自分でもびっくりしたけど、一日中、本を読んでくらした。一日7冊。図書館から3冊借りられたので友人から教えられた2冊をまず読んだ。以前から気になっていた村木厚子さんに関する、というより日本の検察制度の恐ろしさと徹頭徹尾むかいあい、戦い、家族ぐるみ大勢の人たちに応援されて無罪をかちとり、一年数カ月の刑務所生活を経て職場復帰したひとの記述だ。
My Mother said that I never should play with the gypsies in the wood, The wood was dark; the grass was green; In came Sally with a tambourine. I went to the sea-no ship to get across; I paid ten shillings for a blind white horse; I up on his back and was off in a crack, Sally tell my Mother I shall never come back. -Songs of Mother Goose-
自分でもびっくりしたけど、一日中、本を読んでくらした。一日7冊。図書館から3冊借りられたので友人から教えられた2冊をまず読んだ。以前から気になっていた村木厚子さんに関する、というより日本の検察制度の恐ろしさと徹頭徹尾むかいあい、戦い、家族ぐるみ大勢の人たちに応援されて無罪をかちとり、一年数カ月の刑務所生活を経て職場復帰したひとの記述だ。
もう2月1日。びっくりしちゃう。原稿は2月でいいからと昨日みっちゃんが言ったから、ああそう助かった!と喜んだけど、次の日が2月だなんて思わなかった。じゃ、どう思っていたのだろう、なんとなく・・なんとなく2月の事を3月だと繰り越して(くりこしって変でも)誤解して、のんびりしていたのだ。のんきで幸福ねと思うべきかしら?
今朝は4時に起きて、庭のトリさん達に差別ごはんをまく。スズメが贔屓なんだけど、鳩の夫婦がきて、最近ではイジメコフという名まえのムクドリもきて、なかなかスズメに食事がとどかない。とにかく、ドリトル先生のところのロンドン・スズメのチープサイドに私としては食事を供給・・・というつじつまがあわない思い入ればっかりのエサ撒きだから、結果こころがひろくなるどころか、せまくなる一方で、ばっかみたいである。 まーいいさ。細かいことは考えない。老女としては。 イジメコフって20年以上もまえにつけた名前で、ほかの小鳥を迫害するからイジメコフ。べらんめいでいなせなチープサイドは、童話の中にしかいないスズメである。かといってスズメをぜひとも贔屓したいのは、ペテルブルグの痩せこけた雀が、遥が住んでいた通りの街に何羽も何羽もいて、あわれにも震えて痩せて、私の手におもいきってとまってパンをたべたからである。
いいじゃないの。と私はオランダに飛んでかえった娘に心のなかでいう・・・。いーい? あんたは小説を書く人でしょ。 あたしは童話よ。私とあんたはちがう人間なのよ。似てるといってもちがうわよ。
まー今日の私は、息子の朝食をつくりながら、お隣さんに申し訳けないけれど、7時半から洗濯をはじめて・・・かたわら病院に行く書類を整える。8時半に病院のバスに乗る。帰りは検査で両目の瞳孔が開いているから字もよめない。支払いの順番も、電光掲示板が読めないからだめだしクスリの順番もまるでわからない。でもなんとか、病院のバスがメタセコイヤ通りのうちの階段の下で止まってくれるから、グラグラしながらそこで降りる。
階段をのぼって家のまえ・・・、息子が仕事に出かけるところだった。にこにこして手を振って、仕事がタイヘンでも幸福なんだろうな、新しくきた上司にめぐまれて・・・。鍵かけないで行くからねぇーとか言ってる、これがないといい人なんだけどなーまったく。
入院中の憤慨の原点について
「入院のベテラン」が友だち。 彼は私に入院したら「タオル貸し放題」と言うのを申し込むといくらでも使えて便利ですよと注意してくれた。ご夫婦で手術の経験があるのだしごもっともと・・・手続きの際にAセットをと私は申告。Aセットの場合タオル貸し放題ときいていたからである。 ちなみにその時の受付で、あなたはBセットで大丈夫ですからと言われた。親切である。 この病院では、ⒶでもⒷでもタオル・シーツ類は要請に応じて無制限に貸し出すからという説明だった。
よかったと、私はBセットを申し込み、A級ではなくB級の患者になった。ⒶとⒷと、どこがちがうか。入院費が、ちがう。
ところが入院してみると、受付でそう説明され担当の看護婦さんから直接許可されているというのに、ハンコで押したように看護士達がタオルを2枚とか3枚しか渡してくれない。怠け者は総じてシミッタレである。自分のタオルでもないのに、病院のタオルなのに、なんだってあんなにケチるんだろうか?!
