2020年1月31日金曜日

入道雲ばっかり


夕方、北の空にむくむくと、ずどーんと、機嫌の悪そうな大雲がいる。
夏じゃないのに入道雲・・・上は太陽の光をうけてやわらかく輝いてまっしろ。
ところが下方は灰と黒と紫に金色が、ながながと横に流れてどす黒い。
このところ毎日だけど、なにが起こるのだろう?
積乱雲と遠くでだれかが言ったけど、
そういう人って近日中の天変地異がちゃんと解説できるのかも。

「雲」というと、まぬけなことに、そういうとわるいけれど、
山村暮鳥のふところ手した着物すがたの写真しか思い出せない。
おうい、雲よ、だ。
あとにも先にも、中学校でならった、おーい、雲よ。

丘の上で
としよりと
こどもと
うっとりと雲を
ながめてゐる

おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平の方までゆくんか

なぜか知らないが、もう絶対にぜんぶなんかおぼえなかった。
おうい雲よと…「磐城平」という漢字だけ。


2020年1月30日木曜日

わるいけどまた「銀の枝」


私が少年小説「銀の枝」がすきな理由に、翻訳がステキということがある。

ふたりの軍団の若者が皇帝と、毒殺者と4人で扉から中へ歩いていくと、
とっつきの独房から酔っぱらった兵士の歌がきこえる。
この歌がもう何回きいても(?)洒落こけていてうらやましい。

   ああ、なんで軍団なんぞに入ったか
   帝国じゅうをうろつく運命
   ああ、なんでカボチャ畑を後にして
   茶色の雌牛を置いてまで

   この俺だって皇帝に
   きっとなれると、みなはいった
   カボチャ畑をうちすてて
   海を渡っていけばよい

こんなバカな歌を聞き流して、皇帝が主人公たちと独房の奥まで歩いていくのが
また、うらやましい。歌は、ずっとむこうから、まだきこえる。

   だからおいらは入った、軍団に
   ちっちゃな雌牛をおいてまで
   だけど見てくれ、おっかさん
   今のこのおれ、こんなざま!

翻訳がいい! 猪熊葉子さんがすごい。
日本の旧陸軍でこんな歌が、牢屋で歌えるかと、ダメ元でもつい思うし。

この歌は、小説家サトクリフの小説作法のなせるワザかもしれないが、
よく考えればフィクションに決まっているが、それでも、
独房にブチ込まれた酔っぱらいなんかの、下級兵士に名をかりて、
偉大な皇帝の度量というものを、ついでにすいっと読者に説明するなんて。

人生あいわたることは、どんなに愉快で面白いか、
こんなふうに気合で思わせてしまうなんて、ステキである。


2020年1月29日水曜日

ローズマリ・サトクリフの本


「銀の枝」63頁。岩波少年文庫
・・・・・
 空では灰色と銀色とが追いつ追われつしていた。月は嵐をはらんだ雲のなかから
出たり入ったりしていたから、ある一瞬あっというまに海岸線の全体が銀色の光で
照らしだされたと思うと、次の瞬間にはみぞれの幕で覆われて見えなくなってしま
うのだった。ずっと下の方には、白い波頭がが、何列にもなって岸にむかって押し
寄せていた。まるで荒々しい白い騎兵隊の攻撃というところだった。そしてジャス
ティンが海岸線にそって目を走らせていくと、ずっと遠く東の方向の暗い岬に赤い
花弁のような灯がともっているのが見えた。
・・・・・

 海とは確かにこういうものだと、一字一字、私が文字を追いかけて、むなさわぎ
 のように波の音を感じ、このとおりだこのとおりだと反応できるのは、
 わが日本列島が島国だから、海に囲まれていたからだろうか。
 そういう幸運のせいだったのかしら。
 
 戦争が終わって、私は3歳の時、疎開先の葉山一色海岸をはなれた。
 
 そのころの海は綱で半分に仕切られ、御用邸のあるあっちとこっち側の境目に、
 銃を持ったアメリカ兵が一人立っていた。
 占領なんて初めてだから、めずらしくてぞろぞろと見物に行く。
 「アメリカさん」はずっと黙っているし、砂浜で立って見てるのに飽きちゃって、
 農家のいたずら小僧が笑顔になって、すばしっこく海から綱をくぐった。
 とたんに、ピッピ、ピィイイイーッ! 学校の運動会のと同じ笛でアメリカが警告。
 兵隊が仕方なさそうに銃身を子ども突きつけ、鋭くなんとかかんとか。
 入っちゃいけないとか。すぐ出ろとか命令した、エイゴで。
 そういってるんですよ。誰かがみんなに教えた。
 知らないけどエイゴができる人がいたのである。
 
 やっちゃいけないことをしたんだと、やっとわかって原住民はみんなビックリ、
 私は祖母にだっこされて 、うしろだからよく見えないとぷんぷん怒っていた。
 
 ・・・しばらくのあいだ、それでも海は、子どもにとっては海岸というだけの
 大空の下でただ遊んだり泳いだりする普通の古里でしかなかった。

 ガチガチのテトラポットやコンクリートの堤防、そして醜い石の橋。
 しまいに、原子炉が爆発して垂れ流す放射能のゴミ。
 
 そうしてみると、
 海という世界を、・・・いまや児童文学は失ってしまったのだろうか。

 

