2020年8月19日水曜日

1961年以来の借り


1961年といえば、私は18才だった。1960年安保の次の年だ。
私の高校は、国会議事堂にちかい場所にあったが、都立校だし
安保闘争の影響など受けまいという守りの人間が多かったけれど、
それでも学校にいれば、1960年は、わさわさと落ち着けなかった。
とくに、私たちの学年には、奥君とか千谷君とか、学生運動に身を投じ、
大学入学後職業革命家みたいになり、のちに自殺してしまう同級生もいて、
そういうことが忘れられない。

一方、私にとって1961年とは、
「人間・歳月・生活」という書物を、新宿の紀伊国屋で買い始めた年だ。
大学の文学部に入学すれば、とりあえず若者は語学によって文学作品を選ぶ。
仏文科ならば、例えばサルトルであり、ゾラであり、モリエールであり、
露文科だとトルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフ、チェーホフ等々。
私は露文科ではなかったけれど、第1外国語にロシア語を選択したから、
どういういきさつがあってそうなったか忘れたが、
イリヤ・エレンブルグの「人間・歳月・生活」という書物に行き当たり、
6巻もある本を出版されると買って、そしてとばし読みをしたのである。

私はこの本がとても好きで、どこに住みどう暮らすことになっても、
代田橋の4畳半だろうと調布の6畳一間だろうと、現在の多摩市の家にも、
この6冊を運んで、「いつか終始一貫きちんと読了する」と誓いをたて、
しかし、雑事にかまけてさっぱりそういうことができず。
この何年かなどは、ああこのまま読まずに死んじゃうのかしらと
そんなことを考えるようになっていたのである。

「ダ・ヴィンチ・コード」というとんでもなく長い小説を読んだあと、
娘に電話してきいてみた。
こんな長編のわけのわからない本が読めるんだから、ロシア文学の例えば
トルストイの「戦争と平和」とかドストエフスキーの「死の家の記録」だとかさ、
「読もうと思えば、もう一度、私にも読めるかしら」
なにがおかしいのか遥はふきだして、
「読めるよ、ダ・ヴィンチ・コードが読めたんだから」

神様というのは、ほんとうにいるみたい、と最近よく思う。
真夜中眠れずに頭上の本棚に手を伸ばし、暗闇の中で本を取り出したら、
不思議にもそれが、エレンブルグの「人間・歳月・生活」の第1巻だった。

だから今、私はやっとキッチリ借りを返している。