2020年11月26日木曜日

不安というかたち


図書館のあるはずが、そこは西落合中学校で、どうしてそんなと、
わけがわからない。
こまって、そこを通り過ぎたばかりの年配の女性ふたりに話しかける。
図書館本館はいったいどこにあるんでしょうか、と尋ねる。
すぐにふたりは、ご案内してさしあげますよと、逆方向に。
ひとりでさがせるといくらお断りしても、いいんですよと言う。
「私たちはただ運動だと思って歩いてるだけなんですから」
みんなマスク、サハラ砂漠なみだ。
風がピュウっと吹いて、すぐ寒くなる、そして歩けばすぐ暑くなる。
草木の生い茂る美しい遊歩道を、二人に案内されて三人で歩いた。

なかなか図書館に着かない。遠くて、遠くて変だ、宮沢賢治の童話みたい、
すぐ図書館に着きそうなのに、ぐるーっとまーるく、いつまでも歩く。
私はなんだかそれを不思議におもったけれど、
「遠回りしてるから遠いのよね」
仲良しふたりは、うなづきあって朗らかだ。

おそらくここいらへんのどこか、あっちの棟とこっちの棟に住んで、
ひとりは夫を亡くして独りぐらし。もうひとりはご主人とふたり暮らし。

私たちはみんな同じような年まわりのようだ。
それで世間話としては、いかにこの頃じぶんはボケたかという話になる。
独りの方はパズル三昧であり、こういう人を私は三人も知っている。
パズルおよび川柳投稿は、コロナ下一人ぐらしの老女の流行りである。

でも、おじいさんとおばあさんの夫婦ふたりぐらしだと・・・。

ある日、台所の棚に未開封のヘアスプレーがのっていたのである。
そばには小窓があって、そのスプレーにすぐ手が届く距離。
見覚えのないスプレーは、なぜか三日前からそこにあった。
自分は買わない。主人もヘア―スプレーなんかゼッタイ、髪の毛もないし。
いったいなんで、だれが、わざわざそんなことしたのかしらと気味が悪いし
怖くてかえって捨てられない。
あと二日ぐらい考えてみて、主人に捨ててもらいます、というのである。
窓から誰かが手を入れて爆発させたらと本気で脅えている。

私がはとてもビックリした。
うわあイヤだわ、うす気味わるいわねと、
もうひとりの人がまぎれもなく本気で悲鳴をあげたからである。
「戸締りは? ちゃんと窓に鍵かけたの!?」
「もちろん。うちの小窓はちょっと高いところにあるから主人が」
殺虫剤とヘア―スプレーとか。
なにかと間違えて、ということとはちがうという。

だれが、こんなに平和そう親切そうな人を脅かすというのか?
彼女たちは、どうしてそんなに怖いのか。
それとも、いま世の中はそんなに怖いことになっているのだろうか?
見知らぬ誰かが、台所の小窓に手をさしこんスプレーを爆発させる。
そういう漠然とした悪意・・・。


2020年11月24日火曜日

月曜日

なんにもしなかった。

ドナルド・トランプの自伝を読んでいる。
一歩も外にでない。
新聞を取りにいく以外は。
ぜんぜん疲れてはいないけれど。
新聞と本。

お昼ご飯は、食パンのサンドイッチ。
インド料理屋さんから食べきれず持って帰った混ぜご飯。
きのうの地震は外を歩いている時間に起きたらしく、
予言?したわりに、自分は知らなくて。
こわいなーと思う。
こわいなーと思っても、避けようもない。
それがもっとこわい。

なんて不安な。




みんなで遠足

朗読の発表会をやるはずだった日に、みんなで神代植物公園に行った。
なんて月日が飛ぶように過ぎることだろう。
一日の半分を半午睡、こんなことばってあったかしら、大規模修繕で
室内に閉じ込められているので、
よくわからないうちに今日という時がきてしまった、ーあっというまに。
幼稚園の遠足の時のような。そこから恐怖と不安を除いたような。
私はいつも子どもの時、遠足がきらいだった。
遠足も、運動会も、学芸会も、苦しくて悲しかった。
年をとるということは、苦痛が引き算のように消えることで、
みんなと過ごす時間が、とっても、のびのびとしておだやかだ。

花のない桜の古木。砂利とそれから湿って黒い土の道。
冬はたかい木の梢がいいなと思う。小鳥や鴉がおなじ大きくて平和な空間にいる。
樹木の彼方は青い冬風の飛ぶ大空で、そこは太陽の輝く秋晴れ。
歩けば冷たい風が吹く、おひさまはきらきら、ベンチをみつければ温かいのだ。

懐かしい広大な枯れてワラの色した芝生、巨大なパンパスグラス。

・・・みんなで、ばらばらと歩くのは、楽しいことなのね。
たぶん、すこしづつ自分の趣味やこだわりや生きがいを、仲間にゆずる、
そういう・・・それぞれが失う時間が、遠足をステキにしているのかもしれない。
合計がしあわせを創り出すのだ。
こどもだと、そうはいかない。
こどもだと、不幸なのだ。

帰りのクルマの中で、不思議なことが起こった。
おもたく黒々とした横雲がクルマの前方の空にあるので、
その存在感があまりに重たいものだったので、地震になりそうと言ったら、
夜、ほんとうに地震がきた。
デヴォラ・ディスノーの話もしたら、もう何年もあっていないのに、
携帯電話にデヴォラさんから、夜、お元気ですかと送信されていた。
彼女はアメリカ人で、ずーっと前から深大寺の一軒家に住んでいる・・・。



2020年11月21日土曜日

まにあわない!

だめだ、なんとかして書こうとしたけど時間が無い!
豊ヶ丘図書館に10時までいかなくちゃ。
クルマはない。自転車はたぶん空気が入ってない。
歩きで、リュックサックで、
新書を読む会のあつまりの今日の課題が「童話」で、
それが読んでなくて、
借りた本を返さなくちゃならず、
期限が切れた図書館の本が見つからず。
おーい、トランプくん、
(トランプ大統領の伝記!)
いないの、いるの!?



2020年11月19日木曜日

深夜


夜風の音を聞いた。西風がどこかでZ型に東へと進路を変えるヘンな日。

朝からすこし暑くそのくせ私は寒い、血が私から撤退しはじめているらしく
どうしても温まらない。
オーバーを着こんで、そうすると汗をかいて 、暑いけれど寒いわけで。
寒気というものは、私の場合、いまや自然の冬からやってくるのではなく、
しもばしらという「霜柱」そっくりのなにかが自分の身に発生したわけである。
こういうものにヒトは勝てるのだろうか?

大橋Mr.のお向かいに腰かけてお話をきいていると、
心配と不安が遠ざかって、私はのんびり空想しはじめる。
いまでは現実は綿菓子のようにさだかではないもの、
全てをちいさくちいさく乗り越えて、と。
そんなふうに思うからには、そんなふうになるかもね、とか。

老人社会だというけれど、
どこへ行ってもみんながそうだということは、温かいことでもある。
はははは。だって今日の私って、午前中老人会で午後大橋家だったのよ?!
夜風がさっきから、ブイブイ、旅の音をたてている。
どこにいくのか知らないし、ずっとうちの前にいるのかもしれないし。

あのね、今日はいい日だったし、傷つかない日だったのよ。
           
     
    追記  今日こそ忘れものをしないぞとかたく決心していたのに、
        帰宅すると覚え書きした紙がみつからない。
        代わりに大橋杖代さんが手渡してくれたメモがでてきた。
        「小説となりのトトロ」を贈ってくださる方々の人名。
        あーあ、手元ごちゃごちゃ。
        自分の「なぐり書き」の方を杖代さんに渡して、
        彼女のメモを返さず、Mr.からいただいた本といっしょに
        家に帰ってきちゃった・・・。



        

2020年11月18日水曜日

日も暮れよ

きのう寝たのがあけがたの4時だったので、
どうも、私の黒いセーターの破れ目みたいに、オンボロな時が過ぎる。
3時間ねむって、目が覚める。
起きはしたけれど、気がつくとソファでまたねむっているのだ。
昼間なのに、眠くはないのに。

夕方、暗くなってから、買い物にでかけた。
宵闇のむこうを、もはや影になった子どもたちが、走っていく。
にぎやかな声が坂道をのぼる私のところまでとどく。
そういう夕方は、とても冬らしくて、
ひとり歩く時間が友だちのようだ。

大きな樹の下いっぱいの枯葉、大空には不安な雲、
橋の下の道路をまがりくねって自動車がどこかへと急ぐ。
行きかうこの街の人々も、不意に聴こえた若い声の切れ端も、
あたたかく、すぐさまむこうへと遠ざかってしまう。
そうやって時間がすぎた。


 

2020年11月17日火曜日

すぎゆく秋の1日


洗濯物を乾かすことで日が暮れた。

家の北側には昨日も今日もおとといも、
クリーム色のペンキ?を壁面に刷毛で塗る人がやぐらの上にいる。
作業着がくたくたにくたびれて、泥とペンキだらけ。
どの人もあたまに巻いた手拭が汚れて、マスクなんか顎の下だ、
規則通りやっていたら働けない、息だってつけないだろう。

シンナーがものすごく匂うから、窓もドアもきびしく封印されている。

こんな作業を何人もの人がやっていて、よく見れば苦しい顔である。
なんて過酷な仕事だろうか。こんな毒々しい作業をして、
休憩や健康被害防止手当は保証されているのだろうか。
こんな労働を長時間やって当然みたいな。
いや、まさかそんなことでも無いのだろうか。

私が小さかったかったころ、両親が建てた家はすごく小さな木の家だった。
職人さんがペンキを床に塗っていたけど、気にならなかった。
いい匂いだという気がしてそばにいたりした。ニスのにおいがお気に入りだった。
住宅金融公庫で借金をして建てたという家。
ながいあいだかかって、借金がなくなるまで大変だったときいたけど。

今日、庭のある南側は、塗装が終わったからか、人影がない。
ガラスに張り巡らしたポリエチレンの覆いもなくなっている。
私は、外に出るなという張り紙のついたガラス戸を、開けっ放した。
撤去されて網戸なしの生活なのに、
シンナーのにおいが建物をどっと取り巻いているので、
鳥もこないし蚊もこない。けっこう・・・いいのかなあ。
昆虫だって野良猫だって、おそれをなして寄り付かないのだ。
ニンゲンの場合は、まあいいのかしら。

暗くなるまでガラス戸をあけっぱなしにして、
Tシャツだの上っ張りだのをハンガーにかけて干した。
とっかえひっかえ・・・、もうほかのことはなんにもできなかった。
鉄筋コンクリートに住んでいる人は、乾燥機つきの洗濯機を買うらしい、
でもたとえ中古でも、いま車と乾燥機なら、うちはクルマ。

私って苦笑いしたことがないな、と急に気がついた。
ど単純。怒るか笑うかそれとも悲しむか。微笑というのもしないんじゃないの? 
いやまさか。微笑ぐらいしてるわよ。
とかそう思ったりしてよくよく見ると、
作業する人達は、土曜日に私が買った「中古のスズキ」みたいな車に乗っている。
どうやら中古のスズキで、ここのところ、うちの団地の敷地は混雑だ。
 


2020年11月16日月曜日

市役所で手続き


市役所で書類を申請するのに、
こうは出来ないと思うほど、二つの布バッグを、きのうの晩から整理して、
朝も用心してまた整理して、カヤノさんが来てくれた時には、よしこれで
大丈夫とおもったのに、市役所に着いて、あれこれ自分の分と息子の分と、
委任状だ、なんとか証明だと申請しはじめたら、お財布がない!
ぎょっとしたけどそれはいい、封筒があったから。そこにお金はあるし、
駐車場にカヤノさんがいるから借りることもできる。ーと思う。
それで落ち着いたつもりなのに、あーあ、またも書類を床に落とす。
いま印鑑も机の下に落とされましたよと、言われる!
そうなると布の手提げ袋がばらりんと書類ごと椅子からずり落っこちるから、
これでなんにも失くさなかったらミラクルだ。
また始まったよなーと思う。だって、げんにお財布がないじゃないの。
市役所の別の窓口に忘れたのかもと心配だけど、財布にかまうヒマもない。
たぶん、財布はいつものようにうちのどっかにいるのだ。
舞台で何かやっていた時は、けっこうなんでもかんでも平然としていて、
北林谷栄さんから、アタシなんか初舞台のときアガちゃって、
張りぼて紙張りの川に足突っ込んじゃったのに、あんたっていうのは本当に
心がまえがなってない、と怒られたほどだった、それなのに。

ぐちゃぐちゃになった書類とか、カードとかハンコとか。
案内の人も拾ってくれて、親切なのに、困れば困るほど狼狽し混乱し、
これはいま思うと、布地の手提げ袋がぐにゃぐにゃして、
書類の整理に向かないのかもしれない。

というような苦しい一日でしたが、カヤノさんがいてくれたので、
それで東京都の老人パスまで取得できちゃった一日なのでした。
・・・お天気がよかったしのんびりしたような・・・、うららかな茫漠。



2020年11月15日日曜日

松ぼっくり


ひっそりと木の下があるのです

あんまりキレイで可愛いので、
手にとって
ためつすがめつ
しっかりかたちをたしかめて、
持って帰った
松ぼっくり
すこしまえ家にきた
こげた色の先輩のとなりに
おなじ
かたちで、ぽん、ぽん
かわいた秋なので
おともなく
おとなしくもなく
ただ
ふたつならんで

いまでは玄関に
いるのです


忙しかった

忙しくって、タイヘンだった。
車を買う。
アッというまに、買ってしまった。
もちろん中古である。
これで、私自身はクルマ運転生活とお別れ。
無事にすんで良かった。

べつのはなしだけれど、
唐木田駅のことを忘れなくなった。
唐木田駅を横目にみて笑ってしまった。
おーい、唐木田くん。
あのむかしの歌謡曲だけれど、
おーい、中村くん、じゃなかったっけ?   



2020年11月13日金曜日

はやくも金曜日?!


水曜日あたりかなと思っていると金曜日で、びっくりしている。
歯医者に行き、糖尿病の病院に行き、大規模修繕に対応し、
始末し損ねたゴミを捨て、買い物にでかけ、ヘタでまずいご飯を毎日つくる。
寒いから冬にむかって衣がえを済ませ、図書館で本を借り、その本を読み、
周りに心配をかけ、周りの心配も少しだけどする。

火曜日ぐらいのはずがたちまち金曜日になって、
ブログが頭の老化を食い止めるはずなのに、パソコンをひらくと、
金曜日になっちゃったとビックリする。
ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ。
そういえば映画も観たっけ、立川へ行って?

室内の階段をのぼりながら、
まーしょうがないかと思うんだけれど、
これって、いえばあんがい健康な生活かしら?
唐木田駅のなまえが、いつもどうしても思い出せないのは、
アルツハイマーのはじまりもどき? 

