2020年9月30日水曜日

朝6時

 
めずらしい、
北側の窓の前に、ちいさなちいさな鳥がきている。
とまれば揺れる雑木の枝にとまり、しきりになにかをついばんでいる。
時々、チイチィとかジュクチ~とか。
ほどなくすると、もう一羽がやってきて二羽になった。
秋楡(あきにれ)の樹の葉陰に続けて移動し、姿はすっかり隠れてしまう。。
スズメじゃない・・・、ジョウビタキさんかしら?

こういう小鳥をみると、むかしみた映画の文部省唱歌みたいな、
音羽合唱団?のこども達の合唱を思い出す。
歌詞をほとんど忘れてしまって残念。
映画は、木下恵介監督の「二十四の瞳」だったような。
     あけてみたれば 月の夜に 山がやけそる こわくそる
クサチヒメドリとか、ちょっとスズメに似て小さな・・・。

午後も5時になり、東公園をさっさとよこぎっているとき、
空が淡い空色をやめて、夕焼けにかわりはじめた。
すると急に忘れた歌を、ほんの少しだけ、思い出した。
      山のカラスがもってきた、赤いちいさな状袋、
どうしてだろう、なんだろう?
      あけてみたれば月の夜に 山が焼けそる こわくそる
こんな、わけのわからない詩を、がたぴしの古いオルガンで歌った子ども達は、
きっと、自分の国の日本語が好きになったろう。
状袋ってどんなものか、私って昔も今もわからないのがヘンだ。

手紙を差し込んでおく布地の袋なのかしら?
そういえば、そろばんをもっていて、布袋に入れいたっけ。



2020年9月29日火曜日

多摩丘陵病院へいく

だんだん視力がおちてきて、白内障の治療をはじめないとまずい。
多摩丘陵病院に、病院のバスで行く。

あそこはすごく待たされる、という評判。
1時間以上待つ、ときいたけど、
予約が1時間遅れになるのは、信濃町の慶応病院もそうだし、
永山の日医大病院だってどこだって、そんなものでしょ。
多摩丘陵病院はせまいせいか、午前10時ごろになるとすごい。
よく考えると、付き添いさんで人数がふくれあがってもいる。

到着して書類をあれこれ、それから眼科のまえに腰かけて1時間。
治療が終わると、診断後の書類を受け取るまでにかれこれ30分、
会計となると、1時間以上、待つ。
私の隣りで一心不乱に待つリュックの人なんか、立ちっぱなし、
あとから来た私が呼ばれても、なに科なのか、まだ待たされる気配だった。

でも、私は多摩丘陵病院がいい。
待つあいだに聞こえてくるスタッフ(看護婦さんたち)の声がいい、と思う。

家族的な響き。
私は自分が患者としてお世話になるのは初めてだけど、
看護婦さん達みんなの基調になっている親切な音声が、
混雑の最中みごとに保たれていることに、とても感心するものだ。
やさしい、というのともちがう。
事務的な伝達が、はっきりして親切、
この病院の医療の基本が親切にあるんだろうと思わせる声なのである。
点眼薬のせいで、本も読めないから、声でのやり取りをきいているしかないけど、
多摩丘陵病院っていいなと、気持ちが落ち着く。

コロナ禍の渦(うず)に巻き込まれて、日本人が即座に捨てたものは親切だ。
日本人って、親切な人が多いはずだったのに。

患者は年寄ばっかり。
それが、本人はもちろん付き添いの人まで、身もふたも無いものの言いようで、
少しまえに「必死すぎる猫」という1200円の写真集を買ったけど、
病院の待合室にいる私たちは、顔つきまで必死すぎる猫そっくりだ。
気をつけなきゃいけないんじゃないの、年寄りや大人は。
その必死すぎる、自分の心配ばっかりの大集団にむかって、
多摩地域病院は、なんかこうきちんと家族的。
いつ行っても、看護婦の応対がしっかり安定している。

すごく待つからって、そんなことなんだろう。

ここには私たちが失った家族の、
家族主義的なマナーの原型が、医療の技術のまえに、まず保たれている。
だいじなことだと思う。すがすがしくて安心である。

 

2020年9月27日日曜日

ゴーヤ料理


夜の8時もすぎて、冷蔵庫をなんとなく、見てみたら、
3日まえに千切りにしておいた2本分の苦瓜があって、
いくらなんでも、もうなんとかしなくちゃならない。
見れば、鶏の笹身も、そろそろ限界である。
よし、と思って、笹身を細かくうすく包丁で切った。
胡麻油でそれを炒める、フライパンで鶏肉を。
・・・そこにゴーヤつまり苦瓜をどさっと加える。
よく炒めて、あてもないけど、おいしいかまずいかわかんないけど、
塩コショウを少し、思いついて日本酒をパラパラと。
最後に遠慮がちにお醤油をサーッとかけた。

