2020年8月10日月曜日

シールズの消息


8月9日は長崎の、被爆75年の日。
東京新聞の朝刊に、本当にうれしいニュースが載った。
2ページ、そらいろの核心という文字。
「被ばく100年を 戦後100年に」の大見出し。
林田光弘さんについての記事だった。
シールズの消息なのである。

  彼についての紹介
   1992年、長崎市出身。爆心地に近い同市浦上地区で育ち、
   高校生に1万人署名や高校生平和大使の活動に参加する。明治
   学院大に在学中、SEALDs(シールズ、自由と民主主義の
   ための学生緊急行動)の創設に参加し、中心メンバーとして活
   動。現在は会社勤めの傍ら、被爆者の証言会などを続けている。

2015年のころは、私も安保関連法に抗議するために、国会へ出かけた。
5年前である。以来、シールズはシールズはと時々、考えた。
彼らは無事に就職できたのだろうか、と思ったりした。

林田さんの記事を読んで、彼が就職していたことを知りホッとして。
働きながら、ヒバクシャ国際署名ののキャンペーンリーダーを務める彼は、
被爆3世で、いま28才なのである。

新型コロナによって大幅に制限された被爆者の活動について、
彼はこんなふうに話している。

(従来の活動のかわりに、オンラインでの証言会をやったことに言及)
「一つは若い人の参加のハードルが下がったこと。高校生や大学生が三十人から
 五十人ほど 参加してくれた。通常の証言会ではなかったことだ。
 もう一つは、活発な質疑応答ができた点だ。北海道から沖縄までの若者が、被爆の
 話を聞いて議論することは、貴重な学びの場になったと感じた。」

こうも語っている。
「私は最近、被爆百年をどう迎えるのかということを考えている。
  これからの二十五年を日本は戦争をせずに過ごし、被爆百年を戦後百年で迎える
 ということが、被爆者に贈れる最大の感謝ではないか。被爆者がいなくなる戦後
 百年を考えたときに、当事者意識を持って活動する人を全国に何人つくれるのかが
 すごく大事なことだと思う。」

素晴らしい記事だった。

燎原の火ということをおもった。
いつか朗読の会で、みんなで絵本を読み、学んだことばである。
燎原の火というものは、大地を猛烈に染めて拡がって、
いつかは人々の祈りを現実に変えるのだけれど。
その松明のひとつひとつは、彼の話にあるように、
やっぱり30人ぐらいの、なかなか大きくならない松明(たいまつ)なのだ。

落ち着いて人々の心をつかむ 松明こそはだいじなものだ。
被爆百年を戦後百年に。

シールズの林田さんが、今日そこにいるということを、
ほんとうに喜ばずにはいられない。