2020年2月29日土曜日

痛い治療


大学病院の、眼科でレーザー光線の治療を受けている。
「麻酔液を4回注入しますから」、と看護士さんが言う。
前回と同じ感じのよい中年の女性だ。
「回数は4回ですか?」
私は用心して確かめる。どうしてか。
前回、もう1回来ると彼女が言ったのに、麻酔3回で治療が始まったからだ。
そのせいだと私は思ったが、前回は痛い治療だった。
「ええ、4回ですよ」
確かに今回は、4回、麻酔液が目に注入された。それでも非常に痛かったから、
この治療では、麻酔液は、それ程あてにならないのかもしれない。
あんまり痛いので、努力しても、つい額を定点からずらしてしまう。
途中、医師の手で固定していた小さなゴムの黒枠つきレンズが、吹っ飛んだ。
「気をつけてください」「気をつけて」
そういって彼は不機嫌に足元を探す。 なかなか見つからない。
このレンズを、医師は自分の指で、私の治療する側の目に、固定していた。
彼の言葉でいえば、そのうえで光線を「ヒットさせる」のである。
もちろん患者は、痛くても顔を動かさないように注意しないといけない。
「気をつけて。気をつけないとレンズが当たって、失明する場合がありますから」
この人は非常に不機嫌だけれど、
気をつけるべきなのは、患者だけだろうか。
医者が2本の指で、患者の目にレンズを固定させながら行う治療である。
今回の失敗をすべて患者のせいにするってどうなんだろう。
前回この人は、麻酔の回数にまったく無関心だった。
 
要するに、患者の痛さになんの関心も持たない医者なのだと思う。
痛みが、まるで存在しないように扱うから、痛みは増すのだ。




2020年2月28日金曜日

ぐいち


私の一日は三度のご飯作りに支配されているなーと、つくづく考える。
料理が苦手だから、気分がよくない。

ところが太田 光の奥さんの本を読んだら、びっくりだ。
彼女は社長業が大好きで、主婦業も料理も専業にしたいぐらい好き。
私は、太田 光の何かを一度も見たことがないのに、図書館に行ったとき、
奥さんの本が棚にあったので、つい借りて読んだのである。
読むと、インタビューされたことを自分流にきちんと纏めるのがすごく上手だ。
2冊目を借りたぐらい読んで面白い。テキパキ。教訓的。明け透け。
しかもなにやら深謀遠慮も適度にほの見えて、これは当たり前か。
芸能プロダクションを見る間に大きくし、エステサロンも花屋も経営し、
顧問弁護士はあの橋下 徹。なかなかの眼力じゃないですか。
スマートで紳士で優しい人だと書いてある。
2冊目の本は、「爆笑問題」の太田・田中の、田中さんのイラストつきであるが、
彼女がどんなヒトか、まざまざとうかがえて、なるほどなーと感心する。
田中と
いうヒトも芸術なのかー。これだってすごいことだ。

ぐいち、という言葉がある。
サイコロ賭博から発生した言いかたらしいけれど、ちぐはぐとか、
たがいちがいになっているとか、そういうことを言う時、
関西系の人がつかう(と思う)。
別れた夫が文楽にいたので、私の語彙になったのだが、最近の私は、
存在そのものがまさにこの、ぐいち。
やりたくない気持ちが綱を左に引っ張り、やらねば!が右に私を引っ張る。
こういう老女は、ボケないという話なんだけど。

今日午後3時に急に立ち上がって、やりたくないやりたくないと思いながら
信じられないことに、私は庭の草取りを急に始めた。
やっと庭半分の枯れ草を70キロのビニール袋に詰めおわったら、
日が暮れて、料理開始がすこし遅れた。ビニール袋から枯葉が落ちて、
意外な時間に室内を掃除をしたからだった。

太田 光の本をよんでみようかな、と言ったら、
「母さんは、前に読もうとしてたよ」と息子に言われた。
「おぼえてないなー、それで私はどうしたの?」
「2・3ページよんだけど、耐えられないから辞めたって言ってた」
           


2020年2月27日木曜日

お天気になった


巨大な龍が、東へと急いでいる。
そのすぐ下を、亀がくびを伸ばして逃げて行く。
逃げて行く亀を追いかけていくのはヒトの顔した虎で、
さっきまで炬燵の中にいた。
それで今となってはやつの胴体は短い翼の生えた鳥なのだ。

おーい、雲よ。
君はホントに勝手なもんだね。


 
 

2020年2月26日水曜日

日も暮れよ鐘はなれ


一日中曇っている。曇天だから空は灰黄色、ずっとそんな調子。
飛んでいく白い雲たちもいないし、メタセコイヤには葉っぱがないし。
朝は、出勤前みたいに小鳥が2,3羽、短く鳴いたけど、それっきり。
あんなふうに打ち合わせて、今はどこにいるのだろう、夕方になって。

買い物から戻ったら、藤棚の下の寒いベンチで 、外掃除のおじさんが
煙草を吸っている。「さむいわねえ」と挨拶すると「寒いねきょうは」
という。おじさんは高齢者事業団からきたひとで、鳥打帽子をかぶって
灰色の身なり、私はというとボタンの飛んじゃった黒いオーバーに大根に
菜の花に玉ねぎ。伊予かんがあるので重たくって。

行ったことないけど、巴里の空の下にはベンチがいろいろ置いてあって、
こんな燻ぶった色合いのお爺さんや、大戦後のオーバー姿のお婆さんが、
ぼんやり煙草でも吸ったりしているんじゃないかと思って。
やっぱりこんな氷雨の、凍りつきそうないかにも疲れた無窮の時、
セーヌ河はないけど、巴里じゃないから、でも日は暮れたわけだし。



2020年2月25日火曜日

「ぼちぼちいこか」


杖代さんが選んで持ってきた、図書館の絵本だ。
かばについて。今江祥智翻訳。
このかばはかばなりに、あれになりたい、これになりたいと思う。
開いた画面のこっちいっぱいにかばの気持ち、あっちにそれにはなれないよと。
これになりたい。                       なれないや。
じゃこれになりたい。                      なれないね。
これを絵本がずっと繰り返す。                 だめなんだよ。
                               むりなんだよ。
この繰り返しのデッカサはなんのためなんだろうか。
河馬は河馬なんだ、かばだってことが でっかいってことが、
うまれた歓びに、喜びに、慶びに、なんなくちゃいけない。
ほかのものになってみせたところで、それはまねっこなんだ。
自己否定のまねっこ。
そんな弱気で人類は昨今の混乱から逃げられるんだろうか。
たぶん、だめだね。

なれないやは、かばくんの発見、河馬くんの可能性のはじまり。
実力の土台。自然がいいんだ、けっこうなことだよ!
そういう大物風の精神風土が血の中にわきたてば、
なれないやは、運動会のスタートの合図、ピストルのどかーん!
朗読の営為とは、そう言ってるらしい文字を、音声化することだと思っている。

