2018年1月31日水曜日

否定的日暮れ


1月最後の日である。
どんなに頑張っても、年賀状が一枚も書けなかった。
ブログは休まない。と決心している。書きなれない状態をなんとかしたくて。
でもそれだとブログ、掃除、洗濯で、一日が終わってしまう。
もう老女なんだしいいよと思いながら、毎日がっかりしている。
亜鉛が足りないせいと聞くけど舌がおかしい、作るご飯が まずい。
分量だって作りすぎで不適当。

今日は意地になって、女子会のチラシをとにかく完成させる。
泊り客があると健がいうから、ゴミ部屋を泊まれるように整理して・・・。
水道やさんが夕方来る。
気合いで晩御飯の用意にとりかかる。もう日が暮れたのだ。
しじみの味噌汁。シャケの塩焼き。レタスとモヤシとニラ。砂肝。
塩分過多である。

よかったことはないのかしら。
チラシができたことかな。
コピー作業も失敗しなかった。
これはホントにめずらしい。



2018年1月30日火曜日

朗読サークルの集まり


さながら対話のパーティ、談論風発、
大橋さんのお宅がとても素敵なので、目は楽しいし。
長いことやってきたけど、
ああ、やっぱりこういう心やすらかな日もあるわけか。
今年11月の朗読発表会 も、
こんな感じで来場のみなさんに楽しんでいただければいいなあと思う。

閉ざされた空間ならば日本人は対話上手かしら。
そんなことはない。ただの話は観客の批評眼に負けてしまう。
今日のように、意見の内側に社会的立場の違いというか反映が必要で。
そういう技術は、真剣な修練ぬきには実現しないものである。

いつも無理やり構成を考えるけれど、
焦燥感なしに、すらすらとやれちゃったら、どんなに良いでしょうね。
今日みたいな自然さで。


2018年1月28日日曜日

小人がいると


どうしてこうも、探しているものが見つからないのか。
名優北林谷栄さんは、八十才を超えたころ、しょっちゅう、
「家の中にいじわるな小人がいて」と、
チェーン・スモーキングの合い間にカンシャク玉を破裂させていた。
そいつがなんでもかんでも隠してしまうと言うのである。
女優さんらしいし、いささか西洋の童話みたい、
アンデルセンかグリムか、グリムっぽいなあ、などと思ったものだった。

それが今となると冗談じゃなくて、他人事じゃなくて。
北林さんの小人が毎日・・・。
最近の私は、探している物が絶対に見つからない。
階段を上がったり下がったりしながら、焦ってイライラし、
北林さんの家にいた小人の気配をなぜか感じて、
女優さんとはちがうから、声にだしたりはしないけれど、
「隠すの、やめなさいよっ」
隠し稼業に専念しているらしい小人を探して天井などをにらむ。
いらいら、はらはら、がっかり、もう煙草でも吸いたいなと沈思黙考。

煙草もねえ、買ってはあるけど ・・・そんなもの。
あんな北林さんのようなドスのきいた洒落た声はでないのですし。



2018年1月27日土曜日

水道管の凍結事故


 ピンポーンとベルが鳴る。

顔見知りの方が二人。水道管が大変なことになっていますよ、と教えられた。
外に出ると大量の水が水道管から噴出、雪の上にすごい勢いで落ちている。
早く水道局に電話した方がと言われたが、なんど電話してもダメ。
窓口の録音が、水道管凍結事故が続出しているので、という説明を繰り返すのみ。
時間はどんどん経つ、水は噴出するばかり、進退極まってがまんができず、
またしても細田さんに電話してしまった。
こんなに寒い日に。細田さんは八十才を越えているのに。
「うわあ、ありゃ、ありゃ、ありゃ!」
これは俺じゃだめだ、水道屋でないと直せないよ、と言いながら、
「家に行って、道具を取ってくるから」
水道の元栓をまず閉めて下さって、細田さんはお宅にもどる。
・・・もう水をかぶってずぶ濡なのである。

