2020年10月31日土曜日

よいこともあった

 大規模修繕だからといって、楽しいことだってある。

うちはコンクリートの6軒長屋なので、まとめて、鉄骨が組まれ、
それから、鉄骨全体が上から黒い網を、まるごとかぶる。
かぶれない場所は、どうするのか知らないが、鉄骨が空の下に不景気に組まれて、
3階の物干し場に出ても、ふべん不細工、見る気がしない。
ところが、びっくりしたことに、
きょうはそこに小鳥さんがいて、腑に落ちない風情、
考え、考え、
どうしたんだ、なんだこれ、新しいばしょ? なんなの、わからないよ、
と歌っている。のんびりして。

思いがけないことって、なんていいんいだろう。
お天気だし!

いつかのむかし、福原一間(本当は門がまえの中に日じゃなくて月を入れる)が
きてくれて、山の竹を削ってつくった横笛を吹くと、小鳥がいっぱい飛んできて
柿の木の枝にとまって、楽しそうだった。
・・・そんな昔も、とっても昔になってしまって、
一間さんは、いまどこにいるのかしら。
東南アジアのどこか、かしら。
あの人はどこでも、日本人をやってくらせそうな人だった。

もうひとつ。大規模修繕になって、よいことがあった。
はじめ、雨が何日も降って、とても寒い日が続いた。
あれをやって、これをやって、外で全員びしょぬれの作業が、毎日続いている。
寒いのに、
ひときわ目立つずいぶんな年寄りの作業員も、ずーっと雨の中にいる。
背が高くて、痩せていて、白髪にヘルメット、
三つに折りたためそうな、ごわごわした体格・・・、
この人が、やさしくて面倒見のよいおじいさんだった。
いつでも、なにか役に立とうとしてくれて。
数日前に作業がすんだらしく、フーッと消えちゃったけれど、
見知らぬひとの親切や優しさは、とても嬉しいものだ。
鉄骨の中に挟まれて動けなくなったうちの自転車を、ゆっくり、だしてくれた、
若い人に話して。ぐちゃぐちゃのオンボロなのに。




夢なのだ


急にねむりからさめたのは、明けがたの4時で、
想像上の野菜の束がしっかりと頭のどこか、眼のうらにあった。
私はそれを運動会のバトンのように掲げている。
筒状にまとまった小さい野のものたちの生き生きとして鮮やかなあつまり。
この小さな野菜の束にはなぜだか年中じぶんが台所で使うものがあり、
あんまり使うのでなまえがわからないものが最初によく見えて、
しばらく考えると、それは茗荷だった・・・。
茗荷のそばには竹の子の皮がありその中に、
人参や生姜や葱(ねぎ)なんかがきっとあると思ううちに
めがさめてしまった。

真っ暗な夜明け前である。

そういえば茗荷を食べると物忘れがひどくなるからと、
むかしはこわくて買わないようにしていたっけ。

読もうと思っていた本を手にとった。
対訳 「21世紀に生きる君たちへ」
対訳とあるのは、ドナルド・キーン監訳/ロバート・ミンツァー訳だから。
司馬遼太郎さんの文章が英語とセットになっている。
いつ発行された本? 20世紀から「今」という「今」へ?
21世紀というものになって・・・もう20年ということなのかと思う。
ぱらっとひらくと、8ページで。
司馬さんはこう言っている。

    昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに
   空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物 
   さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きていると
   うことである。
    自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸
   うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、
   かわいて死んでしまう。


あーあ、昨晩むりやり観たアメリカ映画を思い出した。
地球がぶっ壊れたので宇宙開発をするという「インターステラ―」。
なんてひどい超大作だったことか。


2020年10月29日木曜日

なんとか、ブログ復活

 病院に予約していたから、2日続けて別々に通院。
片方は地元の多摩丘陵病院で、
なんだかまた、この病院、ちょっと好きだなあと思う。
なぜかって、よくわかんないけど、順番をまつ椅子がもうずーっと一列にまっすぐ
続いているからそれがスキなのかな・・・。
いや、でも信濃町の慶応病院だって椅子は一列、とくに
私が通った歯科・眼科なんか。
だけど、多摩丘陵病院は、看護婦さんが家庭的で優しい気がする。
向き合うと案外きびしい目つきというのもけっこうで。
だって職業なんだものね、そういう。

めんどうを見てもらう方は、
コロナ騒動のさなか、もうだまってマスクをしているだけだし無個性であるが、
地元色でモタモタしているのが、私としてはけっこうスキだ。
信濃町の慶応病院より人間味がみつけやすい、面白い。
多摩って田舎。