2020年1月28日火曜日

久里浜で友人たちと


雪がやんで本当によかった。

今日は久里浜駅で、教育学専修の同窓の集まり。
早稲田大学文学部のクラスメイトで、私をいれるとたぶん4人。
あとの3人は男だし、今でもそうだけれど、彼らはお互い仲がよかった。
つまり私とはまるで似ていなかった。

彼らと私はそれぞれ、大学を卒業したあと、
就職し、結婚し(私だけ離婚し)、親となり、時がくると退職し、
老親を見送り、子どもは中年だし、自分もついに老いぼれて病気になり、
いつ死んでしまうかさっぱりわからん、という身体具合にもなり・・・。

理由はいろいろだけど、なんといっても今は意見交換がらくちん、
むかしからの友達願望の実現というか、会えば、私はいつも愉しい。
せっせと会っておかないと、残念なことになるかもしれない。
クラスの人たちの消息を聞くと、そんな気もするし。

教育学専修という部門は、
編集者に、英語教育の専門家に、校長先生に、必然的になっていくわけで。
そのせいかなんなのか、彼らって、まーじめで、結婚したら離婚しないのだ。
「あなた達って皇室典範みたいな結婚をする人ばっかりね」
あるとき、私があきれてそう言ったら、
一応うしろめたそうな?笑顔で、それでもはははと、ちゃんと肯定。
奥さんになった人は安定した人生を送れて幸福なんだろうと、想像した。
演劇だとか、もの書きだとかの世界には、こういう絶滅危惧種みたいな、
古典的タイプはもう、いない。

・・・そういえば、私だって、一時期、幼稚園の園長だったっけ。
けっきょくクビになったと会ったから彼らに話したら、
1人は「そうなると思った!」とウッカリ叫び、
もう1人は「よく聞こえませんでした」と言わんばかりの無表情、
あとの1人は「へっ、そうなの?」と面白そうにして、しかし意見なし。
教育学専修ってこれだからつまらないんだわよと、当時は憤慨したが、
今ではもう、そんな、偏見? はもたない。

たぶん、トシをとって、喜ばしくも社会性が身についたからだろう。



2020年1月27日月曜日

桐朋演劇大2期 -2


私は大学を出たあと、桐朋学園短大演劇専攻科に入学した。
60年安保と70年安保のハザマの時代、 創立2年目だから、2期である。
授業料値上げ反対闘争、自主卒業式を経て、早稲田から桐朋学園へ。
俳優座養成所が大学となった次の年・・・、
びっくりすることばかりだった。

今回の船橋市における、まち劇 「光る玉、あったっけど」公演は、
NPO・夢虫と桐朋演劇大学2期の有志の共催で行われた。
あの頃のクラスメイトが6人。みんな私より若い人たちだ。
夢虫と桐朋2期をむすぶ接点はハンダショウコだった。
50年がたった、そして。
この、渾沌とした、ごちゃまぜの舞台、
「市民とプロ、子どもと大人が、昔と今の間を行ったり来たりしながら」
創ったという 、その何かが、いったいなにが
芝居の門外漢となった私を驚かせたのだろう?

思うに、このまち劇 には、
日本初の演劇大学のカリキュラム(教育課程)の、創立者の理想の片鱗が、
「すがたかたち」となって存在したのである。
6人の女優である。

プログラムに、 在学時代から「地味な2期 」として、
「自分をみとめることが少ない時を過ごしたように思います」とあるが、
彼女たちは、
日舞ならではの人間観、狂言ならではの喜劇性、新劇や、商業演劇やテレビで
苦しみながら獲得したのであろう表現を、2時間におよぶ まち劇に、
すがすがしく生かしたと思う。
私は千田是也先生の、戦時下をおもった・・。


2020年1月26日日曜日

桐朋演劇大2期 -1


船橋市のキララホールで、観劇。
桐朋学園演劇専攻科2期が集まっての公演だった。

帰り道、電車の中で出演者のオカヨにメール。
  
オカヨへ
  とっても楽しく拝見しました。2期のオネエサン達の立派だったこと、ヤッパリ
  うれしくて。ショーコさん(脚本・演出)によろしくお伝え下さい。
  帰り道いっしょになった方に感想をきいたら、熱気があって力をもらったって。

  オカヨはすごく上手でした。科白に癖がなく、女神なんだなあと。キレイだし
  衣装も良くて。ひとつだけ、退場の際の靴の音が残念、女神なのに、コツコツ
  って。私の席まできこえたよ。

  ロビーで待ってたけど、
  なにしろお正月から病気だったので残念ながら帰ろうと。
  演出ですが。スタートがもたつくのは素人くさく見えちゃって損です。
  コーラス、入場、それが着席、そのあとで観客に諸注意のアナウンス、
  その後、なぜか間がまたも空く、なんてね。初めが肝心です。
  フィナーレはいくらごちゃごちゃしてもみんながニコニコ、楽し
  いばかり、まーよく頑張ったと感心したわよねー。
  
  やっと調布になりました。
  2期はその意気や良し!なんじゃない?
  甘ったれたところがなく、1期よりピリッとしている、先が楽しみです。
  みなさんによろしくお伝えください。


出演者はみんな、職業的演劇人ばっかりなのに。
私ってPTAみたい。ま、同期なんだから、いいか。
みんなで頑張ることの 結果と効果、それから観客の気持ち、受け取りよう、
客席にいると、自分たちの朗読発表会のあれこれが具体的によくわかる。
脚本・演出のハンダショウコの 日常の活動に、私が共感するからかもしれない。