私は水道屋さんを電話帳でさがしたが、思いついて管理事務所に電話で相談。
「ええと」と彼女が考えてみてくれる。「JSに問い合わせてみてください」
去年理事をやった時、私はこの人にもう散々お世話になったのである。
水はジャブジャブあふれ続けている。玄関に駆けて行くけど、細田さんはまだ。
思いがけず公団に電話が繋がり、JS所属の水道屋さんを手配してもらう。
有り難くてビックリした。
応対が的確、わかりやすい上に、思いやりの深い声音の男の人なのである。
「公団の人は親切ですよ、いつも、あの人達はね」
乾いた作業着に着替えた細田さんが、道具を手に、にこりとしてそう言った。
管の入り口を閉めるフタだったり、ビニールテープだったりの、
細田さんの七つ道具の私物でもって、着々と応急手当が行われていく。
水は一応止まった。地面から滲み出るだけになった。

寒い日なのにとお詫び申し上げると、
「おれなんかもう、八十四だからいつ死んでもいいと思ってね、
できるだけお役にたてればいいと思ってるの、ホントだよ」
笑顔のなかの本気の顔に、ここに引っ越してきてからの長い時間が
思い出された。お願いだから死なないでね、細田さん会うといつも私は頼む。
細田さんがいなくなったら、この団地の人はみんな本当に困っちゃうから。
百まで生きていてね、と私はお願いし、そんなにはちょっと無理だなあと
いつも言われてしまうのだ。

 五時になると、世にも親切そうな年配の水道屋さんが来てくれた。
雪と氷の間で作業して、いろいろいろいろ地面を掘ったり金物を切ったり、
夕暮れのなかで、青いような紫いろのような顔になっているのに、
寒いから家の中にいて下さい、と私にはそう言ってくれる。
「帰ってから計算しますけれど、そんなに工事費も掛からないと思いますよ」

おかげさまで水が止まりました、と報告すると、
細田さんは電話の向こうで「心配していました」と笑ってそうおっしゃる。 
あーあ、不思議なくらい親切な人にばかり会った日・・・。
・・・もう本当に、どうなることかと思って。


2018年1月26日金曜日

頸椎の痛みを直すには


沖縄に電話をする。
竹内さんは私の健康上の絶対的恩人で、必ず助けてくれる。

交流磁気器をふたつタテに並べて。
背中がゴツゴツ痛いから、そこはバスタオルなどで工夫して、
背骨と頸椎に当てる。
何日か教わったようにしていたら、スーッと痛みが退いてきた。。
すごくよかったと喜んだけれど、つい、また痛みがぶり返す。

よく判った。
首を無防備に冷やすとよくない。
重い物を運搬すると、痛みが再発する。
しつっこく治療に専念する方がいい。

ほかによかったことも。
いただいたマフラーがいつのまにか増えていたのに、
とても綺麗な布地の模様なのに、苦手で使わなかった。
なーんだマフラーって首を温めるものだったの、という新?発見。
お洒落ができて愉しい、スカーフはだから廃れないのねー。



2018年1月25日木曜日

重たい日


失礼のお詫びに行く。
プロデューサーは映画製作の立場から。
私は著作復刻版を別会社から出版すると決めたので。

こういうことがあると、過去を振り返る。
自分を人格的に優れた者だとはまるで思えないできたが、
それでも相手の方が怒ると、
ぐちゃぐちゃな人生にふわりと網がかかるというか。
74年の月日が幾何学模様になって整理がつくから不思議だ。
たぶん、怒る側に理があって、
私がその人に共感するからだろう。

資本主義に負けたのかと彼はいう。
何日も前、自分でも悩んだことだ。
小さい出版社から大会社に鞍替えして。
人の一生は簡単で、決断の数も私などはふつうよりか少ない。
けっこう単純ビンボーに生きてきた。
裏切ることも裏切られることも少なくてすんだわけかと、
出版社の長椅子に腰かけていて急に考える。

私の人生は有り難い人生だったのだ。

帰りぎわにやっと、虎屋の羊羹。
いかにも私という個人の「卑怯」のお詫びという感じ。
重たくて。ずっしり。その存在感に頼る皮肉。
私は滑稽な気がして自分でも少し笑っちゃって。
「すみません、虎屋の羊羹なんて。お詫びの場合ってこれかなあと。」