余談であるが、おおむかし、童話をかいてそれが出版されたとき、友達が出版記念会をひらいてくれた。北林谷栄さんが朗読してくださって、お祝いにヘンテコリンな挨拶というかお言葉を下さって?、会場のみんながおかしがってすごく笑った。この子は、おどろくような資質をもった人で、手錠をはめられたら足で蹴っ飛ばすかして戦う、足に鉄の玉と輪っかをくくりつけられたら口で、口に猿ぐつわをかまされれば、目玉で睨にらんででも、とにかくありとあらゆるやり方を遣ってがんばる人だと私はにらんでいます。
・・・大作家にも、国会議員にもならず、北林さんは、ふふんと笑うだろう。 はははは、私ってば病院のタオルだってさ、もう。
とみちゃん きのうやっと病院の苦情処理受付へ。 書類(病室でなぐり書きしたノート・一部始終を記録した)をわたして、事情を話し、異議申し立てをしました。対応したのは眼科の若いナースだったけど、 話が2階外科の看護士に及ぶと、立ちあがって、あの人については自分も施設長に申告、抗議したけど。あんまりだしあんな対応じゃ患者さんが可哀想だし。だけどなんの効果もなかったと、タメぐちになって怒ったわよ。ははは。 家に帰ったらさすがにつかれちゃって、いまごろ報告。私は元気よ。治り始めているみたい。ご心配かけました。
*ここで「書類」と書いたものは、病室に持ちこんだ薄いオレンジ色のノ—トである。 看護士の横着・横暴をそのまま 記録した文章だ。私は78才、当面の憤慨を正確に覚えていられるかどうか。老人ばかりの、あるいは気の弱い患者ばかりの病棟では、だからこそ、看護士の怠慢が図々しくはびこるのだろう。退院した翌日、私はお隣りの若奥さんにおねがいしてあの日ベッドの上で即刻記録した文章を彼女のパソコンに打ち込んでもらった。
なぜかって、これは私のため憤慨じゃないからだ。長年支払ってきた患者各自の保険料にたいする図々しい病院側の契約違反だからだ。
一生働いて、高額の保険料を支払い、いざ病気になると病室で冷淡きわまりない扱いをうける。こんなことってあるかしら、ばかばかしい。なんでみんなが憤慨しないのか、さっぱりわからない。ふだん病院のお世話にならないので、わたしの保険料は何十年もただ払い同然である。でもそれはいい。相互扶助だというならしかたがないのかも。
だけど。こんなのはいやだ。
退院後一週間たって、病後の診断を受けに病院に行ったとき、手書きしたノートと、隣人がつくってくれたノートの「印刷した写し」を私は病院に提出した。病院には苦情処理機関が設けられている。そこに異議申し立てをしたのである。
*2 するとですね。
なんと別の看護士がきてくれて、ぼく、もう一度消灯まえにきて、と言いながら体温と血圧をはかりだしたの。ルーティンワークなのよ。なんだべつの感じがよい看護士だっているわけか。 そうしたらね、 瀕死みたいなむこうのベッドの患者さんが、ろくに返事もしなかったのに、ちょっとイキイキこんどの彼にはこたえている。わたしはその人から共感の合図をうけとったのよね、遠回しだけどたしかな応援を。こんどの看護士は20時半に約束どおりきて、右目の処置をしてくれました。
またもフンガイ通信の写し。上記の短文がそれである。
病院の現状にくわしいトミちゃんにあてた上記のメールは、いま読むと、ああ、あの時は苦戦したと、すっごく歯がゆい。用事をたのみたくて自力でナースステーションにソロソロ歩いて行くのだが、そこにはなんの表示もなかった。・・・あってもわからなかったんだろうか? そうかもしれない。なにしろ目を手術して入院したばかりだ。夜勤の看護士が何人いて、なんという名まえの人が自分の病室に配置されているのか、「受付」では看護婦だろうと看護士だろうと患者が「自分の用事」でいくと木で鼻をくくったような態度しかしない。私は、看護士に「ぼくですけど」といわれて「看護士はぼくだけです」と言われたと思ったんだけど。エーッ、ほかにも看護士は居たんじゃいたんじゃないの!