あんな人も、こんな人も、演劇大学から巣立っていったわけである。


2020年1月25日土曜日

デッドヒート


暮らす、ということは、なかなかのことである。
私なんかもお手上げだという感じ。
くよくよしていたら、賢いひとが、もうなんにも
思いわずらってはいけませんと言った。
できることだけ、淡々とやって、余計なことは捨ててしまえと。

淡々となにをやればいいの? ときいたら、
文章を書いてくださいと、そのひとがいった。
たぶん、それはかしこくて究極の助言 なのだろう。
苦労してきた友達で、産業コンサルタントが彼女の仕事だし。
私ときたら、疲労困憊、よい知恵なんかなんにもない。

どうしようもないことは考えないのよね、
とにかくなんにも考えずに、ただ書く、それでいいの?
そうですと、彼女はうなづいた。
それならそうすると、私は言い、そうしたんだけれど、
これが淡々となんかいかないわけである。

とにかく・・・、長かったり短かったりとにかく、
なんでもかんでも毎日書くんだけど、それはできるんだけれど、
今日中にというのが、もう難しい、用事だってあるし。
昨日なんか、ブログ投稿の時間が、夜中の12時1分前だった!
スリルである。



2020年1月24日金曜日

「鰻重」


今日は、私の友だちがふたり、家に来てくれた。
「鰻重」がお土産だった。
お蕎麦やさんかお寿司やさんから買って届けられる「鰻重」なんて、
うれしいことに、私にとっては小説みたいな何かである。 
六十年のむかし、子ども時代の私の家にも、そんな特別な日はあったし、
親に連れられて訪ねた親戚の家でも、そういう特別なご接待があった。

「鰻重」とは、カッコに入れて語らずににはいられない懐かしいなにかだ。

私たちはおかしなことにみんな病人で、元気は元気なんだけど、
話題といえば病気の説明と、それにどう対処するか、したか、
いまどれぐらいよくなったか、いいさクヨクヨするもんか、という、
ははは、そういう話題を仲立ちに、
体力のモトだからと、懐かしくも「鰻重」という薬膳お昼?になったのである。

二人が帰ってしまったあとで、
私は自分の胸の奥の底のここに、「戦いつつ家郷に帰れ」という言葉が、
いまも在ると思って、うれしかった。
今日、こられなかった友人がいて、日をあらためてまたというのも、
熾火のように、どこか可憐な懐かしさだった。



2020年1月23日木曜日

電車に乗ったら


電車に乗るとすぐ腰かけられた。
ここまで来るのに疲れちゃったから、よかったと嬉しい。
まえの座席には6人、見れば男、男、女、女、男、女、みんなスマホ。
 ・・・・・・。
そのうち、びっくりしたことに、3人目の女性が、
3人目の長い黒髪の化粧っ気のない美人さんが大あくび、
大あくびすぎたのが悪かったのか急に徹底的に不機嫌になった。
 ・・・・・・
誰かにたのまれてした、欠伸(あくび)じゃないでしょう?
欠伸って、あくまで自分のモノでしょう?
突然のことで、つい見当ちがいのことばかり、考えてしまう。
・・・・・・
いったい私は、なんでこんなにびっくりしたのだろう!?
「よくないよ、きみ」とおばーさんのくせに
中年の太ったおじさんみたいなセリフしか思いつけない 。
・・・・・・
 あーあ。居眠り、スマホ、彼女、スマホ、いねむり、スマホ、スマホ、
ここは疾走する急行電車の車中でもなく、社会でもない、
あわれ、みんなが1人でたてこもっている茫漠たる個室なのだ。
・・・・・・・
 ・・・・・・・
対抗策もないまま、私ときたら町田駅に着いちゃって。


2020年1月22日水曜日

ラスト・ワルツ


「ラスト・ワルツ」とはロックバンドのアルバムである。
誕生日かクリスマスに、長男から届いたプレゼントのDVD。
ロックの、The-Bandの、ラスト・コンサートの、とそれだけで、
お手上げにきまっていると私は思いこみ、放っておいた。
去年の秋、温かい午後の日に、やっと手にとったのである。

息子はふたりともCDとくらしている。私が本無しでいられないのと同じだ。
私は興味があって、無理にも彼らのライブに通ったから、
その15年におよぶ努力?のような道楽?で、
いつごろからか、これはこう思うと言っても、カン違いでもない感じ。
きっとそこらへんで、贈ってくれたんだろうと思う。

なにしろ長男は、私がロックなんか右も左もわからない時に、
自分たちのCDの解説を私に書かせたのだ!?
見当がくるっていても、わけがわかんなくても、かまわないと彼は言い、
なにを要求されているのか、私は書きはしたものの判然としなかった。
とうぜん偽名だった。

さて、マーティン・スコセッシ監督の映画である。

一曲を歌うために集まって来た大物のロック・シンガーたち。
超一流のカメラマンたち、現場監督や、舞台装置家・・・。

このアルバムのために25年後集められた人たちの解説はすばらしい
例えば「トリプル・クリーク」のことだ。
この曲は、幻想のアメリカと真実のアメリカに、聴く人を同時に誘うという。

幻想と真実がであう、という着想は、人類の見はてぬ夢である。
誰もが知っていることだが、この夢はつねに崩壊とセットなのだ。

このDVDの魅力は、なんといっても、そのなりゆきを、
私たちが共有し認識できるように編集されていることだと思う。
もっともそれは、コンサートの熱気から、やっと我に返ってからのことであるが。