            「ぼちぼちいこか」という題名が気になってイヤだ。
       そりゃそうよね。76才だぞ。ぼちぼちいこかなんて思わない。
       でもそうやって考えてみると、子どもたちには、時間なんて、
        まだまだ、どこまでもどこまでも、いっぱいあるものだ。
       うまれてから少ししかたってないもん、時間なんてね。
    
   

2020年2月24日月曜日

古い手帳


むかしの手帳が机の上に放り投げてある。2冊、3冊。
なにかさがして見つからず、片づけるのも残念という過去へのこだわり。
見つけたいのは、その一年間の自分などではまったくなくて、ただ 言葉。

時間の流れに耐えられそうな思考もあれば、忘れまいとした寂しい詩もある。

2018年の手帳には、こんなメモ。
ウィリアム・サローヤン
  物を作るということは
  何かを特に取り出し
  何かを他のものと別にし
  誰でも見たことのあるようなものを
  特に見つめることだ

別の日、エンピツ書きで。
山口誓子          
  海に出て 木枯 帰るところなし

サロ―ヤンのなにを読んだのか、もはやおぼえていない。
でもこの抜き書きを今読めば、みっちゃんの絵の習作における、
彼女のもの優しい画風にぴったりのような。

私は、私として毎日書く自分の文章の出来不出来や、その行方などが、
帰るあてのない、乱暴で無鉄砲な木枯らしのように思われて、
それでかえって落ち着くわけである。
 

2020年2月23日日曜日

朗読サークルの日


昨夜おそく掃除はしたから、今朝は安心だと思っている。
でもテーブルの上はごちゃごちゃで、おにぎりを作ろうという決心と
スープという思いつきで、気分はどうしても決戦前夜みたいだ。しかも
洗濯物が効率よく干せない。時計をみると、もうあと1時間半でみんなが来る。
肝心の朗読はどうするのか、考えても、それどころじゃない、わからない。

みんながだんだんに到着して、5時間がすぎて、私はおなかがいっぱいだ。
なにしろ、お昼ご飯を持ち寄って、朗読するわけで。

朗読の時間はとても興味深く、過ぎる。そしてみんなが家からいなくなった。
私はテーブルの上をながめる。夕御飯なんだからとむりむり少し食べる。
本を片手にソファにのびてしまう。気がついたら眠っていた。
私以外の人は、帰宅後また家族のご飯の支度なんだと想像したら、
どっと疲れて昏睡状態になったという感じである。

一緒に考えると、憂き世でもなんとかなる。

コロナ・ウィルスが蔓延していようとなんだろうと、
誰かが落ち着いていると、恐慌状態に陥らないで集まれるのだ。
どんな場合も、 選んできた文章と向かい合って、さがす。
生き続けるおもしろさとか勇気とか論理、いわばユーモア、
それが朗読という作業の私の努力目標なのだけれど、
文学の効用で人数分どことなくロマンティックだ。

そうできる員数がそろった。
不思議である。



2020年2月22日土曜日

繕いもの


繕いものを引き受けて下さる人が見つかったので、すごく喜んでいる。

職人気質(かたぎ)の厳しい人だ。
「クリーニングに出してから持ってきて下さい」という顔がすごく厳しくてこわい。
洗ってからアイロンをかけて持ってきたんですけど、それじゃダメでしょうか。
そうたずねると、「クリーニングとはそういう意味ですよ」と許してくれた。
きっと、優しいけれど、筋が通らないことが嫌いな人なんだろう。
私がお願いしたい繕い物はどれもオンボロで、裾(すそ)がほつれて、
クリーニングに出すぐらいなら、いっそ捨てたほうがいい古ズボンだ。
でも普段着だし、襤褸だってかまわない、
ゴムをちゃんと付け替えてあと1年か2年はなんとか、と思う。
「これは仕事用にと買ったもので型が私にはめったにないほど良いんです。
どんなにオンボロでも、なかなかこんなズボンには出会えません。
だけど、もうこんなのないし、お金もないし」
あらまーあらまー、タイヘンだこんなにあるの、とその人が言った。
「仕事着ですから。同じの買ってバカの一つ覚えみたいに、いつもこれで」
「なるほどね。そういう気持ち、わかる気がするわね」
彼女はゆっくりズボンを調べた。
私達は団地の集会所そばのベンチで話している。冬の寒い突風の下で。
「ふうん、ふうん。ゴムぐらいならあなた、ご自分で付け替えられるでしょうに」
そんなことしたくない。目もかすんで針が持てない。時間が惜しい。
そう言うと、じゃあナニがしたいのとしゃがれた声できく。
「ものを書いていたいんです、私は、とにかく」
「ふうん、そう。私なんか、字書くってなると、なんにもすすまないわね」
「そりゃだって、あなたは職人さんだもの、苦手が当然でしょ」

よかったー。
これで私、やっとこの夏のズボンを、確保した。


屈託


病院の予約の時間をまちがえてたから大変だった。
あわててバスに乗る。あわてて歩き、あわてて受け付けで受付てもらう。

血液検査と、骨密度の検査と、咳がと言ったら肺のレントゲンが増えた。
骨密度は私の予想とちがって、なんだか結果がよろしくない。
シロウトが予想なんかするのがだいたい生意気なのかもしれない。
でも私の歯医者さんは、あなたは骨が優秀だと言っていたのだ。
この見解の相違はどこから発生するのか。
歯も骨なんじゃないの? 歯以外の骨が骨粗鬆症 ・・・転ぶと大変。
たぶん歯の質が良いのはご先祖のおかげでしょうと歯医者さんは言った。
私の祖先は浜名湾の宿屋だった。脇本陣である。
浜名湾が目の前にあるのだから、食生活は魚中心だったにちがいない。
粛々と、あるいは厳然と、数値が示されているというのに、
往生際も悪くそんなことにこだわる私は、おおかたの年よりと比べると、
たぶん雰囲気からして、反抗的なのかも。感じが悪いのかも。黙っていても。

肺はきれいでしたよ。そのうち本格的に肺を調べましょう、
結核の心配は今のところありませんが。そうも言われた。
本格的に? 国語的には、心配ないなら本格もなにも、
追究しなくたっていいはずじゃないの、と思うわけである。
糖尿病の数値は安定的に下がっていますし、いいでしょうと言われた。
闘病という観点からすれば、ルール違反ばかりの食生活をしているのに、
どうして安定的になるのか、身体の具合と不具合は、どうもわからない。

コロナ・ウィルスの今現在の注意点です、という紙をもらう。
新聞報道なんかどこを吹く風みたいな、非常に落ち着いた内容だった。
新聞は異なる見解を、おなじ紙面に乗せて知らん顔である。
新聞は編集が投げやり、病院は人間より機械。途方に暮れてしまう。

