2020年6月28日日曜日

またも草取り


下北沢の「スリー」でライブときいて、行きたいと思ったけれど、
30人分のチケットしかないそうで。きいてもらったけれど、やっぱりダメだった。
ざんねん。どんなもんか見たかったのに。
ロックバンドのためのライブハウス・・・コロナの気の毒な標的。

なんとも言えない空気というか、暑っくるしい日である。

やっとこさ立ちあがってコインランドリーへ。
ガラ空き。24分間でぜんぶ乾いてしまった。
帰って、本を読みながら、草取りをしようかするまいか、悩む。
グズグズするうち外は灰色めいて早くも夕暮れの気配、
あと一時間もすれば草が見えなくなってしまうだろう。
そう思ったら急にやる気になったからおかしい。それでまたも小笹とたたかう。
今日もまた3分の1しか草は刈れず。トシだと思うことにも慣れて、
ああそうですか、みたいな。

2袋の草の大袋を捨てにいく途中、親愛なる細田老人にばったり。
これからのこの日本をどう思うか、1番うかがってみたい方である。
団地に住んで、細田さんにお目にかかれて、私って本当によかった。
なんとかして、お話を聞こう、なんとかしてとひそかに決心。
20年まえだと、細田さんは今の私より若い・・・。
日本はまさかこんなじゃなかったから、こんなことはきかなかった。
細田さん、日本はいまに、イラクだとかイランだとかエジプトだとか、
あんなふうになっちゃうのかしら。どう思われますか?




2020年6月26日金曜日

必死の草取り


うちは、玉電みたいなつくりで、細長い。細長いのが隣近所とくっついている。
だから、庭もおんなじ造り、□こんな形で6軒つながっているから、
自分だけ草取りができないと厄介だ。
だれもなんとも言わないけれど、丹精込めるお隣さんに申し訳なくて。
今日は、雨が降りそうで降らない、なにがなんでもがんばることに決めた。
ものも言わずに、ムキになってがんばったけれど、3分の1しかできなかった。
息子がかえってきて、庭にいる私に気がつき、笑っちゃって、
「えらいじゃないの!」
私は汗だくだく。
「少しはスッキリしたとおもう?」
ときくそばから、どうせこいつにはわかってもらえないと、急にフンガイ爆発、
「おまえみたいなドンカン男にわかるはずないけど! 」
お隣同士ひっついた庭だからきこえちゃうのに。

歯医者の先生に、歯をくいしばってはいけませんよと、いつもいつも言われるけれど、
あきらめて庭から退却、手や顔なんか洗うころになって、
ああ、私ってまた歯をくいしばっていたんだろうなあ、と気がつく。
なにかにつけて、 歯をくいしばって、下の歯が壊れかけているわけだから。
気をつけて下さいね、気をつけて下さいね、なんとかしますけど、
「特に眠っている時ですけど、歯ぎしりとか噛みしめスギとかありませんか?」
私の先生は善い人で、そう聞いてくれるんだけど、
笑いそうになっちゃって、もう。
下の歯がぶっ壊れそうなほど、真剣に緊張して、それでも熟睡。
それがヘンだとわれながらおかしい。
不眠症のみっちゃんが、いいわねえと恨むだろうと思うと笑いそうになる。

眠っている私に、私の歯ぎしりが、聞こえるわけがないじゃないの 。
噛みしめスギも、眠りながら止めるなんて手におえないじゃないの。
クスクス笑いそうになって、笑い事じゃないと思えば思うほど、厄介だ。

今日の運動、おわり。


2020年6月25日木曜日

春のおきみやげ

 
気がつくと、鶯(うぐいす)が私の家の前の土手の樹木のどこかで、
しばらく鳴いている。
京うぐいすの御所ことば、という老舗和菓子の宣伝みたいな俳句、
さあ上の句はなんといったか、6月もおしまいというのに、
なんて格調のあるきれいな、ほーほけきょ・・・、だったろうか。
春からとつぜん送られてきたプレゼントみたいとうれしい。

なんどもなんども囀ってくれるので、つい口笛で鳴声をまねしたら、
むりもないけど。鶯は なんの音もたてずに消えていってしまった。
せっかく、春のかみさまから、特別あつかいをしてもらったのにと、
残念がっても、もう遅い。
あーあ。不調法なのよね、いつもいつも。



町田子ども劇場の勇気


今日は、谷田さんが畑のお野菜を届けてくれた日でした。
無農薬の、ナスやキュウリ、パセリ、プチとまと、インゲン豆などなど。
弟さんのお墓が近くなので、お墓参りの帰りに寄るからと電話があって。
高校時代からの友人で、銀行に就職したのが、
いつのまにか「町田子ども劇場」で専従として働く人になった。
今は一線から退いてお手伝いと言うけれど、子ども劇場に行けば、かならず
そこで働いている彼女の姿がうれしいです。

今年6月21日(日)コロナ禍にもかかわらず、町田子ども劇場は、
(空間確保のため2ステージにして)80分づつの公演を決行。
そう谷田さんからきいて、 本当にもう感激してしまいました。
どれほどの困難、内外の批判や苦情を招いただろうか。
それがもうまざまざと想像できちゃって。