はははは。
「ほら、私が思い出せない駅のなまえがあるじゃない?」
息子に聞くと「あゝ唐木田ね」とすぐ答えてもらえる記憶喪失。
これだと工夫でなおるかな?・・・おーい、唐木田くんとか
むかし歌謡曲があったじゃない? 苗字がちがうんだけど。



2020年11月10日火曜日

オンボロなひととき


黒いセーター
ふるいカシミヤでやわらかく、あたたかく、ふかふかである
何年たっても、着心地がよい
捨てられなくて、新しいのは買えなくて
毎年、セーターの破れ目を、数える
そういう時が、好きかな、ちょっと
ビンボウの醍醐味、のような時がながれて

首にひとつ。左腕にどかんとひとつ
右腕は、そでぐちに一つ、二の腕にふたつ
脇のあたりは、両袖が壊れかけてオンボロ
そのわりにお腹も無傷
背中もぶじだ
指折りかぞえれば、7つの穴ができてしまった
戦場のような、上等品

このセーターが、いちばんだ
下に黒いTシャツを重ね着して、それから着れば
だれにもわからない
と思うのはいくらなんでも楽天的で無理かしら

世の中の人が私みたいに、
みんな老眼というわけじゃなし



 

2020年11月9日月曜日

ユーモアとの折り合い


ソファに移動して、ロビー・ロバートソンの自伝を読み
眠っていたことにきがついた
このまま死んでもいいかなと思う絵柄だけれど
私のおじいさんが刑務所の囚人の家具を買ったというソファで
逢ったこともない、ながいきの孫の私が
さいきん息子に買ってわたした「自伝」を今度は借りて
それを洗いざらした洋服のスカートにのっけて
読みながら眠って、そして
どうやら死んだなんて

わるくないなと思いながら
そうだ
コインランドリイに行かなきゃ
古ぼけたスカートの色が気に入っているからか
生活の部分的責任というものが、おかしく私を引きとめる

晴れているはずの部屋の外はもはや曇って
まあ、行こうと、まあ、気をとりなおそうと
私は一緒に生きてきたみんなを思う



2020年11月8日日曜日

朝から晩まで

しかたがない、昨日は、いきあたりばったりに暮らした。
朝はコインランドリーへ。洗濯物の乾燥。
おわって、朝食。
それから、買い物。南大沢の方面へ。
劣化ここに極まれりみたいな息子の衣類をふたりでさがす。
古着やもさがすし、アウトレットにも行く。
だんだん日が暮れて、衣類と食料をすこし積んだまま、
いっそ映画を観ようかと、立川へ。

       ザ・バンド
    かつて僕らは兄弟だった

むかし勉が私の誕生日に、
「The Last Waltz」という2枚組のDVDを、プレゼントしてくれた。
マーティン・スコセッシ監督の傑作で、私は100回も繰り返して観たろうか。
立川でいま上映されているのは、その続編である。
1978年のバンド解散から40年。
今回は20代の若いカナダ人が、監督。
ダニエル・ロアー。新進気鋭のドキュメンタリー映画の人だ。
両親がザ・バンドのファンで、影響を受けてという2代目ファン。

よかった。疲れて無理にも観たわけだけれど、だんぜん元気がでた。

帰ってきて、夜中までかかって、台所、ふろ場、洗面所、洗濯機置き場の、
排水口周辺をできるだけ徹底的に掃除。
日曜日がくれば、午前中に排水管掃除の人がやってくる。
引っ越して以来、3度目の屋内からの洗浄。
入居したばかりのころは様子がわからず、掃除もしなかった。
失礼なことだったと思う。
とんでもないバカだったと、思い出すとはずかしいのに、
今度は眼がよく見えないし、体力もなくて。




2020年11月5日木曜日

くちこみ世相判断


トランプさんとバイデンさんと、どっちがいいのだろう?

もちろん、多くの人がトランプNO、というだろうけれど、
どっちが大統領になると、日本からアメリカへの献金が安くなるのか。
なんでそういう視点からの意見が新聞に載らないのかしらと、
尊敬している友人にきいてみた。
こたえは、ものすごく複雑だった。
原始的にくらしている私なんかの手におえない。
アメリカの駐留軍に対する途方もない思いやり予算や、武器の下請け爆買いを、
コロナ禍ではあるし、観光だめなんだし、すこし思いやってほしいと考えるのは、
自然の人情だと、つい思うけれど。

彼は、世界や日本の政治情勢にひじょうに詳しいが、
こたえは支離滅裂? とんでもないものだった。
バイデンが大統領になれば、思いやり予算はさらに高額化するよね。
トランプは、それなら自国の平和は自分で守れと、軍隊を日本から引き揚げて
しまうかもしれない。それも怖いんだよね。
アメリカが手をひけば、中国が、もともと中国の領土だったんだからと、
沖縄をねらってやってくるでしょ、台湾、尖閣列島(石垣市)、沖縄と。

この人はなんでこんなに、よく知っているのだろう?
ラジオがいいよ、と彼はいう。
へんなCMもないしさ、きいてるとやっぱり、
ああ、全体としてこうなってるんだなとわかる、自然にね。

きのうの東京新聞の夕刊はすごかった。
全ぺージ、バイデンとトランプのてんこもりで、号外みたいだった。
なんで新聞がヒトの国の選挙にこんなに興味を持つのか。
きいてみたらば、
一回ぐらいバランスを取っとかなきゃ、東京新聞だってタイヘンなんでしょ。
なんだ、おまえアカハタみたいじゃないかって、
そうずーっと言われてるわけだしさあ。

民主主義なんだろうか。
21世紀のこの支離滅裂を克服するのは?


司馬さんという流行


ビックリしたことに、対訳・「21世紀に生きる君たちへ」には、
コロナのコの字もでてこない。それはまあ、あたりまえだけど。
20世紀日本を席巻した国民的流行作家司馬遼太郎の遺言、
出版社は朝日、親日家ドナルド・キーン氏もかかわって、
21世紀がやってきて3年目に8刷り発行の・・・。

どうも、あたりまえじゃないのは、
資本主義ここに極まれり、という現実が基本的に予想されていないことか。
あぶないぞ、あぶないぞと一応いいながら、
司馬さんは遺言でも、江戸期の、西暦1800年あたりの緒方洪庵にもどる。
日独伊3国同盟が日本人になにをもたらしたかには、触れない。

そうかといって、そんなことに注目してばかりいたら、
うれしくない本ばっかり書くことになって、どうなるのだろう。
日本人にはいいところがある、なかなかいいところがあると思いたくて、
たくさんの人たちが司馬さんの本を愛読した。
企業戦士たちも自分の必読文献とかいって、不可思議なことだった。

自分に都合のよいところだけを採用してバブル期をすごした、
私は自分のこともそう思う。なんとかがんばって子どもを育てたが、
地球の不幸がこれほどハッキリしても、私個人の意見をもつことが難しい。
でもそれで、こんなおとな達を親世代にして、日本人は、私たちの子どもは、
この21世紀を、どうやって生き延びるのだろう。



2020年11月2日月曜日

大規模修繕のフロク


屋上のコンテナ(100x50x50)を半日かけて6台、カラ にする。
それをコンテナごと、5日までにぜんぶ撤去しなければならない。
物干しの台も、物干物干し竿も、どけろと言われている。
ばからしい。ぜんぶに、お金がかかる。
残すものよりは捨てるものが多く、ゴミ袋が九つにもなった。

思いがけなく、失くしたと思っていた大型のショールが見つかる。
くすんだブルーの・・・・・・とても、なつかしいものだ。

何十年もまえ、別れた夫の入院先に、姑(はは)と一緒に行った日は、
クルマから降りると、風がピューピュー、とても寒い日だった。
風が冷たい暗い日で、私は車にこの青いショールを取りに戻り、
お姑さんをくるみ込んだ。
姑はとても喜んだ。
「あたたかいわぁ」
にこにこして暖かい声。
そういうお人柄だったから、別れた嫁の私もこの病院にくっついてきたわけで、
「つんこさん、これとても素敵ねぇ、さぞかし上等なものなんでしょうね」
はははは、私はついつい笑っちゃって、
ひろったのですよ、これ、と言ってしまった。
「ひろったの! まあこんなにいいショール? 落ちてたんですか!」
「ええ、ゴミ置き場にね、一か月ぐらいまえに」
いいでしょう、お姑さん、これ? 大きいし、色だってステキだし。
お洗濯はちゃんとしたから、きれいよ。
あのころ、日本人は、ステキなものをたくさん捨てたのである。
バブルだったにちがいない。私なんかもうまるで無関係だったけれど。

拾ったもので自分をくるんだのかと、お姑さんが気を悪くしそうで
心配になったけれど手遅れ。まあ、いま思えばそれどころではなくて。
私たちは、窓口で手続きをすませ、階段を登り、彼の病室を訪ねた。

姑には親としての怒りがあり、私には別れた嫁としての屈託があった。

あとで義妹の秀子ちゃんから、
お母さんからつんこさんの拾ったショールの話をきいて、
みんなで(3人姉妹)大笑いしたのよと言われた。
あの日の帰り、私たちは鬱憤ばらしに大きなお蕎麦屋さんに寄り、
しゃくにさわるからと、ビールで乾杯なんかした。
きっと、お姑さんは、その話だって娘たちにしている。
姑は、だいじな息子のざまに憤慨してプンプンしながら、
蕎麦屋のお品書きにあったビーフステーキを2人前、
私と自分に注文したのである。
  
・・・あのころのお姑さんは、いまの私のトシをすぎていたかしら。



2020年10月31日土曜日

よいこともあった

 大規模修繕だからといって、楽しいことだってある。

うちはコンクリートの6軒長屋なので、まとめて、鉄骨が組まれ、
それから、鉄骨全体が上から黒い網を、まるごとかぶる。
かぶれない場所は、どうするのか知らないが、鉄骨が空の下に不景気に組まれて、
3階の物干し場に出ても、ふべん不細工、見る気がしない。
ところが、びっくりしたことに、
きょうはそこに小鳥さんがいて、腑に落ちない風情、
考え、考え、
どうしたんだ、なんだこれ、新しいばしょ? なんなの、わからないよ、
と歌っている。のんびりして。

思いがけないことって、なんていいんいだろう。
お天気だし!

いつかのむかし、福原一間(本当は門がまえの中に日じゃなくて月を入れる)が
きてくれて、山の竹を削ってつくった横笛を吹くと、小鳥がいっぱい飛んできて
柿の木の枝にとまって、楽しそうだった。
・・・そんな昔も、とっても昔になってしまって、
一間さんは、いまどこにいるのかしら。
東南アジアのどこか、かしら。
あの人はどこでも、日本人をやってくらせそうな人だった。

もうひとつ。大規模修繕になって、よいことがあった。
はじめ、雨が何日も降って、とても寒い日が続いた。
あれをやって、これをやって、外で全員びしょぬれの作業が、毎日続いている。
寒いのに、
ひときわ目立つずいぶんな年寄りの作業員も、ずーっと雨の中にいる。
背が高くて、痩せていて、白髪にヘルメット、
三つに折りたためそうな、ごわごわした体格・・・、
この人が、やさしくて面倒見のよいおじいさんだった。
いつでも、なにか役に立とうとしてくれて。
数日前に作業がすんだらしく、フーッと消えちゃったけれど、
見知らぬひとの親切や優しさは、とても嬉しいものだ。
鉄骨の中に挟まれて動けなくなったうちの自転車を、ゆっくり、だしてくれた、
若い人に話して。ぐちゃぐちゃのオンボロなのに。




夢なのだ


急にねむりからさめたのは、明けがたの4時で、
想像上の野菜の束がしっかりと頭のどこか、眼のうらにあった。
私はそれを運動会のバトンのように掲げている。
筒状にまとまった小さい野のものたちの生き生きとして鮮やかなあつまり。
この小さな野菜の束にはなぜだか年中じぶんが台所で使うものがあり、
あんまり使うのでなまえがわからないものが最初によく見えて、
しばらく考えると、それは茗荷だった・・・。
茗荷のそばには竹の子の皮がありその中に、
人参や生姜や葱(ねぎ)なんかがきっとあると思ううちに
めがさめてしまった。

真っ暗な夜明け前である。

そういえば茗荷を食べると物忘れがひどくなるからと、
むかしはこわくて買わないようにしていたっけ。

読もうと思っていた本を手にとった。
対訳 「21世紀に生きる君たちへ」
対訳とあるのは、ドナルド・キーン監訳/ロバート・ミンツァー訳だから。
司馬遼太郎さんの文章が英語とセットになっている。
いつ発行された本? 20世紀から「今」という「今」へ?
21世紀というものになって・・・もう20年ということなのかと思う。
ぱらっとひらくと、8ページで。
司馬さんはこう言っている。

    昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに
   空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物 
   さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きていると
   うことである。
    自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸
   うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、
   かわいて死んでしまう。


あーあ、昨晩むりやり観たアメリカ映画を思い出した。
地球がぶっ壊れたので宇宙開発をするという「インターステラ―」。
なんてひどい超大作だったことか。


2020年10月29日木曜日

なんとか、ブログ復活

 病院に予約していたから、2日続けて別々に通院。
片方は地元の多摩丘陵病院で、
なんだかまた、この病院、ちょっと好きだなあと思う。
なぜかって、よくわかんないけど、順番をまつ椅子がもうずーっと一列にまっすぐ
続いているからそれがスキなのかな・・・。
いや、でも信濃町の慶応病院だって椅子は一列、とくに
私が通った歯科・眼科なんか。
だけど、多摩丘陵病院は、看護婦さんが家庭的で優しい気がする。
向き合うと案外きびしい目つきというのもけっこうで。
だって職業なんだものね、そういう。

めんどうを見てもらう方は、
コロナ騒動のさなか、もうだまってマスクをしているだけだし無個性であるが、
地元色でモタモタしているのが、私としてはけっこうスキだ。
信濃町の慶応病院より人間味がみつけやすい、面白い。
多摩って田舎。

ものすごく太っちゃった若い男のひとを見たりして、
あのワイシャツはどこで見つけたのかと考え、たぶんあの「作業着屋」だと思う、
2人組の女の人をみると、娘か、お金を出して付き添いを頼んだかとか思っちゃう。
洒落てすてきな組み合わせのズボンと綿のシャツを着ている人は、
5、60人がワサワサしている中にたった1人しかいないんだけど。
不満そうな無表情で、せっかくの風合いが、なんだか、もう残念・・・。
こんなに趣味がよくてもやっぱり不幸なのかな。

とか思ったりしてあきない。なにしろみんなずーっと一列・・・。

次の日は電車に乗って歯医者へ。
帰りにお腹がすいて、ラーメンを食べようと思ってみたけど、
5分の1しか食べられなかった。

病院に行った日は、つかれて、なんにも出来ない。
なんにもできなければ、やらないという人格にならないと、こまったことになると、
神経痛になって、納得した。
納得したことは他にもあった。これって夏バテだ、ということである。
コロナだコロナだと脅迫されて、40度になりそうな炎天の夏を、
コロナを恐れるあまり、なんとか普通に切り抜けようとした。
炎天の在り方こそ普通じゃなかったのに、不注意だった。

いま7,80代の知り合いはみんな具合が悪い。
私の神経痛って、個性的かもなー。
ある人は熱を出し、ある人はお腹が痛く、ある人は歯痛、ある人は頭痛と、
みんな自分の個性なりに病気勃発、寝てるっきゃないわけで。
寝てればいいし、なんにもしなければいいのよねー。

さて落ち着いて、気にやまず、時がたつのをのんびり待ちたい。




2020年10月23日金曜日

「砂の器」

「砂の器」は、日本映画の傑作で、何度もTSUTAYAから借りて、
見よう見ようとした映画だ。
病気になって、読書だけの毎日。
そのうち、なにを読んでも気持ちが悪くなってきた。
童話だって受け付けられない。
伝記もだめだし、もう、なにもかもが面倒になって、
「砂の器」をまた借りた。
借りたとき、見ないまま返却するかもしれないと思ったけれど、
映画がはじまると、はじまった瞬間から、
これは日本映画の最高傑作だとわかるような作品だった・・・。

人間の宿命を、
世界が資本主義一辺倒になるまえに、
日本が金儲けしか考えなくなるまえに、
日本列島が企業の広告で汚されつくす寸前に、
人と自然を、いかにもこうあってほしいような美質をみせて、
私たちの目前に描いて見せてくれる。
かつての私たちが、
宿命的不幸と運命を抱えながら、
私たちの国、日本の国土を、せいいっぱいに横切っていく・・・。

脚本、製作、橋本忍。
監督、野村芳太郎。
カメラマン、川又昴。
俳優がすばらしかった。どの人もよかった。
丹波哲郎、佐分利信、渥美清、
脇役の、名も知らぬ日本人がまた、名だたるひともよく、無名の脇役だって、
通りすがりの風景をこわさず、山河や海辺、紅葉や雪景色のかたわらで、
なんとも懐かしい。

なんとかして、観てほしい映画だった・・・。


 

2020年10月22日木曜日

病後

10月が終わろうとしている。
9月からずっと病気で、それがめずらしい。
毎年のことだけれど、古典的な「神経痛」になって、なおらない。
ピリピリと痛みが胸から下を走り回るのは、何年にもわたって経験してきたが、
痛くてがまんができず、今回はバッファリンをまるヒト箱、一週間で服用。
そうしたら、神経痛は痛くなくても、食欲がゼロ状態に。
舌が、味覚もなにもなくなり、お手上げになった。
たぶん41キロになったんじゃないの。
むかし57キロあったこともある私なのに。

こうなると、だんだん気持ちがオーバーになってお手上げだ。
死ぬかも、と思った。77才なんだし41キロだし。

ところが、こうなって気がつくと、私の周りは病人だらけの高齢者だらけ。
医者通いだってみんなが来る日も来る日も、という感じである。
身体だけじゃなくて、精神科にクスリをもらいに行く人だってけっこう多い。

つまり神経痛で死んだという話はきいたことないと、けっこうみんなが
言わないけど思っている。みんなのほうが、よっぽど大変なのだ。
こういう環境といいますか、多摩市の私たちみんなの現状が、
どういうわけか、気がつけば、温かくきっぱり私をかこんでくれていて、
雨ばっかり降って天気最悪、コロナコロナと世界中が騒いでいるというのに、
やっぱりコロナにもならず神経痛からも回復した。
うれしいじゃないですか。

毎日、痛い痛いと思って、バッファリンづけ、食べられないし、
ヨコになって眠ってばかりだというのに、団地が13年ごとの大行事に突入。
13年目の大規模修繕工事だとかいって、順番に住居が黒網をかぶる。
問答無用の約束だから、
家屋の周りにびっしり置き放題にした、13年分の花やら植木鉢やらを、
期日までにどけなきゃならない。
仕方がないからかたづけたけど、
まあ、すごい1か月だった。

2020年9月30日水曜日

朝6時

 
めずらしい、
北側の窓の前に、ちいさなちいさな鳥がきている。
とまれば揺れる雑木の枝にとまり、しきりになにかをついばんでいる。
時々、チイチィとかジュクチ~とか。
ほどなくすると、もう一羽がやってきて二羽になった。
秋楡(あきにれ)の樹の葉陰に続けて移動し、姿はすっかり隠れてしまう。。
スズメじゃない・・・、ジョウビタキさんかしら?