薬局で薬をうけとり、そのあと多少の買い物をし、バスを待って帰宅。
もうくたびれちゃって、がんばれないかも、と思いつつ食事と洗濯をする。
午後が4時になり5時になった。

夜中、川本三郎の「サスペンス映画ここにあり」を、パラパラと読む。
・・・こういう記述があった。
「タイムリミット25時」
  このダンサーを演じているのがスーザン・ヘイワード。鼻っ柱の強さで知られる。
  のち「私は死にたくない」(58年)の女死刑囚役でアカデミー賞を受賞する。
  「タイムリミット25時」の撮影直前に、俳優である夫のジェス・パーカーとの
  あいだに双子の子供を産んだばかり。少しやつれた美しさを見せる。

双子を出産すれば、少しやつれる。スーザン・ヘイワードがどんな美女でも。
人間は壁紙じゃないから、完璧な同一状態では過ごせないものだ。
こういう変化を受け取る心構えは、医者にこそ必要ではないかと思う。
骨密度だって、若い人と老人では当然ちがう。数字のよしあしでポンと治療方針を
口にするなんて、と思う。なんだか乱暴な人だと思うのは、数値から目線が離れず、
目の前にいる患者の、個体としての自然に判断の基準を置いてくれている感じが
しないからだ。めんどうくさいんだろうか?
きっとそうだと思う。見渡すかぎり老人ばっかり病人ばっかりだから。

映画評論家というのは川本さんの肩書の一部であるが、なにを読んでも、この目線の
温かさ、選択眼、対象を丁寧にながめる彼の立ち位置が、いつも好ましい。



2020年2月21日金曜日

立往生


夜空を、白い小さな雲が、風に吹かれながら飛んでいる。
雨が降りそうなしめった風だけれど、
目をこらして、待っていると、けっきょく星が、
淡く、遠く・・・彼方に小さな姿をあらわす。
目が霞んでしまい、日々やっと本を読んでいる私に、
蒼ざめた淡い光が、とにかく遠くここまで、届けられるなんて。
坂の途中でひと休みしている、おばあさんのところまで。

今夜はもしかしたら、空気が澄んでいるのだ。
ウィルスを恐れて、人はみな、経済活動を最小限にしかしない。
みさかいのない金儲けほど、地球を毒するものがあるだろうか。

こんな夜中になってもコロナ・ウィルスは活躍中かしら。
夜の静かな空気、つやつや光るそよ風、
ウィルスも夜になったら眠たくなるだろうなんて、
まさか、いつのまに思いこんだのだろう?
いや、そうではなくて、本当に、この夜の団地にも、
音もなく飛んでいるのだろうか、肺炎と死を招く細菌が。
・・・多摩川の、春の、タンポポの綿毛みたいに。

クルーズ船舶で起きた長期間の乗船者監禁。感染者の続出。
医者や作業のため駆り出された人にまで感染したというニュース。

加藤勝信厚労省大臣は、なぜ陣頭指揮を取らないのか。
これは国際的な国難である。責任がどこにあろうが、現場で働く人々と
いっしょになって働くのが、こんな時のお偉方の仕事ではないか。
福島で原発が大事故を起こした時、管直人総理大臣は直ちに現地入りし、
東京電力の責任者たちにも、現地での直接指揮を命じたはずだ。
 
こんな時のためにも、私達は選挙するのである。
コロナ・ウィルスのニュースの影に隠れて、国会は空転。憲法無視の
破たん状態である。私は安倍政権というより自民党が恐ろしい。
私たち国民の、自民党体質と政治無視が、おそろしい。


        多田富雄著「残夢整理」を池内 紀の解説 とともに読了。
        大活字本600部限定(なんて少ない)。埼玉福祉会発行。
        底本は、新潮文庫。「寡黙なる巨人」の底本は集英社文庫。


2020年2月20日木曜日

本のタイトル占い


昨日、図書館から借りた本を、今日どれから読もうかしらと手にとって、
少しばかりきのうの私に、私は、うんざりだ。
内容に関係なく題名と著者のお名前とだけで、考えるとですが。

「寡黙な巨人」「残務整理」「木に会う・上」「木に会う・下」
大活字本を、4冊。人間も自然の一部と思って、生き方を単純素朴にしたいと、
こう考えたのでしょうね私は。素朴かー。素でも朴でもないのに。
つぎの2冊はふつうの中型・小型、
「しょぼくれ老人という幸福」及び「お年寄りはうれし楽しおかしい」
仏教の方の著作。 気楽にくらしてればいいんじゃないか、自己批判せずに。
そう思って借りたのか。きっとそうだ。
最後のドッカーン と厚ぼったい単行本「サスペンス映画ここにあり」は
映画評論の多い川本三郎さんの著作である。

もしもこの世に「本のタイトル占い」というものがあるとすれば、

向学心がおありで基本まーじめなのですね、つぎこさんは。
そのわりに努力がお出来にならない、ラクがなさりたい。 
いっそ、ヒマつぶしに怖くないサスペンス映画なんかいかがでしょう?

私の、今の今は、こういうことになるのかしら?
けしからんとしか思えないわよね、つまるところ。



2020年2月18日火曜日

普通の一日


夜中の3時に起きて、それから6時に起きる。朝食その他が終わると8時。
洗濯物を干して、9時にもう一回なにがなんでも寝ようと決心する。
それでもう一度寝たとして、目がさめると10時半か11時。
せっかく睡眠がとれたのに、立ち上がればいつもかえって疲れている。
それがおかしいと思うのがおかしいけど、おかしくて少し笑う。
私って内面的に機嫌が悪いのにさ。

まさかもう眠れないから家事努力。思ったより疲労感から自由になっていて、
そうなると「本」と「家事」。働いては本を読み、働いてはちがう本も読む。
取りまとめて考えれば、なんにもやってないのとおんなじみたいな家事だ。
なんでこんなに忙しいのか、1日を12時間で暮らそうとするからか。
今日は、3時に買い物に出かけ、図書館に寄って7冊も本を借り、
しかも露天みたいなところで単行本を買った。100円。

帰ってから、最近なにを作っても不味いので、無難にしゃぶしゃぶ。
用意が出来て息子に、用意ができたわよとさけび、お茶碗を手に持ったら、
ご飯を炊き忘れていた。さっき、ちゃんと研いでから買い物に行ったのに。

鍋の火をとめろと言われたので、ガスをとめて、本を読む。
大活字本の「寡黙なる巨人」、あっという間にご飯が炊けて残念なような。
知らなかったけれど、著者である多田富雄さんはすばらしい。


