2021年2月24日水曜日

来客の日のこと


昨日のことではなくて、
おととい。
大橋さんが、ふたりの仲間といっしょに、私の家に来てくれた。
大橋Mr.が主催する豊ヶ丘図書館の読書会の私も会員だけど、
入り口にいつもいて、受付を引き受けている、私たちより若い人がいる。
保育の人と、演劇の人だという。
私だって、むかしは演劇の人だったし保育の人だったんだから、
お近づきになりたくて、大橋ご夫妻にさそってとお願いしたのである。

こんな面白い日はなかった。
みんなちがってみんないい、からだった。
金子みすゞさんのこの詩を、私はよくわからないと思っていたけど、
なーるほど、という感じだった。
あの、金子みすゞさんの詩は、

  わたしがからだをゆすっても
  きれいな音はでないけど、                                                                            
  あの鳴るすずはわたしのように  
  たくさんうたは知らないよ

すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい
というわけだけれど、
みんなちがうって、けっこうタイヘンじゃないの?
特にみんなコロナで一律マスクになってみると、「わたし」は消滅。
「鳥」はマスクしないけど、「鈴」だってマスクは掛けないけど、
わたしっていう「人間」はみんなマスク。
みんなに見えないところでだけ「自分は自分」に平行移動するって、
みんなちがってみんないいって、
どこいらへんで手をうてば金子さん的にはOKなのかな。
そこらへんが、どうも引っかかる。

そうしたら、おとといのお客様はみんな、
「鈴」と「小鳥」と「人間」の、
「人間」は人間というくくりの中で、幸か不幸か実に千差万別、
それがあざやかでよくわかる。
どうしてなんだろうかなあ、と思いました。
こういうヒトにどうしたらなれるのかしら、ということですよね。
図書館があるからかしら。本読む人ですもんね、みんな。

人それぞれの話もさることながら、
話を理解する力量があるということか。
それもそうなんでしょうね。

会話ってたぶん、話を受けて応える時、それぞれの経験と個性が輝く。
ステキでしたよね、とにかくおとといは。
話を受けて応える間合いが、空気をゆらすようで。
日本人の究極の自己表現って、これかなーと思ったりした。
会話ってそういうことですもんね。

おもしろくって楽しくって、
いただいた苺をだすのを忘れ、渡そうと思っていた夏みかんとポンカンを
渡し忘れ、あーあとそれが残念でした。