「町田子ども劇場のごあんない」という小さなパンフレットには
こんなことが書いてあるけど。 

     みる あそぶ つどう なかま           
            *
    町田子ども劇場が大切にしていることは、
 なかまとともに生の舞台芸術にたくさんふれること
     なかまとともに自然のなかで遊ぶこと

 これらの体験が、人間の土台となる感性を育みます。

 感性の根っこは目に見えませんが、成長の幹となる知性を支え
    やがて、認識する力や表現する力の花が開きます。

    特に乳幼児期は、感性の根っこが一番育つとき。
    心に豊かな栄養をたくさんあげたいですね。
        

日本の、コロナ禍は、なにが禍々しいといって、
問答無用に、みる、あそぶ、つどう、なかま、をふみつぶしたこと、
子どもだけではなく、おとなまでが無批判にその渦のにない手を務めたことだと、
この文面をながめていると、つくづくそう思えてなりません。
ふつうのことだと思っていたけど、実はだいじだったんだなあって。

谷田さんが、というとオカシイような(高校時代のあだ名はボウヤなので)。
この谷田さんがもってきてくれた5月の事務局便りのさいしょはこうです。
 
 「 新緑がまぶしい季節になりましたね。草花や鳥の声が、こんなにまぶしく感じ
  られる日が来るとは想像していませんでした。一人一人が、出口の見えない不安
  と緊張を抱え、大変な時をお過ごしと思います。
   この緊急事態の中にいると、今までの私たちが、いかに文化を共有する素敵な時
  もっていたか、と気づかされます。今後の予定も直前まで変更の可能性がありご迷
  惑をおかけしますが、どうかご理解をよろしくお願いします。」

たぶん、こういう人たちの必死な働きが、私たち日本人の
客観性とか、ユーモアとか、話し合う能力、自然な友情なんかを
さりげなく守ってくれるんでしょうね 。

ボウヤ、お野菜に、おそばに、海苔、ふくろにいっぱい、ありがとう。



2020年6月22日月曜日

日曜日



ヒトと待ち合わせ。
1時間もはやく着いてしまい、こまって駅前の書店に行き、
「民主主義をあきらめない」という5年前に刊行された岩波ブックレットを買った。
喫茶店に入って、梅緑茶を飲みながら、時間をつぶす。
梅緑茶(冷たくした緑茶に甘酸梅の実)一杯で45分。

ブックレットの、内橋克人氏(「鎌倉・9条の会」)の文章がなつかしくて。
講演会のお話から、内橋さんが民主主義について語りおこしている。

2011年の東関東大震災、地震に続く原発事故の直後、
大船で開かれた講演会に、私は出かけた。
おどろくばかりに会場いっぱいの人、ひと、人だった。
大江健三郎、内橋克人、なだいなだ、3氏の講演会。
チケット前売りの段階での演題はたしか「故・井上ひさしさんを偲ぶ」。
当時、私は幼稚園の園長で、毎週土曜日は休日だったけれど、
大震災直後であり、急にどんな会議や用事ができてしまうか、
もう迷いにまよったあげく、むりやり講演をききに出かけたのだった。

この3人の、おそらく日本で一番賢いにちがいない人たちは、
(と私は大船にむかう電車の中で必死になって考えた)
この未曽有宇の大災害についてどういう考え方を選択するのだろうか。
原子炉の大爆発について、私たちにどう対処せよと語るのだろうか。
偶然にも今日講演が行われるわけだからこの話になる、きっとそうなる。
万障繰り合わせてでも、と私は思った。講演を聴こう。
その上で園長職にある自分の考え方をさぐりたい、確信を得たい。
そう思ったことをよく覚えている。
当然のことだけれど、園長という職務上、
幼稚園の若い親たちや、職員のことで私の頭の中はいっぱいだった。
幼い子どもたちの姿やかたちが、浮かんでは消え、消えては浮かぶ毎日だった。


内橋先生は今もお元気だろうか。
あれからもう10年である。それでもこのブックレットの内橋さんの文章は
亡くなった「鎌倉9条の会」のお仲間を哀惜することから始められていた・・・。




2020年6月21日日曜日

オランダのおみくじ


遥はオランダから、知恵占い、みたいな小箱を、時々送ってくれていた。

世界の賢人の格言を集めたもので、もちろん、オランダ語。
遠くにいる私のために小さな文字でヨコに日本語がつけてある。
私が喜ぶものだから、それは4箱にもなった。2,3年がかりだった。
白い小さな紙のひと箱に90ぐらいの格言、神社でいえばおみくじが入っている。
オランダのおみくじって、
エラスムスだとか、プラトンだとか、そういう人のお言葉なので。
遥の日常あやつるオランダ語は、この占い箱翻訳作業のせいで、
いささか、格調高く説教がましい色あいを帯びたかも。
もともとは、陽気で冗談っぽい娘なのだけれど。

きのう私は深夜になってから、箱のひとつをとって、
用心しながら、ピンセットで(小さいから!)紙片を選んで取り出した。
雨続きで、もうどうやったって、元気がでないからだった。 
そうしたら(詠み人知らずで)、それはこんな言葉だった。
   
幸福が見えない?  幸福はあなたを見てますよ。  
ℤiet u het geluk niet?   Het ziet u wel

たとえ、コロナの蛮力をかりて、ファシズムの暗い影が世界を覆っても、
今という時だからなおさら、私の人生の幸福は家族と友だち、
わずかかもしれないけれど、それでも少なからぬ人たちだ。
私の幸福は、きっとそういうことなのだ。
私はみんなを見ているし、みんなも私を見てくれているのだろう。

