2013年12月30日月曜日

師走


クルマに乗ったら、ナヴィゲーションの機械?がすぐ消えてしまう。
工場が近いので立ち寄って理由をきくと、電源取り付けミスである。
工場側の人がやったことだと確認できたが、相手は複雑な表情をするだけ。
スミマセンでした、と彼女が謝ってしまったら責任問題が発生するのだろうか、
何だか知らないが、責任責任責任、という文字がチェーン店を駆け巡っているのだろう。
やだやだ。

タケシのギターが壊れた。買ってまだ半年ぐらいか。
有名メーカーの何万円もする高額なギターである。
ギターのボディーの表面が剥がれたというめずらしい事故。
保証期間は一年だから、ライブハウスリボレ近くの楽器店に運んで、直してもらおうとした。
秋葉原である。
何日かたってその店から電話があり、感じのいい店員が修理費に8300円かかると言った。
「だって保証期間内なのに」
たまたま電話にでた私があきれてたずねると、
店員もそう思うらしく、おおもとクロサワ楽器に電話してみると言い、
「持ち主が自分でどこかにぶつけて表面が剥がれたのだから」
というのが本社の返答だったと申し訳なさそうに言うのだ、再度連絡してきて。
木製のだいじなアコースティック・ギターである。
過激な演奏でふりまわしたというのとはちがう。
そんな大それた損傷をつけたのなら、修理を頼むとき、本人が当然申告する。

修理費は5300円、取次代が3000円。
まるで納得がゆかない。
ギターの表面が剥がれるなんて。それを5300円で貼り付けると無事再生?
しかもなんで保証外なのよ。
なんにでも当たり外れはあろうけれど、楽器店は不良品を売ったのである。
取り替えてあたりまえと思うけど。
取次の電話代を3000円機械的に取るという商業道徳だってまずおかしい。
まわりの人は玄人、素人みんな、楽器店の店員までもが、
そういうもんだ、だまされたんだ、運が悪いんだ、抗議しても無駄だと言う。
いわゆるガセネタをキミは買ってしまったのだと。

このガセネタ商品に対する社会的制裁装置は、むかしは消費者センターだった。
被害にあった者が電話をかけて売り手の不正を申告し、野放図な商業行為にタガをはめる。
あんがい親切な担当者が多く、頼りになる組織だったと思う。
ところがこの組織を、レンボウとかいう国会議員が中心となって、省くことにしたときく。
税金の無駄を省くという名目であっちも切り、こっちも切り、大騒ぎし、
どさくさにまぎれて、庶民の被害救済組織を大幅にカットしたのだ。

しょうがないって。
しょうがないってどういうことなんだろう。
もう本当にイヤだ。
どうして日本はこんな国になってしまったんだろう。
そういう受け身そのものの弱者の叫びのなかに、のみこまれてしまう自分たちが、みじめだ。

こういう口惜しさの根本には、国家がだれの味方かという問題がある。
なぜこういう時に、消費者救済センターが東京の区役所や市役所にないのだろう?
国家とは税金の運用を国民に委託された装置である。
アメリカ人マイケル・ムーアのドキュメント映画「シッコ」をなんとかぜひとも見てほしい。
この傑作は有名だから、いつだって、貸DVDがどこの店内の棚にもまだ並んでいる。
「シッコ」はつまるところ税金について考える映画である。
アメリカの健康保険について、学費について考えながら、おかしいおかしい、ほんとかよと、
ついには弱者とともに(アメリカ 9・11の消防夫や病人なのだ!)
カメラ・クルーをつれてキューバまで出かけてしまうマイケルがすごい。
だってキューバはあんな小さな貧乏国なのに、学費は無料、医療費だってただ同然、。
キューバだって税金なんでしょ、そういうお金の出どころは。


ユーツなので、ナヴィが治ったところで、横浜市関内まで。
大桟橋や関内の街並をぶらぶら。
美しいところだった。
元気を出そう。
きれいな街で、目から心を洗って。