2021年2月26日金曜日

「私は真実が知りたい」・1

図書館から知らせがあった。
予約した本を、取り置きしてあるという知らせ。
「私は真実が知りたい」
長い間まったので、なぜ読みたいと思ったのか、とっさに思い出せない。
・・・2020年7月15日初版発行の本。
今日までたくさんの人が借りて読んだのだろう。

 夫が遺書で告発
 「森友」改ざんは
      なぜ?
という赤いテープが亡くなった人の遺書に張り付けてある、黒い本である。

ちょっと、持て余して、
まだまだ待つ人がいるだろうに、一旦は見えるところに置いて、
翌日、朝から読み始めた。
重たい、読みにくい本だろうと思ったけれど、
一日中ずーっと、読みに読んだ・・・。
どうしてだろう、と考えてしまうほど、
ほんとうの事がよくわかる、納得もできる
めずらしいような1冊だった。

生き馬の目を抜くような、スクープだいじの雑誌業界なのだろうと
想像していたのだけれど、
真実を、真実として報道するまでに、こんなにふうにも時間をかけるのか、と、
週刊文春にも、文芸春秋にも、雑誌記者相澤冬樹氏にもびっくり・・・
ホッとして、うれしいビックリだった。

なんとなく敬遠なんてしないで、ぜひ読んでみてください。


 

2021年2月24日水曜日

来客の日のこと


昨日のことではなくて、
おととい。
大橋さんが、ふたりの仲間といっしょに、私の家に来てくれた。
大橋Mr.が主催する豊ヶ丘図書館の読書会の私も会員だけど、
入り口にいつもいて、受付を引き受けている、私たちより若い人がいる。
保育の人と、演劇の人だという。
私だって、むかしは演劇の人だったし保育の人だったんだから、
お近づきになりたくて、大橋ご夫妻にさそってとお願いしたのである。

こんな面白い日はなかった。
みんなちがってみんないい、からだった。
金子みすゞさんのこの詩を、私はよくわからないと思っていたけど、
なーるほど、という感じだった。
あの、金子みすゞさんの詩は、

  わたしがからだをゆすっても
  きれいな音はでないけど、                                                                            
  あの鳴るすずはわたしのように  
  たくさんうたは知らないよ

すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい
というわけだけれど、
みんなちがうって、けっこうタイヘンじゃないの?
特にみんなコロナで一律マスクになってみると、「わたし」は消滅。
「鳥」はマスクしないけど、「鈴」だってマスクは掛けないけど、
わたしっていう「人間」はみんなマスク。
みんなに見えないところでだけ「自分は自分」に平行移動するって、
みんなちがってみんないいって、
どこいらへんで手をうてば金子さん的にはOKなのかな。
そこらへんが、どうも引っかかる。

そうしたら、おとといのお客様はみんな、
「鈴」と「小鳥」と「人間」の、
「人間」は人間というくくりの中で、幸か不幸か実に千差万別、
それがあざやかでよくわかる。
どうしてなんだろうかなあ、と思いました。
こういうヒトにどうしたらなれるのかしら、ということですよね。
図書館があるからかしら。本読む人ですもんね、みんな。

人それぞれの話もさることながら、
話を理解する力量があるということか。
それもそうなんでしょうね。

会話ってたぶん、話を受けて応える時、それぞれの経験と個性が輝く。
ステキでしたよね、とにかくおとといは。
話を受けて応える間合いが、空気をゆらすようで。
日本人の究極の自己表現って、これかなーと思ったりした。
会話ってそういうことですもんね。

おもしろくって楽しくって、
いただいた苺をだすのを忘れ、渡そうと思っていた夏みかんとポンカンを
渡し忘れ、あーあとそれが残念でした。



2021年2月23日火曜日

サッカーなんかやっちゃった


大決心と言うわけでもないけれど、古いサッカーボールをもって、
とてもきれいな夕方、公園の池のかたわらで蹴る練習をした。
ボールけりだ。

私の叔父さんはヒットラーが生きていた時代のベルリン・オリンピックにおける
サッカーの日本代表、戦後、早稲田のサッカー部でながく監督をつとめた人だ。
けっこう有名、文武両道、経済学の教授だったし。
だからかどうか、古い話だけれど、家では小さい子どものころはよく、
蹴球(しゅうきゅう)という言葉を耳にしたものだ、サッカーのことだ。
なにしろ私の親たちは明治・大正の人達・・・。