2020年2月17日月曜日

人間のしるし


リュートゲンの「オオカミに冬なし」を読んではやめ、数日後にまた、
思いきり悪くどこかのページを開く。子ども用の重たい本である。
アラスカ、グリーンランド、北極海の話。
翻訳者は中野重治だった。私の生家でよく話題になった作家で詩人。
「ドリトル先生航海記」のシリーズが井伏鱒二翻訳だったことと合わせ、
ええっ、中野重治の翻訳だったのかと、50年もたってからビックリする。

中野重治は、この童話の後書きに、こう書いている。
「百年ほどもむかしの話です」と。
主人公ジャーヴィスと、ジョーというエスキモーの姿は、読む人の心に
心の底にきざみこまれるだろう、ほんとうの人間、ほんとうの人間の手本のように
思われるから、と書いている。
実話なのだ。

この本の発行は1964年の12月だった。

百年も昔の話ということだから、今から150年ぐらい前のことだ。
もうつくずく、そのころの地球は今みたいじゃなかったのだと思う。
病人や年寄りの介護をロボットにさせようとか、そんな話はまだなくて、
人類 ー懐かしい言葉だがー 人類の文学上の注目は、
ほんとうの人間とは、手本になる人間とは、という素朴な問に集中していた。
特に、子どもの文学においては。

ほんとうの人間、何よりも、人間の勇気、人間のまごころ、人間のねばりづよい知恵、
人間の熱情、人間の愛、と中野重治は後書きに列記しているが、
私はそれに気を惹かれて、しばらく読んでは疲れ、具合が良くなくて放りだし、
もう一度そんなことを考えたいからと、重たい本の幾ページかを開ける。

今朝は、なぜかしらないが、ソファの「オオカミに冬なし」の近くにいて、
不意に思い出す詩が、1行だけあった。
時が来れば わたしのために 涙を注げ。時がくれば、時がくればと、
私はくりかえすけれど、ベッヒャーの詩だと思うのだけれど、
その1行だけであとが続かない。
    
   時が来れば わたしのために 涙を注げ

中学生のころの小ノートのいちばんおしまいに、今とはちがう子どもの字で、
私は書いている。「碑銘」という学校でならったことのない漢字。

   時が来れば わたしのために 涙を注げ
   そのとき わたしも 墓の中から 応えよう
   久しい 悲しみの 涙を流そう
   死んでからも きみらと ともにあったわたし

   照る日 流れる雲を 眺め
   春の悦びに うちふるえながら
   夏も冬も きみらのもとを 去らぬわたし
   きみらが泣けば 泣かずにおれぬ

   はてしない苦しみは わたしをきみらと ひとつにした
   心から きみらの 幸福を祈る
   わたしたちの なしえなかったことを
   なしとげてくれ

   そして 喜びの舞踏には わたしを抱擁し
   楽しく笑う時には わたしを想いおこせ
   きみらの涙もうけず
   一人この地に眠るわたしを。

頭の中の、
オオカミに冬なしのとなりに、なんでこの詩が並ぶのだろう?
子どもの本の世界を旅しながら、こうやって、子ども時代の私は、
自分の情緒なるものを、えんえんと気ままに、整えていたのだろうか。
  



2020年2月16日日曜日

雨の日のランチ


萱野さんと冨田さんが迎えにきてくれた。
それで、みっちゃんの家へ。
お見舞いである。
さいわい淑人さんがいてくれるから、4人で話す。
食べたり飲んだり、緑茶、コーヒー、買ってきた混ぜご飯や、ケーキ。
時間がどんどんたって、話したり、冗談をいったりするうち、
みっちゃんの声が、ちゃんと出るようになった。
頭もよく働くようになり、うれしいことだった。

淑人さんとみっちゃんと私はいわゆる同世代、同年配なので。

冨田さんげんき、萱野さんげんき、
ふたりの、若い、それでも年季の入ったリアルそのものやりとり。
意見、疑問、経験からくる断定など、ふうんふうんとぜんぜん飽きない。
緊張がゆるむとヒトの話って、時々、私なんかうっかり分からなくなるけど、
その点、4人は、会話に絶好の人数だと思う。
よい日だった。

介護の話。
私もみっちゃんも淑人さんも、親・介護「経験あり」だけれど、
迫りくる未来に、今度は自分自身が 、知らん面(つら)もできない年齢で、
かなり寒々とやばい未来。どう工夫すればよいのか、いったい。
困ったってダメ逃げたってかえってダメだと冨田が言うし。
頑張ってくださいねと萱野が言うし。
スリリングだよなーと、心は少しおもい、そりゃ話はかるくても。

工夫の始まりなんでしょうね。
助けてもらいながら、生きる工夫はちゃんと自分がするのだ。



2020年2月15日土曜日

生活の模様


暖冬。
なのに、私は寒くてたまりません。
考えられないほど着こむ。
サイズが合うスカートは夏物だけ。いくら私が主観的でもこれはオカシイ。
だからスカートの上に、ワンピース・のようなものを重ねて着る。
そんなにたくさんと思わないでもないが、それができるから痩せるとベンリだ。
私って昔から、ブカブカを選んで着るタイプだったし。
最近の私は、こまったことに血が通ってないみたいに、両足が冷たい。
どうするかというと短いの長いの二重三重に毛糸の靴下を足に巻くというか、
履くというか、靴が内心ウンザリしていると思う。

さて私はTシャツその他4枚を重ね着し、その上にオーバーまではおる。
4枚のうち一番気に入っているのは、黒いオンボロのセーターで、
これは、そこらじゅうが穴だらけ、世紀末みたいに端切れ化している。
気をつけないと、着る時、腕の途中から、手が出てしまう。
でも自分としては愉快みたいな。どこに出かける時もなんとかして
この軽くて温かいオンボロを着たい私だ。
むかしからのカシミヤ、貧者の一灯、だまっていても世にも温かい。

 お隣さんたちと、反原発の映画会があって参加した日。

風の中を駅まで歩いていると、うちの隣りの若いお嫁さんが、
オンボロ・カシミヤを隠し着てるルンペン風の私を眺めて叫んだ。
「ステキ、コーディネートが!」 「あっはっはっは、ウソでしょ」 
いいえ、うそじゃなくて!
彼女が飛び上がった拍子に 藍色のブラウスが黒い半コートの下に見えた。
これが洗いざらしの渋いじつによい色で、
「ねっ、すごく気に入って、破けてもなんでも着たいから、今日も着ています」
見てくださいよ、ほらね、ほらほら、
「だけど、繕ったところがひっ吊れちゃって、きつくて。」
それはよさそうなチュニック風のブラウス、初夏みたいに涼し気、透けている。
「私っていつも暑いんです」と彼女は言う・・・。

