2020年6月2日火曜日

不人情


電車に乗ったら、乗客全員がマスクをしていた。
むかし観た近未来オカルト映画のようだった。

桜上水で降りて、歩いていたら、小雨で道路がぬれているから、
すべって転んでしまった。ものすごい転び方で横倒しになった。
通る人はいたのに、女も男も老いも若きも、みんなただ通り過ぎていく。
いくら大丈夫でも、ころんじゃったヒト(わたしだけど)はおばーさんなのに。
私だったら、やっぱり大丈夫ですかと、転んだ人にたずねるだろう。
たとえその不運なヒト(まーわたしだけど)がコロナかどうか、不安でも。

コロナの禍々しい(まがまがしい)ところは、
あっという間に日本が、不人情当たり前の国、となったことだと思う。
不人情でもいいのさ、というのは生活のどこらへんから、始まるのだろう?

虎は不人情でもいいけど、フーテンの寅は不人情ダメなんじゃないの。
人情は日本列島ならではの、ふくざつで大切な人間の感情ですもん。
それを、こんなに無雑作にポーンと捨ててもいいのだろうか?
捨てても、人情なんか? いつかあなたのところにもどってくるのかも? 
そーかなあ。
人情紙風船って、どういう言葉でしたっけ。
紙風船も廃止、政府の通達で。

人情が当分もどってこないだろうな、と思うとそれが不愉快だしコワイ。
不人情って集団感染すると、ドン感で強い親分と家来の天下になる。
それは社会がコロナ一色になってから、すごくハッキリしたことである。

最近、「ココ ゴリラと子ネコの物語」という写真絵本を読んだ。
サンフランシスコの動物園でうまれたココはゴリラで、手話ができる。
「お誕生日には、なにをするの?」と学者のフランシーヌさんが きくと、
「タベル,ノム、トシトル」とこたえるんだって、手話で!!
ゴリラとヒトは、800万年ぐらい前には、おなじ生き物だったというから、
こういう不思議がやっぱりあるわけでしょうね。
ゴリラのココは、子ネコが大好き。
お誕生日のお祝いに子ネコのマンマルボールをもらいました。
ボールが自動車にひかれて死んだときは、それを伝えると泣きました。
フーフーフーとかんだかい大きな声で。 いつまでも。

コロナ大騒動の中でくらしていると、
人情の問題はどうなるのかということを、いつもいつも考える。
かんがえないではいられない。

人情は、むかしだと、長屋ぐらしの財産?だった。
貧乏ぐらしは、人情で多少ともしのげるとおもうけれど、
そういう最後の装置が、今度ばかりは、コロナに息の根を止められた気がして。