今日、公園の池のほとりで、息子に配球してもらってやったのがそれで、
ボールを蹴るのよね。うまいね、とかテキトーに言ってもらって、
ちょっと血が身体中をまわりはじめ、気持ちも晴れた。
なんのことか、べつに無事にくらして、昨日はすごく楽しい一日だったのに、
今日は老人性鬱状態、むくんだようになって横になると眠くてたまらない。
のんびり休むのがかえって悪い、そうである。

20年以上も前のことだけれど、多摩川の広い河川敷で、
私ときたら、その時も今のように、引っ越しのあれこれでノイローゼみたい、
心配した息子が、むりやり私をつれだして、ボールけり(蹴球)の初歩を教えた。
高校生の子に「母さんサッカーをやるといいよ」と急にいわれて、
ヘンなこと言わないでよともうがっくり、てんで気がのらなかった。
・・・けっきょく、せっかく言ってくれてるのにと断れなくて、
河川敷の草ッ原で今日みたいにサッカー?を、やったのだ。
今より苦しくて大変だった。
その時だってもう、50代の半ばだった。

今日は30分ぐらい、ポカーン、ポカーンとボールを蹴って、
もうやめたほうがいいかも、となり、面白かったんだけれどやめた。
梅が満開、白い花と桃色の花と。
池には非友好的な蛙が一匹。

おばあさん(わたし)は、足が引っかかって転ぶととんでもないからね、と言われ
前のめりにボールを蹴れ、と指示されてそうしたのでありました。


2021年2月11日木曜日

試験終了・ぼんやり


午後になって「息子」という松竹映画をみる。
午前中はくりかえし漫画「ブッダ」を読んでいた。

夜になって、「ブルース・ブラザース」を観る。
コメディーだという。アメリカの音楽映画である。
囚人がふたり、刑務所から出てきてバンドを再編成し、という巡業活劇。
どことなく、どことなく「ブッダ」に似ているような気かしてしまう。
私って仏陀中毒・・・・?

さて晩ご飯。「内にあるものご飯」なり。
  ご飯  鶏のから揚げ  野菜スープ  キャベツのサラダ 
  赤ワイン  ビール
映画を観るために、野菜(タマネギ・にんじん・キャベツ・えのきだけ)を刻み、
鶏肉は塩コショウ・ガザムマサラ・ターメリック・パプリカ・カイエンヌペッパーなどで
下味をつけ、卵の黄身をからめ、粉を振って、から揚げに。
キャベツのサラダは、千切りキャベツにトウモロコシ。
ぜんぶ、大急ぎ。

健がサラダになんのかんのと味をつける。8時をすぎてしまって空腹だから、
急いで支度。うちの包丁はどれもナマクラでいまいましいが、
まな板の上で野菜を刻んで、きざんで、刻みまくった。
超スピードというより力任せ。しまいには手がしびれてしまった。

国家試験と期末試験を終えて、ちょっとしたお祝い気分の夕方・・・。


 

2021年2月9日火曜日

「ブッダ」おぼえがき


手塚治虫作の「ブッダ」を読んでいる。1972年連載開始。
長編3000ページ。1983年の完結まであしかけ12年。

手塚さんが亡くなったのは1989年である。
32年もまえだった。
評論家呉 智英によれば、手塚治虫の「ブッダ」は、
釈迦という仏教の開祖の、「手塚なりの伝記」である。

かたほうで「チェルノブイリ」というアメリカ・TV映画の秀作をみながら、
3500年まえの歴史からを語りおこす漫画「ブッダ」の伝記を読む。
いま自分たちが、コロナの世界的大騒動のただ中に在ることを考えながら。

呉 智英は、1992年版の解説の最後に、こう書いている。
仏教の不幸は、三身(さんじん)の思想を持ちながら、
歴史的実在としての釈迦の伝記を持たなかったことではないだろうか。
キリスト教においては、不信心者さえ、否、不信心者がかえって
感動するようなイエス伝をいくつも生んできた。
手塚治虫の「ブッダ」は、仏教上の不幸を打破する先陣として
長く記憶されるだろう。二十世紀半ばに日本という国で
かくも巨大に発達したマンガというメディアに描かれたという意味においても。

