2022年1月26日水曜日

眠る。病院からの通信➃ 

 

とみちゃん きのうやっと病院の苦情処理受付へ。 書類(病室でなぐり書きしたノート・一部始終を記録した)をわたして、事情を話し、異議申し立てをしました。対応したのは眼科の若いナースだったけど、 話が2階外科の看護士に及ぶと、立ちあがって、あの人については自分も施設長に申告、抗議したけど。あんまりだしあんな対応じゃ患者さんが可哀想だし。だけどなんの効果もなかったと、タメぐちになって怒ったわよ。ははは。 家に帰ったらさすがにつかれちゃって、いまごろ報告。私は元気よ。治り始めているみたい。ご心配かけました。


*ここで「書類」と書いたものは、病室に持ちこんだ薄いオレンジ色のノ—トである。   看護士の横着・横暴をそのまま 記録した文章だ。私は78才、当面の憤慨を正確に覚えていられるかどうか。老人ばかりの、あるいは気の弱い患者ばかりの病棟では、だからこそ、看護士の怠慢が図々しくはびこるのだろう。退院した翌日、私はお隣りの若奥さんにおねがいしてあの日ベッドの上で即刻記録した文章を彼女のパソコンに打ち込んでもらった。

なぜかって、これは私のため憤慨じゃないからだ。長年支払ってきた患者各自の保険料にたいする図々しい病院側の契約違反だからだ。

一生働いて、高額の保険料を支払い、いざ病気になると病室で冷淡きわまりない扱いをうける。こんなことってあるかしら、ばかばかしい。なんでみんなが憤慨しないのか、さっぱりわからない。ふだん病院のお世話にならないので、わたしの保険料は何十年もただ払い同然である。でもそれはいい。相互扶助だというならしかたがないのかも。

だけど。こんなのはいやだ。

退院後一週間たって、病後の診断を受けに病院に行ったとき、手書きしたノートと、隣人がつくってくれたノートの「印刷した写し」を私は病院に提出した。病院には苦情処理機関が設けられている。そこに異議申し立てをしたのである。