2020年8月11日火曜日

熱風の日


今日は日中、気温が37度になるってきいた。

私の平熱は35度2分、歩いたらお湯の中に漕ぎ出す感じかしら。
家の中から外をながめると、木の枝が斜めにゆれて炎みたいだ。
洗濯物をとりこみにいけば、クーラーの排気の熱風?がガラス戸にあたって
こわいみたい、火事にでもなったらと不安な夏である。

中空で、風がずーっと 音をたてている。
雲がひとつも見えない日。
なぜだか久保のお姑さんの話す声を不意に想い出す。
私がまだ髪の毛を三つ編みにして、旅公演に出かけ、
銀河鉄道を渡る舟に乗り、被爆して死んだ女の子をやっていたころのことだ。

「ここに引っ越してきたばかりの夏にね、家の前はまだ畑だったですけど」
庭に水を撒き終わったお舅さんが、畑に水を遣っているお百姓さんに、
どうぞ家の水道をお使いなさいと 声をかけたのだという。
お百姓さんはとても良い人で、結構ですからとしきりに断ったけれど、
しまいにはお舅さんの勧めにまけて、水をもらって撒き始めたそうである。
「そうしたら、もうね、ああいう人たちが水を撒くっていうことは」
お姑さんはそのびっくりした時のまんま、すこし声を潜めて言うのだった。
「もうね、ジャージャー、ジャージャーと、いつまでもいつまでも、
やめないんですよね?! 始めたら最後ずっと夕方になるまで撒くんですね。
やめないのよ、ツンコさん。 ああ、お百姓さんって私たちなんかとはぜんぜん、
基準がちがうんだなーってあの時は思いましたよね。」

お姑さんの話はどこかおかしく出来ていて、私はしょっちゅう笑ってた。
お姑さんていい人だった、お話がいつも楽しかったなあと思う。
ツンコさん、といえば。私はお舅さんもけっこう好きだった。
佐分利信みたいな、演出家の菅原卓先生みたいな美しい白髪、風格。
「かあさん、ところでツンコさんはなんという名前だったかね?」
お父さんたらね、このあいだ、お母さんにそんなこと聞いてるのよ。
3人姉妹たちがドッと笑って話してくれたっけ、
「いいえ冗談じゃなくて本気なのよ、あの方、冗談なんか言わない人ですもん」
いかにもの感じだからおかしくて笑っちゃったけど。
結婚して子どもたちもいた頃だった。

離婚なんて久保家では前代未聞だし、
それがお舅さんの亡くなったあとで助かったなあと思う。