彼女は暑い。私は寒い。
暖冬でも。


2020年2月14日金曜日

あれもぶっ壊れこれもぶっ壊れ


うちはなにもかもぶっ壊れはじめている。
とりわけ、電気ストーブが、つぎつぎにダメになって、
なんとかしようとするけど、いくら暖冬かしれないが、しのげない。
ある夜、長椅子に、遥が送ってくれた大きなスカーフを掛けた。
ステキだけれどトシだからと敬遠していた更紗もようである。

更紗模様に合わせて、遥がくれたオランダの絵本を、ひろげる。
この絵本には、絵、だけしかない。
オランダ語は歯が立たなかろうと、なんだか折り畳みの、始末におえない
長い長い、ページの切れ目のないみょうな絵本なのであって・・・、
しかも選んでるヒマがなかったと言わんばかりの、赤い衣装のカラスの洪水。
どこどこまでもカラスカラスカラス、またカラスカラスが、赤い衣装で、移動
している本である。洋服なんか着て、トロッコまがいの赤い靴に乗って、
あれ持ってこれ持って、まあそれぞれのカラス、カラスのつごうで。
…赤い赤い、火事みたいな、カラスのお引越し。
かわいくないカラスの。
うざったい絵本なので、遥にはわるいけれど、ふだんは隠してある。
それを棚が長いのをさいわい、長くながく、もっと長く飾ったんだけど、
真っ赤だらけの絵本だから、棚の上が、暖炉みたいに燃えている。
最近、目がよく見えないから、なおさら、ホントがウソみたいに、あったかい。
目が温かいと、ストーブなみに、なにがしか熱みたいなものを受けとれて、
けっこうビンボウがさいわいである。


2020年2月13日木曜日

鳥取の思い出2


思いだすと、かならず、その断片がその時そのままに甦って、
もはや白黒映画の一場面のようになっている、無力な悲しみの断片。
なぜそれが自分の記憶に残っているのか、わけがわからない。
木の葉がつくる斜めの影や、つよい陽の光の加減まで覚えているのに。

ドキュメンタリー映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して 」を、
DVDで見ているうちに、答えをみつける。
(7才だった私は今はもう76才だ)

彼女は変人で奇人で、メアリー・ポピンズそっくりの、だから職業も乳母で、
魔法こそ使わないが、そのかわり天才カメラマンだった。
膨大な75万枚にもおよぶ、アンリ・カルティエ・ブレッソンみたいな、
もしかしたら彼を凌駕しているのかもしれない 美しい写真を、
彼女は死後に残した。
あやうく捨てられずにすんだ、凄まじい分量の、古新聞、古着、ゴミと、写真。
謎と、分裂と、奇跡と。

子どもは子どもすぎると、世界がふたつにしか見えないものだ。
もしかしたらヴィヴィアン・マイヤーみたいに。
自分。それと自分以外の世界がぜんぶ。そういうことだ。
主観のかたまり。子どもとはゆがみを内にもつ個体である。

あの時、泣き声をかくして私が考えたことはこうだった。
恵子さんの大人になっている弟から、突然棒で頭を打たれたのは、
どうしても、悪い子がなにか悪いことをしたからなのだ。
それについてはどんな否定も弁解も、許されない。
悪いことはしなかったという立場が、自分はいちども許されたことがない。

そういう、サディストが支配する家庭に育った、いわば不正直な子ども。

世界には、種類のちがう大人も存在するのに、それがわからなくて。
あるいは、一種類の大人しか、7才の世界にはいないので。

やっと5年生になって、3才で別れた実母の家に逃げた時、
「お宅のお手伝いさんから、引き取ったほうがいいと手紙がきたわよ」
と母は言った。しかし、手紙を受け取っても母は知らん顔をした。
貧しかったからか、愛がなかったからか、今でもわからない。

恵子さんは私の家から夜学に通い、のちに保育園の園長さんになった。

私の家では、お手伝いさんが何人も替わり、
その都度、子どものわがままが原因だということになった。
子どもには自分のことがよくわからない。それはちがう、と思えない。
子どもの世界がゆがんでいるわりに、子どもは公平である。
それで、 本当に自分はわがままなのかもしれない、
と思いながら殺されてしまうのだ。

その子の世界に、種類のちがう大人の存在がなければ。




2020年2月12日水曜日

鳥取の思い出 1


鳥取の思い出は三つしかない。

小さかったのに、お手伝いさんに連れられて、何日かそこにいた。
市川崑の「獄門島」や「犬神家の一族」に出てきそうな立派で暗い農家。
自分の家が、お手伝いさんの家より小さくて安っぽいとびっくりした。
門を入ると大きな椎の木があって、椎の実を炒って食べさせてもらった。
おいしくて茶色の小さい実だった。もう一度、食べたいなあと思う。

そのどっしり大きな家には、恵子さんのお父さんと、大人になった弟が二人、
ほかにも家族がいたはずだけど、ほかの人のことはなんにも思い出せない。
ある日、縁側にいたら、大人の弟が私の頭を急に木の枝で殴った。
恵子さんかだれかが飛んできて止めた。たぶんその弟は脳性まひ、だった。
・・・小学校1年生の夏休みの思い出・・・。
彼が慌てた誰かに手をひかれて奥へ行ったあと、恵子さんとお父さんが、
私の頭の上でした遠回しの会話が、その抑えた話しようが、
私の、木の枝で打たれた痛みを、がまんができないほどにした。
私がそういう子どもだという話。怒られることが多くて。
痛いことでは泣かない、隠れて、声をださないようにする子ども。

家の中より砂丘のほうがラクと、はじめて砂丘にのぼった時、思った。
砂丘はたくさんあって、風が吹くと、いまいる場所からちがう場所へいく。
大きくてのぼるのが大変だった。

 

2020年2月11日火曜日

「あら塩・塩こしょう」


昨日。
デパ地下みたいなところで、私は塩こしょうの極上等品?を買った。
半年以上もつはずだから、高くはないと。
山形の青肌大豆と鶏の砂肝も買う。
さてこれで、お惣菜がふたつできる、はずで。
帰宅後、注意書きに従い、大豆を多めの水に一昼夜つける。
明朝、洗って煮れば、きれいに柔らかくなるのである。

今朝。
11時半バス停のそばの橋で知人と待ち合わせ。帰宅は夕食直前だろうかしら。

今のうちになんとか晩ご飯の用意をしてしまおうと思い、
朝から、緑の大豆を煮てしまい、
砂肝を洗って切って、パプリカやニンニク、塩コショウで下味をつけるつもり 、
それで「あら塩・塩こしょう」の黒いフタを、固くて開かないのを捩じったら、
砂肝と床とまな板のヨコに、海岸の砂みたいな「あら塩・塩コショウ」が、
音もなくいっぱいこぼれた。はんぶんじゃきかない。あんまりだ。

