2021年7月12日月曜日

今日はもう歩かなかった

少しの晴れ間に洗濯物を干して、
あとは考えごとだ。
外をみると、むこうの樹のまとまった葉っぱがみんな顔にみえちゃう。

えさを撒くと、かならずやってくる子雀がいて、
お米とパンをせっせ、せっせと食べる。いつもいる。
・・・親は心配だろうな、と思う。
世の中にはね、パンやお米のほかに、私たちの主食があって、
あんたの主食は土の中で生きてる蟲なのよ、
すごくおいしいのよ。
あんな人(わたしだけど)がよこすエサはおまえの食べ物じゃありませんっ。
とかいう母親雀がきっといるはずだ。
だからこたろう君は、スズメとして、毎日いっとき姿を消すんだけれど、
学校(!)からかえってくると、うちの前庭でまたもパンとお米をせっせ、せっせと。

ラクなほうがいいや、という雀なんて、ありかしら。
とか考えているうち、もう日が暮れた。

ときどき立ち上がって、きのう草刈りをした辺りを、見る。
よくやったと思ってるけど、刈りのこしの笹がまだ少し。
だからってどうなの。
急に雨がふってきたからには、ただもう、わたしは雨をながめる。
・・・それも自然よね。つかれちゃってるというのも。



草取り(きのう)

早朝、夜勤からもどってくる健の朝食をつくる。
すずめさんのごはんもつくる。
健がもどってきたから、まー新聞を読んだり話をしたり。
それから団地の草取りの日なんだから、草取りをした。
草取りは午前中、午後は大雨だという予定である。
しょうがないから朝食抜きで、むりやり炎天下もどきの庭にでる。
87才だぞー、と思ったけど、まちがいで私は78なんだ、まだ。
団地のみなさんは北側の炎天下にいるけど、みればだれもが
87才まがいの男の人で、ぐったり石の階段に腰かけてにがい顔だ。
ここじゃみんなが自民党なんかに投票したのかしら。
私の選挙区は多摩南なんだけど、自民党がふたり当選のあきれた結果。

アメリカさんの言うなりに、無観客でも強行するみっともないオリンピック。
自衛隊を、自衛どころか、アメリカさんのいうなりに戦地に派遣する無思想。
世界は広いのに、世界中の目のまえで、
おまえはどっかの国の卑屈な家来だと思われても、
自分さえぶじに長生きできればいいのかしら。
もはや80なのにこれから100才まで?

北側はここ何日か、ひとりで草取りをやっておいた。
それで「草取りの日」だけど、南側の庭の竹を刈る。
気力がなくて放っておいたから、お隣さんは迷惑至極だったにちがいない。
なにしろ、箱庭。真四角なちいさな庭だもの。

お昼がきたら、健がふらふら降りてきて。2時間ぐらいの仮眠である。
お昼に、うどんをつくってくれる。
彼は夕方から、調布でゆうくん主催のライブでソロをやる。
あしたとあさっては仕事がやすみだとか。

100円で買った中村哲さんの講演記録(ピースウォーク京都)
をくりかえし、なんとかすこしでも、1頁の半分でも読む。
それから図書館で借りた「城山三郎 命の旅」。
それから叔母に渡そうとおもって買った佐藤愛子97才の「老い力」。

今朝、起きて、ふーっとうかんだ、むかしの忘れていたなにかの記憶。
     ひとつぶの麦もし死なずば。
私がいまここにいて、友人たちみんなとあたらしく「考える」努力をするのは、
それができるのは、「いまさらなんで!」なんてゼッタイに思わないのは、
むかしからの濫読多読のおかげ、もある。きっとね・・・。



 

2021年7月10日土曜日

コロナ禍の老年


私がすこし、2400歩ぐらい歩いて行く先に、古本を売っている店舗がある。
それは建築事務所のガラス窓の外の地面で、一冊が100円。中ではたらく人たちが
読み終わった絵本や単行本を、地面に置いて通行人に提供してくれる。
そこを通るたび、ついつい本を買う。100円だから。

