2013年12月31日火曜日

大晦日のくくり  ⑵


ひとつ手紙がとどき、ひとつ電話がかかる。

とどけられた達筆のメモ書き。凝った用箋で、川上澄生の絵がこういっている。
大勢の顔は塵芥の如く流れ あなたの顔のみ 
花の如く ああ花の如く 夕暮れの街に明るい
川上澄生展の帰り、会場でこの地味な用箋を買い求めた彼女のすがたを想像する。
・・・ねえ、あなただって私だって、だれかのことをそう思っているのだと、
知っている大勢のだれかさんに伝えられたら幸せね。

でもメモ書きの達筆はこう語る。
今年もあと一日。結果的にひどい一年でしたね。
‘靖国’のおまけまでついちゃって。

30日のテレヴィジョンは、安倍首相の大はしゃぎを大々的に映しだした。
東京証券取引所納会でのあられもない喜びように呑み込まれて、
TVの画面に違和感しか持てないやつなんか、
極貧ひねくれ少数派、生まれついての「負け組」だぞとそういう感じ。
そんなことを見ているひとりひとりの人間に思わせるなんて、
テレビって毒をはらんだ蛾なんじゃないの。

一年で株価56%上昇。41年ぶりの高水準。
なにをどう売り買いし、だれをどう働かせて、年間上昇率が五割を超えたのか。
それを今ここで問題にするのは無粋でしょうがという、あの人この人の顔が浮かんじゃう。
日本って、ものすごい雰囲気。

さて。
別れた夫の同窓生だった人から電話。夫の誕生日をたずねられた。
知るもんかというわけにいかない。天皇誕生日と同じ日なんだから。
ああそうか、4月29日ね、と応答されたのがおかしいでしょ。
ちがうわよ、それは昭和天皇でしょ、皇太子さんとおなじなのよ、とついタメグチになって、
笑ってしまった。ははははと、電話の向こうもおかしそうな声になった。
明治は遠くなりにけりではなく、昭和がかくも遠いものになってきてしまったのだ。

彼と友人夫妻と3人で、所沢の欅ハウスを訪ねてくださったそう。
移転後のもと夫の状態は、まあ微妙。
そんなにものごとってうまくいくはずもないものねー。

11月。私は別れた人の遥かむかしの学校友達ふたりと関内駅で待ち合わせ、
徹底的にギロン?をした。
忙しいのにわるいと思ったけど、相手になっていただいたのである。
誰でもそうだと思うけど、人間・生活・歳月が、よくわからなくなっちゃったからである。
その時の質問(私)に対する回答(彼ら)が引っかかりながらも胸に落ちて、
以後、精神的な舵取りを落ち着いてするようになった。
夫の友人であって私の友達じゃないのだろうけど、文字どおり有難くって。
ひとりは芸術が専門、ひとりは政治が専門で、ながいあいだの友人同士。
人間としては、感覚的と論理的、それで各々率直。凄みがあるけど怖くはない。
もうなにもかもイヤになったと喰ってかかりたい気分の私にとって、
絶好の直接解答者という感じ。教育的なのだ。
結局、これからは好きにしろと言われたけど、
「人間は哀しいものなのだ」と芸術専門じゃない人のほうが引導を渡してくれた。
ビックリもしたが、自分としての整理もついた。

ひどい一年のなかにも、幸運は数えればたくさんあるものだ。
花の如く ああ花の如く 夕暮れの街に明るい
そういうに折にふれて会うことができ、与えられたものが大量な一年だったと総括したい。
みなさんに感謝して。


大晦日のくくり ⑴


もう一年が終わってしまう。
今年は小さな会を三度主催。
アンパンマンのやなせさんの老後の著書をたくさん読んだのでマネしたくなる。
「まったくもう、なにをやっているんですかね」

とくにはじめの会は図々しくって、私の知人に強引にあつまってもらった。
目的は簡単、異なる世代の文化交流である。
タケシと西村さんが音楽、中さんとみっちゃんが朗読、エドワードさんが英語で童話。
終了後の打ち上げでは、中村さんの高砂、三國さんの俳句が披露された。
思いがけないことで、みんなが愉しんだことと思う。
大きくもない家に、30人!! 野田さんあっての大飲食大会だった。
輪切り教育システムへのささやかな抵抗のつもり。