こどもの頃、のぼっては降りた、鳥取の砂丘の砂を思いだす・・・。
お手伝いさんの実家に行った時。

けっきょく、炒めた塩コショウだらけの砂肝を、改めて洗って出し汁で煮て、
大豆とまぶした。おいしかったけれど、まんじりともしないみたいな感覚。
不手際がこわいというような。


山本太郎さんをベルギーの監督が撮ったドキュメンタリー映画、
「ビヨンド・ザ・ウェイブス」を観る。
会場はかしのき保育園、いっぱいの人で、よかった。
いい映画だった。


2020年2月10日月曜日

「市川崑物語」


岩井俊二監督は、映画監督になろうとして一番多く観たのが市川崑の作品だという。
以前観た時にはそんなことは気にもとめなかったのに、
今度はマニアだったんだな、と考える。
最初から好きで、研究するうち、もっともっと好きになって、
のめりこんで、彼も有能なので、時が来ればすぐれもんの映画監督になる。
それでマニアということもなくなって、傾向の違うすぐれた映画監督になって。
それでも、月日のなんということもない節目に、ぽかんとなんの気もなく、
岩井俊二は市川崑のマニアだったころに、つい戻る、みたいなことだろうか。

全編、巨匠提供の写真と、映画と、市川崑の[話し」のキリバリ。

そんな、市川崑監督まがいの、まがいものじゃなく、市川崑仕様を採用した
おもしろくて、目が離せない映画だった。息苦しいみたいに華麗な。
本物の市川崑が画面に少し映っているから、・・まだ巨匠は生きていたんだ。
ウソだと誰にでもわかってしまう「市川崑物語」など初手から論外で。
そうかといって、 岩井俊二の眼力であんまり、言いたい話をすれば、
市川崑なんか、すごく怒り方が怖そうで、恐ろしい。
そんな大物に迫る撮影。無音のカメラ。
自由なようで不自由な「市川崑物語」は、
市川崑の映画をもう一度、いや、たびたび見たいと、思わせる。



2020年2月9日日曜日

お月さん


外からオンボロ車に乗って帰ってくると、並木をすかして、まんまるさんな月が空に
今夜いる。月はこのごろ上弦つづきだった。なのになぜ今夜はこんなに急にまんまる
になったか、さっぱりそのわけがわからない。

暗くなりかけたあちこちで、
灌木がだまって寒く固まっている。

いちにち歩いた気がしているのに、万歩計は5せん6ぴゃく2歩という。
この万歩計はへんだとおもう。朝など7歩としらせたりする、
そんなへんな歩きかたなんか、いくら家のなかでもできないのに。

淡いグリーンのレトロな電気ストーブをかったので、
やっと、健の北極部屋も暖かだ。

      

新型コロナウィルス

 
新聞の論調で、最近、とても気になるのは、
編集責任者の立場のあいまいさである。
少し前、(新聞に)
汚職議員の記者会見が1分で打ち切られたというフンガイ記事が載った。
ぬけぬけと、よく言うよねー。 記者会見なんでしょ?
夜討ち朝駆けの報道関係者が集まっているんでしょう?
打ち切られる方がオカシイ。
座り込みでもなんでもすればいいじゃないか。
なぜ、1分でおめおめ引き下がるのか。
「打ち切られた」と、人のせいみたいについ書いちゃうってどうなのか。

各新聞社の編集長が首相の接待に応じて、
銀座のジロウだかタロウだかの何万円もする寿司でも食べたせいかと、
どこかで読んだ「記事」を思い出して、もう本当にいやだいやだ。
こんな恥ずかしい汚職がマスコミにはあるんだなーと思う。

新型コロナ・ウィルス という、そら恐ろしい問題についてもそうだ。
おなじ紙面でああ言ったりこう言ったり。なんで恐怖を煽るのか。

東京新聞一面トップの、
「疑い」どこまで、とかいう大見出しが気持ち悪い。
都「無症状でも検査を」
自治体戸惑い 国は慎重姿勢
この中ぐらいの見出しふたつも、主張がなくて役人みたいで気持ちが悪い。

コロナ・ウィルスについての考え方は2つある。
手も足も出ないという考え方と、
直る場合もあるよという考え方と。

得体の知れない病原菌だとしか判っていないのだから、
最悪の場合だって当然あり得るだろう。
老人とか病気もちで弱体だと、死んでしまうのかもしれない。
現に、中国湖北省では死者の数が日に日に拡大の一方である。

しかし、その場合でも、生き延びる人は、必ずいる。

いったいそういう人間とは、どんな、と考えることだって、
生命力にはだいじな努力、可能性じゃないのかしら。

丈夫で温かみのある人に、地道で、落ち着いたタイプの人間に、
どこどこまでもゆっくりと、まあ太陽消毒ってのもありますね、
空気感染もさりながらと、そう考えて笑うような人に。
考えにゆとりがありなんだか親切、 そういう人間のほうが、
少なからず、生きるチャンスにめぐまれるんじゃなかろうか。

だから、なんとかして自分もそういうヒトになればいい。
人はいつか死んでしまう。運命というものだってある。
しかし、命があるかぎり、自分にも、懐かしく親しい人にも、理解力をもち、
落ち着いて延命の工夫をと思う。

自発的に自分の考えを準備し、それを分け合う暮らしを創るし、選ぶ。
そういう努力につながる言論を、私たちは自分でも起こすべきである。

ただ不安をあおるだけの記事には生産性がない。
生産性がないばかりか、「桜を見る会」のウソ隠しで煽っているのかしらと、
もう本当に、まさかの「新聞」たちにガッカリだ。

 

2020年2月7日金曜日

順子ちゃんから電話


彼女から電話がかかると、マンガの吹き出しのように、
思い出の中に、私の物語り的?貧乏のありさまが、ふくらむ。
順子ちゃんは、ブロック塀のすぐ向こうの第一柏葉荘の2階に、
私は第二柏葉荘の1階に住んでいた。
それぞれ6畳一間に台所という間取りのモルタル・アパートである。
順子ちゃんはガラス職人の女房で、私は文楽の人形遣いの女房だった。

月が空に遠く輝く晩、私は赤ん坊をやっと寝かせて、
古い自転車を漕ぎだし、広い畑の方まで、遠く遠く一人走りだした。
自転車は中古屋のおじさんが、あんたの必死な目つきがあんまりだったんで、
とか言って4500円 にしてくれた男性用だから、新聞配達みたいに重かった。
どこかの農道で私は自転車を降り、広々とした畑をながめ、月を見上げた。
この世界を部分だけでも見てみようと、その深夜、急に決心したのだった。
どうしてだか、地球となんの関係もないことがよくないという気がした。
やわらかく耕された黒土や、私の三つ編みにした髪にあたたかい風が吹いた。
空は広すぎてよそよそしく、月も彼方で固く輝いてひどく遠かった。