*三身(さんじん)
 大乗仏教でいう、仏陀の三つの身、即ち、法身・応身‣報身のこと。
     法身(ほっしん〉 普遍的な心理そのもの。
     応身(おうじん) 歴史的に実在した釈迦。
     報身(ほうしん) 衆生を救う形を備えたものとしての仏。
 三身のうち「応身」は信仰の対象であると同時に、人間的興味の対象でもある。
 手塚治虫はこの「応身」に従って釈迦をえがいたのだと、呉は解説している。


2021年2月7日日曜日

夕暮れ

 
読んでいる本から目をあげると、
そのたびに辺りが、あかく、なっている。
見れば庭に小さな鳥がいて、
たった一羽でパンくずをつついるところ。
夕方が始まっているというのに。

大空には怪鳥のようにも見える雲と、
鰐のように見える雲と、
ガゼルカモシカかもしれない雲が、
きれいで澄んだ寂しい青空に、
ばらのような色して浮かんでいる。

みんな東にいくのだ

しばらくして
また本から目をあげると、遠い空は
いつのまにか灰色がかった雲に覆われ、
冷たい空のコバルトブルーも色あせて、
ストーブをつけなければ寒い夕方だ。
電灯なしでは、字も、読めない。




2021年2月6日土曜日

不器用な一日。


一日中、事務的な仕事のくりかえし。
しかも時間ばかりかかって、努力したけど一つも片付かなかった。
夕方、へとへとになって、やっとご飯のしたく。
 野菜の酸味スープ。
 納豆の油揚げ包み
 キャベツとトウモロコシのサラダ。
 ごはん。
朝から、役割分担して、一品つくっちゃ、置いといて。
なんだかげっそり、でもよく考えてみれば理想の健康おかずかも。

「チェルノブイリ」という長編(3巻5回分)のTVドラマを見ている。
TSUTAYAから借りたアメリカ合衆国HBOの作品である。
アメリカがつくったの?!
ドキュメンタリーと危うくまちがえそうな、おどろくべき劇映画だった。
なぜこれほど巨大にして真摯な大作がつくれるのだろう?
アメリカで? しかもテレビ用に?!
この作品は2020年77回ゴールデングローブ賞を受賞した。
俳優が地味なのにすばらしくて。ロシアで撮影したんだろうか?

なんとかして、みんなで観て、感想を話し合えたらと思った。

作家の柳美里さんが(福島に移住して本屋さんを経営)、
いま福島に来なくてもいいから、「でも思い出して」と頼んでいたけれど、
このHBO製作の「チェルノブイリ」を見れば、
私たちは、自分の国で何が起こったかを絶対に忘れられなくなる。
いったい福島で、今の今、なにが進行中か、それがわかる。
テレビドラマとして作られた作品だからだ。
どこの家にもあるテレビの、そのまえにいる不特定多数の人々にむかって、
人類が起こしてしまった原子炉爆発がもたらすものを、
正面からわかりやすく語っているからだ。
もしかして、いつか、日本でも放映されたのかしら?
真夜中に?

TSUTAYAにはもうひとつ、なんとしても観てほしい映画が棚にある。
森達也監督「新聞記者・Ⅱ」
「新聞記者・Ⅰ」は劇映画であり秀作だった。
「新聞記者・Ⅱ」は実録ドキュメントである。
これは菅首相の実体をよくよく考えさせる作品だ。

なんとかして、観てください。





2021年2月5日金曜日

付録みたいな1日

アートパラダイスに入会したので、自己紹介の文を書く。
みっちゃんを誘った。みっちゃんは絵を描く人だから、私よりもずっと
アートパラダイスがお似合うだと思う。
私は絵もだめ、書もだめ。こまったものである。
で、どうしたかというと、遥が4才のころ描いた絵を載せて、
まあこれもアートだからと。
私は遥のこの絵と幼稚園で知りあった彼方君の絵を額に入れてかざっている、
アートだと思って、もうずっと。

後藤さんは運動不足だそうです。
物干しで(3階)お隣の奥様と話したら、彼女も運動不足。
運動不足って、老化がすすむし、病気も進行。
なんとかこういう同じ話題じゃない話題ってないものか。
ないのよねーこれが。

だからというわけでもないけれど、
ケヴィン・コスナー主演「ダンス・ウィズ・ウルブズ」をみた。
むかし観たふるいハリウッド映画です。
アメリカの騎兵隊だった男がインディアン(スー族)になってしまった
という実話の映画化だった。