2018年1月24日水曜日

起床について


早朝4時ごろ目がさめる。まだ外は夜中のつづき・・・。
はんぱな時間なので、本を読んでみたりする。
眠れないのに、そのうちウトウト、
「これがいけない」となんとか今朝は考える。
 二度寝しないのが一番と長男が言ってたけ。
彼はパン屋で明けがたから仕事なのである。

今日は本郷三丁目でプロデューサーと10時15分に会う。
昨夜のメール。雪雪の盛岡から と。
彼がまにあわなかったらどうしよう?
今どき夜行列車なんてものはないのかしら。
新幹線、飛行機。
日本中飛び回る職業のひとがいるわけだ。

劇団民芸にいたころは、夜行列車だとか、青函連絡船だとか。
行ったり来たり、などということは想像もしなかった。
旅公演に出れば、一か月はもどってこない。
そういう鉄砲玉みたいな、でもゆっくりな生活。ちょっと宿命的な色合いで。
若い私は、苦しみながら、人知れずおもしろいと思っていたのだろうか。
薄幸の群像になって地方の舞台に乗って。



2018年1月23日火曜日

こわい長靴


その長靴を買ってからもう何年もたってしまった。
デボラさんがくるたび、
「コーノ長靴、素敵デスネー、ホントヨ」とほめたゴムの安物。緑色の。
あんまり雪が積もったので、遠くまでいくからと履くことにした。
とっくに古びてしまった、おろし立て。
靴の裏が、ガビガビと凸凹で、いかにも滑り止めになってくれそう。
しかしこの強面のゴム長ときたら実はとんでもない代物であって、
雪のない平らな道路を歩くとつるつる滑る、恐ろしいったらない。
氷をひっかいてガリガリ怖い音を立てる割に、
いつ滑ってひっくり返ってしまうかわからないという感じでこわい。

こわいから最初はばかばかしいけど積雪の上を歩く。
けっきょく雪から降りることにした。だって長靴をはいているんだから。
そうしたら、こわい長靴がこんどは雪がなくても滑らない。
辻褄があわない。
歩調にあわせて深呼吸を始めたのがよかったのかしら・・・。

半日ギシギシうるさい音をたて、このゴム長は4974歩ほど私を運んだ。




2018年1月22日月曜日

雪の日


大雪になるというので、10時を待って、買い物にでかける。
虎屋の羊羹を探しに聖跡桜が丘のデパートまで。
明後日、さる会社にお詫びにいくのだけれど 、申し訳ないので虎屋の羊羹。
迫力じゃないでしょうか、虎屋だなんて。昔からの竹の皮に羊羹だし重たいし。
虎屋はかつてどこのデパートにもあったけれど、今はない。
あの権高さがこうなると懐かしいようだ。
希少物品ウィンドウみたいなショーケースの中にやっと見つけてホッとする。
高校生になっても、うっかり「やらと」と立派な看板をぎゃくに読んだっけ。
なさけないじゃないの、こんな端っこにいるなんて。
母屋から追い出されたご大家の総領娘さんみたいじゃないですか。

虎屋かあ。
一生のうち自分は何度、食べたりしたのか?
三回、か二回か。
大金持ちの俗物が食べるものだとつい馬鹿にして。




2018年1月21日日曜日

キュウリの状態と値段


近くのスーパーマーケットに行くとキュウリが一本53円で、売り場に
あと5,6本しかない。手に取ってみるが、どれも萎びてヒドイものだ。
憤慨してほかの店へ。いくら野菜高騰の冬でも、
キュウリ一本に高い値段をつけて、萎びようがどうしようが、
そのまま平気で売るなんて横着じゃないの。


2018年1月20日土曜日

ギクシャクする本


「死の海を泳いで」を図書館から借りる。
71才で闘病の末に亡くなった批評家にして作家スーザン・ソンダクの死。
少し読んでは時々、本を閉じて表紙の写真をながめる。
世の中にこんな綺麗な女の人がいるのかとビックリして、
そのたび私は本文にもどろうと努力する。
読んではすぐイヤになる不自然で高尚で複雑そうな、
息子(ジャーナリスト)が書いた、母親の死に至るまでの九か月。