こういう小鳥をみると、むかしみた映画の文部省唱歌みたいな、
音羽合唱団?のこども達の合唱を思い出す。
歌詞をほとんど忘れてしまって残念。
映画は、木下恵介監督の「二十四の瞳」だったような。
     あけてみたれば 月の夜に 山がやけそる こわくそる
クサチヒメドリとか、ちょっとスズメに似て小さな・・・。

午後も5時になり、東公園をさっさとよこぎっているとき、
空が淡い空色をやめて、夕焼けにかわりはじめた。
すると急に忘れた歌を、ほんの少しだけ、思い出した。
      山のカラスがもってきた、赤いちいさな状袋、
どうしてだろう、なんだろう?
      あけてみたれば月の夜に 山が焼けそる こわくそる
こんな、わけのわからない詩を、がたぴしの古いオルガンで歌った子ども達は、
きっと、自分の国の日本語が好きになったろう。
状袋ってどんなものか、私って昔も今もわからないのがヘンだ。

手紙を差し込んでおく布地の袋なのかしら?
そういえば、そろばんをもっていて、布袋に入れいたっけ。



2020年9月29日火曜日

多摩丘陵病院へいく

だんだん視力がおちてきて、白内障の治療をはじめないとまずい。
多摩丘陵病院に、病院のバスで行く。

あそこはすごく待たされる、という評判。
1時間以上待つ、ときいたけど、
予約が1時間遅れになるのは、信濃町の慶応病院もそうだし、
永山の日医大病院だってどこだって、そんなものでしょ。
多摩丘陵病院はせまいせいか、午前10時ごろになるとすごい。
よく考えると、付き添いさんで人数がふくれあがってもいる。

到着して書類をあれこれ、それから眼科のまえに腰かけて1時間。
治療が終わると、診断後の書類を受け取るまでにかれこれ30分、
会計となると、1時間以上、待つ。
私の隣りで一心不乱に待つリュックの人なんか、立ちっぱなし、
あとから来た私が呼ばれても、なに科なのか、まだ待たされる気配だった。

でも、私は多摩丘陵病院がいい。
待つあいだに聞こえてくるスタッフ(看護婦さんたち)の声がいい、と思う。

家族的な響き。
私は自分が患者としてお世話になるのは初めてだけど、
看護婦さん達みんなの基調になっている親切な音声が、
混雑の最中みごとに保たれていることに、とても感心するものだ。
やさしい、というのともちがう。
事務的な伝達が、はっきりして親切、
この病院の医療の基本が親切にあるんだろうと思わせる声なのである。
点眼薬のせいで、本も読めないから、声でのやり取りをきいているしかないけど、
多摩丘陵病院っていいなと、気持ちが落ち着く。

コロナ禍の渦(うず)に巻き込まれて、日本人が即座に捨てたものは親切だ。
日本人って、親切な人が多いはずだったのに。

患者は年寄ばっかり。
それが、本人はもちろん付き添いの人まで、身もふたも無いものの言いようで、
少しまえに「必死すぎる猫」という1200円の写真集を買ったけど、
病院の待合室にいる私たちは、顔つきまで必死すぎる猫そっくりだ。
気をつけなきゃいけないんじゃないの、年寄りや大人は。
その必死すぎる、自分の心配ばっかりの大集団にむかって、
多摩地域病院は、なんかこうきちんと家族的。
いつ行っても、看護婦の応対がしっかり安定している。

すごく待つからって、そんなことなんだろう。

ここには私たちが失った家族の、
家族主義的なマナーの原型が、医療の技術のまえに、まず保たれている。
だいじなことだと思う。すがすがしくて安心である。

 

2020年9月27日日曜日

ゴーヤ料理


夜の8時もすぎて、冷蔵庫をなんとなく、見てみたら、
3日まえに千切りにしておいた2本分の苦瓜があって、
いくらなんでも、もうなんとかしなくちゃならない。
見れば、鶏の笹身も、そろそろ限界である。
よし、と思って、笹身を細かくうすく包丁で切った。
胡麻油でそれを炒める、フライパンで鶏肉を。
・・・そこにゴーヤつまり苦瓜をどさっと加える。
よく炒めて、あてもないけど、おいしいかまずいかわかんないけど、
塩コショウを少し、思いついて日本酒をパラパラと。
最後に遠慮がちにお醤油をサーッとかけた。

こんなにおいしくゴーヤを調理できたのは初めて。
なんでなんだろう?ぜんぜんわからない。
日本酒がよかったのか、ゴーヤの苦みがテキトウになっていたのか。
なんかこう、いつか誰かが、こうしろと話してくれていたんでしょうね。

けっこうなおそい晩ご飯でありました。


 

2020年9月26日土曜日

内田るんという人の話


あと少しで、明日になっちゃう。
図書館で、また
本を借りた。
そう言えば昨日は、内田親子の書簡本?を読んだ。
樹・お父さんと、娘・るんちゃんのお手紙のやりとりである。
尊敬するっきゃない父親をもった一人娘が、るんちゃんで。

私はこの、内田るん、さんを見たことがある。
下北沢で。息子たちがライブ、それもナイン・パーティーと言う名の、
ライブに参加した夜だった。
内田るんさんは、主催者のゆう君(私は、彼の本名がわからない)の
政治的主張に心から賛同して、演奏参加したのだった。

内田樹さんの著書も名も知っていたけど、
その時は、なんだかふんわり、そうなの?と思っただけだった。
本を読んだら、なんだかあの日のふんわりが、すっ飛んでしまった。
お父さんを尊敬するっきゃない女の子の、本だった。
父親がそんなことは望んでいないのに、父親の捕虜。
そういう、運命!
へんな本だったと思うけれど、
印象的だった・・・。

 

2020年9月25日金曜日

時間の案配


暴風雨がくるかと思えばこなかった。

ブログに毎日とりくむ、という自分に課した義務をやめて、
家の片づけを中心に暮らしたら、
3時間ぐらい余裕ができて、ぼんやりと暮らした。
私って、すこし前から三浦雄一郎さんの本の提案にしたがって、
午前中は、ぼんやりしている。
ぼんやりプラス、追加ぼんやり。
本を3冊ぐらい、かわりばんこに読むのである。

ぼーんやりと、炎熱の夏に、くたびれていた。
だれだって、そうだろう。

もともと、糖尿病を薬で抑えていたけど、クスリだけでは治らないわけで、
夏になって、急に決心して、歩くことを始めた。
あっちの理屈とこっちの理屈を自分なりに整理すると、
歩くのは、どうしても午後になる。
炎天下、樹木の影を、まあ5000歩。
4時には買い物をすませて、それで晩ご飯の支度。

歩くのはよかった。歩く習慣がどうやら身について。
でもやっぱり、歩いて疲れた、ということもある。
気がついたけど、どうやらムキになる性質、加減ができない。

炎熱ねえ・・・。

呼吸をするように、自分はブログいのち、と思っているけれど、
それは客観的には、いい話じゃないのだ。
たぶん、私の生活って、
バランスを欠いているのだろう。
団地は大規模修繕。順番がくれば家の中が、無作為に人目にさらされる。
それで、この際だから家の整理をして。
だけど、糖尿病なんだから、炎天でも、歩く。
ぼんやりは義務、ギムと家事と5000歩とブログが
押し合いへしあい。
えーい、しょうがない、ブログをあきらめよう、なんとか頑張って。

たぶん、それがよかったのだろう、
突然、さむくなったけれど、風邪もひかない。
家の中も、多少は、きちんとした。
コロナにも、かからなかった。
電車にも乗ったし、映画も見て、ヒトにも自然に会っていた。

オリンピックの選手じゃあるまいし、
克己心じゃなくて、融通無碍(ゆうずうむげ)が、老人の誉れなんじゃないの。
77才にもなって、習慣がかえられず案配ができないなんて、
たぶん、私は、ただのおもしろくもない頑張り屋なんだ。
今まで、考えるヒマというものが、
きっと、私にはなかったんじゃないの。

という半生の、もとい反省の仕方からして、
なんとなく、久保つぎこさんは、もとのもくあみ、なのでありました。




2020年9月15日火曜日

あらしの前に 9/24


昔は暴風雨が、けっこう大好きだった。
青山高校にかよっている時など、神宮外苑の樹木なんか見もしないで、
通り道はもう、なんだか知らないけど、水たまりがいっぱい、
帰る途中で、雨が横なぐりになり、暴風雨にかわったりすると、
やだやだ、わぁわぁと笑いながら、水たまりにわざと踏み込ん大騒動、
制服はぐしゃぐしゃ、運動靴もじゃぶぬれ、
信濃町めざして歩く友だちと大笑いしちゃって、いい気になっていた。

しかしそれから電車に乗る。
三つ編みにした髪の毛から雨水ぼたぼた、
頭のてっぺんからズック靴のかかとまでびしょぬれ。
水でガブガブ、歩くと靴から音がする。
電車には乗客がいるから、
迷惑が掛からないように車内入り口のすみで小さくなり、
新宿まで千駄ヶ谷、代々木と往き、新宿から京王線でまた棒立ち、
お客さんはみんな敬遠だけしてくれて、
だれからも叱られなかったけれど、我に返ると大変だった。

たぶん、見てくれがすごく子どもっぽかったのだろう。
大学の入学式に遅れそうになって、タクシーに乗ったら、
どこの高校に行きますかと聞かれた。
若く見られて、そのころでも、少なからずよろこんだみたいだ。
成績はビリから2番目。
だから大きくなりたくなかったのかも。

今は、暴風雨がやってくるとなると、修繕の代金のことばかり考えて、
楽しむってことが少ない。
まったくよろしくない。

さて。みっちゃんの「すいとんのひ」に、洒落た28行の大作、
大橋Mr.のお友達の「81才お誕生の祝い」の警句?が掲載されている。
「18才と81才のちがいとは」
    自分のことが何も分からないのが18歳、
    自分が何処にいるのか分からないのが81歳
もっとピリピリの傑作がたくさんあるのですが、

私は、自分なりに、これがロマンティックで好きですよね。


 

2020年9月14日月曜日

世間のひと、という本

「世間のひと」は、浅草寺の境内で40年間も、これという人をつかまえて、
写真を撮り続けた、鬼海さんの作品集である。
幾つだろう。1945年生まれというから、75才かしら。
その、これという人たちの写真を400人分も、
私は半日ながめて、ショックだった。

1973年から2013年までの、これという人の半身像・・・。
世間のひと、とカメラマンはいうけれど、
多摩センターという鉄筋コンクリートの公団の街に住み、
大規模修繕で日々、今のうちだからと片づけまわしている自分が、
いま、世間のひと、と思うのはこういう人たちじゃない。

ちくま文庫の、このページの中から、
写真家のカメラを見つめる人々は、もし彼ら彼女らが、
京王線や小田急線の乗客だとしたら、異常奇態な印象の人間たちである。
こういう人を見なくなって、いったい何年がたったのだろう?
60年以上もまえ、こういう人を私はよく知っていた。

私は11才のころ、
こういう人の中にいた。
こういう人間たちの中にいて、それから父と継母の家にもどったのだ。
郊外電車の路線上にある、帰りたくなかった文化な家に。
・・・高校に行き大学に入り、結婚し離婚し、いま公団住宅にいるショック。

 

2020年9月13日日曜日

ブログに復帰

なれない「老化」のかずかずに加えて、
私の家もある団地で、大規模修繕が始まっている。
大規模修繕というと、集合住宅の建物チェックがあり
修理の目安がきまり、順番に、建物全体に網?をかぶせられる。
大規模に、集中的に修繕されるわけで、それが規則である。
網をかぶるについては、建物周辺に置いたものをどけなければならない。
植木鉢だのなんだの。要らなければこの際、捨てるし、
ジャマなものはできたら、ひっこめる、家のなかに。

そういう作業を、今、したら、
私ってどうなるのかしら、老女なんだけど?
10年ぐらい前は、
わけがわからなかったけど、なんとかなった。
60代だったから。
ところが今は庭に出るとたちまち皮膚がかぶれてしまう。

どうしようかと考えて、・・・なんとかしようと思い、
なんの関係もないのに、家の中を片付ける。
これが私のバカなところで、
外国ぐらしの娘の部屋を、押し入れの中から、整理したりする。
遥の部屋だけど、いないから、捨てられないモノを放り込んある。
この際、あれをスッキリ・・・と片づけ始め、やめられなくなる。
子どもの頃読んだ抵抗文学の作者なら、
黙っていても考えているのだ、とか唄うところだろう。
でも、外壁修理にはなんのカンケイもないじゃないのね。

3階の息子の部屋は梅雨と炎熱とホコリ堆積。
ダニが発生して、それもなんとか・・・。

彼は随分まえから、2階の書斎で暮らしている。
3階は天窓つきの見たとこロマンティックみたいな場所だけど、
真夏炎上、真冬厳寒、最近はクーラーが壊れてどうにもこうにも。
ある日、息子がなにかを取りにいって、ノンキにベッドに横になったら、
たちまち手足をダニにくわれて、真っ赤に腫れ上がってしまった。
草取りをしようとした私みたいになった。

ベッドのダニも、押し入れの状態も、
外壁修繕の人たちには見えないけれど、
私って手をつけたら止められない。一応ぜんぶ片づけてしまった。

娘の部屋の床面のゴミが尋常じゃなかったけど、
ゴミの日になると捨てたから、
今、床の上にあるのはあれこれ本ばっかり。
遥の本の箱は、もう押しても退いても動いてくれない。
こんな箱。ロシアから帰国した時運びこんで、
こんど日本に帰ったら売るから、とくりかえしているけど、当分だめだ。
・・・世界中がコロナ禍になったから。
ロシア語と日本語で、チェーホフとか、ドストエフスキーとか、久保栄も。
冗談じゃないよー。全集ばっかりどかどか。
堀田善衛も全集、大西巨人の「神聖喜劇」だって一冊一冊がものすごく重たい。
私とちがうから、あの娘はちゃんと読んだのだろうけれど。
意地になってむりやり押したけど、骨折しそうだった。
56キロでこまっていた体重が41キロ半になったのだから、怖いみたい。
そんなの健に頼めばよいのだが、
気が短いから、夕方までまっていられないのである。

なんのかんので、ブログ空白が一週間。
77才なんだし、まさか病気じゃないかとご心配をかけましたが、
でも、これで「いつなんどき」修繕にこられてもまあ平気。
身体もこわれず、暑い、憂鬱、ぼんやり、はフツウみんなそうだって言うし。

