2020年8月9日日曜日

本間家訪問


みっちゃんの家に行った。
みっちゃんは家族新聞「すいとんの日」を発行しようと格闘している。
この格闘を始めてからのみっちゃんは、
健康を取り戻してむかしのまんま。憂鬱がとれて元気である。
不思議なことだし、とっても安心、やっぱり嬉しい。

新聞づくりって、メンド―でしょうよねえ。
記事をあつめて、短くしたり長くしたり。
みっちゃんは手書きの人だから、編集作業も大変なことだろうし。
自分も書き、ヒトにも「書いてください」と頼む。
それにつけても、なんだかもう、気を遣わなくちゃならない。
家族新聞発行、とかいっても。
そんなこんなの雑然とした手続きをまえに、彼女はもうノーミソがいっぱい。
とりかかるまでの、この取り組みというか、「予想」が重荷なのにちがいない。
この「バケモノお団子」みたいなみっちゃんの編集直前の空想の重み!
いつ電話しても、お手上げらしく、
うー・・・ん、とうなるから、おかしい。
はははは。だって、それやらないと、ボケちゃうのよ、みっちゃん。

みっちゃんは淑人さんのバックアップを得て、生気を取り戻している。
やっぱり溌剌として、ステキで綺麗な笑顔だ。
トシをとったら、どんなにくたびれても、どうしても、
なにかと格闘しなくちゃダメなのね、イヤでも。

みっちゃんは格闘している!

淑人さんに、石原慎太郎をインタヴューしたテレビ録画を、見せてもらった。
石原氏は、現安倍政権のアメリカとの関係を問われて、吐き捨てるように
「卑屈だ」と。・・・ホント、よく言ってくれた、みたいな。
そうやって、そうね、そうかもねと、
彼の談話を聴き手といっしょに拝聴するうち、
石原慎太郎って立派な人だったのねと思いそうになってきた。

都合のわるいことは一切避けてしまうインタヴュア―の弱腰のせいだ。
石原慎太郎は、自分の言動にまったく責任を持たない。
権力者として人気者?として、栄耀栄華を極めた過去のその時、なにをしたか。
現在の日本と東京都の荒廃の基礎固めをしたくせに、
恫喝顔して、批判的な質問なんかさせないのである。

無責任が弱腰によって、どこどこまでもまかり通っていく