2020年2月17日月曜日

人間のしるし


リュートゲンの「オオカミに冬なし」を読んではやめ、数日後にまた、
思いきり悪くどこかのページを開く。子ども用の重たい本である。
アラスカ、グリーンランド、北極海の話。
翻訳者は中野重治だった。私の生家でよく話題になった作家で詩人。
「ドリトル先生航海記」のシリーズが井伏鱒二翻訳だったことと合わせ、
ええっ、中野重治の翻訳だったのかと、50年もたってからビックリする。

中野重治は、この童話の後書きに、こう書いている。
「百年ほどもむかしの話です」と。
主人公ジャーヴィスと、ジョーというエスキモーの姿は、読む人の心に
心の底にきざみこまれるだろう、ほんとうの人間、ほんとうの人間の手本のように
思われるから、と書いている。
実話なのだ。

この本の発行は1964年の12月だった。

百年も昔の話ということだから、今から150年ぐらい前のことだ。
もうつくずく、そのころの地球は今みたいじゃなかったのだと思う。
病人や年寄りの介護をロボットにさせようとか、そんな話はまだなくて、
人類 ー懐かしい言葉だがー 人類の文学上の注目は、
ほんとうの人間とは、手本になる人間とは、という素朴な問に集中していた。
特に、子どもの文学においては。

ほんとうの人間、何よりも、人間の勇気、人間のまごころ、人間のねばりづよい知恵、
人間の熱情、人間の愛、と中野重治は後書きに列記しているが、
私はそれに気を惹かれて、しばらく読んでは疲れ、具合が良くなくて放りだし、
もう一度そんなことを考えたいからと、重たい本の幾ページかを開ける。

今朝は、なぜかしらないが、ソファの「オオカミに冬なし」の近くにいて、
不意に思い出す詩が、1行だけあった。
時が来れば わたしのために 涙を注げ。時がくれば、時がくればと、
私はくりかえすけれど、ベッヒャーの詩だと思うのだけれど、
その1行だけであとが続かない。
    
   時が来れば わたしのために 涙を注げ

中学生のころの小ノートのいちばんおしまいに、今とはちがう子どもの字で、
私は書いている。「碑銘」という学校でならったことのない漢字。

   時が来れば わたしのために 涙を注げ
   そのとき わたしも 墓の中から 応えよう
   久しい 悲しみの 涙を流そう
   死んでからも きみらと ともにあったわたし

   照る日 流れる雲を 眺め
   春の悦びに うちふるえながら
   夏も冬も きみらのもとを 去らぬわたし
   きみらが泣けば 泣かずにおれぬ

   はてしない苦しみは わたしをきみらと ひとつにした
   心から きみらの 幸福を祈る
   わたしたちの なしえなかったことを
   なしとげてくれ

   そして 喜びの舞踏には わたしを抱擁し
   楽しく笑う時には わたしを想いおこせ
   きみらの涙もうけず
   一人この地に眠るわたしを。

頭の中の、
オオカミに冬なしのとなりに、なんでこの詩が並ぶのだろう?
子どもの本の世界を旅しながら、こうやって、子ども時代の私は、
自分の情緒なるものを、えんえんと気ままに、整えていたのだろうか。