2021年6月13日日曜日

ユネスコ実験学校の子ども➋

ギム教育って有り難い。字を読む。字を書く。人間関係を作れる。
9年の勉強が子ども時代の、日本の子どもの義務である。
東京という大都会で、しかも母親が経済の中心であれば、
子どもを絶対に野放しになんかできない。不良少年になるだろう。
私は子どもたちのそばにいたかったが、学校に頼むのがベンリだった。

しかしギムとはなんだろう?
その時はよく考える時間も能力もなかったけれど、
私は自分の義務教育時代を思い出し、自分を「子ども観」の基準にした。
若い親ってそうだ。 なんとなく自分の経験知のなかで考える。
だからうちは、ユネスコ実験学校の基準でということになった。

日本の、15年も続いた戦争の時代が終わって、
私の親が一人っ子の私を連れて行った先は、私立の和光学園である。
ぼろぼろガタガタの学校だけど、そのうちユネスコ実験学校になった。
いいんだかわるいんだか児童中心主義。先生は全然いばらないし、いばれない。
子どもがしたいようにする、そんな感じのオンボロ小学校である。

なんだかタガが外れたような、時間割も子どもがきめるみたいな。
ヘンだと思って「世田谷区立」みたいな普通の学校に通いたかった。
でも中学校ができたから中学も和光、私はとうとう9年間を和光ですごした。
ちいさな学校で、中学が出来ても高校が出来ても、みんないっしょ。
運動会も学芸会も、卒業式だって、家族みんなと集まっていっしょにやる・・・。

子どもは誰でも、自分に与えられたカンキョウが嫌いなんじゃない?
どこをどう振り返っても、苦しい夏で、苦しい冬で、
私は不幸という不幸が自分めがけて殺到してくるような気がしていた。
意地悪な閻魔大王が自分をつけ狙って離れてくれないという、思いこみ。
となりの席には、小さかったみっちゃんが腰かけていたというのに。


2021年6月12日土曜日

ユネスコ実験学校の子ども❶

息子といっしょに、所沢市の病院へ。
なぜかといえば、離婚したもと夫が緊急入院したと、彼の入居施設から、
長男と二男に知らせがあったからだった。
5万円を直ちに病院窓口に届けよということだった。
( 現在の私は二男とくらしている。)

同行して、自己紹介をして、
主治医の女センセイと息子の面談に自分も同席。
❔ これってなんでかなーと。
30年ぐらいまえにさんざん苦労して離別。
別れてから一度も会わないできたというのに。

長男はパン屋。
長女はオランダで仕事
次男は私と同居で就職後2か月半の介護職。
いまのところ私以外に病院と普通に連絡できる者がいない。
そういう事情だからだ。

病院からもどる長い時間、
運転席にいる二男について考えた。
それぞれの子にはそれぞれの運命と気質と仕事がある。
父親のその後と母親のその後が、末っ子の背負う荷物になるのは、
なぜだろうということだってある。

いまや私たちはみんな、平等におとな、なので。

ずーっと過去をたぐりよせて考えてみると、
二男の運命を決めたのは、彼が小学生の時だったなという気がする。
その時、この子は皆勤賞の、欠席ナシの坊やだった。
それなのに、この私は大地震がくるという風評予言にのって、
学校を休ませ、友人一家と長野県に逃げたのだった、半分は冗談で。

その体験が彼にとって辛かったかどうかよく知らない。
ぽくぽくと、無表情な彼は、年長の私達みんなと歩いたり遊んだりした。
この母親といるかぎり、学校の規則は,ときどき無視される、
学校なんてその程度のものだと、小さかったこの子が思ったのかどうか、
それはよくわからない。

私はそのころ成績の良し悪しで顔色をかえて怒る自分がおぞましく、
いっそ成績表なんか見ないと決めてしまった。
行動の記録、みたいなところだけに一応反応し、
親からのコメントを先生あてに書いた。
子どもの頭の良し悪しは、私が自分で考えるし責任を持つつもりだった。

でも学校には絶対に通ってもらうわよ、と私は子どもをにらみつけた。
学校に行かないで、歌舞伎町をふらふらするなんてことは認めない、
お母さんにはあなた達をさがす時間がない。
あなた達にもしなにかあったら、私は死ぬから。
そんなことを言うなんて、私たちは母子家庭になっていたのだ、きっと。




家賃を払う

家賃とつい言ってしまうが、税金のことだ。
固定資産税と都市計画税を、ずっと払ってきた。
途中で払えなくなったらどうしようという恐怖感があるので、
請求書がくると、とりあえず一年分を一度に払う。
不定期収入の自分が、分割払いに耐えられる気がしないのだ。

あーあ、それにしてもやっと時間ができて、今日、私は税金を払う。

てくてくと歩いて、坂を上り坂を下って、公園の脇道を抜け、
花をながめたり樹木をながめたり、
ウグイスはこっちにきていたのかと思ったり。
夏日突入なのかしらと、そよ風に吹かれながら考える。
夏になったからウグイスはうちの前の土手の樹木を見捨てたのかしら。

てくてくてくてく。
ほかになんの用事もないのがばかばかしい。
コンビニエンスストアで預金をおろし、コンビニエンスストアで
税金をはらう。
あじけないってこれだ。
交番のヨコの郵便局だと税金を払う時、すこしは風情がちがうかしら。
いやいや、ここには木で鼻をくくったような、
局長さんもお手上げのいばった男の人が窓口にいたっけ。

駅前のケーキ屋さんで200円のケーキを5個かう。
そうでもしないと、あんまり殺風景な3240歩・・・。
またてくてくてくてく。
税金投入と、200円のケーキ5個。
ばっかみたいだけど、
いささかの、とてつもない平和・・・。

 

2021年6月10日木曜日

その後

 
「風をみる」とタイトルをうったっきり、
いままでなにをしていたろう?
おかしなことに、風を見ていることが、多かった。

時間が行ってしまう、過ぎてしまう
(介護施設の勤務時間の上下にふりまわされて)
明けがたはごはんの支度 洗濯は洗濯機がするけれど、
階段をのぼっておりて、のぼっておりて、
干して、取り込んで、たたんで、しまって、
ときどき、椅子に座って、木々をゆらす風を見るのだ。
もう毎日、毎日、
そんな毎日の腫れ上がったような痛い時間。

そういう日々には、
格子戸の牢屋にかこまれたような、「奇妙な時」が流れる。
樹木の小枝がつくるスキマは、巨人の大目玉のようだ、
あっちの木と、こっちの木に、それからむこうにも、
目玉は二か所か三か所できて、濃緑の葉の隙間から 
空の、蒼い青い冷淡なまなざしの色して、
ただもう狙っている、睨んでいる。
茫然と座っている、おかしな、奇妙な、熱っぽくて、干からびた、
今では家事しかできなくなったヘンてこりんな、私、を。

私は、風が吹くのを見てゐる。

それから立ち上がって、
ばかにしたように、すこし笑う。
そのひとりぼっちで笑う顔がやさしいように、
にがわらいでいいから、どこか優しい気質のものであるようにと
それもやっぱり苦が笑いをしながら考える。
これから掃除、これから買い物、それからごはんの支度、
「家事」かんけいの言葉しか一日の計画の中に入れられないので、
どうしても私は、
なんだか自分が立ち直れない古い丸パンみたいな気になって、
よし、と私をにらむ樹の目玉を置き去りに、
・・・時刻表めがけて突入するばかりなのである。

合言葉?
「みんなそうよね!」っていうんじゃない?