中村哲さんの本も、100円で買った。
「中村哲さん講演録」平和の井戸を掘る
アフガニスタンのからの報告 
       ピースウォーク京都  2002年5月19日発行

そこにこうある。
会場の質問に中村さんは、私にこれといった信念はございません、と言い、
医者としては命がだいじということだと説明しながら、「三無」が主義だと説明。
「それは無思想、無節操、無駄というものであります」

そしてこういう説明。
中村さんたちの「無思想」
我を通すために特定の考えや思想に定着しないということ。
募金にしても右翼から左翼まで。宗教も仏教、キリスト教、イスラム教、
中村さんたちの「無節操」
その他いかなる宗教も問わずいろいろな方からいただきます。
これが無節操でありましてと言い、たとえばついには、
乞食からその日の稼ぎをぜんぶカンパしてもらったエピソード・・・。
貧しい人に愛の手を、といった惨めったらしい募金だけはするまい、しかし
くださるという方ならだれからでも、たとえ乞食からでもー
そして「無駄」
思考錯誤を恐れない。
私たちの場合は積極的に過ちを認めて、ウロウロと試行錯誤を繰り返しながら
何かをやっていこう―これを常に意識において、実際の活動に取り組んでいる。


どうしてか。
アフガニスタンで活動したから。
アフガニスタンはクルマの通れない山道がほとんどだから。
何日もかけて歩いてようやくたどり着くような標高3000メートルの村々。
そういう土地。


2021年7月8日木曜日

思い出雑感

 1943年神奈川県葉山生まれ。早大文学部教育学専修卒業後、桐朋学園短大演劇専攻科
を経て劇団民藝で7年。退団後3人の子どもの母親になり執筆活動をはじめた。
著書に「7月6日晴れのちけんか」(講談社)「君たちは忘れない」(草土文化社、37年
後映画され「あの日のオルガン」として朝日新聞社から再出版)など。65才で幼稚園の園
長に。以後、朗読の会主宰、図書館の読書会に参加。
ブログも。http//xacykau.blogspot.com/


上記したのは単行本用略歴の下書きで、新しく発行される「小説・となりのトトロ」のた
めの短文ですが、当然この上に、宮崎さんの略歴がどっかーんと表示されていてものすご
い分量。ただもう編集者が略して書いた仕事の分量だというのに。
あのころ私は44才ぐらいだし、宮崎駿さんだって46才? 
「風の谷のナウシカ」がすでにあっちでもこっちでも大評判になっていたから、天才だと思うヒトは多かったはずだけれど、私はそんなこと想像もしなかった。
いきいきしてユーモラスで理解力があって、人間らしい人だったから、たちまち信じて肯定し、そんな人がいたのがうれしくって、あとはもう泣き泣き努力。書けといわれて書けないことが毎日苦しいばっかり、世間知らずだから本当にそれだけしかわからなかった。
ジブリにかよっていっしょに作業した女の子が懐かしい。その人は絵をつくる人で、人物を画面で動かすためにものすごく多量に同じような絵を描くのだった。彼女の絵と、私の字とどっちの数が多いのかなと、暗澹たる私は、毎日、涙をかくして重苦しく考えたものだ。
とにかく描きましょう、とそのか細い少女は牢屋で作業しているみたいな調子で、私をなぐさめるように言ってくれるのだった。
才能がまるで無いのにあてもない旅、というのが正真正銘の私の実感だった。

いまになって見ると宮崎さんって。
こんなにたくさんある大ヒット作品・・・。略歴でもこうだなんて。





2021年7月7日水曜日

選挙ってむずかしい

投票日は雨で、会場に向かう人は見るからに、まばら。
選挙が終わると、
スキャンダルまみれの候補者 を新聞記事でながめてガックリしてしまう。
言論というものの品格が
これほど堕ちた国に、自分の住む国がなったことに
茫然としてしまう。
恋愛沙汰なら個人の自由だと思うけれど、
おとこ議員の、こどもとおんなに対する仕打ち、そのむき出しの強姦肯定が
私たち国民の選挙に対する意欲を、本当に減退させる。
なにを言ってもむだ、ということだ。
記事の書き方も書き方だ。