みなさん、おたよりありがとうございました。


2020年9月6日日曜日

ゴリラの本


「ゴリラからの警告」という本を前に、朝からぼんやり。
ぎんぎらぎんのお天気をまえに、どうしようもない。
もうくたびれちゃって、ゴリラがなんだって?と、お手上げだ。
この本がどうやって家にきたのかも、よくわからないし。

新聞によると、今日はあとから恐ろしいほどの暴風雨がやってくる。
本当かなぁ ・・・新聞によれば3時から暴風雨なのだ。
3時。私が病院に到着しなければいけない時刻。

ゴリラから学ぶべきだというこの本は、
山極さんが、野生のゴリラから学んだ話である。

山極寿一という人は、魔法使いにちかい。
霊長類学・人類学者・理学博士・ゴリラ研究の世界的権威である。
長野県地獄谷を皮切りに、日本全国のサルの生息地を渡り歩いた。
ゴリラのことは、標高の高いアフリカの熱帯雨林でくらし、
ゴリラたちが根負けするまで追いかけ、生活を共にして観察調査。
山根さんとゴリラたちは、おたがいのルールにのっとって相手を観察、
ついに帰って来たときには、人間のほうがヘンにみえたというけど、
そこから人類の起源という話、ヒトはかくあるべきだろうというこの本、
「人間社会、ここがおかしい・ゴリラからの警告」が出現する。

この人は、それでなおかつというとヘンだけれど、京都大学の総長になった。
 ?!病院で待つあいだに、なんとかここまでの話をのみこむ。

血液検査の結果けっこうな状態ということになった 、ゴリラじゃなくて私が。


2020年9月4日金曜日

1家に1冊 おすすめ


岩波新書「作家的覚書」 高村薫
難しい本だろうか?
それがそうでもないというのが、自分なりの感想だった。

「難しい本」なんだろうな、という先入観は、
2014年から2016年までの時事評論で、高村薫だと思うそばから、
図書館にいる私にとりついた。
でも、読みやすい本だった。
岩波の「図書」という宣伝用小冊子(ただでしょ?)の連載だったので、
時評ひとつが、とても短い。2ページ読むとおわり。
それも、読みやすかった理由かもしれない。

たいていの人はだれでも時事評論なんか読みたくないと思うけど、
読まなくて政府にまかせっきりにすると、たとえばコロナ禍を皮切りに、
信じられないほどの悪政が、私たちを絶望させるわけで。
大人が、あるいは子どもでも、女でも男でも、
義務として知っておかなくちゃいけないことが、人間にはやっぱりある。
学校ならば「社会科」という科目。クラス運営という仕掛け。
これはいつか来る選挙権行使のための予備科目である。

本書の編集者がいうには、この本は、
「日本がルビコンを渡った決定的な時」の覚書、なるほどそういう本だと思う。
私は、読みやすさにつられて、おしまいまで読んだ。

高村さんは、文章の起承転結、そのぜんぶを書くひとである。
どんなに短い「短文」にも、起承転結。
律儀でまーじめ。
私はどうか、と比べては申し訳ないが、つい比べると、
私の場合、起と承 まで書いて、一転して村の噂話みたいにしてしまう。
読む人をなんだか、笑わせたくなるのだ。
これじゃ、たぶん一応騒ぐばっかり、誰の参考にもならないだろう。
高村さんは、ちがう。
高村さんは、わかりやすくて、親切な書き手だ。
彼女はどんな社会現象からも、逃げない、目を反らさない。
見事なほどの直球勝負で、ふらふらごまかすなんてことはしない個性である。

私は、「作家的覚書」は必読の書であると思う。
そう思うわけは、
苦手な社会科に取り組む義務が今こそわが国の大人ぜんぶにあると思うから。
読み手の期待に応えようとするこの作家の努力が、
おどろくほど真剣で、優しいからである。
  


2020年9月3日木曜日

歯磨きのチューブ


忙しい日。
なにか思い出そうとしても、記憶に残るできごとが、ひとつしかない。
冷蔵庫の扉をひらいて、緑茶がそこにあるはずと、上の棚に手をのばしたら、
掴んだのは、歯磨きのチューブで、シュミテクトとかいう・・・! 
なんでも薬用高濃度フッ素配合だった。
たしか2、3日前にさがして、ないと意識したおぼえがあるけど、
どうしてまた、私ってそれを冷蔵庫なんかにしまったのか!?

今までにも、冷蔵庫に自分のお茶碗をしまおうとしたことがあって、
うちの中に自分しかいなくても、どうかしてるアハハハと笑ったが、
それはもちろん、事前に気がつくから笑えるのである。

忙しい日だった。
とにかく。

私は料理が苦手でこまるけど、それでもスピードが出てきて、
外に食べに行こうよと息子に元気なく言いながら、5品目なんとか作った。
だから、けっこう頭は無事なのかも。
ご飯、イサキの塩焼き(大根おろし)、ナスの煮びたし、
味噌汁(豆腐、きのこ類、長ネギ)、漬物(キュウリ、ニンジン茗荷、生姜、
大根などを小さくきって漬けたもの)、砂肝とゴボウの炒め物も予備に。

これだと、たぶん塩分過多かも。
でもお医者さんは、あなたの食生活はそのままでいいですよ、となぜか言う。
自己申告で、問題はアルコールとお菓子ですと、私は話すけど、
それをできるだけ控えてと先生は言い、うーん出来ませんと私は言う。
「ま、いいでしょう、そんなに飲まなければ」
そんなに飲めないのよ、食べられないし。
もしかしたら、自然はうまくできているのかもしれない。
実習の話を息子から聞いては、晩ご飯の時どっと笑ったりしてるけど、
そんなに食べられない。とくにお米がダメだ。
   
片手で能力をのばし、一方で歯磨きを冷蔵庫にしまう。
ボケているかもの一方で、スピード5品目。
大丈夫、けっこういい線いってると考えることにした。

夜、DVDをふたつ。
「新聞記者ドキュメント」と「ホテル・ムンバイ」
日本の話とインドの話である。
新聞記者の話には、
このたびの総裁選第一候補(まちがいなくこの人が次期首相だろう)の
菅官房長官がたびたび記者会見に登場する。
冷たい顔つきの、あからさまな「言論の自由」への高慢・嫌悪・不公平。
彼の、差別意識まるだしの氷のような不機嫌に胸をうたれる・・・。
なんて恐ろしい人だろう。
この人にも家族はいるのだろうかと怖いようだった。

「ホテル・ムンバイ」はテロリズムの、これはドキュメンタリーではなく、
事実にもとづいて創作されたドラマ、事実の商業的再現、大ヒット作である。
こわくても目が離せないほど凄まじく、しかも華麗なエンタテイメント。
絶望的な映画なのに森達也監督による「新聞記者ドキュメント」よりは、
登場するどんな人にも、血の通う立場というものが用意されている。
虐殺を描いて、なおかつヒューマン、という映画。おもしろく見た。

虐殺の周辺にヒューマニズムがみえる、それは人間の願望にすぎないのかも。

それにつけても自民党は、これからどこに私たちを引き摺っていくのだろう? 
首相になるだろう人の実写から伝わってくる未来は 、
いよいよ言論の自由や、あたたかな理解力や、人間らしい愉快な柔軟性が、
どうしようもなく失われるだろうことを予感させるコワイものだった。



2020年9月2日水曜日

部屋の模様がえ


一日中、時間が足りなくて、とうとう自転車で買い物に。
夜中近くになって、ソファのカバーを変えようという気になって、
青に、替えてしまう。

人によっては、こんな道楽とは、まるで無関係だろうなと思う。
でも、私はどうしてだか、たいして絵画的でもないのに、
模様替えをし、あれこれ、今までは赤でまとめていたというのに、
ソファの覆いを青い更紗にして、そこからもうずーっと、
なんというか、じゅんばんに 部屋を青くしようとするのだ。

壁に掛けている額装立派な、永井潔さんの絵はどうしよう。
濃い深緑が沈むばかりの、「青」とも「藍」とも無関係な沼の絵。

むかし私は、幼稚園の園児の絵を一枚、むりやりもらった。
その、彼方という名まえの子どもの絵が青い色づかいの絵であったならば、
それは魚の絵なんだけれど、私のソファのこんどは藍色に合わせて、
むかいあった壁に、旅するあの青い魚の絵を掛けたってよかった。

ああざんねんなことに、
彼には完全な自由がなかった、まだ子ども、いいえ幼児だったので。



2020年8月30日日曜日

お皿ぱりんぱりん


最近たて続けに、大皿を落っことしたり、小鉢を割ったり。
小皿なんか、なぜか一枚だけになった、6枚はあったのに。
これなんか割ったおぼえがない、小皿が自分で隠れたんだという気がする。
でも、あっちこっち、さがすけどいないのだ?・・・!
大なべ小鍋も使い方不全、ほかに気を取られて焦がしちゃって。
お鍋はステンレス製のを3つ買ったけど、こわくて並べてただ見てる。
ステンレスは熱しすぎると焦げますという説明だった。
熱くなり過ぎないうちに火を止めて下さいだって。

今日はヒマだからと駅近くの「ニトリ」によって、
大皿を2枚、お箸を1ダース、ランチョンマットを2枚。
小皿は好きなのがなくて買えなかった。
あんまり安くて、びっくり。
こんなに安くていいの?ときいたら、美人の店員さんがまちがえたのだった。
でもまちがいを訂正したところで、やっぱり安いのよね。
お箸なんかもう、かわいそうみたいに安い。
大皿だって2枚だというのに、重たいお皿が1000円しなかった。
割った大皿は、30年もまえ、上北沢の洋服やさんの店先にあった2枚だ。
あの時はお皿1枚が1000円じゃなかった?
物価って上がってるのか、下がってるのか。

帰宅後、夜になっているのに、戸棚の布類を捨てるものは捨て残すものは洗濯。
毎日毎朝、見とれるほどこわく太陽がギラギラしている。
だからいいさ、あしたの午前中には、みんなすいっと乾くはず。

・・・秋がもう其処まできている、歩けば茶色の落ち葉が地面をうずめ、
家の庭のしゅうめいぎくの葉の周りにはトンボがいる。
大柄な蝶々が、近くにきてなにかをずーっと探している。
それなのに、いつまでもいつまでも、今年はなんて暑いのだろう。


2020年8月29日土曜日

安倍首相退陣


テレビを見ないので、首相が首相職を降りたことは聞いたが、
その際、報道関係者にどう挨拶したかは、翌日の朝刊を読んで知った。
新聞のどこをどう読んでも、自分なりの感想が浮かばない。
安倍政権は首相在位最長記録を達成したそうだけれど、
辞める理由にがっかりするばかりだ。

私が子どもだったころ(とこれはエーリッヒ・ケストナーの本の題名だけど)、
親が、むかしフランスの王様がこう言ったと話してくれたことがある。
「わが亡きあとに洪水よきたれ」ルイ14世だったか。
暴君の本質をついた物言いだと、父は言ってたっけ。
思えば、むかし洪水いまコロナ禍。

ケストナーはユーモラスな童話作家でドイツの人気風刺詩人だった。
彼が活躍した時代のドイツは、王政ではなく ヒットラー独裁である。
だからエーリッヒ・ケストナーは自分の本を国会前で焼かれ、追放され、
第二次世界大戦が終わるまで、12年もドイツ国内を隠れて逃げ回った。
ヒットラーは、王族とちがい選挙民(男だけ?)が選んだ「暴君」だった。

「わが亡きあとに洪水よきたれ」は、無責任と自己中心の 捨てセリフ。
戦後ドイツ人はヒットラーを「選んだ国民」として、自らの責任を忘れまいとした。
外交でも国政でも国をあげて四苦八苦した。今でもそうだ。
私たちはどうだろう。死んだあとなら洪水だろうがコロナだろうが来るがいい 、
と日本の親がまさか言うまい、思うまい?


とんでも歩行


豊ヶ丘は大橋ご夫妻のお住まいがある場所で、近くに豊ヶ丘図書館がある。
今までそこへ歩いて行こうとして、どうしても私は、なんだか迷う。
大橋夫妻は結論として、私の脳みそがほかの人間とちがうと考えたらしく、
このあいだなんか、図書館で読書会がおわったとき、
駐車場がメとハナの先にあるのに、いいというのに私から離れてくれない。
迷うと思っている。たとえ私がなんでも、1本道なんだからわかるのに。

昨日はトラウマに挑戦。
どうしても到着できない豊ヶ丘に向かうことにした。
道がわからない、サッパリわからない。
自分じゃその理由もわからないのが、おもしろくない。

驚き桃の木山椒の木だけど、
するする行けちゃって、あっさり、左へ行けば大橋家、右に行けば図書館、
2684歩あるいたら、もう豊ヶ丘になった!
自宅近くのスーパーマーケットの前を通り過ぎて真っ直ぐとか左とか、
この際、自分の生意気身分ちがいの目標をとりさげ、
「いつもクルマではこう行く」という車道の、せまい歩道を歩いたのである。
どんぐりなんか拾っちゃって。あらもう公園なのかと思ったりして。
クルマなら迷ったことなど一度もなかった道だと気がついたりして。
そうしたら、アーラなんだこれ、もうするする・・。

大橋家に借金があって払いたいと思ったけど、夕方なのでそれはやめた。
せっかく豊ヶ丘図書館があったのだからと記念に3冊、写真型本を借りる。
こんどこそ、図書館の壁にそって樹木のきれいな脇道を、ひたすらまっすぐ、
つぎに来る時はこれを逆流すればいいわけだとか考えて帰る。
このあいだ、同じことをやったのに判らなくなったのはどういう不思議かしら。
と考えれば逆流は無理かもと反省、しかし性懲りもなく冒険だからと階段を昇る。
ああこの原っぱ! だけど石の橋があって、それを渡るとまーた原っぱだった。
くたびれたけど、やっとこさ家にたどり着いた。

6845歩も歩いて、あしたもあるくのかーと。



2020年8月27日木曜日

仙女洞 2


とにもかくにも、坂をのぼり、
やっと浅井典子先生の事務所に到着。「りんごの木」である。
浅井先生は新生多摩市に移住後、働く親たちの必要からみんなと協力して、
市政を動かした。そうやって数々創立された保育園には、
みんな可愛らしい木の名まえがついているそうで・・・。
それで此処も「りんごの木」なのだろうか。保育園じゃないけれど。 

「リンゴの木」は、やっかいな坂の上にある可愛い事務所である。
世界中に出かけた保母さんたちの古典的なお土産?でいっぱい。
いいな、うらやましいなと、来るたびにそう思う。
かつては、コダーイ芸術研究所関連の保母さんってたくさんいたのだろう、
働いては外国旅行をしたのだろうし。
芸術研究所という名のつく集まりだったから、
歴代の学究肌の保母さん達のおみやげは、文化的、神秘的、民族的。
洒落たテーブルクロスの上に、異国のお人形が棚からあふれて、
その横に、読んで下さいねといわんばかりの小冊子や絵葉書が、拡げてある。

事務所の隣りは「わらべうた」サークルの合唱用のけいこ場。
すぐ右奥は厨房。
いつも、これは保育という職業柄にちがいないと考えてしまうのだが、
お訪ねすると、出される飲み物食べ物のあれこれ、
帰りに持たせて下さる、もう多種類こまごまの沢山のおみやげ、
手作りだし、家庭的だし、便利を考えてあるのが、しみじみ懐かしい。
よく気がつくお母さんの代わり、という「職業特有の能力」が印象的なのである。

今日は、浅井先生といっしょに今井さんにも会える。
今井さんは調布市の人で、私たちは子どもがおなじ第一小学校の同級生だった。
かれこれ40年も前のPTA同士。
まさかあの今井さんの職業が保育士だったなんてビックリだ。
それが70代も後半になって、思いがけなくお付き合い復活。
すぎなの会の「すぎな珍聞」という表紙の、
笑って痒くなりそうな名前の小冊子(!)を送ってもらって読んだけど、
この小柄でまじめで優等保母みたいなタイプの人が 、
現在この会の代表なんである。