白い箱からとりだした小さい小さい紙片が、
遠くからとどいた遥のお母さん応援のような気がして、こんど朗読の日に
友だちみんなにこのオランダのおみくじを引いてもらって
あれこれ笑いあおう、と思ったりした。


2020年6月19日金曜日

もうけ、の金曜日


朝おきられず。朝食の支度をして、
またも眠ってしまう。
5時、7時、9時、いちいち起きては、また寝てしまう。
10時になって、いくらなんでもと、呪われたように起きる。
やっかいにも、脳内道徳律みたいなものに突っつかれて、のびのび眠れない 。

ごはん食べられず。おかずはまずい。お茶も感心しない。
DVDの長く続く長編戦記も、人殺しと血しぶきの連続だから、
残虐負けして、おちおち見ていられない。
ところが見てられないのに、見続けてしまう、こわいのにやめられない。
低血圧って、こういうことかしら。

自分にあいそがつきて時計を見たら、おひるの12時だった。
金曜日だからゴミの日だと気がついて急にビックリ仰天。
手遅れにきまっているのに、こわごわ団地のゴミ集積場までいってみる。
不思議なことに! 霧雨のむこうの金網の箱に、
なぜかいっぱい、今日のみんなのゴミがそのまんまだった!

もうけ!!! たすかったぁと嬉しくて、 
急に立ち直ってシッカリした! 幸せだという気にもなった。
「あなたみたいなヒトをテレビ局では、キャッシュというんですよ」
むかしむかし、コーディネーターのオネエサンにいわれたことがあったっけ。
ゲンキンなやつだから、キャッシュなんだって。



2020年6月18日木曜日

スクラップ・ブック


新聞の切り抜きを始めた。スクラップ・ブック(切り抜き帳)にはこれがいいと、
息子が大きいノートを買ってくれた。
紙屑の山みたいに、新聞記事のきれっぱしがとっ散らかる部屋で暮らしていたけど、
これでなんとか、整理ができる。
ような気がする。
うちの雑多な掲示板にも、心残りの記事の破片が、画鋲で止めてあって、
読むとそれは、たぶん10年以上も前の私の気がかりだったのに。
切り抜いたって、それだけじゃダメなのだ。

「措置入院もっと知って」
パート 斉藤由美子さん 48才の投書。

 措置入院をしたことのある政治家はいるのだろうか。
もしいたとしたら、措置入院後の生活を永久に監視するような改正法案を
出したりはしないだろう。
 私は甲状腺の手術時に、取らなくてもよい副甲状腺を切除されたのが原因で、
過去に何回か精神科に入院した。そのうち一回は精神保健福祉法に基づく強制
入院の「措置入院」だった。家族にとっては思い出したくない出来事で、私に
とっては記憶がほとんどあやふやな事柄になっている。
 ただ今でもはっきり覚えているのが、救急外来で医者と話をした後に打たれた
注射で記憶が無くなったことだ。目を覚ますと、真っ白い無機質な壁に囲まれた
部屋のベッドに寝かされていた。驚いたことに、両足首、両手首、お腹は高速帯
といわれる白いバンドで固定され、磔(はりつけ)獄門にされているような格好
だった。「悪いことをしていないのに、なんで縛られているのだろう」という疑
問と情けなさで涙が溢れ出たのを覚えている。
 その後、「 カクリ」と呼ばれる何もない個室に閉じ込められた。措置入院した
病院は、トイレと洗面台が付いていたが、自由に使えるわけではない。 
食事とトイレ以外は常に拘束帯に縛られたままだ。状態がよくなるにつれて拘束帯
の場所も時間もなくなっていき、大部屋へ移される。私の場合、お腹の拘束帯は
退院するまで就寝時に付けられたままだった。
 措置入院患者や精神疾患を患っている患者全員が、殺人を犯すような危険人物に
なり得るという偏見を持つのはやめてもらいたい。わたしのように病気が原因で
精神に異常をきたす場合もあるのだから。


スウェーデンの世界的ベストセラーに、スティーグ・ラーソンの『ミレニアム』
があるが、斉藤由美子さんの投書は、本書の主人公、リスベット・サランデルの受難
そのままである。
小説に描かれた、精神科医の悪だくみに満ちたやり口そのままの措置・・・。
いま現在の。おそらく法律で守られている日本精神医学界の。

私の家は、精神病の家系で、
子どもを育てる時、私は用心深くなった。
さいわい無事に子どもたちは成人したが、まったく無関係な話題だと考えたことは
一度もない。それなのにこういう悲痛な「投書」でもわすれてしまう。
いつか考えようと思いながらハサミで切り抜いたはずなのに。
 



2020年6月17日水曜日

2、いのちを思う


気持ちをラクに学ぶチャンスは、めったにやってこないものだ。
トシにこだわらず嬉しく学ぶ・・・。

大橋家での雑談は楽しい。話題の飛躍。遠慮しないでできる質問。
参加者みんなの、自由な説明と応答。
発言の自由は、慣れればいっそらくちんだ。
講義?のあいまに大橋Mr.が ーみんなにきいて緑茶とかコーヒーとか用意、
彼は本日の首席講師だけども。
これはみっちゃんの家に行ってもおなじ。
淑人さんが、あらゆる飲み物を考えてだしてくれる、
ー緑茶にコーヒー、無農薬のジュースと、なんでもOKである。