二つ目の会は、東京新聞の野呂記者に原発について質問してみよう、という会。
細田さんと小林さんが、会場のあんばいに終始気をつけてくださったのが、
しみじみうれしかった。電気関係がとくに最近は苦労なので。
この日の打ち上げは近くの小料理店で。
野呂記者に細田さんを紹介できたことがすごくよかった。
後日、細田さんの戦争体験が東京新聞「こちら特報部」にでかでかと掲載された!!
私って細田さんのファンなのだ。
細田さんの一生、細田さんの気質、無邪気と優秀の混合、
気短かな啖呵、卑怯じゃないこと、不正直じゃないこと。
そんな日本人とおなじ団地の住人だなんて光栄だ。
だからもう是非ぜひぜひ新聞に取材してほしい。
いろいろな人に細田さんを知ってほしい。
と思ってたと言うとヘンかしら。

それから初めて朗読の発表会をひらいた。
きれいな、いい会ができた。
幼稚園時代のお母さんたちがバザーをやってくれて華やかだった。
萱野さんと籠浦さんの朗読を聴いて、泣いた彼女たちの友人がいる。
「こんなに成長したなんてすごいと思う」 といいながら泣いているのである。
・・・音楽的な魂が、むかしからよくみえる、少女のようなお母さん。
すくなくとも朗読の先生としてはいちばん嬉しいほめことばじゃない?
度胸を決めて、人前で朗読をしてしまう。自分を投げ出す。なにかに賭ける。
そうやって自分で開放の階段を上る。
そういう経験をみんなにしてもらえることが、隠れた誇りである。
それにしても、富田さんと三瀬さんは練習する前から上手。
よかったけど困ったというか。
こういうヒトが時々出現するからセンセイやってる私なんかタイヘンだ。
教える、それがセンセイなんでしょ。
ところが彼女たちは上手。
なにひとつ私なんか言えることがないんであーる。



2013年12月30日月曜日

師走


クルマに乗ったら、ナヴィゲーションの機械?がすぐ消えてしまう。
工場が近いので立ち寄って理由をきくと、電源取り付けミスである。
工場側の人がやったことだと確認できたが、相手は複雑な表情をするだけ。
スミマセンでした、と彼女が謝ってしまったら責任問題が発生するのだろうか、
何だか知らないが、責任責任責任、という文字がチェーン店を駆け巡っているのだろう。
やだやだ。

タケシのギターが壊れた。買ってまだ半年ぐらいか。
有名メーカーの何万円もする高額なギターである。
ギターのボディーの表面が剥がれたというめずらしい事故。
保証期間は一年だから、ライブハウスリボレ近くの楽器店に運んで、直してもらおうとした。
秋葉原である。
何日かたってその店から電話があり、感じのいい店員が修理費に8300円かかると言った。
「だって保証期間内なのに」
たまたま電話にでた私があきれてたずねると、
店員もそう思うらしく、おおもとクロサワ楽器に電話してみると言い、
「持ち主が自分でどこかにぶつけて表面が剥がれたのだから」
というのが本社の返答だったと申し訳なさそうに言うのだ、再度連絡してきて。
木製のだいじなアコースティック・ギターである。
過激な演奏でふりまわしたというのとはちがう。
そんな大それた損傷をつけたのなら、修理を頼むとき、本人が当然申告する。

修理費は5300円、取次代が3000円。
まるで納得がゆかない。
ギターの表面が剥がれるなんて。それを5300円で貼り付けると無事再生?
しかもなんで保証外なのよ。
なんにでも当たり外れはあろうけれど、楽器店は不良品を売ったのである。
取り替えてあたりまえと思うけど。
取次の電話代を3000円機械的に取るという商業道徳だってまずおかしい。
まわりの人は玄人、素人みんな、楽器店の店員までもが、
そういうもんだ、だまされたんだ、運が悪いんだ、抗議しても無駄だと言う。
いわゆるガセネタをキミは買ってしまったのだと。

