2021年6月12日土曜日

ユネスコ実験学校の子ども❶

息子といっしょに、所沢市の病院へ。
なぜかといえば、離婚したもと夫が緊急入院したと、彼の入居施設から、
長男と二男に知らせがあったからだった。
5万円を直ちに病院窓口に届けよということだった。
( 現在の私は二男とくらしている。)

同行して、自己紹介をして、
主治医の女センセイと息子の面談に自分も同席。
❔ これってなんでかなーと。
30年ぐらいまえにさんざん苦労して離別。
別れてから一度も会わないできたというのに。

長男はパン屋。
長女はオランダで仕事
次男は私と同居で就職後2か月半の介護職。
いまのところ私以外に病院と普通に連絡できる者がいない。
そういう事情だからだ。

病院からもどる長い時間、
運転席にいる二男について考えた。
それぞれの子にはそれぞれの運命と気質と仕事がある。
父親のその後と母親のその後が、末っ子の背負う荷物になるのは、
なぜだろうということだってある。

いまや私たちはみんな、平等におとな、なので。

ずーっと過去をたぐりよせて考えてみると、
二男の運命を決めたのは、彼が小学生の時だったなという気がする。
その時、この子は皆勤賞の、欠席ナシの坊やだった。
それなのに、この私は大地震がくるという風評予言にのって、
学校を休ませ、友人一家と長野県に逃げたのだった、半分は冗談で。

その体験が彼にとって辛かったかどうかよく知らない。
ぽくぽくと、無表情な彼は、年長の私達みんなと歩いたり遊んだりした。
この母親といるかぎり、学校の規則は,ときどき無視される、
学校なんてその程度のものだと、小さかったこの子が思ったのかどうか、
それはよくわからない。

私はそのころ成績の良し悪しで顔色をかえて怒る自分がおぞましく、
いっそ成績表なんか見ないと決めてしまった。
行動の記録、みたいなところだけに一応反応し、
親からのコメントを先生あてに書いた。
子どもの頭の良し悪しは、私が自分で考えるし責任を持つつもりだった。

でも学校には絶対に通ってもらうわよ、と私は子どもをにらみつけた。
学校に行かないで、歌舞伎町をふらふらするなんてことは認めない、
お母さんにはあなた達をさがす時間がない。
あなた達にもしなにかあったら、私は死ぬから。
そんなことを言うなんて、私たちは母子家庭になっていたのだ、きっと。