つい沖縄のことを思ったり、北海道のアイヌを思ったりした。
こんな人もむかしはいたろうとと思い、水木さんの兵隊時代のことを
考えたりもした。パプア・ニューギニアへの望郷の想い。
ひとは思うようには生きられないものだけれど、
人類にはこういうハリウッド映画ができた時代もあったと思った。
大ヒット作である。なにしろケヴィン・コスナーだもの美男すぎちゃって、
主役が渥美清だとか水木しげるだとかならば、とつい思ったけど、
ハリウッドにむかってそんなこと言うものじゃないと、
融通のきかない、自分をたしなめたのでありました。



2021年2月4日木曜日

市役所


市役所に行った。

なんだか税金仕様の封書がいくつも届いて、
なんのことだか面倒くさいし忙しくてそれどころじゃないし。
ずっと放っておいたけど、それはそれで気持ちが悪い。
よく考えないし内容も知らないから、なんのことだか判らない。
とうとう松本さんに電話して、数ある封筒を破いて、
こっちは税金、こっちは保健と、書類をしかるべく分類整理してもらい、
さて市役所では、面倒をかけて気の毒だったけれど入り口受付の人に、
行く先(窓口)を、1階6番とか2階20番とか分類し特定してもらう。
私は頭がパーに近いからと謝ったけれど、
係りの人は受付はじめどの人もとても親切。
今日はすいていたから親切だったのかもしれない。
それとも私みたいな数字に弱いボケかけた人が多いせいかもしれない、
多摩市って老人ばっかりだし。

なーんて考えたのでしたが。
いろいろやってもらっていくうちに、やっとどういうことか判ってきて、
多摩市に年寄が何万人いようと、私みたいなマヌケはいないんじゃないか。
松本さんに説明してもらったことが、私ってまるで判っていなかった。
むりもない。私っていまが令和2年だか3年だかわかっちゃいないから、
税金未納らしい、それを要求されてるらしい、みたいにすぐ短絡し空想する。
届いた封書を開封せずに、絶対開封せよと言ってるから督促状なんだろう。
見るもんか。知らないよと。
そこがめったにないような思考回路なんだけど、そんなふうに考える。
税金は、去年、松本さんがきちんと整理してくれたのに。
去年が平成なのか令和なのか、どこがダブってどうなのか、
もう考えるのもめんどくさい。

けっきょくのところ未払いはなくて、払い過ぎの返金を、という話。
通知したけどなんにもいってこないから(私が)、その間に税金が値上げして、
それを通知しても黙ってるから(私が)差し引きこうなるとまた通知。
でも黙ってる(私が)。

あーあ・・・とうとう怖くなって見当違いの出頭。これにて、即日円満解決。
ところで、いつどこでそんなことをしたのか、まるっきり覚えていませんが、
ある税金について、それが何だったかもう思い出せませんが、
いつのまにか「銀行引き落とし手続き」をしていたから不思議です?・・?
そうなってると指摘されましたが、そんなことして大丈夫なのかしら。
「それって毎月引き落とされるんですか?」
思わず市役所窓口の人にきいてしまいました。
なんだかスリル満点です。預金がなくなったらどうする気かしら、
係りの親切な男性にあやうくそれも聴きそうになりました。

そうなったらそうなったで、また督促状の山になるんだろうな。
それは来年かしら、再来年かしら。
「わが亡きあとに洪水よ来たれ」とは暴君ネロの言葉だったと思うけど、
自民党じゃあるまいし、私って、どうするのかしら、まったく。

と思った1日でありました。



2021年2月3日水曜日

父は詩人だった

「父は詩人だった」という本が家にある。
ちかくのスーパーマーケットのそのまた近くで買った古本で100円だった。
ぜんぶはなかなか読めない。詩人って奇行が多くて面倒くさくなっちゃう。
読み切れない。よい本だと思うのに。

私のお父さんは学者だった。
だから、いつも書斎にいて原稿を書いていた。
小学校から子どもが帰ってくると家にいるのは父とお手伝いさんである。
ランドセルをしょって私が(電車に乗って)和光学園から家にたどり着くと、
父は嬉しそうな顔をして、私の顔を見に来る。
よく「つん公、散歩にいこうぜ」といった。
〆切が迫っている時はそうは言わないから、
よく知らないけど、〆切に追われている日のどれかだったのだろう。

