2020年8月11日火曜日

お墓の掃除


暑い日。
お墓のある狭山湖霊園に着いたのが2時すぎ。
暑いのもあたりまえだ。
植木バサミで、柘植の木を伐り、ツツジの枝を刈るというか、切り落とす。
散々のび放題で手に負えない。
霊園で貸してもらった大きな鋏を使うが、手を痛めそうなので、
なるべくそれを使わず。うちから持ってきた植木バサミでひたすら伐って伐って
よそのお宅の墓地まで伸びた木をつかんで伐り払い、落ちた枝を投げ、
息子がそれをどこかへと運んで行って捨てる、もうおたがい無言で何回も何回も。
やっと片付いて大理石の墓石を束子で水洗い、持ってきたタオルで拭いた。
・・・2時間以上。

お線香を焚いて、手をあわせるけれど、
ここに眠っている私の父と継母に、けっきょくのところなにを祈ればよいのか。
いつのころからか、生きている者のことは考えず、自分としては不思議にも
2人ともやすらかに幸せにしていてください、と死者を想うばかりになった。

健も私も、着ているものが絞れるほど汗でびしょぬれ。
片づけて、がっくり荷物をもって歩き出したが、じゃぶじゃぶ音がしそうだった。
すぐ近くに小菅家のお墓がある。先ごろ純子ちゃんから、
お盆だし植木を伐ってきれいにしたと聞いたのに、お参りもできなかった。
彼女も「お宅のお墓に寄れなかった」と言ってたけど、暑いは疲れるはで、
すぐそこなのにどうしようもない、そこの角を曲がって歩けない。
純子ちゃんとは、それぞれお墓を掃除することで待ち合わせしたものなのに。

どこのお墓も太陽の圧迫に熱で荒れて、たいへんなかんじだけれど、
大きな墓石の両側に小さな石の像が並んでいる区画がいいなあと思う。
石像って荒れ寂びてもどこか可憐で、小さければ小さいほど、
お花がなくても風情が目に楽しい。

びしょぬれで車の座席に寄りかかかることもできない。
霊園で教えてもらって、15分ばかりの東村山「かたくりの湯」へ行った。
食事もして、着替えて、気がやすまって、8時すぎ自宅に到着。
大変にはちがいなかったけれど、気もすんで楽しい一日だった。

墓苑の事務所にいる時、ぼんやり考えたことだけれど、
ああこんなふうにして、私がつねに考えていることを ぜんぶ捨てたらと。
お墓と、それから木と風と虫や動物のことを考えて。
そんなふうに生きる人もいるのだろうから。
まあ…死者がそうなんでしょうね、きっと。