このガセネタ商品に対する社会的制裁装置は、むかしは消費者センターだった。
被害にあった者が電話をかけて売り手の不正を申告し、野放図な商業行為にタガをはめる。
あんがい親切な担当者が多く、頼りになる組織だったと思う。
ところがこの組織を、レンボウとかいう国会議員が中心となって、省くことにしたときく。
税金の無駄を省くという名目であっちも切り、こっちも切り、大騒ぎし、
どさくさにまぎれて、庶民の被害救済組織を大幅にカットしたのだ。

しょうがないって。
しょうがないってどういうことなんだろう。
もう本当にイヤだ。
どうして日本はこんな国になってしまったんだろう。
そういう受け身そのものの弱者の叫びのなかに、のみこまれてしまう自分たちが、みじめだ。

こういう口惜しさの根本には、国家がだれの味方かという問題がある。
なぜこういう時に、消費者救済センターが東京の区役所や市役所にないのだろう?
国家とは税金の運用を国民に委託された装置である。
アメリカ人マイケル・ムーアのドキュメント映画「シッコ」をなんとかぜひとも見てほしい。
この傑作は有名だから、いつだって、貸DVDがどこの店内の棚にもまだ並んでいる。
「シッコ」はつまるところ税金について考える映画である。
アメリカの健康保険について、学費について考えながら、おかしいおかしい、ほんとかよと、
ついには弱者とともに(アメリカ 9・11の消防夫や病人なのだ!)
カメラ・クルーをつれてキューバまで出かけてしまうマイケルがすごい。
だってキューバはあんな小さな貧乏国なのに、学費は無料、医療費だってただ同然、。
キューバだって税金なんでしょ、そういうお金の出どころは。


ユーツなので、ナヴィが治ったところで、横浜市関内まで。
大桟橋や関内の街並をぶらぶら。
美しいところだった。
元気を出そう。
きれいな街で、目から心を洗って。





2013年12月29日日曜日

くぼきんサークルの朗読 12・19


たそがれの時は良い時・・・と少女のころ詩集で読んだけれど、
そんな風合いのしっとりとしたよい朗読を数々きくことができた。
今年最後の集まりではあるし、うれしいことだった。

サークルが誕生して、おさだまりの紆余曲折も当然あったけれど、
こんなふうにのびのびと、ひとりひとりの屈折が好ましい個性として朗読に生かされれば、
もう上手も下手も問題にならない。下手はヘタウマ、上手はイイゾである。
聴いているだれもがそう思うのだから、あーら不思議。
表現ということの究極の目標はーなんていうと偉そうだが、教育の目標と変わらない。
その子なりの感性をだいじにすること。子どもの自己実現のお手伝いをすること。
多面的な考察とともに。人間の幸福はそこからだって思うから。

私の今回のお気に入りは「そぼくな恋」かな。
サトウハチローである。
朗読者はお孫さんに絵本をよんであげたい、というのが朗読の会参加のきっかけだった人。
絵本を読むように、彼女は恋知り初めし時の心を詠む。
それってすばらしい。
なぜならその初恋を想い起こそうとする彼女の朗読には、子ども心がそんまんま残って、
そのセンスのよさが、いかにもなつかしい気持ちをみんなに起こさせたからである。
世相にふりまわされ、素朴を忘れ荒れてしまった私たちみんなの気持ちを、
彼女の素直な、いわば訥々とした朗読が、すがすがしく癒したのである。

印象的で忘れないのは「男の気持ち」という新聞への投稿、「悔恨」の朗読。
93歳の妻を見送った一周忌に、91歳の夫が書いた文章である。
九月とあるから、強い印象を与えられたからこその、朗読者の選択だろう。
さまざまな本を多読する彼女らしいこだわりが実って、興味深かった。
人は哀しいものだという、凍るような大正生まれの男性の詠嘆を写す、悩みの多い声。
もともと個性的なので、彼女の選ぶ作品はごろごろと聞き手の気持ちに引っ掛かる。
そこがいい。理解されにくいが、理解を要求する朗読なので、
否応もなく、聴いている人たちの守備範囲が拡がる、教えられることが多いわけである。
俳優ではない生活者の朗読は、選択いのち。
この日の「悔恨」の朗読は、
愚かで侘しい苦悩を、実感として、私たちに伝えるものではあった。