あのとき、どうしたっけ? ふたりの重病人にかかりっきりのナースのジャマにならないように自分のことはぜんぶ自分でやろうと私は決心した・・・。
なぜかというと、この昼と夜の担当看護婦は、眼の手術をした私のいる病室の受け持ちだから、私のことも気にする。私はこの人たちがすごく好きだった。一生懸命だからだ。ヒマな?ときはひまな顔をしてゆっくり、みたいにしてくれる。 でも内臓の手術を待つスゴイ患者さんがふたりも来た私の病室って・・・絶え間なく、夜は夜、昼は昼で15分おきぐらいに、痛い痛い痛い痛いとベルが鳴る。そうすると夜も昼も、確実にふたりのうちのどっちかが即座にフッ飛んでくる。もちろん私だって目がさめるベルが鳴るんだから! さいしょ私はビックリしてあきれちゃったんだけど、どう考えたって、あっちのベッドとこっちのベッドにいる病人ふたりは、もう痛くって痛くってどうしようもないわけでしょ我慢もへったくれもなくね。
きいていると、すっ飛んできた看護婦は、どっちもただ病人ふたりを慰めて手当をしているだけじゃない、断固として病院側の治療方針をはなしてきかせてゆずらないでいるのだ。痛みの先の見通しはこうだときっぱり・・・。 ベテランってどういうエイゴの略なんだろうか。最上の走者かしら。もちろんいたくてたまらないから、病人はなにをいわれても聴く耳なんかもてないだろう、それで何分かたつと、また痛い痛いと痛いと呼び出しのベルがギャンギャン・・・そういう壮絶。
夜と昼の看護婦さんに私は自分の事はぜんぶ自分でやりたいと頼んだ。かまわず吹っ飛んできてちょうだい、もう私におかまいなくということだ。眼科の患者は内科の患者より位がずっとひくいという自己認識・・・痛ッタイ(ん)ダロウナ—と思うっきゃない病室。
でもねー。吹っ飛んでくるのはこの優秀な2人だけで、あとのスタッフは廊下でさりげなく時間稼ぎをしている。もったいぶって話なんかしている。どこでもおんなじ。
*➂退院
きのうの朝、からだを拭く熱いタオルが2枚だけ運ばれてきました。まるで足りないのであと3枚下さいと言いにナース・ステーションへ。 「寝汗がひどいので そうしてもらっているんですけど。」 無表情なナースは私がそう頼むと、今日はおふろだと。そんなこと聞いてないしおふろは午後でしょと、口に出さないけど思う。 そこへゆうべの夜勤の男がやってきて迷惑そうに、好きにしてもらったらいいよと。 二人は不満もあらわにタオルを私にくれました。 私ね、あとで使用済みタオルとシーツを返却しにいって「あなたが家に仕事からもどった時、2枚の濡れタオルで身体全体を拭いてみて」といって、ナースをこわがらせたの。 ニコニコしながらよ。ーアッという顔したから理解したのね。 できっこないもん。髪の毛と顔と手を拭くのがやっとよね。
おこってるんじゃないわよ、誤解しないでね、判ってもらいたいだけなのよ。
でもさぁ、さっきからあなたはずっとニコリともしないわよね? 私たち患者からみるとそれってやっぱりこわいのよ。 年寄りで病気、わたしの部屋なんか、痛くてものも言えない食べられない人がふたりいるわけでしょ。 ニコニコしなくてもいいけど。でも。やわらかい親切な顔してなきゃだめだとおもわない? くちをきける時なんでも言いやすいように。だってさ、あっちはモノも言えないほど痛いんでしょ今は。 さっきのあの男の看護士については鈴木先生に報告すると昨夜いったから彼に。あんまり失礼だから。 あなたはまだ若いし、緊張してるだけなのかもしれない。 でもあの人はちがう。論外よ。ジョーダンじゃないわよまったく。(わたしってこわかったと思うわよねー彼女だって) つぎに廊下でばったりあったら、ビビッてお辞儀なんかした・・・あーあ。 いまは考えをかえて、医務室まで送迎してもらうときなんか笑顔よ。仕事上、彼女は私を車椅子で一階まで「送迎」しなけりゃいけないの、私って歩けるんだけど、けんかできるんだけど、目が見えないからね。やっと入院に慣れたら退院。 おかげさま休んだ、健が仕事なので萱野さんが迎えにきてくれる、それでとても安心です。
(いま思うと入院した時は夏だった。)
竹内さんに電話したら「とにかく眠ってください」ということだから、一日中眠っている。もう限界だからただもう眠る、ヨコになって直ちに眠ってしまう。本も読まない。