「すぎなの会」とは、
コダーイ芸術教育研究所の趣旨に賛同し研究所の発展を支援する退職者の会
なんですって。
この会に招いていただいて、映画「あの日のオルガン」になった私の著書の
登場人物、戦中戦後の保母さんたちについてお話したことがある。
参加者の中には、映画に描かれた保母たちを直接知っているという人もいた 。

数日後、今井さんより電話。
「みんなで、あのあと話し合ったんですけれど・・・」
講演料金についての電話だった。それがちょっと童話みたいな。
思い出すとおかしくて笑っちゃうみたいな。
電話の今井さんは、終始一貫まじめ事務的申し訳なさそうな口調である。
「あの会のあと、あんなお話にあんな講演料はないということになりまして、
ついては貧乏団体で、こういう時には私たちとしては貯金を使うしかなく、
その貯金というのがですね、私どもがかれこれの時余ったお金を入れる壷が、
そういうものがあるんですけど、その壷の中にあって・・・そこからお金を」
はははは。今井さんもおかしくなってきたらしく吹きだしたりして、
「そこからすでにお渡しした講演料に足してという結論になりましてですね」
ついては差額をどこでどうやってお渡ししたらよいでしょうか、だって。

2人のむかし保母さんの、老いてますます磨きのかかった人間ぶりを思うと
この事務所って仙女洞なんだなあと、思ったりして嬉しいことである。



2020年8月26日水曜日

体力と相談


日曜日、とんでもなく早くから、夜遅くまで努力して、

月曜日、5000歩、歩くのを中止、1日中眠っていた。
洗濯して、干して、眠って というのを4回くりかえし、
ごはんも食べない。ブログも延期。夕方になって、
南大沢のアウトレットで買い物。おなじズボンを4本。私のじゃないけど。
帰りに冷やしラーメン。

火曜日、一日さぼるってすごいことで、いつものように歩こうと思うけど、
その気になれない。クリーニング屋さんめざしてとにかく・・・歩きだす。
リュックサックに野菜とか魚とかを買ってつめて。手にも大荷物。
帰りはバス。ブログもさぼる。夕方またアウトレット。
ズボンの修理が出来たので。またラーメン屋。
南大沢近くの冷やしラーメンが珍しく気に入っているのであーる。

水曜日、ズボンの修理にゴムが必要だと、ユザワヤまで買いに行く。
またできない努力。歩きである。
私の決まりは、歩く(5000歩)と書く(ブログ)と家事全般。
一日さぼると、決心するのに3倍ぐらい、迷いを生じるとわかった。
でも、
毎朝、この夏、起きると私っていつも気持ちが真っ暗。
昼になって椅子に腰かけガラス戸の向こうを見る、
・・・あたりがギラギラと燃えてひかって、外に出ればどうなることやら。
こんなでは、だれもが生活を憎みはじめるだろうと、想像する。
じぶんの生活を憎むのはいやだ。恨むのもダメだ。
どんなに夏が暑かろうと、友だちみんなで工夫したい。
気持ちが、いかようにも柔軟、というのが平和である。

体力がないのに、ルールを決めたからといって、がんばればどうなるか。
やすんで、たちなおる、そういうものだと常識をかえるしかない。
ちゃんと休んで、イヤだイヤだイヤだと立ち直るわけだ。
じつにかったるいけれど、
そうしないとダメなもんならそうしよう。

今日はまだ水曜日なんだけど、あるきはじめに図書館ですごく待った。
読みたい本をさがしてもらうあいだすごく待って、
ずーっと椅子に腰かけて、へたばってるから、助かったなーと・・・。
借りたい本が見つからなくて、それも、から手の方が軽いからけっこうな。



2020年8月22日土曜日

仙女洞 1


「仙女洞」とお呼びしたいような事務所が永山駅にある。

考えてみればおかしな、童話のようなことで。
まず京王線でも小田急線でもよいので電車の改札口を背中に右へ行くと。
ステレオタイプの商業店の並びの果てにパチンコ・ビルディング。
ビルディングなのだパチンコやスロットマシーンの。
そこを用心深く右に曲がるとコンクリートの橋がはじまる。
コンクリートね、ここでいいはずよね。
とにかく橋を渡って。
そうすると、土とか泥とか。小山とか坂とか。ぜんぶが土になる。
橋を渡ればすぐ公園で、
見上げれば、石やら鬱蒼とした樹木やら年季のはいった遊具やら。
公園の下に小道がついていて右は下り坂、左は上り坂。
遊びたくない人は、私がそうだけど、左に曲がって坂をのぼるようになる。
すると雰囲気が、保育園の領土のようなふうに、
公団運営仕事と、棲む人働く人の意志目的の混合といったふうな、
好ましい 神秘性をおびはじめる。
なにしろ上り坂で会う人が、なんとなく親切、
小人のような、・・・ふつうの大きさなのに。
ええと、道がわからなくなっちゃってというと、
浅井典子先生の、保育関係の、童話みたいにステキな、とかいうと、
首をかしげたり、ああわかりましたと言ったり、その人がまた人にきいたり、
それで、けっきょく到着してしまう・・・。




2020年8月21日金曜日

不景気な堂々巡り


あさ、眼がさめたら、涼しくて、
南と北の窓をあけて、風を部屋に入れた。
きのうの夜、おそく帰って来た息子に、食べさせちゃったので、
朝ごはんを思いつけない。
まったくおなじ物は?やっぱり出す気がしない。
そうかといって、冷蔵庫の中はごたごたしてるだけで貧弱。
扉をしめてよろけて、うんざり。

きのうのことだけど、
どういうわけかカナブンみたいな大きくてしつこい虫がブンブン、
罪もない虫をやっつけちゃったので、ゲンがわるいのかも。
歩きすぎちゃったので熱射病かな?
イリヤ・エレンブルグの読みすぎかも。
歩くのもなー、帰りが。
やめてバスに乗ろうと今さら思うのがみっともない、乗らないけど。
約束の短文は今日が〆切。
お隣りの若いご夫婦が二人でぱぱっとプリントしてくれたから、
きょうは、有り難く涼しい顔して歩いて・・・ 
でも、歩けば熱射病がはじまる。
またしても予感がカビみたいに生えてくる。

洗濯物を二回分干したら、こ、こ、こういう気分がどうにか納まった。
私ってメカニズムが、ド単純なのかも。
洗濯するとすらっと気分がなおる。
ような気になる。
洗濯機信仰?によって、熱射病から逃げてしまう。
そのうちいそがしくて、忘れるのだ。
しつこい憂鬱を。


2020年8月19日水曜日

1961年以来の借り


1961年といえば、私は18才だった。1960年安保の次の年だ。
私の高校は、国会議事堂にちかい場所にあったが、都立校だし
安保闘争の影響など受けまいという守りの人間が多かったけれど、
それでも学校にいれば、1960年は、わさわさと落ち着けなかった。
とくに、私たちの学年には、奥君とか千谷君とか、学生運動に身を投じ、
大学入学後職業革命家みたいになり、のちに自殺してしまう同級生もいて、
そういうことが忘れられない。

一方、私にとって1961年とは、
「人間・歳月・生活」という書物を、新宿の紀伊国屋で買い始めた年だ。
大学の文学部に入学すれば、とりあえず若者は語学によって文学作品を選ぶ。
仏文科ならば、例えばサルトルであり、ゾラであり、モリエールであり、
露文科だとトルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフ、チェーホフ等々。
私は露文科ではなかったけれど、第1外国語にロシア語を選択したから、
どういういきさつがあってそうなったか忘れたが、
イリヤ・エレンブルグの「人間・歳月・生活」という書物に行き当たり、
6巻もある本を出版されると買って、そしてとばし読みをしたのである。

私はこの本がとても好きで、どこに住みどう暮らすことになっても、
代田橋の4畳半だろうと調布の6畳一間だろうと、現在の多摩市の家にも、
この6冊を運んで、「いつか終始一貫きちんと読了する」と誓いをたて、
しかし、雑事にかまけてさっぱりそういうことができず。
この何年かなどは、ああこのまま読まずに死んじゃうのかしらと
そんなことを考えるようになっていたのである。

「ダ・ヴィンチ・コード」というとんでもなく長い小説を読んだあと、
娘に電話してきいてみた。
こんな長編のわけのわからない本が読めるんだから、ロシア文学の例えば
トルストイの「戦争と平和」とかドストエフスキーの「死の家の記録」だとかさ、
「読もうと思えば、もう一度、私にも読めるかしら」
なにがおかしいのか遥はふきだして、
「読めるよ、ダ・ヴィンチ・コードが読めたんだから」

神様というのは、ほんとうにいるみたい、と最近よく思う。
真夜中眠れずに頭上の本棚に手を伸ばし、暗闇の中で本を取り出したら、
不思議にもそれが、エレンブルグの「人間・歳月・生活」の第1巻だった。

だから今、私はやっとキッチリ借りを返している。



2020年8月16日日曜日

おひさまポカポカ


おひさまの光を、朝、あびると、とってもいいらしい。
そうね、そうね、わけのわからない細菌を消毒してくれるのでしょ。
おひさまはなんにもいわないけど、
外で遊ぶ子どもをだいじに守ってくれるヒトよね。ヒトじゃないんだけれどね。
そんな感じの絵本を、文庫連の青木さんがポストに入れておいてくれた。
「私はあいちゃんの ランドセル」という写真集。
福島原発事故の記録である。
遊行社の本。
遊行社なんて初めてきいた。
日本にはまだこんな本をつくってくれる人がいると思うとうれしい。
写真と文は、小学校の先生だった菊池和子さんで、
54才のとき、先生をやめて6年もポルトガルのリスボンでくらし、
2008年に帰国した。いま、74才ぐらい?
こんな先生だったひとも、日本にはいたんだと思うと、ほんとにうれしい。

そういえば、青木さんがきのう、午後から遊びに来てくれて、
ふたりであの本この本のはなしをしたけど、
いまでも、彼女の温かいひかえめな笑顔が、ちゃんと
私のあたまにも、耳にも、胸や肩のあたりにも、のこっている。
青木さんらしい地味でおだやかなお花のブラウス。
なんて安心な時間だったろう。
20年ものおつきあい。
多摩市に引っ越してきたとき、だれかだれかと私はさがして、
図書館協議会委員を公募していたから、
なんとかして本を読む人のそばにいたくて試験を受けた。
青木さんはそこにいてくれた人である。



2020年8月15日土曜日

まいご


「ダヴィンチ・コード」に掴まえられたみたいになってしまい、読書ざんまい。
食事も、ろくにせず、夕方買い物にでかけ、ふらふらするかもとおもいながら、
途中で、車から降ろしてもらって、自分だけになり歩いて帰宅した。

なんとか距離を節約しようと、右へ曲がり坂を上り、かならず迷子にな ると確信し、
道路に出て、考えなおして、次に見たこともない階段を上がると、
公園の入り口に出た。
「あの公園だ、一度なかをよく見たかった!」
そう思って通り抜けたら、カン違いだったのが不思議でしょうがないけど、
私がぜひいちど通ってみたかった公園じゃなかったんだけど、
それでも、出たところがよく知っている通りで、それも不思議だった。

こんな頭じゃ、「ダヴィンチ・コード」なんか無理だと思った。
ぶっ飛ばして、先を知りたくて、斜め読みに終始するから、
なんにも、心にのこらない。
なににつけても、自分はまちがえたという喪失感。
これも、どうにかしてヘンだと思いたい。



2020年8月13日木曜日

ダヴィンチコードという読書


コロナ、と言うまい。
といまいましく考えながら暮らすうち、
こんどは、暑い暑いと言わないぞ、みたいな。

「ダヴィンチ・コード」を読む。
冬、読んだら、凍っちゃいそうな本である。
登場人物だって死体だって、本格的に気味が悪い。
それだけど、人物の案配がよいせいか?やめられない。

「私っていい加減だけど、一応クリスチャンだからさ」
電話のむこうできこちゃんは、かん高いしゃがれた声で、
「聖書も少しだけわかるから、うん、おもしろいわよ」と。

なんか聖書を読んだことがないし、
ペテルブルグのエルミタージュ美術館とか、
オランダの美術館にまぎれこんだ時など、
宗教画がこわくて見るのがイヤになっちゃって。
それなのに、読書継続中である。

「ダヴィンチ・コード」がいくら大ベストセラ―だといっても、
知識人の仲間入りができるような錯覚がうまれ、つい釣り込まれて、
華麗な宗教美術史みたいな推理小説を、もうずーっと読んでいる。
重たくて2巻もある小説。
作者は、ダン・ブラウン。1961年生まれ。
42才で「ダヴィンチ・コード」刊行。

よくわかってなくても、おもしろいけど。
自分は世界をしらないまんまトシをとり、
そのまんま死ぬのだと、いまさらながらガッカリだけど。



2020年8月12日水曜日

夜中のケガ


夜中に目がさめて、水を飲みたくて台所に行くと、
お風呂上がりでキレイな息子が階段を降りてきたからびっくり。
もう2時よと言うと、 転んでケガをしたんだと言う。
夕食後、ビデオでディズニーの?「エラゴン」とかいう、
オズの魔法使い変化版、いささか長いファンタジー映画を観て、
くたびれたから私は寝てしまったけれど、

彼はそれから(夜中だ)走りに出かけ、戻ってきて、
気持ちよく酔っぱらっていたんだか、
今度はなぜか自転車に乗って、豊ヶ丘のあたりを走りまわって、
急に自転車がパンクして自転車ごとひっくり返り、
でもうまく転んだので(!)、少々の負傷と両手のひらにキズだけ。

「あの豊ヶ丘の図書館のあたりからさあ、
自転車抱えてずーっと歩いて家まで帰って来たんだよ、母さん。
だいじょうぶ、大丈夫、朝になればこの傷も治ってると思うよ。
ただ、あーもうっメンドくせーなー。
あしたは自転車を修理に持ってかなくちゃならないっ」

・・・とかなんとか、
言ったのでありました。



2020年8月11日火曜日

熱風の日


今日は日中、気温が37度になるってきいた。

私の平熱は35度2分、歩いたらお湯の中に漕ぎ出す感じかしら。
家の中から外をながめると、木の枝が斜めにゆれて炎みたいだ。
洗濯物をとりこみにいけば、クーラーの排気の熱風?がガラス戸にあたって
こわいみたい、火事にでもなったらと不安な夏である。

中空で、風がずーっと 音をたてている。
雲がひとつも見えない日。
なぜだか久保のお姑さんの話す声を不意に想い出す。
私がまだ髪の毛を三つ編みにして、旅公演に出かけ、
銀河鉄道を渡る舟に乗り、被爆して死んだ女の子をやっていたころのことだ。

「ここに引っ越してきたばかりの夏にね、家の前はまだ畑だったですけど」
庭に水を撒き終わったお舅さんが、畑に水を遣っているお百姓さんに、
どうぞ家の水道をお使いなさいと 声をかけたのだという。
お百姓さんはとても良い人で、結構ですからとしきりに断ったけれど、
しまいにはお舅さんの勧めにまけて、水をもらって撒き始めたそうである。
「そうしたら、もうね、ああいう人たちが水を撒くっていうことは」
お姑さんはそのびっくりした時のまんま、すこし声を潜めて言うのだった。
「もうね、ジャージャー、ジャージャーと、いつまでもいつまでも、
やめないんですよね?! 始めたら最後ずっと夕方になるまで撒くんですね。
やめないのよ、ツンコさん。 ああ、お百姓さんって私たちなんかとはぜんぜん、
基準がちがうんだなーってあの時は思いましたよね。」

お姑さんの話はどこかおかしく出来ていて、私はしょっちゅう笑ってた。
お姑さんていい人だった、お話がいつも楽しかったなあと思う。
ツンコさん、といえば。私はお舅さんもけっこう好きだった。
佐分利信みたいな、演出家の菅原卓先生みたいな美しい白髪、風格。
「かあさん、ところでツンコさんはなんという名前だったかね?」
お父さんたらね、このあいだ、お母さんにそんなこと聞いてるのよ。
3人姉妹たちがドッと笑って話してくれたっけ、
「いいえ冗談じゃなくて本気なのよ、あの方、冗談なんか言わない人ですもん」
いかにもの感じだからおかしくて笑っちゃったけど。
結婚して子どもたちもいた頃だった。