楽しい、という字には、いろいろあるけど、
私は学者の一人っ子だっだせいか、質問して答えがききたい。
それが、娯楽、娯しいという字と楽しいという字。
精神的ご近所さんに、優秀至極の解答者を見つけちゃったのが、幸せである。
しかも1人はみっちゃんの夫君、1人は杖代さんの夫君なのよね。
若い友だちもいっしょにみんなが集まると、
一生かかったけれど、ステキだ、これでよかったことにするべい、
できれば大笑いなんかして、と考える。

それから、
話の最中なのに、長生きということを思う。
みんなが病気もちだから。
はすかいに、みんなをながめて、生きていてほしいと切実に願う。

不意に、遠くて儚い記憶のほうに思いがそれていく。
ええと・・・幸せという音があった、・・しあわせ・・・わが、という音、
思い出せるはずもないのに、古びたホコリまみれのビックリ箱の戸口から、
むかし観た芝居のタイトルの? とヒントが姿をあらわし、
くるしくて懐かしいフレーズが、記憶の底で完成する。
ー嘲るようなわが幸せー
チェーホフだった、・・・あまりにチェーホフ的なこの痛い言葉を、
私はどんなに愛していたろうか。
砂防会館の客席で若い私は思ったものだ。
なーんだ、タイトル倒れじゃないの。

思い出のビックリ箱は、なかなか開かない。

もう命の期限が迫るという、こんな時期には、
みんなだって私とおなじようなことを想っているのだろう。

その沈思黙考、とこれは学校の試験熟語だけれど、
ことばにされない連帯感、とこれは組合運動熟語だけれど、
その遠い地平に、チェーホフの短命と、人間の生命への理解とが、
今はもう茫然として、こころもとない 私のところまで、
もう一度届いた、
それなんかも、
幸せのひとつ、まにあったということなのよ、きっとね。



1、戦争の定義


「アメリカはトランプ大統領になってから戦争はしていない」
という
若いひとの意見があると聞いた。
そんなはずはないと思っても、その意見にも根拠があるのだろう。
しかも私の考えといえば、あやふやな印象批評といったところ。
いつもこれで困ってしまう。
文献で世界情勢をきっちり追いかけたことなどないし、
新聞は毎日ありとあらゆるニュースでいっぱい、
一生懸命読むけど、なんにも(でもないか)おぼえていない。

それでこだわることにした。
個人的に小さく、わかりやすく講義というか説明をして下さる人を、
私はふたりも知っていて、そのふたりの奥さんと朗読仲良し。
あっという間にベンキョーの御茶会が実現した。
きのうの話がきょうなので、人数6人、とても良い数。
6人ぐらいだと、どんなアホな質問もできる、なんでも言える。
博覧強記な男性2人に、世界情勢に興味がなくもない女4人というのも、
気がらく、怖くないからこそ尊敬しているんだし。
6人の平均年齢は、ええと、69才ぐらいかしらね。

問い。
アメリカ合衆国はトランプ大統領になってから、戦争をしてないって本当ですか。
答えはこうだった。   
   国家と国家が軍隊をつかって争い、
   どっちかが勝利し、どっちかが敗北する。
   つまりおおやけに「敗戦」とか「終戦」がある、
   例えばベトナムとアメリカ、例えばイラクとアメリカの戦争がそれだ。
   それを指して[戦争」と定義するなら、
   そういう「戦争」はいまのところない。
 
   しかし、おおやけに国家と国家が争う戦争以外に、
   世界には誰の目にもあきらかなアメリカによる大量殺戮が存在する。
   アメリカは、他国民に対する大量殺戮を、中止したことはない。
   直接間接を問わず。圧倒的な大量兵器や、傀儡政権をつかって、
   アメリカは他国を侵略し支配する。
  
   それはまぎれもなく戦争である。


2020年6月14日日曜日

ひま とか ②

 
替え歌。

あの女は くたくたになるほど
ニンジンをみじん切りにした
あの女は わしらが汗をかくほど
ゴボウをあく抜きして細く切った
あの女は 字にはつづれないほど
ニンニクを刻んできざんだ
あの女は口にはいえないほど
タマネギの悪口を言った
あの女はわしらが笑い出すほど
ジャガイモを洗った
あの女はまる1日と半
セロリを賽の目にきざんだ
あの女は頭がからっぽになるまで
野菜いための用意をした
だがとうとう 帆をあげて行ってしまった

野菜いためを放棄して
息子がいう国領のラーメン屋に
ネットでいま評判とかの(!)