  装置につかわれたのは、借り物の、オペラ「トラヴィアータ」の装置と、
  映画「風とともに去りぬ」のシャンデリアだった。
  装置家やカメラマンや演出助手、裏方を引き受けた大勢の舞台人が
  文字どおり一肌脱いだ、ラストワルツの1976年。
  それはアメリカにおいても、
  人類の希望にみちた時代が終わる、崩壊の、時期だったのだろう。

マーティン・スコセッシの絶対的着想と力量がすばらしい。

 The-Bandは、最高のヨーデルをきかせるロックバンドだそうである。
「ラスト・コンサート」は、そのロックバンドのラスト・コンサートだったのだ。



2020年1月21日火曜日

私という母親


大きな息子ふたりと三人で話す。あんまりないことだ。
一人は五色の布地がひっちゃぶけたようだし、もう一人は温和である。
ふたりとも仕事とはべつに、仲間とバンドをやっている。
片方はハード・ロック、片方はハードじゃない・ロック。
まあ、音楽上の書式分類が私にはできないけれど。

片方が温厚でないことが、私は気になる。
片方が温厚であることも、やはり気になる。
ふたりとも、それではさぞかし居心地が悪いだろうと、なぜか思う。
このイビツ?の温床が自分の育て方にあったような気がする。
借りの多い母親という漠然たる後悔・・・。

山路来て ヤマホトトギス ほしいまま、というわけにいかない。



 

2020年1月20日月曜日

村野四郎


村野四郎という詩人を、私が知ったのは、むかし国語の参考書に
彼の詩が一篇、紹介されていたからだった。印象的な詩に惹かれて、
長年捨てられないでいたのに、どうしてかその灰色の本が見つからない。

それは黒い旗が、アナーキストの掲げる黒旗が、虚しく、
はたはた、旗ははたはた、はためくばかりという繰り返しの、
受験用の参考書に掲かげられたのが不思議なような詩であった。

うちの本棚には、読んだことのない古本が、たくさんある。
図書館で借りてきた童話を読みながら、私はその一冊を手にとり、
ぱらぱらと、あてもなく文章をさがす 、・・・あたたかい冬の夜だ。

そこになつかしい詩人の文章が、引用されてあった。
「詩のふるさと」という伊藤信吉(詩人)の書物に、村野四郎がいる。
美しい文章が読みたいような、夜も終わりのことだった。


   私の古い田園は武蔵野のなかにある。白壁は虎杖草と蛇苺とイラクサの中に
   傾いてゐる。そして父と母は山寺の蔓のからんだ樒の樹の下で眠っている。
   夏ごとにこのかなしみは私の心によみがえってくる。
   夏蚕の終わった桑畑が切りはらはれて、その跡に白い空が眉のない顔のやうに 
   味気なく覘く。そして家の周囲の樹々はもはや茂るばかりだ。
       古里は花なき樹々の茂りたる


虎杖草はイタドリ、蛇苺はヘビイチゴ、蔓はツル、樒はシキミ 、夏蚕はナツゴ
この古里は、いま府中市白糸台であるそうな。考えてみれば60年の昔から、
私たちは、ただもう田園を失い続けるばかりだったのである。



2020年1月19日日曜日

ノーリツが上がらない日


ぼんやりとThe  Bandの「ラスト・ワルツ」(DVD)を見ようとするが、
リモコンが故障していた。東芝に電話。ながい時間かかったあげくの果て、
買い変えないとダメとわかった。

リモコンがダメでも、DVDは見られる。でも、音がおかしい。
あきらめてぐずぐず、読む本をさがすが、気が乗らない。
日向ぼっこなんかするうち、眠ってしまった。

まー、いいんだ。
カタツムリみたいに ゆっくりがいいんだ、
あしたにでも、春風が吹く日がきちゃったらどうする?
どーでもいいから、うれしいなと、喜べば?

と思っているのに電話がかかって、もうすぐ息子たちがくるという。
ところが私はあわてられず。なにを作るべきか方針がきまらず。
つくったものが、ぜんぶまずかった・・・。


2020年1月18日土曜日

雪が降る


私は夏のスカートをはいている。
キュロット型の麻の布地で、色は紺色と草色、目立たないから好きだ。
とっかえひっかえ冬になっても毎日着ているが、
今日など朝から雪がふったから 、寒いことは寒い。
体重が16キロ減ってしまうと、丁度いいスカートがなくなる。
16キロ痩せた人のスカートは、ウエストにとまっていてくれない。
この冬、このキュロット・スカートで暮らす気かしら?
ヘンな自問自答をするそばから、雪が降る。すると孤独である。

どこでそんなことを思ったか、コインランドリイだった。

なぜか今日は自分ひとり、衣類が乾くまで、ずーっと待っている。
・・・広いコインランドリイには、だれもいなかった。
洗濯物が乾燥機の内部でくるくると回転している。回っている。
モーターの音が温かい。
氷雨のような雪が空からたえまなく落ちてくる。
私は、灰色の空を横目に、本を読みながら、セカセカしている。

雪の中を通る車はみんなビシャビシャ。


2020年1月17日金曜日

スズメ


日暮れが始まってから、図書館へ。
大急ぎで、5冊本を返して、新しく5冊借りる。
2,3冊めの本が洒落ていて、気にいったから嬉しい。
「スズメの靴下」ニューヨーク生まれの作家と画家の絵本である。