離婚なんて久保家では前代未聞だし、
それがお舅さんの亡くなったあとで助かったなあと思う。




お墓の掃除


暑い日。
お墓のある狭山湖霊園に着いたのが2時すぎ。
暑いのもあたりまえだ。
植木バサミで、柘植の木を伐り、ツツジの枝を刈るというか、切り落とす。
散々のび放題で手に負えない。
霊園で貸してもらった大きな鋏を使うが、手を痛めそうなので、
なるべくそれを使わず。うちから持ってきた植木バサミでひたすら伐って伐って
よそのお宅の墓地まで伸びた木をつかんで伐り払い、落ちた枝を投げ、
息子がそれをどこかへと運んで行って捨てる、もうおたがい無言で何回も何回も。
やっと片付いて大理石の墓石を束子で水洗い、持ってきたタオルで拭いた。
・・・2時間以上。

お線香を焚いて、手をあわせるけれど、
ここに眠っている私の父と継母に、けっきょくのところなにを祈ればよいのか。
いつのころからか、生きている者のことは考えず、自分としては不思議にも
2人ともやすらかに幸せにしていてください、と死者を想うばかりになった。

健も私も、着ているものが絞れるほど汗でびしょぬれ。
片づけて、がっくり荷物をもって歩き出したが、じゃぶじゃぶ音がしそうだった。
すぐ近くに小菅家のお墓がある。先ごろ純子ちゃんから、
お盆だし植木を伐ってきれいにしたと聞いたのに、お参りもできなかった。
彼女も「お宅のお墓に寄れなかった」と言ってたけど、暑いは疲れるはで、
すぐそこなのにどうしようもない、そこの角を曲がって歩けない。
純子ちゃんとは、それぞれお墓を掃除することで待ち合わせしたものなのに。

どこのお墓も太陽の圧迫に熱で荒れて、たいへんなかんじだけれど、
大きな墓石の両側に小さな石の像が並んでいる区画がいいなあと思う。
石像って荒れ寂びてもどこか可憐で、小さければ小さいほど、
お花がなくても風情が目に楽しい。

びしょぬれで車の座席に寄りかかかることもできない。
霊園で教えてもらって、15分ばかりの東村山「かたくりの湯」へ行った。
食事もして、着替えて、気がやすまって、8時すぎ自宅に到着。
大変にはちがいなかったけれど、気もすんで楽しい一日だった。

墓苑の事務所にいる時、ぼんやり考えたことだけれど、
ああこんなふうにして、私がつねに考えていることを ぜんぶ捨てたらと。
お墓と、それから木と風と虫や動物のことを考えて。
そんなふうに生きる人もいるのだろうから。
まあ…死者がそうなんでしょうね、きっと。




2020年8月10日月曜日

シールズの消息


8月9日は長崎の、被爆75年の日。
東京新聞の朝刊に、本当にうれしいニュースが載った。
2ページ、そらいろの核心という文字。
「被ばく100年を 戦後100年に」の大見出し。
林田光弘さんについての記事だった。
シールズの消息なのである。

  彼についての紹介
   1992年、長崎市出身。爆心地に近い同市浦上地区で育ち、
   高校生に1万人署名や高校生平和大使の活動に参加する。明治
   学院大に在学中、SEALDs(シールズ、自由と民主主義の
   ための学生緊急行動)の創設に参加し、中心メンバーとして活
   動。現在は会社勤めの傍ら、被爆者の証言会などを続けている。

2015年のころは、私も安保関連法に抗議するために、国会へ出かけた。
5年前である。以来、シールズはシールズはと時々、考えた。
彼らは無事に就職できたのだろうか、と思ったりした。

林田さんの記事を読んで、彼が就職していたことを知りホッとして。
働きながら、ヒバクシャ国際署名ののキャンペーンリーダーを務める彼は、
被爆3世で、いま28才なのである。

新型コロナによって大幅に制限された被爆者の活動について、
彼はこんなふうに話している。

(従来の活動のかわりに、オンラインでの証言会をやったことに言及)
「一つは若い人の参加のハードルが下がったこと。高校生や大学生が三十人から
 五十人ほど 参加してくれた。通常の証言会ではなかったことだ。
 もう一つは、活発な質疑応答ができた点だ。北海道から沖縄までの若者が、被爆の
 話を聞いて議論することは、貴重な学びの場になったと感じた。」

こうも語っている。
「私は最近、被爆百年をどう迎えるのかということを考えている。
  これからの二十五年を日本は戦争をせずに過ごし、被爆百年を戦後百年で迎える
 ということが、被爆者に贈れる最大の感謝ではないか。被爆者がいなくなる戦後
 百年を考えたときに、当事者意識を持って活動する人を全国に何人つくれるのかが
 すごく大事なことだと思う。」

素晴らしい記事だった。

燎原の火ということをおもった。
いつか朗読の会で、みんなで絵本を読み、学んだことばである。
燎原の火というものは、大地を猛烈に染めて拡がって、
いつかは人々の祈りを現実に変えるのだけれど。
その松明のひとつひとつは、彼の話にあるように、
やっぱり30人ぐらいの、なかなか大きくならない松明(たいまつ)なのだ。

落ち着いて人々の心をつかむ 松明こそはだいじなものだ。
被爆百年を戦後百年に。

シールズの林田さんが、今日そこにいるということを、
ほんとうに喜ばずにはいられない。



2020年8月9日日曜日

旧作「リトルダンサー」をみる


今日は、どんな日だったのだろう?
家で映画を観て。
「リトルダンサー」は、アイルランドは労働争議中の炭鉱が舞台である。
殺伐とした男支配の家族。母親がいない11歳の男の子が、
廃坑寸前の炭鉱住宅で育ち、なんとバレエを職業にしたいと望む。
女の子ばかりのバレエのレッスン。不可能で哀しい映画である。
彼にバレエを教える女教師が、私のよく知ってるトミちゃんにそっくり、
クールというか、パンクというか、心底親切、堂々とあるがまんま。
少年の家族がまた、粗暴、不器用、非妥協的。いかにもの秀逸リアル。
俳優が、どの人もみごとで素晴らしい。
映画は、人間がそんなふうなのに、風景も人もなにもかもが美しくて、
・・・・つい泣きながら見た。

なんの義務もない日だけど、4時すぎてから歩く。
せっかく買ったリュックサックといっしょである。
図書館。それから、工事をよけて山道みたいなところをデパートまで。
山道はともかく、デパートを、2階、5階、8階と歩くと、
たちまち4千歩を超えるのはなぜなのかしら。
きょろきょろするので、歩いていることを忘れてしまうのかしら。

デパートではモロヘイヤと空芯菜を買い、リュックに入れた。
図書館で借りた本3冊も、ちゃんとリュックの中だ。
年寄半日。あっという間に夜がきて、明日がきてしまう。
げんきなのか、正気なのか、これでいいのか、
私にはどうもよくわかんないのよねー、自分のことなのに。



本間家訪問


みっちゃんの家に行った。
みっちゃんは家族新聞「すいとんの日」を発行しようと格闘している。
この格闘を始めてからのみっちゃんは、
健康を取り戻してむかしのまんま。憂鬱がとれて元気である。
不思議なことだし、とっても安心、やっぱり嬉しい。

新聞づくりって、メンド―でしょうよねえ。
記事をあつめて、短くしたり長くしたり。
みっちゃんは手書きの人だから、編集作業も大変なことだろうし。
自分も書き、ヒトにも「書いてください」と頼む。
それにつけても、なんだかもう、気を遣わなくちゃならない。
家族新聞発行、とかいっても。
そんなこんなの雑然とした手続きをまえに、彼女はもうノーミソがいっぱい。
とりかかるまでの、この取り組みというか、「予想」が重荷なのにちがいない。
この「バケモノお団子」みたいなみっちゃんの編集直前の空想の重み!
いつ電話しても、お手上げらしく、
うー・・・ん、とうなるから、おかしい。
はははは。だって、それやらないと、ボケちゃうのよ、みっちゃん。

みっちゃんは淑人さんのバックアップを得て、生気を取り戻している。
やっぱり溌剌として、ステキで綺麗な笑顔だ。
トシをとったら、どんなにくたびれても、どうしても、
なにかと格闘しなくちゃダメなのね、イヤでも。

みっちゃんは格闘している!

淑人さんに、石原慎太郎をインタヴューしたテレビ録画を、見せてもらった。
石原氏は、現安倍政権のアメリカとの関係を問われて、吐き捨てるように
「卑屈だ」と。・・・ホント、よく言ってくれた、みたいな。
そうやって、そうね、そうかもねと、
彼の談話を聴き手といっしょに拝聴するうち、
石原慎太郎って立派な人だったのねと思いそうになってきた。

都合のわるいことは一切避けてしまうインタヴュア―の弱腰のせいだ。
石原慎太郎は、自分の言動にまったく責任を持たない。
権力者として人気者?として、栄耀栄華を極めた過去のその時、なにをしたか。
現在の日本と東京都の荒廃の基礎固めをしたくせに、
恫喝顔して、批判的な質問なんかさせないのである。

無責任が弱腰によって、どこどこまでもまかり通っていく



2020年8月8日土曜日

あのこはだあれ


あのこはだあれ
だれでしょね
なん、なん、なつめのはなのした
おにんぎょさんと あそんでる
となりのみよちゃんじゃ ないでしょか

 これって、だれがつくった童謡だろうか。

相模原障害者殺人事件の記録を読んでから、時間が少したって、
学校教育の過酷、長期自民党支配の弊害、官僚の自己陶酔などと、
私も「漢字」をつかって考えるわけだけれど、
けっきょく、この「ひらがな」の、
むかし、だれでもが知っていた単純な歌に思いがもどってしまう。

私は、自分だったらこんなふうに考えて、朗読し歌いたいと思う。

おばあちゃんが、隣りにちょこんとこしかけている孫をあやしながらきく。
  あのこはだあれ?
すると、となりのまだ3才にもならない孫が、老いたゆびの先を見るのだ。
  だれでしょね ?
あのこがよく知っている人だったから、
小さい孫はなぞなぞがあたったように、にこにこするのかもしれない。
涙のあとなんかがほっぺたにまだあれば、遠くの「あのこ」を、
たとえばもう大きい「カンちゃん」を、 ただふくれて見ているだけかもしれない。 
あっちのほうの、とおく、
  なん なん なつめのはなのした

なつめの花は、香るんだろうか、どんな影をつくってくれているんだろうか。
あの子のために。 50才になっても口がきけず意志疎通のままならない、
「カンちゃん」のために。
カンちゃんはおにんぎょうさんを、だいじにだいじにしている。
お人形さんが好きだし、だれにでもやさしい、
ときどき、あばれてすごくこわいんだけれども。
  おにんぎょさんとあそんでる、
あのおにんぎょうさんは汚れていて、足や手がもげたのを、またくっつけて、
おばあちゃんに縫い付けてもらって、カンちゃんにはかけがえのないものだ。
 
あの子はだあれ、誰でしょね。
 かわいい「カンちゃん」じゃないでしょか。

おばあちゃんの歌は孫のためにやさしいし、カンちゃんのためには母親らしい。
おばあちゃんはどんなヒトだろうか。
日本の母親というものは、そもそも、どんなヒトなんだろうか。


 

2020年8月7日金曜日

リュックサックを買いに。


今日は、お客さんがあって、午前中は2階の書斎なんかも大掃除。
やっとおわって、午後、図書館に向けて出発。
ところが、まちがえて、
図書館だと思ったところは、ただの中学校だった。
関係のないものは入るなという校長の警告が門扉に貼り付けてある
あーあ、なんて人を受け付けない殺伐とした中学校なんだろう。
暑いし図書館をさがすのはやめて、返却しようとした本は家に持って帰った。

夕方、南大沢のアウトレットへ。
青いリュックサックとオレンジ色の帽子を買う。
両方で1万円。
もうがっかり。
私が買おうとしたのは、半分の値段のペラペラした製品だったんだけど、
息子が「そんなの買ったらあとで後悔する」と言ってきかない。
しっかりものらしい店員さんが、このリュックサックはといろいろ言う。 
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないじゃないの。
エヴェレストに登ろうというわけじゃない、そこいら辺を歩くだけだ。
でも私は、そんなに高くはないが高価なリュックサックを買うことになり、
もうどうでもいいやと、オレンジ色の帽子まで買ってしまった。
どういうわけか、モンベルは帽子が安いのである。

これで明日からは、苦労せず歩ける。
古着的夏服、10年も前の藍色のブラウスなんぞの上に青いリュックサック。
頭にはオレンジ色のヴェトナムから来た帽子。
たとえば帰りに買い物をしたとして、
私はもう大根もカボチャもリュックに入れちゃうわ。
するとこのリュックサックなんだから、重みはきれいに左右に分かれるだろう。
明日から私は「苦力」的労苦に耐える必要はもうないはずである。
たとえ77才のおばあさんでも、
嬉しくてのんきで合理的な?歩行が?できるはずなんであーる。




2020年8月5日水曜日

メモ(相模原障害者殺人事件)


「相模原障害者殺人事件」(朝日新聞社)という本には、
日本の司法の混迷衰退と、マスコミの及び腰が
なんの細工もなしに編集されていると感じた。
それには、考えさせられた。

裁判の記録を読めば、問題意識のかたより(偏向)が私は気になる。
被告本人の意見と説明だけに、裁判する側の質問疑問が集中するのはなぜだろう。
19人もの人を殺傷した被告を育て見守ってきた人たちについての考察が
不思議なほど少ない。 

  ①両親ふたりと彼との関係をまったくと言ってよいほど問題にしていない。
   あまりにも気の毒だからだろうか?
  ②学校教育についても、彼自身の言動を問題にするだけで、
   教育者たちが彼と、どうつきあったのかをさがすことはしない。
   これも教師が気の毒だからだろうか?
  ➂政府に対する直訴。結果精神状態を疑われ、彼は措置入院となった。
   なんにもない個室。治療は投薬と医師による質問。そういう2週間だったという。
   彼の説明では、その間に、はっきり殺害の構想を深めたのだ。
   それでも、この精神病院の診療がよかったかどうかは、言及されない。
   そんなことにかまっていたら、現場が回っていかないからだろうか。

被告は、この教育する側の人達を決して決して、責めない。
この、保護者たちの立場と、被告の立場は調和している。
むかしむかし、片方は子ども。片方はおとなだったのに。

これは、理屈がすくなく読みやすい書物だと思う。
よくもわるくも、あるがままを語った物語なのだ。
被告と朝日の記者との、1回30分(しかも単独ではない)の座談に
多くのページが割かれているので、教育論とはべつもの、
読者は、いわば放り出されて、自力で沈思黙考することになる。

  ➃被告によって積極的に語られた「自己主張」の中には、
   衆議院議長に手紙で、殺害請け負いを表明をした(精神病院行きの直接の理由)
   話も、すらすらと、でてくる。
   直訴の手紙を読んでもらえれば、首相や衆議院議長が共感してくれる、
   漠然とではあるが、そう期待したらしい。
   どうしてそんなことを思ってしまったのか、
   裁判は、でもどうしてと、それを深めるギロンはしない。
   あまりにも荒唐無稽だからだろうか。

衆議院議長あてに手紙を書いた時、
彼は報酬として百億円余を受け取れるだろうと興奮状態で、考えた。
50人ぐらいの人に殺人話をきかせたらしいけれども、
彼の妄想が消えることはなかった。
冗談と受け取られることが多かったらしいが、
そんな冗談で「一応盛り上がる」若い世界って、「普通」だろうか。
自分の一生をふりかえって、なぜかひとごととは思えず、
 やり場のない痛さ、後悔で、苦しくなってしまう・・・。

一方で、
この「相模原障害者殺人事件」を読んで、
痛ましいかぎりの遺族の証言が、私にはひじょうな衝撃だった。
殺人者の、「ことばを持たない存在など無用の長物だ」という考えが一方にあり、
(それに対して)
愛というヒトが求めてやまない確かな感情がいったいどこからくるのか、
怒りと涙と。掛けがえのない存在を語る遺族のことばが、
泥沼に沈みがちな現代の私たちを、厳粛に包んでくれる。