「エプロンで」は岡部伊都子のエッセイ。
なんということもない昔懐かしい大晦日のおんなの心がまえを書いたものだけれど、
詠み手の声音やいっぷう変わった風情が、この短い風物詩にピッタンコ!
この人は半分、耳が聴こえないのだという。いつも慌てふためいて遅れたり早すぎたり、
テンポが人とズレているんだけれど、最初のころ、ゆっくり読んでゆっくりと頼んだら、
それからというものがんこなほど「ゆっくり」に専念。
そして、そうなったら何を朗読しても生まれついての語り手のよう、本当に素敵なのだ。
味があって、飄々として。
私はみんなに彼女の朗読の真似をしてもらったんだけど、
だーれもうまく真似ができなかった。
みんながクビをひねって、こまってコロコロ笑ってしまっていた。

「原子力」大いなる錯覚、
新聞投稿欄に掲載された主婦の文章を主婦が朗読する。
しみじみ、もう本当にしみじみ、反原発運動のなかにこういう声音が見えていたらと
思わずにはいられない朗読だった。
なぜなら、きけばきくほど普通の遠慮ぶかい日本の女性の声だから。
笑顔がいい人である。あんまり「いい笑顔っ」なので、どうしてときいてみたら、
「おまえにはなんの取り柄もないんだから、いつも笑顔でいなさい」
父親にそう言われて育ちました、というお返事がにこにこもどってきた。
・・・それでその通りにしたら、こうなるの? なんてうらやましいんでしょう。
低めのおだやかな、日常が朗読のすき間から見えてくるような主婦らしい声だ。
ゆっくりと、表に出ない幾百千のおんなの日々の想いが、朗読の下敷きになっている。
朗読教室の愉しさは、こういう表現にもあると思う。
含羞(はにかみ)は生活者のもので、
そのせいか、俳優がつい取り落とす現実感を、スイスイと、らくらくと表現してしまうのである。

鴨長明の「方丈記」を詠んだのは、介護を仕事にしている女性であった。
のびのびして朗らかで論理的。朗読しようと選ぶ作品もいろいろ。
朗読をしているあいだ、なんで彼女が「方丈記」を、と私は考えたけど、
・・・私の大学時代の友人が自動車に跳ね飛ばされてタイヘンなことになってしまった、
そのお見舞いに伺ったときのことである。
彼の言語療法訓練を奥様が見学できるように計らってくださって、
「ういろううり」と「方丈記」を病人が朗読した。
「方丈記」をぜひ朗読したい、これが僕の今の気持ちです、と苦労しながら彼が言う。
去年の冬なんの罪もないのに、首から下、両手も両足も動かなくなってしまった彼である。
言語療法では発音だけを問題にする。
朗読は、一方文学的なものである。
私はサークルでの彼女の朗読を思った。
たとえば離婚してすべてが灰塵に帰してしまったおんなが、自分に正直なもの言いで、
「方丈記」を詠んだとしたら、どういう朗読になるのだろうか。
彼女はあの時たちまち切り替えて、いわば演劇的に「方丈記」を朗読した。
やりきれない、怒りにみちた、投げやりともいえそうな「方丈記」であった。
坊さんの説教みたいな朗読をしないって、そういうのもありでしょ。
言語療法訓練中の彼にも、そう思ってほしいなと。