月を眺めるなんていうことは、そのころの私には全然なかった。

私は・・・星や月は何億光年かけて、この畑の上で輝くのだろうかと思った。
化学も科学も数学もわからず、人間の命の半分を自分は生きたのだろうと思い、
人の命が70年だとすれば、もう半分がすぎてしまったのだという、単純な、
しかしこまった焦りでいっぱいだった。
 
なにもかもハンパでしかない自分を、もうどうにかしなければならない。
無能のせいで、できないことばかりの、仕事なしの赤ん坊相手の暮らし。
夫は優しかったが、文楽の人形遣いだから、いない時が多かった。
不幸だというのではない。貧乏もそんなに気にならない時だった。
劇団に7年もいて、日本中をぐるぐる回っていたのに、今は一部屋にいる。
ずーっと地震の上にいたのが、急に静止して、もう動かないのだ。
それは地味すぎて、妙な、不安なことだった。

私は、劇団の試験を待っているあいだに、大学に二つも三つも出入りした。
それなのにこれはない、オカシイ、と自分が許せなくなっていた。
小説の読みすぎで頭がヘンだったのか、芝居じみていたのか、
今晩こそ決着をつけようと、誰も居ない深夜の畑まで来たわけだった。

その頃の私は、知り合いといえばアパートの大家さんと順子ちゃんだけ。
毎日なにかしら彼女に助けてもらって、精神的な借りがふえる一方だった。
学歴も年齢も自分の方が多いのに、生活能力がまるで無いのだから手に負えない。
若い彼女は、かん高い声の、私が逢ったこともないようなタイプ、
劇団の芝居でこんな役をふられ、こんな風に演ったら、なに考えてるんだ、
リアリティーがまるでないぞと怒られそう、水戸弁。陽気な26歳。
むかしも今も、私は、彼女のことがサッパリわからないんだけれど、
あっちは有能、こっちは無能、比べると恥ずかしいことばかりだった。

「久保さん、風呂行かねえ?」と夕方、さそってくれる。
「うん、ありがとう、行くっ」と言って赤ん坊と洗面器と着替えを用意する。
もちろん畑を通って、ぞろぞろ自転車で行くのだが、
銭湯につくと、頼んでないのに、彼女がぜんぶ引き受ける。
自分はもちろん、自分の子どもと私の子どもまで湯船につけて洗ってしまい、
帰りの洋服まで着せてしまい、だれかれと陽気に喋り、
だれだかわからない小柄なおばあちゃんに「またねー」と明るく別れを言い、
私のほうはただお世話になって自分の家にもどるんだけど、帰ってみると
荷物の中に自分の洗面器が見付からない。銭湯に置き忘れて帰ってきたのだ。
なんにもしなかったというのに。

劇団では、俳優はなんでもできなければいけないと教育されてきた。
生活感というものが、リアリズムというものが、新劇ではとてもだいじだった。
もうその仕事はやめたのだが、彼女なみに洗濯も掃除も食事作りも、
とにかくふつうの人間がすることはぜんぶ出来るようになろう、
そう思って、私は 畑まで行ったのだ。
さしあたって、明日からなにがなんでもと、月に誓おうとしたのである。



2020年2月6日木曜日

スランプな夜


「もうなんにも思いつかないんだけどさー。」
夜の食事が終わって、息子がぼわぁっと腰かけてスマホを見ている。
私が話しかけると、もや~と笑ってこっちを見る。くたびれてんだなーと思う。
「あのさぁ、ブログよ。書くことがないの。まるでなんにも思いつけないの」
「ああ、ブログ・・・ね」
愛想笑いをうかべているが、顔の輪郭がぼやぼやに崩れて、眼もうつろだ。
「あんたって疲れてるのね、タイヘンだねぇ。 ねえ、考えてよ」
これ書けって言ってくれない?とむりにも頼むと、
 「・・・そうか、書くこと、ないか」
気の毒にぼーっと、それでも考えようと努力して、ぐらぐら、
なんかこう、頭のまんなかにヘンなふうに両手の指を立て、
どうせ、つまらない単語でも並べるんだろうと私が待っていると、

「いま、頭のここがキーン・・・とすごく鳴っちゃったんだよね、かあさん?」

私は、もうおかしくておかしくて、
あはははははは、とひっくり返りそうになって笑ったけど、
けっきょくなんの解決にもならなかった。



2020年2月5日水曜日

けばい娘 ⑵


2005年ごろ、
世界的ベストセラーになったスウェーデンの小説に『ミレニアム」6巻があった。
そういえばスウェ—デンは、地球温暖化防止の、あのグレタちゃんの国である。
6巻もあるというのに、私は中毒症状を起こし、繰り返し読んだものだ。
面白くて面白くてということだが、このサスペンスの主人公が、
国家的陰謀に巻き込まれ、最後は裁判で死力を尽くして戦うのである。
ヒロインはリスベット・サランデル。少女のように小柄だが、成人である 。

今回のセクハラ裁判は、思えば、リスベット的だ。
女性弁護士と一緒にどこどこまでも戦って、一応、勝ったんだし。

裁判の日、リスベットは、物凄い化粧をし、ぶっ殺すぞみたいな装束で、
人々の前に登場する。隠さなければならないことなど、自分にはなにもない。
踵(かかと)のないパンプスを履き、平凡なブラウスにスカートという姿では、
本性を隠したがっていると思われてしまう。
上記がリスベット・サランデルの基本姿勢である。

おなじことを、この姉と妹も、人生のどこかで考えたのだろうか?
化粧とは、外国語ではメーク・アップだ。
役者が役柄に合わせてする仕上げだという説明もある。
たしかに彼女たちのメーク・アップは、図抜けて「戦闘的」である。
目的意識的、とはこういうことかなと、そう思う。

むかし、家風呂がなくて銭湯に行った寒い冬の日があった。
湯船におとなしそうな長い黒髪の少女がいた。
タオルで、胸を庇うようにしている。
私を見て、こまったのか、動いた拍子に湯船にタオルを落とした。
・・胸に、鎌首をもたげてカッと大口を開けた毒蛇の刺青が、あった。
地味で寂しそうな、目立たない素直な顔だったから、
あとあとまで、忘れられなかった。
ひどい目にあうことが多いのかもしれない。
そんな時に、あの刺青が、彼女を救ってくれるのかもしれない。
いじわるな人に、あんたなんか本当は怖くないんだと、黙って思うのだろうか。

胸に刺青を隠して、不幸をまる抱えするのではなく、
20人いれば20人同じ付け睫毛で同じプチ整形顔になるんじゃなくて、
この一見おかまいなしの自己表現の、よって立つところを、
理解できたらと、考えるんだけど。