必読の書だと思えてならなかった。
考えさせられる、という点で・・・。



2020年8月2日日曜日

相模原障害者殺傷事件メモ


「相模原障害者殺傷事件」(朝日文庫)を読んでいる。
居心地のわるい本だ。杜撰な、読みやすいけれど、きみょうなルポ。

雨宮処凛氏が週刊金曜日7/24 「らんきりゅう」に書いた文章だと、
こういうこともある。
  
  「最近の若いものは」などと言い出したら「雨宮処凛も老けたな」と言われ
  ることを承知で書きたい。
  この10年ほど、私は下の世代に対して、謎に思っていることがある。それ
  は、「なぜ、彼ら彼女らの多くには、”経営者マインド”が搭載されているの
  かという疑問だ。
  例えば「最低賃金を1500円に」という運動がある。時給が上がれば働く
  者にはいいことづくめだ。しかし、これに対し「中小企業が潰れる」「バイ
  トがそれだけの働きをするのか」と口にする若い世代は多い。 自らが時給
  1000円程度でバイトしているのに、である。
  彼ら彼女らは決して「労働者目線」では語らない。経営者の視点で物事を見、
  また統治者の視点で社会を語る。そのようなマインドの背景にあるのは「常
  に上を目指していない奴はクズ」というようなメッセージを浴びるように受
  けてきたことがあるのだろう。「一生自分が労働者だと思っているような人間
  はダメ」という刷り込みは、いつか成功して経営者になるのだから、自給千円
  でバイトしているのは仮の姿なのだ、という言い分を若者たちに与える。
  だから非正規労働者やフリーターの運動は、なかなか主流にはならない。なぜ
  なら多くが「自分は非正規なんてすぐやめる」と思っているからだ。
           

 (前文略)相模原の障害者施設で19人を殺害した植松聖の裁判。法廷で植松は
  「日本は借金だらけ」と強調し「障碍者はお金と時間を奪っている」と事件を
  正当化し続けた。
  財政難を看過できないと憂い、なんとかしなければと焦る気持ちはわかるには
  わかる。一方で、なぜ、総理大臣でも官僚でもないのに、これほど財政問題に
  こだわり、苦悩するのかという疑問が湧く。福祉職の彼は、そもそも財政問題
  など考えなくてもいいのだ。
  1975年生まれの私には搭載されていない「経営者マインド」は、90年生
  まれの彼には自然に搭載されている。植松聖は、奥田知志氏がいうように「時
  代の子」だ。

*相模原事件裁判傍聴記
「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだを出版したそうである。

   

いきあたりばったり


青空が見える。

洗濯物を干し、買い物に行き、自動車と別れる。
ぷらぷら、ぷらぷら、長靴下のピッピもかくやとばかり、
あっち見て、こっちみて、そして並木のそばの石造りのベンチに腰掛けて。
ピッピだと子どもだし童話だからベンチで休まないけれど。

携帯がチカチカ。大橋家に電話、うちは近くですよとおっしゃるが、
そんなはずはないでしょ。大橋さんご夫婦って「遊歩のプロ」みたいだ、
私にとっての100メートルは、彼らには10メートルなんじゃないの。
でも歩こう、近いと思えば近いのかも。
会えたらすごくうれしいし。

それで言われた通りの道順を、人に尋ねながらちゃんとたどり、
思いつきで横に曲がったりせず、けっこうずーっと歩く。
車道の向こうから声がして、
「このひと(私ですが)言うこときく能力に欠ける」と思ってか、
杖代さんが迎えにきてくれていた。
朝からロクなものを食べていないので、
テーブルの上のナッツも、黒豆もつい食べてしまい、
「森の珈琲」をご馳走になり、Mr.と杖代さんとたくさん話し、
それからまたも、すいすい歩く杖代さんのヨコを歩いて、今度はバスに乗って帰宅。
5000歩ちゃんと歩けた。それも嬉しかった。

5時に夕食を出かける息子が食べおわったころ、荷物が届いた。

シロクマのステキな青い帽子。青くて高価な、通信販売での買い物だ。
ところが彼には小さくて私のほうがちょっと似合う。
せっかく注文して買ったのに。
「かあさんのほうが似合うね。あげるよ」
あーあ、高い帽子なのに。
自分でお金を払うと私は言ったけど、
「いらないよ」

きょうはもう、私はなんにもしないわ。
楽しいばっかりの日曜日がこわれるとこまるから。


2020年8月1日土曜日

地味な悪夢


身体の具合がわるい。夢ばかり見る。

・・・私はボールにご飯を入れておにぎりを作っている。
作ったおにぎり二つと沢庵と海苔を、用意の清潔な布ナプキンで包む。
それを輪ゴムできちんと止めた。
丁寧に、いつもの手順通りにやる、息をつめて。
5時に起きて毎朝やっていることだ。
ところが信じられないことに、それが気がつくとユメなのだ?
時計をみると5時2分前。ノイローゼみたい・・・
綿密丁寧、面倒なたった今の全努力が、夢だなんて。
信じられないけど、でもユメだったのだ。
テーブルの上になんにも無い。
だから、
そっくりそれを、今から繰り返さなきゃいけない。

永遠のメンド―。
おにぎりの夢なんか。
シュールの範疇にゼッタイ入れないし。
酸素が頭に行ってない? 
悪夢。

夕方になって歩く。
具合がよくないのを放っておいて。
歩いて、不調を踏んづける。
読み違えでなければ、
これがきのう読みおわった三浦流の愉快。
いまのところ、全然ユカイじゃないが。

付記
楽しみがあると続く、と三浦さんは書いている。
丸善に寄り道。
マチスの絵葉書を買った。明るいきれいなハガキ。
5000歩。


いわゆる半日仕事

 
すこしばかりユメみたいな日だった。

真夜中に眼がさめる。ねむっても起きてしまう。
それで、午前中はあきらめて寝ていよう、と決めた。
今朝は気がついたら10時だった。
朝ごはんを食べて、コーヒーまで飲んだりして、本を手にとり、
それからギャッと気がついたんだけど、金曜日なんだからゴミの日だった。 
朝、8時までに出さなければ、ゴミは置いていかれる。
木曜日だと思ってたけど今日は金曜。金曜日は生ごみの日だ!
あきらめたけど、それでもゴミ置き場まで走っていってみたら、
うちの団地ゴミは、まだそのまんま!!
「なんて私って幸福なんだろう」
家にもどりながら口に出して言っちゃった。
「生ごみの始末」に「幸福」という単語はまるで合わない。
それでも、たぶん今日はいいことばっかりの日だと、ヘンでもそう思う。

きのうから私は「歩き続ける力」という本を読んでいる。
有名なスキーヤーで登山家の三浦雄一郎さんの本。
一回引退してそのあと、三浦さんは暴飲暴食、身長164センチ、体重90キロ。
65才の時に、お医者さんに捕まって、
「3年以内が危ない、なんとか手を打ちましょう」と言われてしまった、
という図書館の本だ。
この本を読んだら、急に元気が出てきて、私はただいまその影響直下にある。

三浦さんは86才で、南米最高峰の標高6961mのアコンカグアへ。
「父がモンブランで滑った(スキー)のは99歳」
それまでにはまだ9年もある、とあとがきに書いてある。
歩け、という本。無理はしなくてよいが歩け、歩けという。
この本のおかげでちょっと元気がでたから、
みっちゃんの「すいとんの日」の原稿を書いて、午後になって投函。

それから、寄付送金に銀行へ。三浦さんの本を手提げに入れて徒歩なのだ!
寄付はいいけど、銀行から出たら、肝心の税金の支払いを忘れている。
Uターンして長いことかかって入金。
それなのに、あきれたことにまだほかにも税金を払い忘れて帰った!
クリーニングに出した衣類を山ほどかかえて、帰りはバスに乗る。

バスを降りて階段を昇りかけたら、蝶々が二匹、花にからんで遊んでいた。
・・・あんまり可愛ので、石の階段に足をかけてしばらく見とれていた。
私は煙草を吸わないけれど、煙草があったらヘミングウェイになったつもりで、
おもしろそうな顔をし、それから単純なことばで風景にするのかしらなどと。
蝶々に見とれることなんて、そんなことはなかったと思うから、
やっぱり今日はよい日だったのである。

おかしなことがもうひとつ。
夕方、「必死すぎるネコ」というちいさな写真集を買った。
この「必死すぎるネコ」っておかしい。
ちょっとだれかにプレゼントしたら喜ばれるかも。
本屋の本棚からとってもうおかしくて笑い、
晩ご飯を食べてる息子に見せてまた笑っちゃって、 
「必死すぎるネコ」みたいなおかしな人に、
いやだけど、ちょっとなってみたいかなと思ったわけである。

 

2020年7月27日月曜日

「文学フシギ帖」


この本を、どうして持ってるんだろう?
岩波新書。著者は池内紀(おさむ)。 2010年の発行。
やっと思い出す。すこし前に市役所で買った古本なのだ。
100円、というより百円。
副題:日本の文学百年を読む。

きのうからずっと、むかしの各駅に停まる汽車に乗るように、
この本につかまって、ゆっくり文学百年のエピソードをたどった。
(100年前というと1910年、明治が大正にかわる2年前のそんな時)

おもしろかったから、この話を食卓ですると、こうきかれた。
「どの作家の話がよかった」
「・・太宰治かな」
どうしてかって、書き手の池内先生の着眼記述が気に入って。
目次の見出しは、太宰治の「家庭の幸福」。
死後の発表。主人公の名は津島修治(太宰の本名)。
だから、短編のかたちをした遺書なんでしょうね。
作家がポピュラー化してのこした遺書・・・。太宰さんの表の顔と裏の顔。
池内先生によれば、
  
   太宰治の自殺は女性づれのせいもあって、「情死」という情緒的な見方が
   されがちだが、はたしてそうだろうか。戦後の日本人に対する深い嫌悪と
   絶望感に根ざしていたと考えていい。昨日の敵が保護国に早変わりして、
   昨日の神国日本の住民が小旗を振りかざしてアメリカ兵を出迎える。まさに
   模範的な被占領国の誕生である。それもこれもそれぞれの「家庭の幸福」の
   ため。太宰治は、小説をつぎの1行でしめくくった。
   「曰く、家庭の幸福は諸悪のモト」


個人的には、「長谷川四郎と文学風土」とかね。
私は長谷川先生にドイツ語ならったよ桐朋学園で。すごいでしょ。
「堀辰雄とステッキ」もちょっと懐かしい。
堀辰雄がそのむかし肺結核で寝ていた4畳半を借りて、夏休みそこにいたの。
信濃追分の油屋という旅館の離れに。・・・ぼろいぼろい部屋よ。
池澤夏樹さんのお父さんは福永武彦でしょ。その人が歩いてるの見た。
そういう場所だったのよ、追分村は。
高3の時だから。1961年かな。
すごいよね。年よりだよ、わたしはもうまったく!

ステキなのは「五人旅、西遊記」とか、「寺山修司のパロディ」とか。
ぜんぜん作品を読んでないけど「村上春樹の自由 」も。
考えてもみてよ。
20代はじめの北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里が、
与謝野鉄幹に連れられて5人で旅をしたのよ。
詩人のベンキョー五人旅よね。
みんな重たい皮の靴はいて、1か月もね!
北原白秋の22才なんて、洒落た可愛いハンサムったろうね。

わが家の欠点は 、近代日本文学にほとんど縁がないことだ。
私など、ほぼ名まえしか知らないし、息子は私よりチンプンカンプンだろう。
でも、彼は、梶井基次郎の「檸檬」を何回も読んだ。持っているのだ。
すごい。私は読んだことない、有名な本なのに。



2020年7月26日日曜日

陽気なちくしょう


雨が降ってる。
と思ったら止んでる。陽がてってる。
と思ったら西にいた灰色の雲がやってきて、
まえぶれもなく、
また、だまったまんま雨になる。

若ければ、ちくしょうって、陽気にさけんでいるところだ。 
むかしは、なんでもおもしろがっていたのだ!
四畳半ひと間に住んで、文無しになる直前、貯金の、
5円玉とか10円玉とか100円玉とかを、部屋に放り投げて隠した。
本棚のうしろや、インド製のわらの敷物の下に。
見つけて喜びたいばっかりに。
もちろん、どこらへんにあるか、わかってるけど。
でも時々、うわっ、お金が、と、
急に10円玉なんか見つけると、やっぱり私はよろこんだっけ。

さっきは日が照ったから、洗濯物を急いで干した。
でも、雨になって、とりこむ。生乾きなのに。
するとジージー無限の虫の音、セミかなー。
ちがうとおもうなー。ミンミンゼミよ、きみは今じゃどこにいる?
みれば雨が降ってないじゃないの。
でも、もはや昼間じゃない。
カラスがうれしそうに、カァカァ、ワッカッカッ・カァー という。
あっちに青空、こっちに雨雲。
どっちなのよ。
  
朝刊一面の見出しはこうだ。
夏マスク 熱中症リスク
    人と距離あれば こまめに外そう
    内側さらに高温多湿 脱水症状に
専門家が警鐘
 
なにこれ。
そうすると、今度はこまめにちらちらちらちら、マスクをはずしてかけて、
距離がなければ、脱水症状になっても、マスクマスク・・・?

陽気になるのが大変だ。
陰気なちくしょうって、なんの役にもたたないだろうし。



2020年7月25日土曜日

大橋家にあるもの


気をつけないと、
頭も、気分も、意地も、失くすまいと年がら年じゅう用心している心意気まで、
冷えこんだ霧雨みたいなやつに、とりこまれてしまう。
さいわい1人ぐらしじゃないからいいけど、お手上げだ。

よく思うんだけど、
人の表情を見て、笑顔とまではゆかなくても、微笑らしきもの、温かい顔の輪郭、
その人からこっちに移ってくるものって、いつも、そばにあったんですよね。
私たちが、政治家から奪われたものって、自粛とマスクで失ったものって、
それじゃないですかね。
あとそれから、おちついて簡単で、よくわかる日本語かなあ。

このあいだ大橋家へ行った。
杖代さんとMr.と。おふたりにあえてとてもよかった。
8月の22日に豊ヶ丘地区市民ホールで、読書会を開く予定だって。
「新書探検」読書会の2回目なんだって。
おもしろかったですよ、と杖代さんが言った。
帰ってそれを話すと、「新書ってどういうの」と息子にきかれた。
「新書とか文庫とか、単行本とか。本の形態の区別につかうことばよ。
うちの2階の本棚の上から2段目はぜんぶ新書でしょ」

私も むかし、同じような質問を父にしたことがあった。
父の答えはこうだった。
「一種の、かたちを変えた百科全書だな、そんなもんだ」
母が編集者なのでうちは岩波新書だらけ。子どもでも新書はわかる。 
・・・新書探検なんてきくと、1冊が百科全書の1項目かぁスゴイなぁ。
あらかじめ読んでくると参考になる新書はこの3冊、ううむ・・・。

ところがですよ。
 Mr.作成の新書探検読書会の「案内」を読むと、
「語り合う読書会を」とあって、
         読むことよりも、話し合うことを
         新書は、ノンフィクションの書き下ろしが多い
         テーマはその時代の最先端のものが多い
         新書の読者は専門家じゃなく一般大衆である
       そして、なんと、         
         読んでこなくてもいい読書会

なんかこう、動脈硬化気味のあたまが、わわわあっと、うごくのかも。
読まなくて、聴いてるだけでいい。もしかしたら、結果、新書のどれかを、
手に取って読んでみようかな、という気になるのかもしれない。
杖代さんがおもしろかったって言ってるし。
このひと、ウソつかない人よね。
私にとっては、この、
自分におきる脳ミソの革新現象が大橋家の楽しさですが、いつだって。



2020年7月24日金曜日

オアシスとブラー


きのう、今日と「ライヴ・フォーエヴァー」を観た。
90年代イギリスの、パンク・ロック・クール・ブリタニア時代を、
代表選手たちの「独白」で描きだしたドキュメント映画である。

11年半におよぶサッチャー支配が選挙で敗退、政権は労働党のブレアに。
政権交代の直後ダイアナ妃が自動車事故で死亡。

その前後を描いた娯楽?映画を当時ビデオで観た覚えがある。
エリザベス女王を演じたのは名優ヘレン・ミレンだった。
映画ではブレア首相そっくりの俳優が大活躍したが、
今回のドキュメンタリー映画「ライヴ・フォーエヴァー」に登場した
ブレア(ホンモノ)は、当時のニュースのフィルムをつかっているのだろうけれど、
輝くばかりに眉目秀麗。なのにインチキの看板みたい。
もうビックリだった。