スズメといえば、
ペテルブルグで私は、遥にくっついて、ぜったい迷子になるまいとしたっけ。
遥のアパートから街路に出てみると、もう帰れっこない、わからない。
ロシア語もわからないし、こわいったらない。
ベンチに腰掛けたら、遥がロシア風のサンドイッチを買ってくれた。
味もなんにも覚えていないけれど、スズメのことが忘れられない。     
べつに絵本とちがうから、洒落た靴下をはいていたりしないが、
ペテルブルグのスズメも私としてはビックリだった。

ペテルブルグのスズメ達はパサパサに痩せこけ、尾羽打ち枯らしていた。
そばを飛んで、パンや肉片を私がさしだすと、逃げながら迷いながら、
一羽がとうとう嘴でとった! 街のスズメで野生だというのに。

・・・あの時はチープサイドのことを思い出して、比べた・・・。
チープサイドは、動物学者ドリトル先生の友人でロンドン生まれ、
スズメながら粋な下町っ子なのである。


2020年1月16日木曜日

靴下の話


靴下が、あっちこっちに飛んで逃げたらしい。
箪笥の中を思い切って調べたら、片方だけの分が、15足以上もあった。
今年になってから寒くてたまらず、2足重ねて靴下をはかないと足がピリピリする。
夜になって眠ろうとしても、裸足だと足が冷たくて、やはり靴下のお世話に。
1足にしたり2足にしたり、出かける時は1足、帰るとしばらく忘れて、あとで2足。
そういう感じで暮らしていたら、お気に入りのソックスがなくなっちゃった。

で・・・片方だけでもよいから、探すのをやめてじゃんじゃん洗う。
片方洗いだめの日々。
そうしたら靴下の方でもついに精魂尽きたのか、
だまって(まー当然だけど)そろい始めたからおかしい。
あと5足が、まだ、ぼんやりと床に並んでいる 。
けっこう好きな靴下とそうでもない靴下と。

空は朝灰色、昼間輝く金色、それが午後になってまた灰色になった。
山脈のようなその雲が、公園の樹木のむこうにうねうねと見える。
葉を落としたメタセコイヤの枝を、電線が3本も4本も横切っている。
不景気で暗い灰色の1月。
靴下みたいにちぐはぐ。


2020年1月15日水曜日

秋元議員 再逮捕


新聞は、なぜ日本語を、きちんと使わないのだろう?
今日の朝刊一面トップ記事の見出しと、見出しの説明文だけど、
本文にたどりつく前に読む気がしなくなる。これってワザとかしら。
だって、よくわからないんだものね。
秋元議員さんの IR汚職。ワイロを受け取ったんでしょ。

IR、とはなんなのだ? 
記事によれば「IRとは、カジノを含む統合型リゾート」なんだって。
カジノは語源フランス。各種の娯楽施設を備えた賭博場。
リゾートは? 保養地、行楽地の、なに語? 英語でしょ?

なぜ新聞社はきちんと辞書で調べて「賭博場汚職」という見出しにしないのか。
かつて作家三島由紀夫氏が絶賛した東映映画に「総長賭博」があったが、
IRを日本語にすると、たちまちヤクザ関連の賭博話になってしまうからか。

通称「IR」を安倍政権は我が国の「成長戦略の柱」といい、「重要施策」という。
政府がいくらそう言っても、外国の単語できいたふうにまぶしても、
ガラホの単純辞書でさがせば、IRって「賭博場」のことでしかない。

賭博と言う漢字の感触。

いわく言い難い本質的な説明を、日本語というのはするのだ。
母国語だから。
母国の言葉は私たち人間の理解力のなかに、歴史を記憶させる。
学校で教えられる日本史や世界史とはすこし違うが、
庶民としての自分の時間の流れだって、自分史で歴史だ。

そうだとすると、たとえ「賭博」という文字ひとつだって、
それ相応の判断をともなった記憶を、呼び起こしてくれるのである。

がんばれ日本語!


2020年1月14日火曜日

ヘンテコリンな年賀状


お正月がすぎてから、はらりと一枚、ヘンテコリンな賀状が家にきた。
あんまり奇妙だから、なにかの宣伝だろうと思って、本棚のところに、
ひとまず置いてしまった。紅白の派手な画面構成が異様というか。
しかし、手に取れば宣伝にちがいなかった。

白地に、少し葡萄色がかった真紅の、でかでかした「戦争の放棄」の文字。
派手だけど、戦争反対の宣伝なのである。
芸術ふうな「戦争放棄」の文字が、布だか紙だか、大きく天井からさがって、
その下の演壇に両手をついている、
白いスーツに白いカンカン帽(リボンが紅い)の へんな男。
うつむいているから顔はわからず。

びっくりして、ひっくり返してみたが、宛先しか書いてない。
またひっくり返す。・・・写真のてっぺんに、からくも説明があって。
「講釈師 岩田才之助として講談を一席。才之助は祖父の実名!」

奇妙奇天烈。
私の大学時代からの仲良しの夫なんである、このカンカン帽の伊達男は。

彼ら夫婦と私はもう50年も友達だけど、彼がなにかするたびに、彼女の
顔がうかんでしまい、今度は出て行って講談やったのか!と、どしーんと
ビックリする。
たぶん彼に対して「のびしろ・ゼロ」な友人は、私だけじゃないだろう。
これ観たかったなーと残念に思う自分が、今さらながら不思議である。
ついつい、ほめたくなって電話をしたら、
彼はワイワイと平和運動のあれこれを語って尽きることがない。
彼には日本国憲法に関する学問的労作が山ほど。
分類すれば、学問人自由人知識人であろうけれど、
善人だと思うし、まちがっていると思ったことはないけれど、