コカリナを吹く人がいる。
コカリナ的音声の、少年のように硬いまっすぐな声が、いつ聞いてもすっきりと気持ちがいい。
みんなこの声が好き。サークルのよさは、こういうところにあるのかなと思う。
「人間は長所をのばすことでどこまでものびてゆく、短所をあげつらっても悪くするばかり」
とは名優北林谷栄さんが考える顔をして言ったことだけれど、
長所も短所もすごく部分的なもの、これで合格というわけにもゆかない。
だから、つい自己嫌悪に負けてくよくよしてしまう。
コカリナに導かれて、あっけらかんと彼女が朗読する「双子の星」は、
いわば棒をのんだよう。どこまでも硬い。
この硬さ、硬質であるということ、気骨のようなもの、不器用なまでの。
それこそが宮沢賢治的なのかもしれないといつも思う。
コカリナはたくさんの音は出さない。
木や土や、太陽のにおいや、吹く風の気配を伝えるだけだ。
そういう素朴で、自然で、懐かしい世界を、彼女はちゃんと体現しているのだ。
それは宝だって思う。
だれにも見えないその宝を、小さいサークルは少人数だからこそ、
個性として、かけがえのないものとして認められるし尊重もできるわけである。

「風に立つライオン」は、恋の上に「生きる目的」を置いた青年の心情をうたう。
さだまさしの物語詩である。
律儀な朗読者が【鑑賞】という一文をそえて提出した。
この物語詩を朗読する彼は、従来技術畑の人で、退職して、大病もして、
これからは今までとまったく違う生き方をしたいのだという。
みたところ心が緑の野原のよう・・・。
クローバーの柔らかい緑がつやつや光る野原のような、初老。
真似できないなと私なんか羨ましい。
俳句をつくっても、蕎麦打ちをしても、朗読でも、
きっちり取り組んで、しっかりものにして、仲間にもぜひ楽しんでもらいたいと彼は思ってる。
「風に立つライオン」
技術屋で人間のことはわかりませんという彼の【鑑賞】を読むと、
おっしゃる通りのタイプなんだ正直だと、愉快になって嬉しくなっちゃう。
おかしくなっちゃう。
私などは逆の欠点だらけ。心のありようでしか「風に立つライオン」を追跡しないが、
彼は自動車を分解するように、この物語詩を解析。物語の起承転結の具合不具合を考え、
『現代日本人の、心の不摂生の為に過剰にしみついた魂の脂肪の対する警告』かも、
と結論づけたりするのだ。・・・それはその通りなのよね、やっぱり。
感心するのは、途方にくれた顔でその月の朗読の課業を見送りながら、
一か月後、つねに見違えるように彼が変化していることだ。
たぶん律儀に噛み砕いて咀嚼もして、モノにしちゃたのだ?
私はねー。社会人の学びとはこういうこと、「そこでふたたび生きる」ことだって思う。
春の風が楽しく吹く野原のようにね。

2013年12月22日日曜日

F.B.Y というライブ


吉田くんが歌うのは初めて、と誰かが言っている。
JR大塚駅徒歩2分。心細いようなビルディングを五階まで上がった狭い廊下。
音楽スタジオの前に7、8人ぐらいが集まっていたろうか。
私はオーバーをライブのあいだずっと着ていた。寒かったんだと思う。
でも、思い出すとぽかぽかと暖かい気持ち。

3マン企画。吉田将之と、バーンと、fruit and veggies。 

廊下の古い椅子に腰かけて、開場を待つあいだに、
ジンにCDをつけて500円なんてと驚いて心配する声が聞こえていた。
プログラムのことをジンと思わないから、飲み物つきなのかしらと不思議な気がしていた。
ビールじゃなくてジンをだすの?と勘違い。
来て待っている若者の顔がなんとなくわかるようになったのに、
腰かけで人のうしろからライブを覗くだけの10年だったから、
私はイロハがのみこめていない。

吉田君はニコニコしている。
私のことを知ってくれているのだ。
私も彼をどこかで見たことがある。さてどこだったのだろう?