眼底出血を起こして手術をし、入院生活をしていた時、私はひとりの看護士の態度がものすごくシャクにさわって、うちの朗読のクラスのトミちゃんに、じゃかすか、なにがおきたかメールで言いつけた。目が見えてないくせにそういうメールは作れちゃうから不思議だ。トミタさんはとてつもなく響く大声で「久保さんは闘わなきゃだめっ!」と断言する。・・・そうなんだろうなぁと思うから、私は手術後で目なんかろくに見えもしないのに、彼女に病室からぶんむくれた通信を送った。今日は頭が空っぽでなんにも思いつかないので、私の憤慨通信その①を読んでみてください。
*① 病院からの通信
看護士おとこよ。まるでお医者さんみたいに、2人の手術まえの病人の手当にくる。 わたしが、右目が痛むのでつい呼び止めたら、迷惑そうにする。昼間勤務の看護士さんに薬を入れてもらったところが痛むけれど 夜間はどなたに相談すればと聞くと 「僕ですけど」。自己紹介もしない。ベッドのそばにも来ない。通路に立ったきり知らん顔を謝らないし、「どうしたらいいですか?」と彼が手術後の私に質問する。 あなたはどうお考えですか、だって専門家はあなたで、わたしは判断できないからあなたにうかがってるわけでしょう? なーんて言っても「だからどうしたらいいですか?!」の一点張り。看護士って介護士より給料がずっと高いからこうも上から目線なのかな。 「とりあえずしらべますか?」と質問一点張りなので、 結構ですっ明日鈴木先生に直接ききますからと言い返した。そうしたら「ああそうですか」だって。 まーよかった。夜中に汗びっしょりになっても、タオルもパジャマもあるから。
*
読んでくださってもサッパリ事情がわからないかもしれない。ところがトミちゃんにはわかる。どうしてかってトミちゃんは介護士だから。
銀行に行って、これから二ヶ月はもたせたい金額をひきだす。やれやれ、あっちに行ったりこっちでやりなおしたり、間違えてばっかりでたいへんだ。私の銀行は遠い。すごく歩かなくちゃならない。風は冷たいし買い物荷物が重たくて・・・。てくてく歩く帰り道、白髪の小柄なおばあさんがダイソーの前で娘さんに物凄い叱られ方をしている。自分で買い物の計算をしない、できないことがあんなにもヒト眼なんかまるで気にしない怒鳴り声をよぶなんて。
私は、あたまにきちゃったけど、こわいしおせっかいをする気になれない。おばあさんにはおばあさんの過去というものがあり、その過去がこの中年の娘の非情をうんだのだろうとおもうからである・・・。じぶんにも身におぼえのあることだ。・・・本当ならだれかが、よしなさいといえばよいわけだが、北風びゅうびゅう、歩行中の見知らぬ女性と顔を見合わせ「困っちゃったわよねえ」と苦笑いするばっかりで、もう・・・。
最近、オトコは老いも若きも子守か犬の散歩だし。
私には相談する人が何人かいる。幼稚園をクビになった時、がんばらないでアッサリやめたのは友人たちがみんな(おたがいは知りあいじゃないのに)辞めてしまえという意見だったからだった。私は自分にあんまり判断力があると思わないので、よく判らない場合、合議制ということにする。小学校の友だちのみっちゃん、中学校時代の自分、高校の友人で児童演劇団体所属のひと、大学の友人で保母さん、それから病気でやめた先々代の園長さんだったひと。彼女に相談したら彼女はあきれてこういった。「あなたね、全国保育問題研究集会で、私はあなたからもう辞めろといわれて幼稚園を辞めたのよ!?」 ははははそうかも。でも病気だったじゃないの、あのままだったらあなたは病気がもっともっと悪くなってたじゃない。 あとのひとりはうちにいる健である。
べつべつに電話してみんなに相談。やめろとみんなが言うので、自分じゃ自分のことがいまいちよくわからない時だったから、ホッとして勝ち目のない戦場から撤退した。私は幼稚園の親と子どもがとてもすきだったからそれだけはホントに悔しくて心残りだった。しかし、たとえそうでも、クビになってバカバカしいし腹もたったけれど。もともと幼稚園で働こうと思って生まれたわけじゃなし、生活費に困った時に急にできた働き口だったから、500万円の就職口だったから、就職したのである。私みたいな子どもが好きなヒトはあんまりいないぞー・・・と思ったんだけど、ま、いいか。