究極のところ芸術家なんだろうかなーと、首をひねるばかりの私である。



2020年1月13日月曜日

大草原の小さな家・一考


この冬のあいだ、私はお正月だろうがなんだろうが、家にいて、
ソファの三つのクッションに頭をのせ、ローラ・インガルスの
「大草原の小さな家」関連の、いろいろな物語を読んでいた。
ぜんぶ読んで、しまいには息子にたのんで、求龍堂グラフィックスの、
大判の本を取り寄せてもらった。

疲れると私は、ローラの生家や、結婚してくらした家や、家族の写真、
物語に幾度となく登場する料理用のストーブ、手作りの家具、飾り戸棚、
手編みの美しいレースをあしらって作ったドレスとか、馬車とかを、
時々、はすかいに、ながめたりしていた。

今年になってから、ずっと病気だったから。

ローラは少女のころからメアリーの目の代わりだった。
コレラでメアリーが失明したあと、両親にそういわれたからである。
大自然も、人間も、家畜も、大吹雪も、春に咲く花も、天空の輝く星も、
すべてを、新しく縫い上げられたドレスやリボンに至るまで、すべてを
彼女は文字どおり目に見えるように、見えない姉に「ことば」で説明した。

だからこそ、
ローラの物語には、ことば以外にはなにも要らないのではないかと、
画家の手で描かれた素朴な挿し絵が、せいぜいだろうと、私は思う。 

少女の目に写る森羅万象についての、言語描写!
自分の両目でしっかり見て、つぎにメアリーに見たものをなにもかも伝える、
完全なるものに、さらなる説明がいるだろうか?

 大型本のなかの食器戸棚の実物写真をながめたりしていると、
ローラ・インガルス・ワイルダーの生涯がたどれてとても楽しい。
 しかし、なぜだか違和感があって、気分がわるくなってしまうこともある。
出版物の過剰な親切がそうさせるのか、自分が衰弱しているせいなのか。

 両方なんだろうかしら。


2020年1月12日日曜日

のびしろ


私には、のびしろがまだあるでしょうか、と質問されて、
うーんとうなってしまった。もちろん彼女には、のびしろがある。
よく知っている人だから、なんの迷いもなく、そう思う。
ではなぜ、こたえを迷うのか。伸びしろという単語に、中学校の家庭科でしか
縁がなかった、そういう自分に、改めてびっくりするからだ。

・・・朗読の新年会の、さまざま会話が飛び交うなかで考える。
のびしろ、についても。
そして思いが「脇役本」というヘンな本の方にふわふわ飛んでいく。

「脇役本」の著者、濱田研吾氏によれば、この文庫本には、
彼の独断と偏見による、彼の愛する脇役な人々、
極悪人や変人や狂人、上品、下品、臆病者、そこら辺にいそうな近所の人、
如何にもの善人ふう、とにかく主役を張れない脇役たちの、詩や散文が、
大量に集められているのである。
歌舞伎、新派、新国劇、商業演劇、軽演劇、映画、テレビ、ラジオなどなどで
活躍した往年の脇役たちの消息が。

ヘンな文庫本だと思って買い、寂しいときヘンだと思いながら愛読。

 それが、ですねえ。
 人間のまわりをウロウロする、ということについての、実にしみじみとした
考え方が採集されているのである、この「脇役本」には。

例えば亡くなった俳優・成田三樹夫を追悼する文章のなかで、
渡瀬恒彦氏がこんな風に言っている。   
・・・共有した時間は短かったのに、なぜ気になっていたのか考えてみたら、
私は成田三樹夫さんのファンだったのです。古武士のような風貌、失われつつある
日本人の原点を持っていた成田さんに魅了されてしまった一ファンだったのです。
先輩としてみたこともなく、同業者として見たこともなく、
いつもファンという立場で成田三樹夫さんの事を見ていたのです。
残念です。

朗読の仲間をながめると、
人のまわりでウロウロしている自分を、私はなんだかいつも意識する。
職業がらで、しかたがないのかもしれない。
相手の「のびしろ」が私にはおもしろいのだろうか? そんなことはない。
今そこにいる人の、人それぞれの暮らしと向き合って、
小さな草花のような、
ずっとさがしていたものが見つかると、
それこそ先輩でもなく、同業者でもなくということであるが、
なつかしい幸福をもらうのである。


2020年1月11日土曜日

朗読新年会で



朗読が、集まって下さった親しい方々にどう共感してもらえるのか。
新年会だというのに、ひとりだけ、ついこだわる。

発表の日までは、みんなして、夢中で努力する。
終わってしまうと、私の場合いつでも悩みが残る。
なに程の事であるのかが、どうもよくわからなくて。
めんどくさいだろうけれど、この私は、
観客席からの好意的な手ごたえの正体を、知りたい教師なんである。

そんなことはどうでも良いではないかという意見もあった。
一生懸命やって、それからまた一生懸命やる、それ以上を求めてどうするのか。
その人はそう言うし、ほかの人は、戦争反対をあからさまに主張されると退いて
しまう と言う。みんな、いろいろ・・・。

朗読と黙読はちがう。
朗読とは、[詠み手」と「書き手」と「聴き手」の三角関係だから、
一辺を置き去りにしては完全体にならない。
・・・それが私という責任者の原点、主張、こだわり、である。

