2020年6月3日水曜日

高校生の投稿


今朝(6/2)東京新聞の読者発言のページに、高校3年生の投稿があった。
いま私たちは日本の未来をどう考えればよいか、考えても考えても、
希望の形がわからない。希望の糸口さえみつけられない。
ところが、金杉隆吾君の投稿はひじょうに敏感かつ具体的である。
諸悪の根源をバッサリ断ち切る確実な方法が、みごとに書かれている。
こんな若い人が育っているんだと、ほんとうに嬉しい思いだった・・・。

                                (以下全文) 
「先生と一緒に議論がしたい」   高校3年 金杉龍吾17 千葉県旭市 

 私たちの「日常」は、わずか0・1マイクロメートルほどのウィルスに奪われた。
そんな中でも私は、生徒会長として他の役員とともに、文化祭などさまざまなことに
関して模索を続けているが、「生徒が学校の意思決定に参画できていない」という問
題をあらためて痛感した。私たちが提案したことを、先生方は職員会議で話し合い、
校長先生が最終決定する。これでは生徒の声が反映されにくいのである。
 私たちの提案に対する懸念の点は職員会議後に聞かされる。反論をしても次の会議
は数日後。何をするにも後手後手なのだ。先生方は私たちのために尽力してくださっ
ているが、「その場に私がいればもっと生徒のためになるのに」と思うことがいくつ
もあるのだ。
 文化祭の開催方法に限らず、学校の主役である生徒の意見を拾うだけでなく、とも
に熟議しなければ分断を生むばかりだと考える。さらに、この状況は生徒に社会への
無力感を生む。意見を拾ったりするだけの間接参画だけでなく、影響力を与え、生徒
の自己効力感を生む直接参画もしていくことが、主催者教育の観点からも必要だ。


人類の希望は、もはや、人任せにして実現するものではなくなってしまった。
まずは、彼の学校の職員会議とPTAに、ぜひ彼の提案を受けて議論をと願う。
議論とは、彼のことばで言うなら熟議である。
「熟議」「自己効力感」。これは学校でよく使われる言葉かしら。
私は初めて耳にして、浅学がはずかしいけれど、
臨場感にみちみちた彼の文章の中で正確につかわれるなんて日本語の幸せだ。