T・S・エリオットの詩
   私は時がつねに時であることを知っている
   場所がつねに場所であり、場所にすぎないことも
   現実のことはただ一度だけの現実であり
   そして一つの場所においてのみ現実であることも
   だから私は、物事がありのままの姿であることを喜び、
   その祝福された顔をあきらめる

私など、このエリオットの詩句の引用からして、ブッくたびれちゃう。
そんなことを言われると、読むまえから無呼吸症候群のようになる。
物事がありのままの姿でそこにあることを喜んだことなんてないので、
広大な敷地たる現実をたとえはすかいにでも認識したくはないと感じるので。

もっとすごい引用もある。
18世紀のフランスの作家が友人にたずねる。
「僕はこんなに生を憎んでいるのに、どうしてこんなに死を恐れているのだろう?」

知らないし、知ってても言いたくないよ。

子どもの時だったら、父にこういう時は「相談」した。
自由自在に、愚かな子どもの質問・感想にこたえて、文学や評論の世界を
無理なく拡げてくれる人だった。
よく笑ったものだった。
私の父の返答はなんとなく諧謔的で、かいぎゃくなんて字はしらなかったけれど、
おかしくって、人間が好きになってしまうというオマケがついていた。



2018年1月19日金曜日

天国モノレール


立川北へ行こうとしてモノレールに乗ると、
昼下がりのせいか乗客はまばら、陽光はうららか、
アナウンスが、
座席をつめあって座れというけれど、
わたしのいる車両は空席ばかりなのよね。

前の車両はどうかと見ると、腰をかけている人たちは、
天国にいるみたいなふうに思い思いに
十人掛けに五人が腰掛けて、オーヴァーを着たりして、
素朴に四人までが黙読中、メガネの似合う紳士もいて、
・・・小説や、手帳、なにかの資料など。

どの顔も考え深く、老いも若きもゆっくりしている。
それは信じられない光景で、
なんの不思議か、車両全体をみまわしても、
スマホの虜(とりこ)は三人しかいなかった。
立川北につくのだって心もちゆっくりだったんじゃない?


2018年1月18日木曜日

霧の朝


今日は西大宮へ行かなくちゃいけない。
そう思って起きて硝子戸の外を見ると、霧がたちこめている。
メタセコイヤ通りは霧にまかれて、アスファルトの車道を走る自動車だけが、
姿を見せながら、シューシューと土手下の道を走り去るのだ。
大木が、魚の骨みたいに霧に浮かんでいる。
通りを隔てた向こうの団地が、淡いももいろの霧に隠れている。
庭木が四方八方に小枝をつきだし、粗雑なさまが、ひどい。
人の手が及ばなければ、大小の樹木はみんな魚の骨みたいに見えるはずかしら。
いや、でっかいタケボウキみたいな木も・あるはずね。



2018年1月17日水曜日

カシミヤのオンボロ


こんな冬にはカシミヤのセーターがいい。

いちばん気に入っている黒いセーター がおんぼろになって、
洗濯のしすぎなのか、あっちこっちに穴がある。でも一番だ。
ネックが少し持ち上がっているので、軽々とほんとうに暖かい。
これがカシミヤだけど、
着ようとするたび「襤褸」という文字がピッタリだと思う。
新しいのは買えないほど高いにちがいないから、
セーターの下に黒いものを着る。
最近は肘のところにもどかんと穴があき、ピエロ的。
自分がオンボロだと思うと、ちゃんちゃらおかしくって。
カモフラージュの Tシャツは出がけだと半袖しか見つからない。
頭もボロになってるわけよねー。
でも。
着る。
カシミヤってゆっくりと暖かいし、たとえボロだって。
黒いぶっ壊れそうなセーターを着て、その上に胴衣(ベスト)、
その上に別のセーターまたは厚手のカーディガン。
ものによってはオーバーなんかいらないぐらい暖かい。