とついカンケイのないことを書いてしまったけれど・・・私にはそのほかに健康相談をする人がいる。沖縄人の竹内さんで、心配になるといつも私は彼女に電話する。昨日今日と体調はどん底。やっと生きているみたいな気がするので電話して、どうにか気分をたてなおし、眠ればいい眠ればいいんだ起きなきゃいいんだとひたすら納得、けっこう立ち直ったところである。
きのうから私の体力はどん底になった。文字通り、歯をくいしばって買い物に行き、あれこれ8000歩以上もあるき野菜なんか買って、いくらなんでも・・・帰宅はバスだ。ところが・・・そのバスがなかなか来ない。10分おきに来て私たちを乗せて走ってくれる有り難い神奈川中央交通のバスなのに、随分待って、バスを待つ行列が長く長くなった。どうしたんだろうと思うけれど、だまっているしかない。口をきくなという命令が市中に貼りめぐらされているからだ。たぶん、乗客のだれかが運転手にいちゃもんをつけてと想像するわけだが誰もなんにも言わない。・・・長い行列がただ投げやりな沈黙のうちにある。
カミュの「ペスト」を読みたいなと、あてもなくバスを待ちながら私は考える。街はたそがれから暗闇にかわり、やっと帰宅すると6時半にもなっている。健の帰宅まで2時間。歯をくいしばって3階までいき屋上の洗濯物を取り込み、ストーブをつけて衣類をあたためて乾かし、ごはんを炊き、あらかじめ解凍しておいたタラのみそ漬けをまえに思案なげくび。遥の帰国にあわせて買っておいた北海道の海産物・・・いっそ外食、と思うけれどいま息子には帰宅後もう一度出かける体力がない。
さて、次の日の今日になって、私ときたらきのうの晩ご飯のお惣菜の名まえがどうしても思い出せないでいる‼ 用意はちゃんとしたけど・・・うーんと。広辞苑で「厚揚げ」をさがせば「厚揚げ」は「生揚げ」のことだとわかり「生揚げ」はナマを揚げたんだろうからと思い、どだい広辞苑の字がよく読めないじぶんの視力にこまり、けっきょく台所まで行って昨日のレシートを探す。生きるってなんてタイヘンなんだろうか、と思って、だっからこそ「ペスト」を読まなきゃとそこに考えがもどる。レシートには・・「あげてん玉ねぎ」とあって231円、むかしだったらこれなんか31円だったんじゃないの。1枚231円。少し大きめにきって炒めたヨコに絹さやを一袋ぜんぶ軽く炒めておいた。私は絹さや大好き。それがどういうわけかきのうは特売だった。
アイルランドの映画、炭鉱労働者が失業してストリップのダンサーになって、というような。なんというタイトルだったか、母さんも観たよねと息子が言う。たしかに感心して2回ぐらいは観たかしら。あれ、いま見ると全然良くないよと健が言った。あれ、なんていう映画だっけ?
あんたが思い出せないものをなんで私が思い出せるのよ。そこでまた、わたしの考えはふらふらとカミュの「ペスト」にもどる。カミュの「ペスト」のことは、まさかもうダメだとはおもわないでしょ? 親子だって40も年齢差があれば考えがちがうことが多い。さて本棚のどこにあったかしら。こんなことしてこんな本読んでいて、大丈夫なんだろうか。ある日ぷっつんと死んじゃったら? まーいいじゃないの、だってどうしようもないじゃないのと自分をなだめたりしてみる毎日だ。
昨夜、夜の12時までガンバッたけれども、パソコンの画面が英字になったまま動かない。仕方がないので行替えをあきらめて(わたしは行替え大臣だ)、昨日のぶんをここにずらずらずらずら並べることにした。
英字は健がなんとか日本語にかえてくれたからいいけど、途中でウッカリすると、かくのごとく、一行、空白ができてしまう。一行空白も、よく使う手なのでこれはいいけど、まーこまっちゃって誰か助けてくれないかなと思う。そうすると籠浦さんの顔やら横山さんの顔やら声が頭にうかんじゃって、考えてみればそういう境遇なんだから幸せだ。
ワープロで作文していたころはしあわせだったと思う。
なぜ日本は勝手にワードプロセッサーを廃止したのか。儲け儲け儲けのためか、ヒトの独立や秘密を限りなく侵害するためか。パーソナルコンピューターは限りなく選択の自由を侵害するものだ。うちのパソコンは日々勝手放題に手をつけられ変えられて、パーソナルのかけらもない。パーソナルって個人用というエイゴじゃんか。