投票に参加する国民が7割以下なら、
たとえ何でも選挙をやりなおしてもらいたいと、普通だれでも思うんじゃないの。
選挙は、私たちの義務だ。
しらない、とほうり投げてはいけないのだ。

生きとし生けるものは、性的だと思う。
そうでなければ、種の保存ができない。
滅びてしまう。人間だって自然にそうだ。
幼くして性にめざめれば、そこからいろいろな経験がはじまる。
だから幸福なひとも、不幸なひとも、いるだろう。
人間は、動物とちがって、いろいろだから。

私は、未熟だったり早熟だったりする女の子が、
いろいろな経験をするだろうけれど、幸福なおとなになってくれるように、
自然な母親になってくれるように、経験によってかしこいおばあさんになるように、
気をつけて保護するのが、政治の大目標のひとつだと思う。
男の子にそんなふうな立場を教えるのだって、だいじなポイントだと思う。

ヒトは一生変化するものだ!
未熟や早熟は、ゆたかな人生にむかって、すがたかたちを変えていく。
政治は、まちがいを許さないものではなく、
人間の多彩さの保護がそもそもの始まりである、
というふうに考えるのは、ものすごく難しいわけだったんだ・・・

と思う。








2021年7月3日土曜日

雨が降る日に

びっくりしたことに、スズメってミカンを食べない。
半分にしたミカンをパンくずの周りにおいたら、
警戒して、こわごわ、横にあるパンをつっついて、もうビクビク。
あんまり居心地がわるそうなので、
ミカンはかたづけたけれど、むかしはヒヨドリがりんごやミカンを、
たしかちょんちょんと食べたものだ。
だから、私はこの柿の木に林檎なんかつるしていた。

いまうちの四角いちいさな庭は、スズメが占領して、
それはそれで制空権ができ、ほかの強そうな鳥は寄ってこない。
息子がいうには、こんな雨の日には、柿の木の葉っぱの裏にかくれて
雨をよけているんだとか。
そういえば、葉がちらちらと光りみたいに揺れている。
不規則だ。
文字も小鳥もよく見えない。

手術をしよう。
なんとかして。

午後になってブックオフに行く。
さがしている本は見つからない。
脚立(きゃたつ、懐かしい単語)に腰かけて、
別の本を読み、・・・その本を買う。
「子ども達へ、今こそ伝える 戦争 子どもの本の作家たち19人の真実」

19人・・・長新太と、山下明生、の本は持ってる。
とくに長新太はホンモノの変人なので、
私なんかよくわからないのに、
なんだかもう完全にこれこそ「ヒト」だという気がして、
つい、見ると買ってしまう。なんさつも持ってる。
愛読なんかできもしないのに。
この本のトップバッターはその長新太さん、まず読んだけど脚立の上で。
よくわかる、でもやっぱりわかったわけじゃない、という書きっぷり。
プロってこういうことなんだろうかしら。

と、つい買ってしまった。
1800円が891円になっていた。


2021年7月1日木曜日

雀のお宿

このあいだ、朗読の日にみんなが家にきてくれた時、
なんでこの家の庭ってこんなに雀がいるの?! 
ときいてくれた人がいて、もう気をよくしちゃったのでした。
どうしてかって私はこの3か月、
息子の朝ごはんと晩ご飯をつくることにかかりっきり。
買い物と洗濯と掃除しかできない。ブログなんか眠れないからもう放ってある。

で、どうしたかって?、スズメを呼んだのだよワトソン君。

パンの耳と開拓農民米を混ぜたエサを庭に蒔いて3か月。
このあいだ、やっと嬉しいことがあった。
買い物に行こうとしたら、庭の反対側の道路のわきに雀がいる。
うちのスズメだと思って、チュッ、チュッと合図したら、
なんと、むこう向きで虫さがしをしていた子雀が、私の方に向き直って
首をかしげて、逃げなかった!
返事こそしなかったけど、子雀はそのまま、地面で虫さがしを続行・・・。
さいしょ、あんまりこわがって逃げるので、
私の舌が鳴らす音はすずめ語でいうと「ぶっころすぞ」になるのかなーと、
息子にきいたぐらいだったのに。