2020年2月4日火曜日

けばい娘 ⑴


私の友人の娘は、装束、化粧が、すごくケバイ。
何年かに一度しか会わないけれど、姉に会っても、妹を見ても、すごいと思う。
むかしからそうで、いまだって会うと、 ギクリとする。
いったい幾つになったのだろう? オオカミ仕様だから見当がつかない。

お姉ちゃんは、きれいな娘さんになり、結婚し、家を建て。
それから就職先の会社上司の病的なセクハラ侮辱に対し、法的処罰を求めた。
つまり何年振りかでこの姉妹に会えたのは、横浜地裁でだった。
裁判所である。原告である。訴えられたんじゃなくて、訴えたのである。

開廷後、少し遅れて、妹がお姉ちゃんの応援に入ってきて、最前列に腰かけた。
目が吊り上がった青いような黒いようなアイシャドウ。乱髪にしてある染め髪。
ぼーい・フレンド?がいっしょだ。「ふたり会社」の相棒、温厚そうな若者である。
妹のほうが彼よりも、暗黒版・堀 辰雄の詩みたい。
・・・西洋人はヒマワリよりも背がたかい。
もとから長身の上に、転びそうに踵の高いブーツをガンっと穿いているからだ。

お姉ちゃんとこの妹と、どっちが、ケバイか。
お姉ちゃんは原告だからか、リクルートスーツ?を着ているが、
しかし、見れば化粧はもちろん黒いスーツも、なんかこうケバイわけで。
スーツにはなんの罪もなかろうから、着方にどことなくコツがあるのだ。

妹が仏頂面で、原告席の、すでに着席している姉を、突っついている。
遅れてごめんねと言ったのかと思えば、あとで話してもらったけど、
「妹ですか? 手抜きしないで化粧したか、ときいたんですよ、アハハハ」
被告、双方の弁護士、裁判官たちが、所定の位置にもういたのに!

母親はどうしていたか?
彼女だってもちろん傍聴席でお手上げである。
内容をきかされているから、もろ手をあげて応援しているんだけど、
裁判官がなんと思うかと、ケバさに気をとられちゃって、こわばった無表情。

私はこの姉と妹をずっと贔屓(ひいき)している。別々の理由で二人が好き。
どんな時でも彼女たちの人間力に、論理性に、運命に肩入れしたい。
いま現在それが、どんなにトッ散らかって見えようと、・・・。
しかし、まあ、なんでこうも派手なんだろう?



2020年2月3日月曜日

ちぐはぐ


最近、ちぐはぐで、どうなっているのか、自分でもよくわからない。
ご飯を作りたくない。でも作る。
後片づけをどうしてもしたくない。ところが、なぜかちゃんとやる。
どうして、ちゃんちゃんとやったりできるのか、自分でもよくわからない。
洗濯もそうだ。干すことを考えると千里の道を行くようである。
しかし、私ときたら太陽を横目でみながら、ちゃーんと干している。

夜になって外にでる。あした「ゴミの日」だからだ。
家の中で、厚着しても重ね着しても、まだ寒いと思っているのに、
なんとなくゾクゾクして心配しているのに、
厚着しているから外套なしでも大丈夫なはずでしょう、と自分に理屈を言うと、
その通り、やっぱり2月の星の下にいるのに、寒くもなんともない。
これじゃ、健康なのか不健康なのか、わからない。



2020年2月2日日曜日

ガラスの強度


台風13号の時、キモを冷やしたのは、
ガラスが割れた場合に備えて下さい。補強してください。
しかし補強はガラスの飛散を防ぐだけです。補強しても割れます。
危ない、危ない、危ないっ! というマスコミその他の大宣伝だった。

私はそれを鵜呑みにし、段ボールを解体しガムテープを窓に貼り付けた。
北と南の、家中のガラス窓にである。
うちはコンクリートの集合住宅の真ん中だから助かった。
角だと、窓の数がふえるから、本当に大変だと思っていた。

嵐がぶじ通過して、しばらくたってから、うん?と考えたけれど、
見わたすかぎりの家が無事だった。
13号は多摩市を避け、ほかの地域をバリバリに壊して去ったのかも。
新聞もそう言ってるし。
 
うちとおなじ公団住宅の中には、用心深く鎧戸をつけたお宅もある。
台風のころは、お金持ちは安全でいいなと思ったけれど、
こう見ると、もともと用心しなかったのか、まにあわなかったのか、
ガラス窓むきだしのままという家も、けっこう多い。

しばらくたって、ヘンなことを、思い出した。
「大草原の小さな家」である。
父ちゃんの手作りした家には、こんどはちゃんとガラス窓がついている。
小さな、小さな、でもだんだん便利に広くなってゆく大草原の小屋だ。
その家の周囲が、おそろしい竜巻や、果てしない猛吹雪に襲われる! 
もちろん薪や食料貯蔵用の地下室に避難ということだってある。
しかし、大自然の猛威にさらされる吹きっ晒しの寒い夏も、長い冬も、
ローラやキャリイは、小さなガラス窓の氷をまるく溶かして、
地獄のような大草原を眺めずにはいられない。

待てよ、150年も前のガラスでしょ?
割れないの?
ガラスがこわれたという話が、全然書いてないのはなぜか。

壊れなかったからだ。


このあいだ久里浜であった友人は、2年前、公団住宅の管理組合の理事だった。
役目で、綿密に建築関係の資料にあたったところ、
「公団のガラスの強度は大概の自然の猛威に耐え得る。」
そうなっていますよと言う。強度を示す数字まで私たちに教えてくれた。
「あなたのお宅って鎧戸なし?!」
「うん、やってないよ。」
気象庁とマスコミと政府と、この友人と。
だれの言うことを信用するかというと、私の場合は、
自己責任のもと、
この友人と、それから、ローラ・インガルスと父ちゃんのくらした、
資本主義じゃない時代かな。



2020年2月1日土曜日

むりやり温泉


温泉にむりやり出かけて、
一日中、本を読んでは温泉につかり、本を読んでは温泉につかり、
寝転がって眠って、またお湯につかった。
私はやせたから、なんだか全然あたたまらない。ご飯もそんなに食べられない。
毛布をもっていったからそれを身体にかけるけど、それでも温まらない。
ような気がする。
寒いし、真っ青だ。

ところが鏡をみたら顔色がよくなっている。

なんの効き目もないじゃんかと思ったけど、血の色が両頬にのぼってきている。
手も腕もいまや貧困飢餓同盟みたいだけど、よい色になってる!
実感はないけど、しつこく温まれば効き目はやっぱりあるのだ。
・・・と、断乎そう思うことにした。
そうだ、そうだ、 脳みそで考えるより、血色の判断に任せるのが一番だ。

一日が終わったら、休んだなと気がかわって、いまじゃのんびりしているさ。