ネコのひたいほどの小さな芝生の上で、私は逆立ちの練習をしていた。
白樺の木の前で。汗をかいていたから夏だった。
スカートをパンツのゴムにとめて、一生懸命だった。
逆立ちをしながら、なんで突然そんなことを考えたのだろう?
子どもっておかしなものだ。
私は運動靴を脱いで、書斎に行った。
「ねえ、父さん父さん。人間はなんで生きるの?」

父は万年筆を持ったまま、私の方に向き直った。
私をながめて、そうさなと言い、すこし考えていた。
仕事の邪魔をするなと言われたことは一度もない、私は平気で待っていた。
父は、こう言った。
「生まれちゃったから、だな」
「一つめはそれでもいいけど。」「二つめの理由はなーに?」
生まれちゃったからなんてと、失礼かもしれないけど不満だった。
父は考えながら、空間に目をやって、
「やっぱり、魂の必然から自由の王国へ、ということなんだろうなぁ」
「ヒツゼンってなーに?」
父はまたそうだなと言い、あまりに小さい私をながめ、
必然とは、かならずそうなるという意味だと教えた。

魂のことは知っていて、王国も知っていて、自由も知っていて、
と岩波少年文庫型の私はいそがしく考え、
足し算と引き算をするように、父の解答をのみこんだ。
「うん、わかった」と私が言うと「そうか」と父は笑ってまた原稿にもどった。
どうわかったのか、ときかれることもなかった。
問いは問、答えは答えの場所にちゃんとあって、自由だった。
まったくなにをどうわかったのやら、私は逆立ちをしに芝生にもどった。

しかしこれは私の一生に、
くりかえしくりかえし戻ってくる問であり答えであった。
「魂の必然から自由の王国へ」とは、びっくりしたことに、
フリードリヒ・エンゲルスの「空想から科学への社会主義的発展」からの
引用だったのである。
私のお父さんはよく考えて答えたのである。

どうしても、私の「魂」なるものが求めるという「自由」ってなんだろう?
私は勉強が苦手で学校嫌い、子ども3人の母親なのに離婚はするし、
あんなに大好きだった父親の全集も選集も読んだことがない。
私の人生はぐちゃぐちゃのゴタゴタ続き、ひとりっこ特有のわがままなものだった。

でも私は、魂がないと思うわけにもゆかず、とりあえず自分だけの方法で、
幼い時の問とその時与えられた解答に、一生こだわったのである。
父は、子どもにとってなんだか詩みたいな人だったな、と思う。




2021年2月2日火曜日

くったびれた!


くたびれた。
なんにもできない。
・・・慰めに思うに、
電話できけば全員みんな一人残らず具合がわるい?!
はははは。
私が愉快になっちゃうのは連帯感のなせるワザだ。
赤信号みんなでどうやって渡ろうか、みたいな。

つまり寒いのにまーじめに努力するから、くたびれちゃったんだわよ。
コロナのせいじゃないぞ。
年甲斐もない、疲労、なんだぞ。
あんたは、丈夫な人類だから、だからちゃんと「老人」になったんだぞ。
「老人」に到達したのは、疲労との折り合い、独自の努力の結果だぞ。
それをよくワキマエテて、ビックリして休めば、いいんだぞ。
楽天主義は、あんたがあんたの一生かけて、あんたに贈ったプレゼント、
だれからもらったものでもない。
そう図々しく考えて、しのごの言わず、
元気になって、頑張りたければまた頑張っちゃって、
もう一度、元気にブッくたびれれば、いいのであーる。

 

海を眺める


横須賀へ出かけた。
そこに海沿いの温泉があって、月曜日だからか、今日は人もそんなにいない。
温泉場の下を車がはしり、その向こうの海沿いの歩道を、いろんな人がいく。
歩く人も、走る人も、犬を連れた老夫婦や、働きに行くのか運動靴の女の子も。
みんなが、左から右へと行くのは、住宅とか海辺の駅が右向こうにあるせいか。
人間はぽつり、ぽつり、歩いても、走っても。空と海とがあんまり大きいので。

棕櫚(シュロ)の並木のむこうの海を、私は眺めた。
巨大なガラス窓に邪魔されて音のしない海と空と太陽、吹いているであろう風。
視界いっぱいにある、水平線の楕円形がなつかしくて。
日曜日は息子の国家資格取得試験だった。
なんだかその日曜日からつかれて、もうぼんやりしているばかりである・・・。