そんなこと考えてないで、ピーマンなんか蒔けばいいと思うけど、
生産的なことって、奴隷労働の真っ最中だと、やる気がおこらない。
なりゆきに任せて、自然観察、というか眼がみえないからもうなにしろ、
こわがりやのスズメをボヤーッとなんとなく傍観。
まーいいよ。なんでいまさらせかせか見なくちゃいけないんだか、とそう思う。
神様ってけっこうこんな人かも、と自分の事をそう思う、
はははは。そういう、変形な、
図々しい毎日でしかなくなっちゃったって、愉快かも。



7月になった

7月になった。
息子が介護施設に雇用され、4月、5月、6月は試用期間だった。
シフト、シフトと追い回された3か月。
早出・遅出、徹夜、もういろいろの、おそるべき3か月。

シフトというのは辞書でちゃんと調べると「移動」と「転換」。
球技なんかで選手が位置を変えることをシフトと、いう。
シフトって、体育会系のことば、なのである。
まあ、私などのゆるやかな日本語でいえば、
介護施設で仕事の仕方を教わり、適性があるかどうかを値踏みされるんでしょ。
時間割とか、この施設ならではの仕事の現状とかね。
施設利用者のあるがままの「命の模様」を理解すること、
途方もない老いに共感し学ぶ、そのための訓練のことだと思う。
私はね、そう考える。

シフト、シフト、シフトと連呼するたび、
介護は、若いスポーツ選手の、「移動」と「転換」にきびきびと化けてしまう。
介護の職場に理念として残るのは、先輩と後輩と言う関係だけだ。
シフトの親分はスピードいのち、でしょ。

介護って、どういうことか。
厄介の介をまもるって? とまず考えちゃう。
介ってどういう日本語か?
調べたら、あいだにはさまるという日本語。
なかだちをする、たよる・・・という説明。
「介護」とは、たよるとまもるがくっついた熟語なのである。

そんなことは考えたこともなかったと最初、私はおもったけれど、
こうやって日本語でたどると、幼稚園の園長をしていた時と
はなしがまるでおんなじだ、というのが実感だ。
人間は、言語未発達の時代にもう幼稚園とか保育園に入れられる。
そして、年をとって身体が不自由になり、言葉を失うと介護施設に入れられるのだ。
わたしは78才だからまざまざと、もういろいろと思う。
息子の話をきくと、
利用者さんの感情表現は、
お礼をいいたいとか、やさしくしたいとか、わかってもらえなくて暴れるとかね、
なんとかして、自分の気持ちを息子に知らせようとするところからやってくる。
そういうことが幼稚園の子ども達と自然におんなじ。
お人形さんを抱えて寝ている人は、くちがきけないけど、
お人形さんの手を「じゃあね」と、慌ただしく離れて行く息子に振ってくれる。
そうかと思うと指を食いちぎろうとかみつく人がいて、入れ歯の処理のとき。
なんで喰いちぎられるってわかったのと息子にきいたら、
なんだかしらないけどヤバいと思ったからパッと指を引っこ抜いたんだって。
ゆびが、赤くなってる。アワやだったんだろうとわかる。
「噛みつきそこなった人はどうしたの?!」
笑ってたんだっていうから、その人どんなこと考えたのかなーと。
良いことも悪いことも、いろいろ、いろいろ、複雑よねきっと・・・。
たくさんあるはずよね。生きてきたんだものね。
幼稚園の子どもだって、そうなんだから。

人間のお世話をする仕事を、
体育会系の言語でくくることは、つまり無考えに日本語から引き離すことは、
暴力だという気がする。エイゴにするなんてとも思う。
先人たちが考えた日本の熟語は、とても人間的だから。