修理ぐらいしなさいよと自分に言うが、そんなこと言ったって忙しい。


2018年1月16日火曜日

衝動買い


外套と藍色木綿のワンピースの間に
襤褸をかくせそうな大きい胴衣のようなものがあって、
売れなくてインド製だから少し壊れて、という。
高価なものが三分の一の値段なので着てみたら、ボタンがバラッと取れた、
「すみません、ほかのボタンにも後日おなじようなことが起こります、
ボタンが黑い糸で巻いてあるだけなので、」
そういう予言?とともに店主がまたも千円値下げ。
ついつい、買ってしまう。
この町にむかし住んでいて、ー私は30年以上前からのお客さんで、
いい買い物客ではなく、年月ばかりが過ぎた客なのー
それでたいていはよそ行きのためにふらっと藍色の服を買うわけで。
食器とか布類とか便箋もここでさがす、なんだか安心。

いつの頃からかそうなって、店主も自分も年とって。
ささやかで目立たない贅沢。



2018年1月15日月曜日

東京新聞・本音のコラム・1/14


本音のコラムのおとといの小見出しは「反逆の意義」だった。

小学館発行の雑誌APIO最新号で、反日的と批判された山口二郎先生の反論。
 「特定の政権を国家そのものと同一視し、
  政権批判を行う者を反逆者と攻撃するのは、
  独裁国家に共通した論法である。」
と書いてある。
 「権力に尻尾を振って、権力のなすことをすべて正当化する人間こそ
  国を誤った方向に導く元凶であるという
  歴史の教訓を学ばなければならない。」

山口さんは法政大学の先生だ。
オーソドックスとは、うちのガタガタの古い広辞苑をひくと、
伝統的な教養・学説・方法論を受けつぐもの、とある。
ものごころついて以来の親の代からの自分の常識にてらして、
山口二郎先生のお話は素人にもよくわかるものだ。
オーソドックスで、つい頼りにしてしまう。

先生は、コラム9行目にスカッとお書きになっている。
「けんかを売りたいなら買ってやる。」
言論の自由に照らして、
どうすればこういう臨機応変の勇気が身につくのだろうかと悩ましいが、
こういうカンカンに怒るという生き方を、見習いたいものである。



2018年1月14日日曜日

仁義なき戦い


俳句の締め切りを連日意識しているのに、頭はからっぽ。
小林さんが催促してくださって、申し訳なくもやっとこさ投稿。
このごろ、一日に五千歩はきれいな冬景色の中を歩いて通るのに、
電車から窓外の景色を、俳句、俳句とながく見て考えようとするのに、
いつのまにか意識が横にすべってどうしようもない。


夜になって、深作欣二監督の映画(DVD)を初めて観た。
なんて乱暴・雑多混乱粗暴殺人過多な日本だろう。
あのころは俳優さんたちもシノギをけずって毎日楽しかったにちがいない。
悪役、灰汁役、ただもうひたすら強烈な存在たらんがために、
なにがなんでもワンサカギラギラの大努力、
東映、日活、松竹、新劇入り乱れて、物凄い混成俳優部隊が、ギラギラギラギラ。
「仁義なき戦い」第一弾! 第二弾をつい臆病になって借りなかったのが残念 。
この作品は続編がたくさんあると聞くが、二作目までがいいんだとか。

後記。
2作目、べつに良くはなかった。




2018年1月13日土曜日

パソコン


しょっちゅう使い勝手が変わる。
頼んでもいないのに、ややこしくなり、不便になってしまう。
スピードアップしてくれと頼んでいないのに、
私個人のパソコンに、いつのまにか他者が、技術の暴君みたいなものが
「もっと便利に」と手を加える。
しかもパソコンは起動すると、アルファベットから。

日々、個人の家にズカズカ入り込まれたようで不愉快だ。
一人一人のささやかな生活に黙って入り込み、その人のささやかな独立を
かきまわしてしまう「技術革新」。
ワードプロセッサーはもう少し素朴でよかった気がするが、
そういうものはあっというまに市場から消えてしまうのである。

沈黙の軍隊。




2018年1月12日金曜日

復刻版


朝から気力なし。きのう仕事で遠くまで行ったからかしら。
むかし書いたルポルタージュが復刻版になるという話。
単行本にして再発行というのだから嬉しい。
私は〈虔十公園林〉という童話絵本をもって行った。