たぶん、本場のチャンピオンともなると、時代と生活と気骨を反映して、
ロックシンガーは、若いころのモジリアニとかアポリネールとかエレンブルグとか、
ジャン・ジュネみたいな、そんな顔をしているんでしょうね。
権力と反権力と。どっちを志すかによって、それが顔に出てしまう。
政治家は、そうなると芸術家にかなわない。
 
私は、ロックバンドの歴史をまるで知らない。さっぱりわからない。
はじめは、このドキュメンタリー映画を、
一世を風靡したバンド「オアシス」の話だと勘違いした。
まーオアシスという名前だってわからないんだけど。
本場イギリスのロック・シンガーたちの、
それぞれの回顧、対立、論理の分裂に惹かれ、顔だちも見事だから、
つりこまれて観ていたが、どうもオカシイ。
つじつまがあわない。わからず見ているから当然だけど。

ノエルとリアムは兄弟で仲が悪いんでしょ。
それでこのふたりは労働者階級。
そして、ええとデーモンというひとは中流の出身で?
おんなじバンドか? いや、そうじゃないらしい。
この映画って「ブラー」と「オアシス」と。二つのバンドの対立の話なの?
ニルバーナって? 名前だけ知ってたけど男だったのか・・・。
ええと、なんで急にデザイナーが? 
美術の話をする人がなんで急に? ええと、もうなにがなんだか。
 
やれやれ、
息子が部屋に引っ込んでから、
もう一度、紙とペンを手に、なんとか画面の交通整理にかかる。
2回くりかえして見ても、テンポは速いし、私って最近のろまだし。
なにしろパンク。人によっては喧嘩ごし。
しかし、退屈するどころではなくて見れば見るほどおもしろい。
非常にきちんと構成された、よくできた映画なんである。

どうやら「ブラー」って中産階級4人 の、
「オアシス」は労働者階級5人の、バンドらしい。
仕組まれ、煽られた、パンクバンドの階級対立?
政権交代の際の、労働党のブレアによる、パンクロッカー「選挙」利用。
ひっかかった兄と、ひっかからなかった弟と。
なんだかみんなが、コカイン漬けだったみたいな時なのに。 

少しわかったから言うけど、私は、「ブラー」の品の良いデーモン、
「オアシス」の、いかにもパンク風な、脅迫タイプのリアムが好きだった。

息子によれば、リアムは見ての通り、すぐ殴りかかろうとするんだとか。




2020年7月21日火曜日

道志から山中湖へ


オランダにいる遥の誕生日が近づいている。
どうしてもそこで、と息子がいう店が、
道志から山中湖に抜ける道路の途中にあるので、
日曜日に、オンボロ車で出かけた。
まず道志の店では「今日は作業中」といわれたけれど、
珈琲とか食事はいらなくて買い物だけというと、
どうぞどうぞと店内に入れてもらえた。
遥はものすごく狭いアパートに住んでいるから、
本の一冊もだめ。
それで普通じゃないイヤリング、というわけである。
お店の主人が申し訳ながって、飲み物をサーヴィスします と、
メニューを渡してくれた。それも和紙に手書きの芸術。
で、大失敗をした。
一番おいしそうな飲み物を頼んじゃったのだ。
すごくおいしかったけれど、一番高かったと息子が言った。
山中湖に向かって走り出してから、言うなんて。
値段なんかぜんぜん見なかった。
イヤリングは高い、ジュースは安い、という不用心。
・・・あーあ。

山中湖 は遠くて遠くて。
でもそこで、息子がもうひとつ、遥のイヤリングを買った。
兎の耳飾り。
いいね。ウサギに生まれてうれしいウサギ はねてもはねても。
遥のかわりにちょっとうれしかった。
店内はものすごい混雑。目がよく見えてないから、
みどりいろだと思って藍色のワンピース?みたいな服を買った。
食料以外の買い物。断崖絶壁から飛びおりるような。
ま、いいか。 スリル満点で。

帰りに、むかし鄙びて(ひなびて)今コンクリ―ト仕様になった
道志温泉へ。評判が落ちてるから空いているかもしれないと思ったら、
日曜日なのに本当に空いていた。はじめは地元の人ばかり。
道志で暮らす人にしてみれば、こういう方がいいだろうなと思う。
東京都内の銭湯みたい。小ぶりではあるが。
それでいてホントの、混ぜものじゃない山の温泉ですもんね。



2020年7月18日土曜日

エッセイを読むたのしみ


公民館ですごく面白い本を手に入れた。100円。
「日本エッセイストクラブ編 / 96年版ベスト・エッセイ集」
それを手にコインランドリイへ。雨続きなので満員だった。
1996年版なので、神戸の大震災について書いている作家が多く、
当時どうしても他人ごとだったものが、コロナ禍真っ最中の今は、
思い当ることも多い。

トップバッターは司馬遼太郎の「本の話」。
こんなに文章がうまい人の後に並ぶなんて、さぞかし恐ろしいだろうと、
ヒトの事でもぞっとした。

それなのに二番手は杉浦昭義という耳鼻咽喉科の先生である。
「世界一の叔母」。叔母さんの?話。しかもきいたこともない人のエッセイだ。
ところが、読めばその叔母は「前畑ガンバレ!」の前畑なのでであって、
日本初の金メダリスト、昔はみんなが教科書で読んだぶっちぎりの歴史的人物。
しかもその叔母の、オリンピック後の話。
話術の天才みたいな文章力にもびっくり、日本一の次だって平気である。

そうだとすると三番手はと、つりこまれてページを繰る。
「震度7の記憶」。書いた人は流行作家藤本義一。
たたみこむような筆致がすごい迫力。
引き込まれるように読んでいたら、こんな記述があった。
コロナ禍にある現在なので、なおいっそうの親近感をもった。
   ー前略ー
   長女の家から戻った午前六時四十分に、わが家の庭に無数の鳥ガ飛来した。
   カラス、スズメ、ヒワ、メジロ、ムクドリ、野バト、ウグイスの番(つがい)
   までやってきた。-中略ー
   鳥ガ飛んできた時、もう此処は安全だと思った。ガス洩れがない 証拠である。
   この知識は五十年前の大阪大空襲の時、親父から教えられたものだ。十二歳の
   頭に入った知識が五十年間生きているのが不思議だった。
 
藤本家のように無数とはゆかないけれど、うちの小さな庭にも鳥は集まってくる。
最近は坂を下って歩き始めると、ウグイスがどこかの木の梢でにぎやかに囀って、
うれしいことである。
 


2020年7月16日木曜日

「北朝鮮で兄は死んだ」など


どうやら身体の具合は普通なのに睡眠時間のコントロールができない。
1時間おきとか、2時間おきに目がさめて、本を読み始めてしまう。
 夜中に、2冊とか3冊、かわるがわる読んでいると、朝がくる。
どこかで気の早い親分みたいな小鳥さんが、号令口調?で、
いつまでも鳴く朝だ。今朝はそれがカラスだった。
うるさくはないんだけれど、ちょっとなぐってみたいなと。
説教がましい訓示みたいなカーアカーア声で、鳥たちだってイヤがってるわよ
と、そう思う。

そういえば、幼稚園の門の外で、お母さんと子どもを待っていると、
お向かいは小学校の校庭で、毎朝、朝礼が行われていた。
人にもよると思うけれど、小学生にああしろこうしろと号令を掛ける先生は、
なんと冷淡で、思いあがった声音の人だったろうか。
部外者で、あんたをちょっとなぐってみたいなと思う人が、この世にはいるんだと
チャンスがあったらわからせたいと思ったものだ、と思い出す。

と、人のことをあれこれ言うのはやさしいが、
今朝、読了した小さな本は、私が恵まれていたためにしでかした昔のまちがいを
手遅れだけれどほんとうに思い出させるものだった。

「北朝鮮で兄(オッパ)は死んだ」  七つ森書館
 ヤン・ヨンセ   聴き手は 佐高信
複雑な在日の事情を、対談の形式が、
読み手に、わからないとはいわせないような、効果をうんでいる。
だれだってヒトは複雑な事情を抱えているものだけれど、
本書で語られる悲劇と比べられるものがあるだろうか。
映画という形式を駆使する女性が話しているせいか、
隠された戦後の歴史がほんとうによく判る。
彼女の告発や非難や批判に、あいまいさは一切ない。
それでいて、過去の日本の歴史が私にも無関係ではないと、
わからせてしまう。
家族を、ドキュメンタリーという手法で描くせいかしら。

こんなふうに柔軟でなければ、しかも率直でなければ、映画も書物も、
人々の眼にふれず 終わってしまうのだろう、これからは。

ヤン・ヨンセは、ドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン 」の監督で、
この映画を私は、何年もまえに、東中野ポレポレで観たのだと思う。
2005年のこの映画は
ベルリン国際映画祭アジア最優秀映画賞、サンダンス映画祭審査員特別賞、
山形国際ドキュメンタリー映画祭特別賞など、多くの賞を獲得した。
最新作は、「ソナ、もう一人の私」

東中野ポレポレに行けば、まだ、観られるんだろうか?



2020年7月15日水曜日

それはともかく


それはともかく、
昨今の私は、童話の断片で、絶望をしのいでいる。
トラヴァースは子どもの時からお気に入りの作家だが、
なんという作品だったか、短い短編。

「星と石、鳥と人では陛下、どこがちがいましょうか?」
「どこもちがいはせん、教授どの。石は輝きなき星で、人は翼なき鳥ではないか」

王様はこんな唄を教授に歌ってきかせた。
     おお、勉強するなら
     とことんまでもやりましょう
     だけどそれではいそがしくって
     よく考えるひまがない
それとも教授殿、おおかたこのほうが気に入ろう。
     世界をぐるりとまわるのは
     わたしはあまりしたくない
     だってそしたらただまっすぐに
     家にもどってくるばかり

大教授は手をたたきました。
「もひとつあるが」と王様が言いました。「聞いてみたいと思うならば」
「なにとぞお歌い下さい、陛下!」
すると王様は、道化のほうへ首をかしげて、いじわるい笑いをうかべて
歌いました。
     大教授はみんな
     ずっと小さい子どもの時に
     水におぼれて
     死ぬがよい!
歌がおわると大教授は大声で笑って、王様の足もとにひれふしました。
「おお、王様よ」と言いました。
「永遠にましませ! わたくしめがお役に立つどころではございませぬ!」

 前川喜平さんは、現代教育行政研究会の代表であり、高級官僚だった人だが、
子どものとき、メアリーポピンズなんか、読んでたかも。
講演をきいたり、コラムを読んだりすると、ちょっとそんな感じ。
子ども時代にただ好きだったにすぎない詩句や童話は、
根強い教育論にすがたをかえ、
わけなく時空をこえて、彼方から読み手の心に飛んでくる。
そういうのを教養というんじゃなかろうか。
たとえ東大を出て、官庁に就職し、ヤクザな出世の階段をのぼってもね。




2020年7月14日火曜日

ミーちゃんからハーちゃんへ


ミーちゃんからハーちゃんへ
というメールを受けとった。
ハーちゃんはこの私、久保つぎこである。
77才としては、けっこう至極な宛名じゃないの。

私があんまり大演説したものだから、朗読の会の老いたる知的読書家2人が、
「美空ひばり恋し お嬢さんと私」をつられて読んだというメールである。
はははは。この本の破天荒な題名に、またおかしくなっちゃって、
くすくす思いだし笑い。年の割にド派手な本よね。

もしも電車の中で読むことになったら、あのインテリふたりは、
本にカヴァーをかけるだろう。なにしろ「美空ひばり恋し お嬢さんと私」
だもんね。いまは一億総マスク。だったらどう思われてもいいか。
ミーちゃんからの送信で私が1番うれしかったのは、
なぜこの本が好きか、スッキリわかってもらえたことだった。


ばんごはん


今日の晩御飯は、
生協で買った焼き鳥(冷凍)と、なにかの葉っぱのベーコンいためと、
厚揚げと、オクラだった。
焼き鳥はすごく見てくれがよかったので、私は楽しみにしていたけど、
息子は冷凍の焼き鳥に対して、のっけから悪意をもち悪口しか言わない。
厚揚げと菜っ葉だけでいいと、図々しい態度だ。
おいしいかもしれないじゃないの、と言うと、
いや絶対に不味いから! 口のうまい奴のいうことなんで信じたのかな!
怒りながら、フライパンで冷凍の焼き鳥を温めている。
どういうわけか、私が宣伝につられて買いこんだと思って、ガミガミガミガミ。
せっかく買ったのにと私はげんなり、厚揚げをサカナに一杯のんじゃって、
「うるさいよ、おじさん!」

できたから食べたらホントに不味かった。
なんとか覚えていられたら、二度と買わないわ。
ものの本を読むと、
老人って、何度もおなじ物をそれでも買っちゃうらしいけど。


2020年7月13日月曜日

手紙が届いた


むかし、私がよく知っていた少女から手紙が届いた。
ながい、かわいそうな手紙だった。
彼女がなんで不意にみんなの前から消えちゃったのか、
手紙を読むまで、なんにも知らなかったので、
きっと幸せを手にいれたから消えたのだろうと、ずっと思っていた。
・・・ひとは幸せならば消えたりしないものなのにね。

私は、その手紙のおしまいに書かれていたことを、
「町田子ども劇場」の谷田久美子さんに、電話してはなした。 
何年ぶりかで手紙をくれた少女が、
つぎこさんのブログで谷田さんの勇気に感激して、また泣けてきちゃいました、
と書いているから。縫物をしている女の子と猫の絵のヨコに。

  「パンフレットに書いてあるという文章、何度も読み返しました。
  こんな時でも確固たる信念を持って動いている人がいる というの
  が本当に嬉しいです。ただわたしに何ができるか、どうしたらいい
  か、という問いに対しては答えがみつかりません。
  でも自分の気持ち、感じることに嘘はないし、それに向き合うことを
  疎かにするのはもうやめようと思っています。
  ソーシャルディスタンスって本当に必要なんでしょうか。いきすぎた
  個人主義をもっと加速させて、これまであった地域のネットワークだ
  とか、助け合いの心とか、どんどん人間同士の係わりが希薄になって
  いきそうで、社会がどこへ向かっていくんだろうかと不安です。」

  「わたし、実はつぎこさんに本を一冊お借りしたままなんです。ごめん
  なさい。これと一緒に包んで送ることもできるけれど、会ってお返しし
  たいので、まだ持っています。朗読の会のみなさんともお話したいなあ。
  また書きます。」

彼女の手紙には、私たちがつねにさがしている、努力する理由についての
答えがある・・・。
記録映画「氷上の王 ジョン・カリー」を観たあと、
書きとめたジョン・カリーの言葉の、こだまのような、かすかな響き。

ある時(費用のかかる彼のカンパニーの公演宣伝のためだろう)
アメリカの華やか有名なTVショー出演したジョン・カリーが、
世にも意地悪で無礼な司会者にこう答えている場面。
質問はこうだった。
「あなたはなにか社会的に貢献したわけでもないし、なにか功績があったわけでも
ないですが、ご自分としてはそれについてどうお考えですか?」
弱々しく、神話のような美青年は、抵抗もせずにこう答えた。
歴史に残る天才なのに。

「スケートをふくめてあらゆる芸術は、人の人生に喜びを与える。
生きていてよかったと思わせる。人生はただ生きるだけではつまらないもので、
人はなにかを見て、喜んだり、悲しんだり、心を動かされたりする・・・
僕らのいったいなにが社会に貢献しているかときかれれば、
僕は人の心を動かすことができた。それが僕の幸福だ。」

自分がなにゆえに努力するのか、私たちはいつも、さがしている。
答えは、邪悪な者に問われて、心の中の思わぬ場所から溢れでる。
そして、そうであるのに、すぐにまた思いは行方不明になってしまうのだ。
1984年の「BURN」は彼のダンサーとして最後の作品だけれど、
そういう人間ならではの苦悩を描いて余すところがない。