彼の女の子だか男の子だかわからない表情の動かし方は、めったにないものだ。
どうも違和感があるんだけれど、あんまり好意にみちたきれいな顔なので、
女の子のような男の子のようなその顔に降参してしまう。
たまご型の白い顔。
紺色のカーディガンは白い水玉模様で、この人はピエロ志向なんだろうかと想像する。
ギターを持って歌いだしたら、ポエティックな風情にとても心を打たれた。
炭鉱の坑道から地上のさらにその上の上の蒼空を見上げるような。
あんまり上を見るので、白目がひっくり返って、まつ毛が目玉に逆さにかかっている?
そんなすごい顔が天使のように見えたりするのでホッとする。

歌がまたすごくよかった。

私は彼のつくったプロテストソングに感動した。
彼の歌は、余すところなく私たちの身の置き所のなさや、
絶望とはまた異なる果てしない失望を、そしてまた努力して手に入れた輝く小さな喜びを、
なかなか怒りに収斂されてゆかない、もどかしい憤怒を、
無理なく、しかし非常にはっきりと表現していた。
あの、めずらしいほどの、果てしもなく明けっ放しの好意。
放浪芸のようなズダボロの強靭さ。
彼はそのほかに「ディエゴ」という支離滅裂な?歌をうたった。
ディエゴのタケシが今までに歌った詩句を羅列したそのみょうちきりんな歌は、
私なんかには判然としないタケシの本質をよくとらえて、
時にはタケシよりタケシらしいのだった。

(ジンを休憩時間に読んでみたら、この日のライブは勉の「ステイ・フリー」パン店の、
三周年を吉田くんが祝ってくれた、そういう企画だった。みなさん、本当にありがとう)

バーンの音楽に酔いしれるような演奏も、大学生だという二人の可愛い女の子の演奏も、
ちょっと主催した人にかなわないような、それがまたすごく心地よい夜だった。
お客がみんなゆっくりオンボロ椅子に腰かけて、必要なとき手伝ったりして。

・・・ルーマニアのルビー色したホットワインを飲んだ時みたいな夜だった。



2013年12月13日金曜日

身の置き所


窓の外から風の音とアキニレの落葉の音がきこえてくる。
アキニレはカラカラ、カラカラと美しい音をたてる。
アスファルトで舗装した地面を風が舞うと、
黄色くて小さな葉が無数に、小鳥の群れのようにそろって、
舞い上がっては落下するのだ、あっちにも、こっちにも、煙りみたいに散らばって。

おとといの夜中
私はうちの中で段ボールの箱に引っかかって躓いてしまい、
アッというまに上体をひねり、
バスター・キートン的?にひっくり返って転び、
気がつくと気絶はしなかったものの息ができない。
どこかなにかでしたたか肋骨を打ったのに、
私に突き当たった家具がなんなのかさっぱりわからないのもおかしなことだ。

肋骨座礁。
痛くて痛くて、だけどべつにこのまんま死に至るやまいになるはずもなさそう。
ぶつかってひねったところがおっそろしく痛いだけ。
一日一錠の痛み止めが朝のんで夕方効いてくるらしいのも解せない?
薬がきいているのか、よくなりかけているのか、なんともよくわからない。
予定をかたっぱしから中止して、むりやり横になると、
これはこれ、それはそれ。

風と葉っぱがアスファルトにあたって空に上る音がきこえる。
私の家は公園に隣接しているので、
秋になるたび風に吹かれて舞い上がる小さい小さい葉っぱがうらやましくて
立ち止まって眺めたものだっけ。


2013年12月4日水曜日

石破幹事長のブログ発言


11月29日付の石破茂氏のブログ発言を読んだ。

 今も議員会館の外では「特定機密保護法案絶対阻止!」を叫ぶ大音量が
鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような
主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静想を妨げるような行為は
決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。
 主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を
広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない
ように思われます。

国会をとりまく人々の前に挨拶に出てきた小沢一郎氏を見たことがあった。
原発再稼働反対を叫ぶ全国規模のデモンストレーションの日だった。
小沢さんが姿を見せたことをデモの人々は喜ぶ様子だった。

いろいろな党のいろいろな議員が、国会の分厚いコンクリートの中から群衆の前に現われる。
それは自分の主義主張を人前にさらすことだ。
反論を恐れず、多少とも、自分の目で見て耳で聴こうという態度だ。
家来を使わず、自分の体を張って考えてもみる、という姿である。
そして、それはやっぱり国会の内側と外側を結ぶ行為なのだ。
主義主張のロボットではない人間がそこにいると、みんなは安心する
 