それはそうだとして、
去年11月23日の発表会は、本当によかった。すごくよかったのだ。

ひとまず、朗読した誰もが、違和感を招かない「日本語」を使い、
全力でその数分間を生きた。彼らはそれぞれ人間として、だれの目にも、
思いやりがあって、元気だった。しっかりと立ってもいた。
文学の力をかりて、のびのびと、ユーモラスにさえ見えたのだ。
彼女たちは、1億2千6百万人いる日本人の誰とも、微妙に似ていなかった。
ヒトの指紋がちがうように、誰もそのことに気がつきはしないけれど、
朗読者として、不思議にもきっかりと個性的だったのである。

私たちは近頃とくに、日本人のそういう姿を、いつも探している。
それが、手ごたえの正体なんだろうか、今は。


2020年1月10日金曜日

毎日


イリヤ・エレンブルグのファンである。
ソ連邦の代表的作家、「雪どけ」で有名、フランスに小僧のころ政治亡命。
「人間・歳月・生活」を読むと、膨大な数量の国際人と知り合いだ。
レーニンに会ったことまである(しかも巴里で)。
戦争世代の、詩人・作家・革命家である彼の、凄み。その強烈な頭脳。

彼が、今、スベトラーナ・アレクシェービッチの本を読んだら、
「チェルノブイリの祈り」を 、「戦争は女の顔をしていない」を、
そして「ボタン穴から見た戦争」を読んだら、
エレンブルグは、どこにいても彼女を擁護しバックアップしたにちがいない。
彼女はベラルーシの人である。
苦難の末出版された初めてのルポが、2015年ノーベル文学賞を受賞した。

 学生時代に買って、飛ばし読みばかりし、
本箱に・積んどく・にしてしまった「人間・歳月・生活」6巻を、
今こそ読了したいけれど、できるだろうか。
老齢になったから可能になることはあるはずだけれども。
・・・世界は、またしても、大戦直前の様相である。



2020年1月9日木曜日

ウツかと思って


いただいた年賀状に、やっとこさ、お返しできたのが半分ほど。
それが62円切手を貼って送ってしまい、2枚もどってきた。
えっ、ほかのハガキは届いたのかしら?
戻ってこない分はどうなったんでしょう!?
郵便局でうっかりきくと、
受け付けの女の人が、めんどくさそうに言う。
「さあ・・」
ロシアに行った時、ロシアの郵便局はもっと意地悪だったぞ。
公営もだめ、民営も老人軽蔑。いいよ、なるべく手紙を出さないから。
そう思うのに 、63円の新切手を買う。
ピカソの絵ハガキをつかって賀状にした、その報いである。

それを、使えばいいのに、なかなかできない。
今では切手があるのに、ただもう億劫。
残りのハガキのある場所が、高尾山の頂上みたいに思える。

あーあ。 
ウツとはこういうことにちがいない。

みっちゃんから元旦に届いた年賀状もすごかった。字が斜めでヨレヨレ。
たぶん、年末の3日間に、300枚ぐらい書きたおしたのだろう。
どっちがウツとしては重症かしら?
みっちゃんは62円切手の賀状をだす私をヘンだと思い、
私は300枚も年賀状だしなさんな、みっちゃん少しは休みなさいよと、
双方、幼馴染に努力の限界がきたことを、確認するだけだ。

こういう老後には、うららかさ、というものがないと思う。
よろしくないよなー。

おだやかな気持ちになって、ウソでもニコニコしていたい、
うららかがいい、・・・いくらかそう想えば、
あしたはそうなるものかしら。


2020年1月8日水曜日

「日航123便 墜落の新事実」



著者は青山透子さん。
日本航空の客室乗務員(スチュワーデス)だった人である。
1985年8月12日の事故当日、
あの日、本当のところ、目撃者関係者たちには何が見えたのか。
彼女はそれらを掘り起こし、あらゆる角度から、公式のウソに反論した。
公式とはなにを指すのか、35年前の自衛隊、防衛庁、政府、在日米軍。
その公式の不自然なコメントに迎合した各メディア・・・。

 乗客乗員524名のうち生存者わずか4名。
未曽有の巨大ジャンボ機の墜落を「事故」ではなく「事件」だったと、
本書で彼女は調査した裏付けをもとに断定している。

 飛行機事故の原因をこんなにも、究明執筆できる力量は、
事実の隠蔽に手をかした権力側の高官たちには、恐ろしい脅威であろう。

200ページばかりの活字の大きな本だけれど、
この元スチュワーデスは、読み手の頭を混乱させずに、
膨大な資料を発掘し整理し、どこどこまでも殺人者を追いかけるのである。
・・・御巣鷹山の小学生と中学生の目撃の記録、横田基地への取材、
回答を得たアメリカ本土の空軍への質問状、などなど。
中曽根康弘(当時首相)の当日の動向、27年後に書かれた著書の中までも。

これは実に驚異的な 仕事である。
風化直前の「日航123便 墜落の新事実」すなわち過去の「大量殺人」を
絶対に許すまいとする一人のスチュワーデスの意志。
彼女が目撃証言をたんねんに追えば追うほど、本書のページからは、
失われた個々人の命に対する、書き手や目撃証人たちの悼みが表れて、
そういう感情こそ、かつて自分たち日本人が自然にそなえていた
人間の素質だったと、考えずにはいられなくなるのである。

「生命」とは、常に、だいじなものだということを。



2020年1月7日火曜日

寒いよ


江戸やで買い物
近隣で一番安いスーパーマーケットである

いいけど、冷蔵庫なみに、さ、寒い
 肉や魚や野菜にはよいだろうけれど、
寒くてたまらないから、レジのおじさんが心配になる
「ここ、さむいわよねえ」
すると、いがらっぽい声が、
「ああ、寒いよ」
緑色の上っ張りがちょっとふくらんで見える
「ホッカイロかなんか入れてる? 」
おじさんはすこし笑って
「なんにもそんなもん、入れてないさ」
それから、つけたした
「ただ、寒いなーと思って、ここにいるよ」
 なんかこう、返事が、いい
笑うとぼろぼろの白い歯が口の中から見えた
どこから働きにきているのだろう
家族がいるのかしら、大きな娘さんとか?