この本の挿絵画家に絵を描いてもらって下さい。
どうしてかって、虔十という頭が足りない子がかわいい。
いじめられても、なぐられても、喜んで笑っても、可愛くてリアル。
ほかのただの子ども達も、よく見ればすごく子どもらしい。
なんにもない畑ばっかりの農地の貧乏ったれぶりが、いい。
美しいけれど、寒くて、過酷な自然というもの、
戦時下の農村、疎開保育園が張り付いていた土地そのもの、
この画家の絵は、詩のようでいて厳しくリアルです。

戦後70余年、私たちは繁栄してそういう風土を失った。
37年前に書いた時は考えもしなかったことだけれど、
「ロマンティックな追憶の土台がどうしても私は必要だと思っているんです。」

そう言ったんだけれど。


2018年1月11日木曜日

公園を横切ると


急いで公園を横切る。
早朝である。行く先は築地市場、家はあっちから見れば地の果てだ。
なんてまー寒いと思う。寒い。
震えまいとするが、ガタガタ震えて私は、ううう、とよける。
後ろからガシ、ガシと自転車の車輪がたてる音がするのだ。
太めのおじさんが、すみませんとも言わずに、私を追い越す。
あったかそうなこげ茶のオーバーに軍手はめて、毛織のズボン。
後ろ姿を見送った・・・。
耳あてふうの黒白の網目の毛糸。ネックウォーマーが帽子。
ハゲの部分だけまんまるく露出、
ネックウォーマーなんだから。クビのためのものだもの。
それでもってグングン曲がって 消える。

後頭部・・・。
わっお日様みたいと、少しばかり好意をもってしまいました。



2018年1月10日水曜日

一月三分の一


お正月以来、家事の借りがいっぱい。
今日はその借りをどうにか返す。
息子の外套を繕う。
でき上がって試しに着てみたらよろけてしまった。
脱ごうと思うと重たくて、外套の捕虜というか。

ユリ根を煮る。
筍と油揚げと人参と干し椎茸の煮物をつくる。
五種類の豆も煮て、蒟蒻は胡麻油でじっくり炒めてから味をつけておく。
挽肉、ニンニク、しょうが、長ネギ、等々でハンバーグの用意。
パン粉がないからゴロゴロだ。
あーあ、全部、お正月に勉たちに食べさせたかったんだっけ。
元日はがっかりするほど疲れて、
健の豚汁、健のサラダ 、健と買いにいったケーキなどなど。

もうダメだー。
と思いつつ、昨日は急いで髪を切りに。
もう十年以上もお世話になっている可愛い顔の美容師さんで、
遥と同い年。このあいだの髪型はいやだと言ったら、
「それじゃあ思い切って右と左を違う長さにしましょうか?」
違う長さ?! 
わからないから怖いようだけど、それでお願いという。
彼女は、大丈夫ですよ、大丈夫ですよと笑ってチョキチョキ。



2018年1月9日火曜日

集中力皆無


雨が降っていた。それから晴れたので洗濯物を過剰なほどやる。
少し曇って、晴天という感じもしない。でも無理に干す。
すると風が吹いて、太陽が輝いて、けっこうなことである。
ところがなんだか曇る。待っていると晴れる。
本を、もういろいろ手にとる。
おもしろいと思った本はすぐおもしろくなくなり、
これは図書館に返してしまおうかと投げていた本が、
私には必要な本だったりして、あぶなくシッカリ捕まえる。
頸椎の治療を竹内さんに教わって始めたから、
ご飯も食べなきゃならないし、時間がもうてんでんばらばら。
ま、いいか。
そんなにヘンじゃない。そう思うことに決めた。
なんとかかんとか、まあ大丈夫。
こんな日も愉快ときめれば愉快なのよね。




2018年1月8日月曜日

アンジェイ・ワイダ監督の遺作


「残像」は素晴らしい映画である。
スターリニズムにおかされてゆくポーランド。政治と芸術と生活の運命。
劇場に出掛けて観ることができなかったのがとても残念だ。
カメラ・ワークが素晴らしく、俳優が老いも若きも壮年期の人もいい。
映画という手法によって語られる秀逸な哲学と芸術。群衆と個人。
政治権力は始めは官僚主義により大学の教育現場や美術館を侵略してみせる。
あっという間に、政治権力は生活のあらゆる場面を暴力をもって餌食にする。

