2020年2月5日水曜日

けばい娘 ⑵


2005年ごろ、
世界的ベストセラーになったスウェーデンの小説に『ミレニアム」6巻があった。
そういえばスウェ—デンは、地球温暖化防止の、あのグレタちゃんの国である。
6巻もあるというのに、私は中毒症状を起こし、繰り返し読んだものだ。
面白くて面白くてということだが、このサスペンスの主人公が、
国家的陰謀に巻き込まれ、最後は裁判で死力を尽くして戦うのである。
ヒロインはリスベット・サランデル。少女のように小柄だが、成人である 。

今回のセクハラ裁判は、思えば、リスベット的だ。
女性弁護士と一緒にどこどこまでも戦って、一応、勝ったんだし。

裁判の日、リスベットは、物凄い化粧をし、ぶっ殺すぞみたいな装束で、
人々の前に登場する。隠さなければならないことなど、自分にはなにもない。
踵(かかと)のないパンプスを履き、平凡なブラウスにスカートという姿では、
本性を隠したがっていると思われてしまう。
上記がリスベット・サランデルの基本姿勢である。

おなじことを、この姉と妹も、人生のどこかで考えたのだろうか?
化粧とは、外国語ではメーク・アップだ。
役者が役柄に合わせてする仕上げだという説明もある。
たしかに彼女たちのメーク・アップは、図抜けて「戦闘的」である。
目的意識的、とはこういうことかなと、そう思う。

むかし、家風呂がなくて銭湯に行った寒い冬の日があった。
湯船におとなしそうな長い黒髪の少女がいた。
タオルで、胸を庇うようにしている。
私を見て、こまったのか、動いた拍子に湯船にタオルを落とした。
・・胸に、鎌首をもたげてカッと大口を開けた毒蛇の刺青が、あった。
地味で寂しそうな、目立たない素直な顔だったから、
あとあとまで、忘れられなかった。
ひどい目にあうことが多いのかもしれない。
そんな時に、あの刺青が、彼女を救ってくれるのかもしれない。
いじわるな人に、あんたなんか本当は怖くないんだと、黙って思うのだろうか。

胸に刺青を隠して、不幸をまる抱えするのではなく、
20人いれば20人同じ付け睫毛で同じプチ整形顔になるんじゃなくて、
この一見おかまいなしの自己表現の、よって立つところを、
理解できたらと、考えるんだけど。