              あの女とは私ですよ、もちろん

ひま、とか ①


神経痛。
ピリピリ、あっちこっち。
一日・・・、
ごはんの支度をするだけで、
鳥の声をきいている。
小鳥が、近隣あれこれの木で、朝から打ち合わせをしている。
藪の中にもいる 。
大きそうな、ちいさそうな、
一羽だけのくらし、大勢の群れ
なにか
相談でしょ
コロナ、コロナ、コ、コケコロナ、コケ、コロナコロナ、コロナ、コロナ、
ギャーギャーとか。
バカとか。
どーでもいいや、いやよくないよ。ちょっときいてちょっときいて。
ふふん、へへん、アホアホアホ、アホッ、ハハ帆ホへ
いいからマスクしろ、マスクマスクマスク、
耳もないのにマスク、マスク 、
鳥もマスク、動物もマスク、植物もマスク、
コロナだべコロナだってば、いいからコロナ、
ギャーギャー、ジュクち~、ジュクち~、マスクマスク、マスク
 と、
そんなことじゃ、ない、だろうし。


2020年6月13日土曜日

喜寿という通過点


雨だ あ
降ってる
不思議にのんびり
わたしってそういうトシなんだ
いい人になりたくて
つい努力の
毎日後悔
ところが ふしぎふしぎ
喜寿っていい
77・2、3日たったら
青い空のなかにいて
ふんわり白い雲を見てるみたいに
なってきた

理由なんか
わっからないが
わたしは のんびりしてる
77年も生きて?
後悔ばかりの
苦しさが
四角なヒナギクの畑みたい
微風にゆれるのだ
そのヒナギクって小さくて
ふしぎ、ふしぎ
とそう思う


いまの私の一生の、疲労の果ての、ふらふらとした心の総括は、
アンドレ・ケルテスの写真集にあつめられた人々の姿にそっくりだ。
 『読む時間』On Reading 創元社
さまざまな文字を読む人たち・・・。
私はとりわけ、貧しそうな姿が文字を読んでいる姿に気をひかれるが、
幸せがこんな空気感をもって迫ってくる写真集は、めずらしい。
どんなに苦しい時でも、人生には、没頭できるしあわせな瞬間がたくさんある。
それを、この写真集ほどはっきり教えてくれる本って、見たことがない。

ケルテスは1894年うまれ。この写真集は古典だそうである。

『戦場の秘密図書館』と、この『読む時間』は、
必読の書である。だれでもが読める。子どもでも、老人でも。
ヒトという、うまくゆかない生物が、
しかし純粋な幸福をかならず探しだしてしまう者だということを、
ちゃんと知らせてくれる本。



2020年6月12日金曜日

パーマネントヘブン


パーマをかけに行った。
半年ぶり。
3か月、病気。
よくなったらコロナ大騒動。

彼女は私の娘と同い年で、始めは府中の伊勢丹の美容室にいた。
そこでは早くも職場のリーダー格という感じ。
それからつつじヶ丘の美容院で何年かしばらく働いて、
そのあと、今の仙川の、小さな小さな美容室にいる。
可愛い顔のケロリとした人で、
遥は伊勢丹で彼女にカーリーヘアにしてもらって、またロシアにもどった。

ロシアからオランダへ、演劇大学にいたかと思うと、ガイドになり、
それから商社に勤めはじめた、苦労する遥と、
ずーっと美容師として転々、独立を求めて働き続ける彼女と。
「あのとき、遥ちゃんはお母さんの傍に立って、ああしなよとか、
こうしなよとかって 。娘ってあたしもそうなんですけど、
あれこれ言ってましたよね。おぼえてますもん」
 
私は、髪の毛は信用してるから、彼女にお任せで、
「今度のところは仙川駅から1キロ 歩くのかぁ」と思いながら、
それでも、ほかの美容室にいくなんて、というか。
彼女も遥も、ふたりとも40才はいつのまにか越しちゃって、
声だけほがらか、安心してよと言わんばかりの、
実態がわかるようでわからない、遠くで働く強い娘たちなのである。

 

       註  (パーマネントヘブン、息子のCDのタイトルを無断借用)
   

2020年6月11日木曜日

THE ABSENCE Of TWO


多摩図書館にたのんだ写真集が、稲城図書館から送られてきた。
借用図書。
「2人の不在」
    ABSENCE Of TWOである。

カメラマンが写した2人は、祖母と大輝、おばあちゃんと孫、
祖母は1928年、孫は1990年生まれ。
(カメラマンの吉田亮人さんにとっては祖母と従兄弟)
この写真集は、ふたりの存在の記録で、
現実の、幻の、幻影のような、ありのままの、
ただの生活をうつした写真集で、
この残酷な憂き世に、がんばってがんばって生きる私たちを、
いつまでもなぐさめてくれるようなものだ・・・。

 大輝さんは、ある日、なんにもいわずに、
いや、こういって、ふーっと消えてしまった。
「いつもんごと、オレの手を握って『行ってくるわ』って言うて、
『ばあちゃん今までありがとうね。元気でいないよ』って言って
出て行ったが。」
23才。
おばあちゃんは2016年まで生きて、88才のある日、眠って死んだ。

「存在」と「不存在」は哲学の用語だとおもうけれど、
この写真に残された存在と不存在は、あまりにも自然な光と幸福に満ちていて
カメラが捉えた写実と、あふれるゆめまぼろしの同時性が 、
ほんとうに奇跡のようなのだ。