すべてを切り取る語る巨匠の腕前がみごとで、
ああ、この人は 存分に生命を全うした知識人だったのだと思わせられて、
感動的である。
イリヤ・エレンブルグの「人間・歳月・生活」を思い出す。
今年はなんとかして、全巻くまなく読みなおしたい。

2018年1月7日日曜日

いいお顔


去年の暮れに彼が手術をして、本人はもちろんみっちゃんも
看病で大変だったろうに、ふたりとも私よりは元気そう、
みっちゃんが逢いに来てくれて、彼までが家に来てくれた。
3人ですごく沢山の話をした。
なんでも話して、なんでも気持ちを分け合える。
それは年月が計らってくれたことだ。
よくみっちゃんが私を家族同然と言ってくれるけれど、本当にそんなかんじ。
ふたりの顔をながめると、「いいお顔」と赤ちゃんの笑顔をみてみんなが喜んだ時を
私なんかは思う。みんなトシなんだからヘンだけど。 



2018年1月6日土曜日

新年五日目


午前中、電話があり、李 鳳宇さんからだった。

最近、思いがけなくご縁を得た映画のプロデューサー である。
去年は天地が割けて、そこから新しい運命がはじまったような年だった。
東北シネマ新社の鳥居明夫氏から連絡があり、
むかし私が書いたルポルタージュを読んだ李さんが、映画化を引き受けたとか。
ふたりプロデューサー で35年も前に書いた本が映画になる。
ビックリだ。

映画関係の本には、案外、李 鳳宇という人の名が登場する。
大物とか有名人とか、李さんはそういう人なのかもしれない。
私はこの人に時々会うようになった。・・・映画の原作者なので。
李さんは初めて会った時、私をみると自分の母親を思い出すと言った。

鳥居さんとか李さんは多忙のあまりに、
原作者なんてものは相談の圏外に奉って無視して、という映画人だと思うが、
それでも二人は、映画の進行状況を時々、私に会っては説明してくれた。
そういう関係が成立するにはもちろんある種の経緯があるが、
一年が終わったころ、私に感銘を与えたのは、李さんの場合だと
長幼の序ということだった。

李さんは映画の人だから、最初から イメージがあって、
原作は原作、映画は映画という、キッパリとした区分をもち、
確固たる見通しのもとに、膨大な仕事をこなしていたにちがいない。
ものすごい経歴は一筋縄ではいかぬ仕事内容をつくる・・・。

しかし、李さんは多忙にもかかわらず頼めば会ってくれ、
私の意見をきいてくれ、時間を惜しまず疑問に答えてくれた。
どういうわけか、李さんは、いつもウソがなく自然で好意的なのであった。

なぜかというと、
それは彼のお母さんを私が思い出させるからという、
最初からの印象に、李 鳳宇さんが忠実だったからではないか。
どことなく素朴な優しさが彼から私のほうに伝わってくる。
韓国人のお正月というと、親族集合が絶対的なものとして大変だときくが、
そういう縛りというか、韓国人の精神風土が、
李さんの私への親切になっているのかもしれない。

子どもの私が、父や母の向こうにみた日本人の心がまえというか心情が、
おかげさまで懐かしく思い出される一年だったと思う。


2018年1月5日金曜日

大きな食堂で


ふと見ると、向こうのテーブルでおかっぱ頭の茶髪がゆれた。
茶髪に白髪がまぎれこんでいる老いた顔がニコッとする。
かわいらしい、冗談めいた表情だった。
大きな夫がそばにいて、テーブルの上を片づける手伝いをしながら、
妻の半外套をもって立ち上がり、着せかけてやった。
べつに外国風というわけでもない、きっと長いあいだ仲がよかったのだ。

私は見ているだけで幸福になった。

「ねえみてごらん、私たちのとなり」
ちがうちがう、すぐ隣りよと私は言う。
息子が横目で、すぐ隣りのテーブルを見る。
そこに、老いた母親と途方に暮れたような息子が腰かけているのだ。
「私たちみたい、あの息子もきっと三番目の子だね、あっはっは」
ホントだ、うりふたつだ、と息子もあきれて笑った。

