それにもゾッとするわけである。
私は鶴三会のあわれ会計係、つねに足し算と引き算が合わない。
小林さんは年度末らしい時になると、どんぶり勘定の私の会計ノートを辛抱づよく解読し、
整然たる表になおし、印刷し、ニコニコしながらみんなに配る。
鶴三会が「会費はその都度参加者から集める」となったら、
平野さんが会員の一覧表をササッと作成、
来た人の名前をいちいち紙に書いてる私に、これを使えばいいよとおっしゃって。
はらはらイライラしてしまうのでしょうね、見てると。
大きいのと普通のと小さいのと「表」は三種類も作ってあった。ははは。
まるで宮沢賢治の童話だ。
さしづめ私は、頭の悪い鶴牧林3のタヌキみたいなものだろう。
フーテンの寅のセリフに「おめえ、さしづめインテリゲンちゃんだな」と言うのがある。
インテリゲンちゃんならつくだ煮ほども鶴三会にはいるのに、
算数をやっては、やるたびまちがえる私が会計係なんてなーと疑問だ。

それで今回も休もう、俳句も絶対できないしと思っていたら、
前日三国さんが電話をくださって、
「ぜひ一句でも二句でもけっこうですからお出しになっていただければ」
渋味のある遠慮がちな…控え目、親切、上品な音声。
こんな人から逃げられる句会員がいるだろうか。
ああ、こまるこまるよー。なんにも思いつかなくて、しぶしぶ夜も九時になって投函。
今も霧雨の降る闇夜の三国家のポストが私の目に浮かぶ。
あのわびしい霧雨をこそ俳句にできればよかったけれど、
こんな時はいくら考えたって狙ったように頭がポッカーンとするばかりである。

まあ・・・、ではあるがこういうことが私を揺さぶって、
それで私は鶴三会から脱落しないですんでいるにちがいない。

そこで句会であるが、今回は加賀谷さんが出色という結論。

次々と 雲が生まれる 月の山
生ビール 泡が多いは 回り番
白装束と 共に巡る 出羽三山
夏花火 新作饗宴 大曲

この方は写真俳句とおっしゃって常に写真つき。
今回は字足らず字余り、季語無し、漢字だけ。
威風堂々。泰然自若。なんといったって風情が断固大物ふう。
小物じゃないことだけは絶対に確かだ。
なんかこう、くよくよしないのよね。
三国先生に「雲」と「山」は季語になりませんかと訝しげに交渉なんかなさって、
・・・認められたら二重季語になるんじゃないのと密かに思う私だったが、
これは両方ともやんわり却下。
しかし、次の句の「生ビール」は夏の季語なのですって。
そしてこの日の一番はこの句だということになったから、うらやましい。
ありがちな風景、回り番とは当番のこと、生ビールを注ぐには 泡8:2の2 がよく、
得てして注ぎ方がなってないんだ、こういう時は・・・云々かんぬんと賑やかに補足意見あり。
不調法なビールの注ぎ方をまざまざと想像してしまったらしく宇田さんが、
「ああ、言われてるうちイライラしてきたっ!」
臨場感あふれる句なのですね、まさに。
「夏花火」「新作饗宴」「大曲」ぜんぶ漢字。
そしてこういう漢字句という作風?もあるのだそうで、おどろいてしまった。
ぜんぶ漢字でうたう句がよい、という意見もあるのだとか。

のびのびということは、ほんとうにとてもいいと思う。
苦しまぎれに私がつくった句はなんかこう貧相ですよね。
夏花火新作饗宴大曲   ドカン・ドカン・ドッカーンのあとでは。

水引草 赤く小さな 勇気見よ
子どもなら えのころぐさを ツイッと抜け

次回は最近会員になって下さった斉藤さんのお話。
調布市福祉課で活躍している素敵なと、入居以来、風の便りに聞いていた人です。
よかったぁ。互助組合的鶴三会の心棒強化。
お話が楽しみです。




2013年10月28日月曜日

時の歩みは三重である


「時」の歩みは三重である
未来はためらいつつ近づき
現在は矢のようにはやく飛び去り
過去は永久に静かに立っている         シラー



教育学の同窓会


同窓会をほそぼそ続けていた。早稲田の文学部はむかしクラス制でいま思えば家族的、
それだからか卒業後も似たもの同士で集まっては飲んだり食べたりしていた。
もちろん一年に一回がせいぜい、集まらない年だってあった。
大学生というと十八才がはじまりだが、人はもう人品骨柄がそれまでに決まってしまうんだなと、
みんなと別れて電車で帰るとき、よく考えたものである。
私とちがって年々地位が上昇するらしい彼らが昔のまんまなので。

ところが今年はちがう。
劇的、といってよいほど、みんなが変化した。
七十才は古希というが、生命のターニング・ポイントなのかもしれない。

森本さんが車に撥ねられて首の骨が折れ、頸椎損傷、
一年前から実は大変なことだったのだ。
彼は六五才になってから突然現れて、会社もあるけどと私たちの世話係を引き受け、
きっちりとクラスの名簿をつくり、ぐずぐずせず全員に連絡をし、
去年集まった時などはカンカン、クラスメイトの数々の非礼無礼に憤慨していた。
返事もよこさない、威張る、おまえらとはもう付き合わないとか言う・・・なんだあれは!!
なんとなく自分が怒られているよう、新宿の飲み屋に集まった連中は、
はははと笑い、申し訳なさそうな顔もしたりして、
悪いとか、まあまあ、まあとか、
釈然としない森本氏とそこは楽しく一杯飲んだのだった。
その頑健で山歩きが趣味の、文学部にしては自他ともにマッチョなふうな彼が貰い事故。