ものすごく太っちゃった若い男のひとを見たりして、
あのワイシャツはどこで見つけたのかと考え、たぶんあの「作業着屋」だと思う、
2人組の女の人をみると、娘か、お金を出して付き添いを頼んだかとか思っちゃう。
洒落てすてきな組み合わせのズボンと綿のシャツを着ている人は、
5、60人がワサワサしている中にたった1人しかいないんだけど。
不満そうな無表情で、せっかくの風合いが、なんだか、もう残念・・・。
こんなに趣味がよくてもやっぱり不幸なのかな。

とか思ったりしてあきない。なにしろみんなずーっと一列・・・。

次の日は電車に乗って歯医者へ。
帰りにお腹がすいて、ラーメンを食べようと思ってみたけど、
5分の1しか食べられなかった。

病院に行った日は、つかれて、なんにも出来ない。
なんにもできなければ、やらないという人格にならないと、こまったことになると、
神経痛になって、納得した。
納得したことは他にもあった。これって夏バテだ、ということである。
コロナだコロナだと脅迫されて、40度になりそうな炎天の夏を、
コロナを恐れるあまり、なんとか普通に切り抜けようとした。
炎天の在り方こそ普通じゃなかったのに、不注意だった。

いま7,80代の知り合いはみんな具合が悪い。
私の神経痛って、個性的かもなー。
ある人は熱を出し、ある人はお腹が痛く、ある人は歯痛、ある人は頭痛と、
みんな自分の個性なりに病気勃発、寝てるっきゃないわけで。
寝てればいいし、なんにもしなければいいのよねー。

さて落ち着いて、気にやまず、時がたつのをのんびり待ちたい。




2020年10月23日金曜日

「砂の器」

「砂の器」は、日本映画の傑作で、何度もTSUTAYAから借りて、
見よう見ようとした映画だ。
病気になって、読書だけの毎日。
そのうち、なにを読んでも気持ちが悪くなってきた。
童話だって受け付けられない。
伝記もだめだし、もう、なにもかもが面倒になって、
「砂の器」をまた借りた。
借りたとき、見ないまま返却するかもしれないと思ったけれど、
映画がはじまると、はじまった瞬間から、
これは日本映画の最高傑作だとわかるような作品だった・・・。

人間の宿命を、
世界が資本主義一辺倒になるまえに、
日本が金儲けしか考えなくなるまえに、
日本列島が企業の広告で汚されつくす寸前に、
人と自然を、いかにもこうあってほしいような美質をみせて、
私たちの目前に描いて見せてくれる。
かつての私たちが、
宿命的不幸と運命を抱えながら、
私たちの国、日本の国土を、せいいっぱいに横切っていく・・・。

脚本、製作、橋本忍。
監督、野村芳太郎。
カメラマン、川又昴。
俳優がすばらしかった。どの人もよかった。
丹波哲郎、佐分利信、渥美清、
脇役の、名も知らぬ日本人がまた、名だたるひともよく、無名の脇役だって、
通りすがりの風景をこわさず、山河や海辺、紅葉や雪景色のかたわらで、
なんとも懐かしい。

なんとかして、観てほしい映画だった・・・。


 

2020年10月22日木曜日

病後

10月が終わろうとしている。
9月からずっと病気で、それがめずらしい。
毎年のことだけれど、古典的な「神経痛」になって、なおらない。
ピリピリと痛みが胸から下を走り回るのは、何年にもわたって経験してきたが、
痛くてがまんができず、今回はバッファリンをまるヒト箱、一週間で服用。
そうしたら、神経痛は痛くなくても、食欲がゼロ状態に。
舌が、味覚もなにもなくなり、お手上げになった。
たぶん41キロになったんじゃないの。
むかし57キロあったこともある私なのに。

こうなると、だんだん気持ちがオーバーになってお手上げだ。
死ぬかも、と思った。77才なんだし41キロだし。

ところが、こうなって気がつくと、私の周りは病人だらけの高齢者だらけ。
医者通いだってみんなが来る日も来る日も、という感じである。
身体だけじゃなくて、精神科にクスリをもらいに行く人だってけっこう多い。

つまり神経痛で死んだという話はきいたことないと、けっこうみんなが
言わないけど思っている。みんなのほうが、よっぽど大変なのだ。
こういう環境といいますか、多摩市の私たちみんなの現状が、
どういうわけか、気がつけば、温かくきっぱり私をかこんでくれていて、
雨ばっかり降って天気最悪、コロナコロナと世界中が騒いでいるというのに、
やっぱりコロナにもならず神経痛からも回復した。
うれしいじゃないですか。

毎日、痛い痛いと思って、バッファリンづけ、食べられないし、
ヨコになって眠ってばかりだというのに、団地が13年ごとの大行事に突入。
13年目の大規模修繕工事だとかいって、順番に住居が黒網をかぶる。
問答無用の約束だから、
家屋の周りにびっしり置き放題にした、13年分の花やら植木鉢やらを、
期日までにどけなきゃならない。
仕方がないからかたづけたけど、
まあ、すごい1か月だった。