2020年6月10日水曜日

女医さん


久しぶりに病院へ行った。
私のセンセイは女医さんである。
職業柄、怒っている。
「血糖値があがっています。困りましたねえ!?」
なんでこんなことになっちゃったんですかっ! 
こんな数値って考えられません。なにが原因なんですか。
心当たりがありますか?
暴飲暴食のせいだと思うというのが私の考えで、
そう言うんだけど、なぜかバカにした顔でとりあってくれない。
ふふーん、と大きな疲れた目で、私をキッとにらみつけ、
この先生特有の、ためすような表情、
コロナ禍の最中もずっと最前線で患者に対応していたヒトである。
やっぱりえらい。
そう思う。いい人だと私は思い始めている。
「いまでもインシュリンはイヤですか?!」
「すみません、いやです。」
「ふつうの半分ちょっと、それをしばらくやればと思いますよ。」
いまどきのインシュリンは途中でやめてもいいのかと、内心おどろく私に、
「こんな血糖値ですと、コロナにかかりやすいですから」
でも先生、私は気をつけているからコロナにかかりはしませんでした。
と言わないけれど、どうもなんだかだ。


私の「油断」が血糖値上昇の原因 だということで折り合って、
しっかり薬を飲む約束で、家に帰ってきたけど、
そうするんだけど・・・・・・。
途中、自分としては、むかし好きだった古い詩句を思い出した。


   あの女は くたくたになるほど
   わしらの悪口を言った
   あの女は わしらが汗をかくほど
   わしらの悪口を言った
   あの女は 字にはつづれないほど
   わしらの悪口を言った
   あの女は 口には言えないほど
   わしらの悪口を言った
   あの女は わしらが笑い出すほど
   わしらの悪口を言った
   あの女は まる1日と半
   わしらの悪口を言った。
   あの女は 頭がからっぽになるまで
   わしらの悪口を言った
   だが とうとう帆をあげて 行ってしまった

だれだっけ、この詩をつくった詩人は? ミュッセ?
むかし私は、継母のことを考える時、苦しく、この詩を思った。
私の継母はいつも正しい側のヒトだった。
いつも正しい、なんて子どもからみても不公平なのに。
継母は暗い陰気なタイプだったから、この詩とはちぐはぐ、
「帆をあげて行ってしまってくれたら」とこっちが思うだけで、
ユーモラスな結末はのぞめないし、ピッタリこなかった。
でも今日の先生なら、あの女医さんなら 、おなじ無理解でも、上から目線でも、
タイプ確立、堂々ありのままの自己表現、ばかにしたような微笑。
患者がいくぶん努力で笑いたくなるかもしれないほどの・・・。
陰気じゃなくて陽気なんだろうから、
ちょっとこんな詩にちかい風味のタイプかな、と。

私は親の代からの糖尿病で、
コロナ禍にまきこまれでもしたら、危険一番にあげられたりする病気だ。
糖尿病は、まあ、私の病気である。
そこがわかってもらいたいポイントなんだけど。
私は、同じ板の上に載ってるかまぼこの一切れじゃない、
そうは思ってもらえないらしいが、人間って個体だよ。


2020年6月8日月曜日

立ち直れる


あれは、なんという名の鳥だろう?
すごくイヤな声でねばっこく、早朝から鳴くのが不吉だと思う。
そんな思い方をしたせいか、朝食のあと、またふらふらと寝てしまった。
一時間半ほどで起きたけれど、徒手空拳。
なーんにもできず、当てもなく本ばかり見る、というか、読む。
ごはんを食べて、洗濯ものを取りこんで、
どうもおかしい、どうもおかしいと思う。
なにがおかしいのか。
私って精神が意気地なく弛んで(たるんで)いるのだろう。
ぜひそう思いたい。
わるい方にわるい方に引きずられて生きるのは、バカバカしいことである。
そんなことをしてなんになる!
と思ったのが午後3時ごろだから笑えるが、
とりあえずシャンとした。
きっかけですか?
請求書を無くしたので振込先を教えてくださいと、
しぶしぶ某会社にデンワを掛けたのだ。
親切な人が出てきて、きちんと対処してもらえた。

なにしろ私って、日本人の親切に出会いさえすれば、元気はでるのだ。


2020年6月7日日曜日

気になる新聞記事


自分の誕生日にこだわるわけではないが、6月3日の東京新聞の夕刊、5ページ、
「ウィルス禍と文化」は複雑かつユーモラス?な文章だった。
こういう書き方・・しか許されないのが・・新聞のなぜか、だと思う。

中島義道氏は1946年生まれの哲学者。
「哲学塾カント」を主宰し、哲学を志す市民と議論を交わす、という先生だ。
東大大学院出身。ウィーン大学の哲学博士。電通大の教授。
ひょうひょうとした方なんだろうかしら。
著書の題名だって
「うるさい日本の私」「明るく死ぬための哲学」
「ウソつきの構造・法と道徳のあいだ」

おもしろいのは、3日の新聞の文章の見出し。
すごく苦心してるなーと思う。
編集者が?著者が?
どっちがたくさん苦心したのだろう?
     ❶ クッキリ正調テーマ風が「コロナが終息しても人は死ぬ」
       哲学の先生ですもんね。
     ➋ 1番デッカイのが「なんで外に出たがるのか」
       これこそ問題の中心だからか?      
     ❸ 小見出しは3個。
      「死自体の残酷さ」「元気が出てきた」「まかり通る普通」

「まかり通る普通」だけど、最後にひっそり出てくる。
なんでひっそりか? わが日本の、風土病「ペスト」だからだ。
学者もこの風土病には歯が立たない。そう思う。だからひっそり。
 