その老母だけどけっこう淡々としている、ちっとも不幸そうじゃなかった。


2018年1月4日木曜日

不幸


友人の家にいて、携帯電話が鳴る。

長いあいだの友人からだった。帰宅して夜遅かったけれど電話。
娘さんが会社の旅行でセクハラを受け、拒絶すると、
あいつは3万円で寝ると言っている、と言いふらされ、
彼女は会社に帰ってから、社長に抗議。
社長は善処すると約束、即座にセクハラ社員を呼んで彼女に謝罪させたという。
(数日後、セクハラ社員の奥さんが彼女を訪問して謝罪)
ところが謝罪したその足で、セクハラ男は彼女があらぬデマを振りまいていると
社内に言いふらし、他の上司からお前が悪いと言わんばかりの注意(あてこすり)を
彼女は受け、善処は空約束でなんの進展もなかった。

娘さんが母親に話すまでに約二ヶ月かかっている。
セクハラ社員に社内でいき会うと精神に不調をきたし、心療内科に通い・・・。

よく知っているけれど、
苦労して大きくなった胆力のある強い娘である。
結婚して鎌倉に小さな家を建て、夫婦でローンを返しながら働いている。
夫は優しい、大島の人だから彼女を大事にしている。
彼女が法的解決をしたいと言うと、賛成したそうである。

弁護士についての相談だった。

ひるま私がうかがっていた友人のお宅は、豊かでとてもスマート、
なにからなにまで理に適っているという素敵さであった。
早くから日本のシステムに見切りをつけ、ハーバード大学で研究を続け、
アメリカ国籍を取得、子ども3人はみんなアメリカで成長しアメリカで結婚生活、
数々の写真で私がまことに胸をうたれたのは、
いかにもの家族という感じ、みんなが健康で幸せそうだということだった。
家族というあの感じ、ささやか?な理想が、立派に実現していることだった。

夜中にセクハラの話をきく前から、私はみんなのことを思い、
みっちゃんを思い、自分や子供たちを思い、朗読の仲間を思った。
日本の、我が国のシステムは、どうしてこうも不安と不幸を呼ぶのだろう。




2018年1月3日水曜日

アメリカの「人の在り方」をきく


就職活動の自由について。
日本とはまるで違う。
現在の日本では就職のための面接は、屈辱的で、
辱められることの繰り返しではないかと私は想像している。
それはなぜか。
アメリカでは部門別に求人を行う。
日本では人事部が求人を行う。


2018年1月2日火曜日

やっぱり晴れた


晴れた日の朝は、行く先になにが待っているかわかりませんが、
温かい光線が、おとなしくて笑顔のいい少女のようです。
朝日をあびて、みんながじーっとしています。大きな樹も小さな木も。
私の部屋のガラス戸のむこうにみえるのはメタセコイヤの大木で、
小さな庭では柿の木が、しょうこりもなく小枝をつんつん空にむかって伸ばしています。




2018年1月1日月曜日

お正月の夕空


あけましておめでとうございます。

きょうはずーっと忙しくって、夕方、やっと外にでました。
見上げると、おどろくほどまるくて黄色い月が紺色の空にくっきりと輝いています。
今日に続いて明日もお天気。晴れる、まっ、いいか、とりあえず晴れるなら。

どういうわけか、どんどん楽天的になって、私は6月になれば75才ですが、
いまのところ兎に角のーんびりしたおばあさんになりたい。
今年の抱負はそれです。


ブログをどんなに短いものでも毎日書きたい。
宮沢賢治の童話にざしきぼっこのはなしというのがあって、
あっちやこっちに、べつべつのざしきぼっこが、・・・・出る。

いただいたお年賀状を読んで不思議になることですが、
ぜったいに会えないような気のする方からいただく賀状がいくつかあって、
そうだ、私の過去にも、ざしきぼっこがいたんだなあと。

数えてもかぞえても、やっぱりいたのだかいなかったのだか。
でもそのヒトは私の貧しい人生をきっぱりと、
一度は柔らかな足取りで横切ってくださったのでしょうね。

年の初めにあたり、みなさまのご多幸をお祈り申し上げます。