 
 
大音量が人々の静想を妨げるって。
国会周辺に、2011年からどうしようもなく続く「大音量」があれば、
その理由を真正面に受け止めて、とにかく議論検討するべきなのである。
だって国会は、国民に信任された議員の「仕事場」なのだ。

大音量は、くりかえし、
原発稼働に反対し、汚職に反対し、戦争に反対し、権力の秘密主義に反対している。
汚職に賛成、戦争賛成、原子炉商売繁栄希望、情報不自由化希望であるなら、
出てきてそう群衆を説得すればよい。
議員となったからにはそれも仕事のうち、静想が仕事ではないのである。
国会議事堂駅前は、軽井沢や箱根の別荘地とはちがう、民家周辺でもない。
仕事場なのだ。沸騰する民主的議論の場なのである。
それなのに国会のまわりは、
雨の日、風の日、制服私服の警官だらけ、装甲車だらけじゃないの。
 
 

国会周辺の公孫樹(いちょう)の木は、トシの割に貧相不揃い、気の毒な有様である。
9・11アメリカの頃か、枝を取り払い、警備の警官ばかりがやたら目立つ時期があった。
あのころは見るも無残だった。
テロリストを警戒してのことかと図書館に行く途中、げっそりしちゃったのを覚えている。
なんて自信に欠ける佇まいだろうか。
公孫樹は百年もたてば堂々たる景観をつくる美しい木である。

背中のイチョウが泣いている

1970年のころの東大の戯れ歌は、東大のイチョウ並木の見事さが下敷き、
造園設計師たちのたゆまぬ仕事の成果が威風堂々のイメージとして
組み込まれていたわけだが、
イチョウは今度こそ、背中で大っぴらにめそめそするにちがいない。
わが国のほかならぬ国会を飾る街路樹だというのに、
大きかったり小さかったり、スカスカで、日本文化の影もない。
情けないなーと思えてならない。

 
 

2013年12月3日火曜日

こんな時は俳句でも・・・


22時35分にゴミの袋と手紙をもって外に出た
ゴミは団地の金網のゴミ置き場に前もって捨てるのである
手紙はポストに放り込むのである
夜は緊張して藍色、シンとしてかおりのいい冬だ
アキニレの落ち葉をふむ道がグリコのおまけみたいに楽しい

外灯がほわりと暗黒をやわらげ、むこうのほうでは、メタセコイヤが燃えている
メタセコイヤは冬がくると赫赫煉瓦色になって大気をかきまぜる
夕焼けに似合う、赤信号に映える、真夜中の今は外灯と腕を組んで
消防署のダンスパーティーのよう

不意にだれかの家のドアが開く、うわあたいへん、飛んで出てきた青年が、
「なんですか、なんですか、御用でしょうか」
私の周りをニコニコ、丁寧にくっついてまわるじゃないの
ビックリ箱みたいなのでこまるけど
急に現われた彼にぶつかって、「アッしまった」と私が叫んだからか
・・・私ときたら、さっきからメタセコイヤの赤い色のことばかり考えて
ゴミ袋を手にゴミ置き場の金網の前を通りすぎ
重いゴミ袋とふわふわ歩いて、
そのまま角もまがって石の段々も降りて、バス停横のポストまで行くつもりだったみたい
ゴミ袋といっしょに。

それがわかったんだかまるでわからなかったんだか、
青年はぴょんとキツネのように飛んで気合を入れると走って行ってしまった
私は泥棒じゃないし徘徊人でもないし、・・・君はジョギングなのよね真夜中のね
猫はいないかな・・・、猫はいないよと思う
10年以上この団地に住んで、今も見知ぬ青年に出会うなんて
出会いはしてもすぐさま分かれるなんて
今晩はきっと自然で楽しい夜なのだ

ポストまで行く石段は銀杏の葉っぱのせいでバターを塗ったパンみたいだった
きれいだけれどよろしくないね。
ふかふかして、すべって、星のようにも淡い黄色だけれど私が落っこちそう。