(中島先生の記述 )
未曾有の災害となると、「普通」がまかり通る。普通の美談がわがもの顔で
のし歩くようになる。みんなが、学校がなくなったことを悲しみ、友達に再会
することを望んでいる、ということになる。
先の戦争のとき、(当時の)普通以外はなにも語らせなかったように、
コロナ大災害においても、普通以外の言葉は封じられるのだ。
普通の苦しみしか認可されないのだ。
(ごもっとも。ははは。でも中島先生のしめくくりはこんなふうなのよね) 
ずっとこんなことばかり考えているのだが、
志村けん氏が死んだと聞いて誰のことかわからなかった。
エンターテイナーと知って録画を見たが、面白さは私には理解できなかった。
それほどズレた老いぼれ哲学者の繰り言と思って聞き流していただきたい。

はてさて。
「なんで外に出たがるのか」は1番デッカイ見出しだが、
この哲学の先生の周囲には、
「引きこもりの若者や、一刻も早く死にたい女性や、逆に死ぬのが怖くてたまらない
青年が群れ集まっている 」
きけばコロナ禍で、
「ええ、不思議なことに元気が出てきました」と青年は言う。
「先生、みんな、なんで外に出たがるのか不思議です」
それが傑作だと先生は書いている。

「外」と青年が言った通りに先生が書くから、こんがらかってしまうけれど、
 主語を取り換えて、
「先生、みんな、なんで学校や会社に行きたがるのか不思議です」
と書けばよいのに。
そう書いたらいわゆる「普通」から、コテンパンにやられるのかしら。

たとえ不思議としか思えなくても、正直な質問疑問が、新聞でちゃんと市民権をもち、
コロナ禍を利用したヘンな政治の歪みと言論の不自由の検討課題になれば、
私たちはみんな、どんなにラクだろう。

と思っても、だれに言っても、新聞なんかに言ってもムダだから、
先生は神出鬼没みたいな表現になるのかしら。

読みにくいけれど、中島義道氏はステキである。
ぜひ見つけて、3日の東京新聞の夕刊を読んでほしい。
哲学入門!


2020年6月5日金曜日

おはぎ


6月3日、私は77才になった。
ふわふわするし、ぐらぐらするし、用事が出来ると、次の日はぐったり。
半日よこになって、できるのは睡眠と読書だけ。
1日働いて、1日さぼる。

おとなりの可愛い女の子が、おはぎを作って、
おめでとうございますと、お母さんといっしょに、お祝いにきてくれた。
甘味をすごく抑えた小豆と黄な粉の御萩で、
考えてみると77才だからケーキじゃなくて御萩だったのね、和風に。

夜中、遥からメール。
  お母さん
  お誕生日おめでとう。仕事から帰ってメールしてるから
  遅くなってしまったけど、こちらはまだ3日なんだよ。
  お母さんが元気でやっていてくれると嬉しいです。近くに
  いられないから心配だけど、何か困ったら相談してね。
  とにかくめでたいね、今年も。
  実り多く幸福な年になりますように!
   それじゃ。      遥

75才をすぎてから、
ほんものの老人になったような気がしだした。
ほんものの老人になって嬉しいことは、
子どもがこんなふうな大人になって、
私が、かばわれる立場に、つまり立場が逆転したことだと思う。

私は乱雑なまとまりに欠ける人生を送ってしまったが、
すじを通そうという努力だけは、自分なりになんとかしていた。
朗読の集りを昔から、どんな時も続けたのもそれである。
いつのころからか、幼稚園の親たちが、みごとに個性をもった人になり、
それがほんとうの幸運だったと思って。

みっちゃんは、働きながら、ライフワークとして被爆者と共に生きようとした。
みっちゃんは私が心配で、朗読の会にいつも来てくれた。
みっちゃんの悲劇?は被爆者が、自分より老人だということである。
先に死なれてしまうのだ。
朗読が私に運んでくれた幸運は、追い越してもらえることだったのだ。

朗読のヒトたちはみっちゃんが好きだ。
尊敬しているから好きなのだ。
みっちゃんはずっと私のために朗読の会に来てくれていた。
「ひとつのライフワークが終わっても、朗読のみんながいるじゃないの」
先日、私たちがふたりで話したことだった。



2020年6月3日水曜日

高校生の投稿


今朝(6/2)東京新聞の読者発言のページに、高校3年生の投稿があった。
いま私たちは日本の未来をどう考えればよいか、考えても考えても、
希望の形がわからない。希望の糸口さえみつけられない。
ところが、金杉隆吾君の投稿はひじょうに敏感かつ具体的である。
諸悪の根源をバッサリ断ち切る確実な方法が、みごとに書かれている。
こんな若い人が育っているんだと、ほんとうに嬉しい思いだった・・・。