病院から一時帰宅した森本さんを世話役的四人で訪ねる。

私たちは七十才になったんだなあと思う・・・。
それはどんなことか、目がよく見えなかったり、癌の術後であったり、
森本さんほど悲劇的ではないにせよ、みんなの肉体の崩壊というか損傷が甚だしい。
いつも参加していたのに今回は来なかった森田さんだって脊椎の病気だとか。
このクラスの友達がホントにケッコウ好きだったんだなー、けっきょく私ってね。
だれかが同じような感慨にとらわれたのだろう、低い声でつぶやいた。
「働いたんだな、よく」

森本さんの家には美人の奥さんと、息子さんと娘さんがいた。
きのうは日曜日だったからよかった。
家族みんなが半身不随になった彼にやさしい。
彼は鉄人みたいにマッチョ風にみせていたのだけれど、
頼もしい夫であり父親であって、ちゃんとした家庭人だったにちがいない。
それはむかしからのクラスメイトには考えも及ばない彼の一面で、
森本家の家族あげての闘病の様子や
複雑さを増したさびしく純粋な彼の美しい表情や、
不幸が運んできた複雑きわまりない「幸福」のかたち・・・そういうことに、
私たちみんなは見とれるばかりであったのだ。

しっかりと、ほのぼのと「命」を持ちこたえるとは、なんて大したことだろう。
がんばれ、森本さん。



2013年10月27日日曜日

泰尚の倒産


泰尚永山店が倒産したというニュースが悲しい。
9月18日に破産手続き決定。
多忙をきわめた夏で、「泰尚」に足を運ぶことがなくなっていたあいだの出来事。
アッと言う間の。
疲れて夕食の支度がもうできない時、息子とふたりで出かける、
板前さんの面構えがシャキッとして、気持ちのよい店だった。
居酒屋ふうの、うどんがおいしく、魚料理がおいしい店だった。
家族づれが大きい座卓にいつも二組ぐらいいたりする。
私たちはカウンター席の後ろの小テーブルによく陣取った。
そこだと人のジャマをしないし、品書きも見やすいし、板前さんも見えるのである。

なんでこんなに自分は悲しむのだろうと、
記事にびっくり仰天して以来、
ブログに思うことを記す気力もない私の9月と10月に
時々考えた・・・。

常連というわけでもなかったのに、
勘定をすませて店を出るとき、泰尚の主人がカウンターごしに私を見てくれる。
だから「ご馳走さまでした」とか「おいしかったです」とか、私も言えたのだった。
今でもこの人の容貌、料理人らしいしっかりして頼りになりそうな顔が目にうかぶ。
そんなことも私たちが「泰尚」へ行く理由のひとつだったなあと思う。
悲しいのは、「泰尚」の破綻と法的整理があまりに短期間のうちに決定したことである。
ああ、まるで自分たちの運命を見るようなのだ。

アルバイトの男子学生が誇りもなにもない悪戯をツイッタ―に流したのが今年八月上旬。
営業をとりやめ、売り上げがなくなって破産したのが翌月の一八日・・・。
私たちの国では、こんなふうな馬鹿げた若い者の軽率で、
昔ながらの努力が築いた店舗がアッというまに破産してしまうのか。
助ける商工組合も、銀行も、社会保障も、もうなんにもないということか。
日本資本主義には庶民的社会保障が皆無であって、
金持ちが行く店とはちがうから、
三千三百万円を肩代わりしてやろうという客も見つかりっこない。
家族で働いているというあの雰囲気、空間、何人かいた若いアルバイト。
多摩というコンクリートの街で、人情の在り処がなかなか感じられない場所で、
「泰尚」は湯気が立ち、働いている人たちがそこにいる面白さのただよう店だった。
潰れるなんてユメにも思わなかった。

こんなことってありだろうか? 彼らはこれからどこに行くのだろうか?
台風に直撃された各地の惨状を見るたび思う。
治山治水は政治の根幹ではないかと。
そんなことを思うばかりなのが悲しい、本当に悲しいそういう夏だった。



2013年10月25日金曜日

ごぶさたしていますが


みなさん、おげんきですか?

パソコンが老朽化して、手に負えなくなり、
たぶん自分も老朽化したせいだと思うけど、
夏が終わったらぼーっとしてしまい、
パソコン同様あっちも壊れたこっちも壊れた、私もだめなんだとまあ思う。
それならそれでいいんじゃないのと、
例によって本ばっかり読み、
庭に一本だけある柿の木が紅葉しはじめたよなー、
でも紅葉ってこんな程度だったっけ?
今年は実がぜんぶ落ちちゃった、やっぱりね、
ああでもよかった本格的な紅葉がやっと始まった、などなど、
まあーぼんやり....。
柿の葉の紅葉って実はとてもきれいで、クリスマスツリーのようなんですよね。
緑だし、赤だし、オレンジ色だし、黄色だし。
ずーっとそんな調子でくらしていたら、ある日元気になったから不思議です。

疲れたら休む。
それが一番という、かんたんな事らしい。
鬱(ウツ)なんて上等複雑なことじゃないらしい。
いま思えば私がウツになるわけないよなー、まったく。
ちゃんとした友達にかこんでもらっているわけなのに。

新しいパソコンが到着するのは11月8日。

友人のパソコンを借りて、ブログを続けられることがわかったので、
(そんなこともできるのかと驚いてしまいました)
今日からブログを再開することにしました。
どなたか私のかすかな声を読んで下さると嬉しいです。