 ゆうぐれどき、
・・・江戸やで買い物の不幸なしあわせ。


2020年1月6日月曜日

ルドルフ・ヌレエフの伝記映画


長いDVDで、夜中までかかって見る。
「ホワイト・クロウ」
ヌレエフが主人公の、バレエ場面がいまいち。
 美男の若手ダンサーは優秀だが、カリスマ・ヌレエフの役となると苦しい。
これなら特定のバレリーナを追いかける記録映画の方が輝く。
 意欲的大作にはちがいなく、残念な気がした。
脚本と監督が、さすがなのに。

フランスのアニメーションと、リドリー・スコットの「ブラック・レイン」を
一日かかって、ずるずるとながめる。

夕方せかせか、自転車に乗って買い物に。
大根があんまりどっしり重たいので、三匹の犬を連れた奥さんをよけたら、
ぐらり、ぼっかーん っと大根が石畳の上に飛んで落ちた。
かわいそうに、というとおかしいが、いたましくも白い皮が擦りむけ、
大きなかけらが散らばって、大根には気の毒なことだった。
擬人化したくなるほど、どっしり重たい大根だったから、
つい同情して、うわっ、落っこちたぁと、金切り声をあげてしまった。


2020年1月5日日曜日

印象


朝日新聞を東京新聞にかえた。
なぜですかと、集配所の若い人がきく。
理由をききなさいと言われているのだろう。

東京新聞から朝日に変えたのは頼まれたからだった。
最初はおもしろく読んだ。
なにやら一流どころが話したり書いたり、
それが楽しいのである。
文化的という感じが。

3か月すぎて東京新聞にもどると、なぜかスッキリ。
貧者の一灯 、というむかしの言葉を再発見して。


2020年1月4日土曜日

童話の時代


ローラ・インガルス・ワイルダーは、
父ちゃんの奏でるヴァイオリンと歌の数々、建国の英雄たちの演説、
宣教師の聖書からの引用 を、いかに多用したか。
著作「シルバー湖のほとりで」(1939年)において。

父ちゃんが奏でる音楽は自由自在、ユーモラスでダンスつきだ。
陽気な恋、開拓時代のむこうみずな魂の輝き、大自然賛美のワクワク。
ロック誕生の、ブルースとの混合を、私などついつい未開の原野に 見てしまう。

英雄の演説を女の子たちが暗誦するページから、読者に届けられるのは、
荒野の脅威に立ち向かうインガルス一家の、敗北からの感動的脱却である。
熱狂的な朗読が開拓精神に気合いを入れるのだ。

そしてある思いがけない1日には、
開拓地に向かう途中の宣教師が、彼の温和で立派な祈祷によって、
人間なるものの未熟さを、確実に主人公に意識させる。

これらは言語の魔法である。
これら四重構造の言葉の魔法にかけられて、若い読者は思だろう。
こんなふうにロマンティックな心を携えて、ヒトの世を渡り歩きたいと。
私だって小さいころ、そう思っていた。

小さいころとは、いつだろう?
私の子ども部屋に「大草原の小さな家」や「長い冬」があったのは?
ローラ・インガルス・ワイルダーは1957年に亡くなっている。

今日の新聞で1月2日、
トランプ大統領の命令で、イラン精鋭部隊司令官が殺害されたと知った。
ニューヨーク・タイムズ(電子版)によれば、
イラクの首都バグダッドの国際空港で、米軍の無人機が車列をミサイル攻撃、
少なくとも3発の精密誘導弾を2台の車に撃ち込み、7人を殺害したのである。

200年がすぎるということは、なんて無惨なことだろうか。

汽車は世界を変える、と父ちゃんはローラに言った。150年も昔のことだ。
それが今では、
アメリカの「無人機」が、ヒトの国の空港にミサイルを撃ち込むのである。





2020年 1月3日


新年という言葉を、年賀状に書くと、すこしは嬉しい。
どうしてかしら。
私が自然となんの関係もない生き方をするせいだろうか。
去年は厄年だか大殺界だか、内向的になる一方で、
足を引き摺るような、 苦しい一年だった。

家はメタセコイヤの並木の上にあり、
へんな形の柿の木にコゲラがくる、渡り鳥もときどきキイキイと情報を交換、
 太陽だってちゃんと空にあり、雲も白かったり黒色だったり、
青空はかわいく澄んで、真っ青が金いろに変わりそうなほどきれい.
それなのに、私という個体は地球から取り残され、どうしてだか字が書けない。

ヘンだヘンだヘンだ、ヘンだけれど、
そのままにして、今年になって新年3日目が今日である。
うちの岩波少年文庫は紙が劣化して、ページを繰るとホロホロこわれる。
本を読むんじゃなくて年賀状を書きはじめた。
字を手で書かないと、馬鹿になるから。

よかった。
一日中、ピカソの絵ハガキに、賀状をいただいたお礼をたくさん書けて。