                                (以下全文) 
「先生と一緒に議論がしたい」   高校3年 金杉龍吾17 千葉県旭市 

 私たちの「日常」は、わずか0・1マイクロメートルほどのウィルスに奪われた。
そんな中でも私は、生徒会長として他の役員とともに、文化祭などさまざまなことに
関して模索を続けているが、「生徒が学校の意思決定に参画できていない」という問
題をあらためて痛感した。私たちが提案したことを、先生方は職員会議で話し合い、
校長先生が最終決定する。これでは生徒の声が反映されにくいのである。
 私たちの提案に対する懸念の点は職員会議後に聞かされる。反論をしても次の会議
は数日後。何をするにも後手後手なのだ。先生方は私たちのために尽力してくださっ
ているが、「その場に私がいればもっと生徒のためになるのに」と思うことがいくつ
もあるのだ。
 文化祭の開催方法に限らず、学校の主役である生徒の意見を拾うだけでなく、とも
に熟議しなければ分断を生むばかりだと考える。さらに、この状況は生徒に社会への
無力感を生む。意見を拾ったりするだけの間接参画だけでなく、影響力を与え、生徒
の自己効力感を生む直接参画もしていくことが、主催者教育の観点からも必要だ。


人類の希望は、もはや、人任せにして実現するものではなくなってしまった。
まずは、彼の学校の職員会議とPTAに、ぜひ彼の提案を受けて議論をと願う。
議論とは、彼のことばで言うなら熟議である。
「熟議」「自己効力感」。これは学校でよく使われる言葉かしら。
私は初めて耳にして、浅学がはずかしいけれど、
臨場感にみちみちた彼の文章の中で正確につかわれるなんて日本語の幸せだ。




     

2020年6月2日火曜日

不人情


電車に乗ったら、乗客全員がマスクをしていた。
むかし観た近未来オカルト映画のようだった。

桜上水で降りて、歩いていたら、小雨で道路がぬれているから、
すべって転んでしまった。ものすごい転び方で横倒しになった。
通る人はいたのに、女も男も老いも若きも、みんなただ通り過ぎていく。
いくら大丈夫でも、ころんじゃったヒト(わたしだけど)はおばーさんなのに。
私だったら、やっぱり大丈夫ですかと、転んだ人にたずねるだろう。
たとえその不運なヒト(まーわたしだけど)がコロナかどうか、不安でも。

コロナの禍々しい(まがまがしい)ところは、
あっという間に日本が、不人情当たり前の国、となったことだと思う。
不人情でもいいのさ、というのは生活のどこらへんから、始まるのだろう?

虎は不人情でもいいけど、フーテンの寅は不人情ダメなんじゃないの。
人情は日本列島ならではの、ふくざつで大切な人間の感情ですもん。
それを、こんなに無雑作にポーンと捨ててもいいのだろうか?
捨てても、人情なんか? いつかあなたのところにもどってくるのかも? 
そーかなあ。
人情紙風船って、どういう言葉でしたっけ。
紙風船も廃止、政府の通達で。

人情が当分もどってこないだろうな、と思うとそれが不愉快だしコワイ。
不人情って集団感染すると、ドン感で強い親分と家来の天下になる。
それは社会がコロナ一色になってから、すごくハッキリしたことである。

最近、「ココ ゴリラと子ネコの物語」という写真絵本を読んだ。
サンフランシスコの動物園でうまれたココはゴリラで、手話ができる。
「お誕生日には、なにをするの?」と学者のフランシーヌさんが きくと、
「タベル,ノム、トシトル」とこたえるんだって、手話で!!
ゴリラとヒトは、800万年ぐらい前には、おなじ生き物だったというから、
こういう不思議がやっぱりあるわけでしょうね。
ゴリラのココは、子ネコが大好き。
お誕生日のお祝いに子ネコのマンマルボールをもらいました。
ボールが自動車にひかれて死んだときは、それを伝えると泣きました。
フーフーフーとかんだかい大きな声で。 いつまでも。

コロナ大騒動の中でくらしていると、
人情の問題はどうなるのかということを、いつもいつも考える。
かんがえないではいられない。

人情は、むかしだと、長屋ぐらしの財産?だった。
貧乏ぐらしは、人情で多少ともしのげるとおもうけれど、
そういう最後の装置が、今度ばかりは、コロナに息の根を止められた気がして。



       

2020年6月1日月曜日

オランダに電話


遥といろいろ話す。
遥の方から私に電話を掛けなおしてくれる。
理由がよくわからないけれど、それだとお金がぜんぜんかからない。
だから安心。

今日の最後は、家賃の値上げを周旋屋さんから知らされた話だった。

大家さんには会ったことがないんだけどね、と遥は言う。
どうしたかというと、
値上げをやめてくださいと、長いながい嘆願書を書いたのよと言う。
少し笑っている声だ。
  私「オランダ語で書いたの? なんて書いたの?」
こんなコロナの時に値上げですか、私は今はさいわい働けているけれど、
値上げをされるとここに住むことができなくなります、とかいろいろ。
英語よ。ブロークンな英語。このごろは仕事で英語ばっか使ってるから。
 
   私「スゴイ!そうしたら、どうなったの?」
うん、そうしたらねと遥が言う。「大家さんが値上げをやめてくれた、ふふふ」
笑っている。うれしそうな声が遠くからきこえる。
「ステキねえ」と言ったら、
遥は、うん、5%だからいくらでもないんだけどねと、笑った。

さてこれは、
オランダの直接あったことのない大家さんが良い方なのか、
それとも私の娘のブロークンな文才のなせるワザか、どっちだろう?
ちょっとおかしいような、うれしい話だった。
英語のやりとり。オランダ人と日本人と。