こんなにおいしくゴーヤを調理できたのは初めて。
なんでなんだろう?ぜんぜんわからない。
日本酒がよかったのか、ゴーヤの苦みがテキトウになっていたのか。
なんかこう、いつか誰かが、こうしろと話してくれていたんでしょうね。

けっこうなおそい晩ご飯でありました。


 

2020年9月26日土曜日

内田るんという人の話


あと少しで、明日になっちゃう。
図書館で、また
本を借りた。
そう言えば昨日は、内田親子の書簡本?を読んだ。
樹・お父さんと、娘・るんちゃんのお手紙のやりとりである。
尊敬するっきゃない父親をもった一人娘が、るんちゃんで。

私はこの、内田るん、さんを見たことがある。
下北沢で。息子たちがライブ、それもナイン・パーティーと言う名の、
ライブに参加した夜だった。
内田るんさんは、主催者のゆう君(私は、彼の本名がわからない)の
政治的主張に心から賛同して、演奏参加したのだった。

内田樹さんの著書も名も知っていたけど、
その時は、なんだかふんわり、そうなの?と思っただけだった。
本を読んだら、なんだかあの日のふんわりが、すっ飛んでしまった。
お父さんを尊敬するっきゃない女の子の、本だった。
父親がそんなことは望んでいないのに、父親の捕虜。
そういう、運命!
へんな本だったと思うけれど、
印象的だった・・・。

 

2020年9月25日金曜日

時間の案配


暴風雨がくるかと思えばこなかった。

ブログに毎日とりくむ、という自分に課した義務をやめて、
家の片づけを中心に暮らしたら、
3時間ぐらい余裕ができて、ぼんやりと暮らした。
私って、すこし前から三浦雄一郎さんの本の提案にしたがって、
午前中は、ぼんやりしている。
ぼんやりプラス、追加ぼんやり。
本を3冊ぐらい、かわりばんこに読むのである。

ぼーんやりと、炎熱の夏に、くたびれていた。
だれだって、そうだろう。

もともと、糖尿病を薬で抑えていたけど、クスリだけでは治らないわけで、
夏になって、急に決心して、歩くことを始めた。
あっちの理屈とこっちの理屈を自分なりに整理すると、
歩くのは、どうしても午後になる。
炎天下、樹木の影を、まあ5000歩。
4時には買い物をすませて、それで晩ご飯の支度。

歩くのはよかった。歩く習慣がどうやら身について。
でもやっぱり、歩いて疲れた、ということもある。
気がついたけど、どうやらムキになる性質、加減ができない。

炎熱ねえ・・・。

呼吸をするように、自分はブログいのち、と思っているけれど、
それは客観的には、いい話じゃないのだ。
たぶん、私の生活って、
バランスを欠いているのだろう。
団地は大規模修繕。順番がくれば家の中が、無作為に人目にさらされる。
それで、この際だから家の整理をして。
だけど、糖尿病なんだから、炎天でも、歩く。
ぼんやりは義務、ギムと家事と5000歩とブログが
押し合いへしあい。
えーい、しょうがない、ブログをあきらめよう、なんとか頑張って。

たぶん、それがよかったのだろう、
突然、さむくなったけれど、風邪もひかない。
家の中も、多少は、きちんとした。
コロナにも、かからなかった。
電車にも乗ったし、映画も見て、ヒトにも自然に会っていた。

オリンピックの選手じゃあるまいし、
克己心じゃなくて、融通無碍(ゆうずうむげ)が、老人の誉れなんじゃないの。
77才にもなって、習慣がかえられず案配ができないなんて、
たぶん、私は、ただのおもしろくもない頑張り屋なんだ。
今まで、考えるヒマというものが、
きっと、私にはなかったんじゃないの。

という半生の、もとい反省の仕方からして、
なんとなく、久保つぎこさんは、もとのもくあみ、なのでありました。




2020年9月15日火曜日

あらしの前に 9/24


昔は暴風雨が、けっこう大好きだった。
青山高校にかよっている時など、神宮外苑の樹木なんか見もしないで、
通り道はもう、なんだか知らないけど、水たまりがいっぱい、
帰る途中で、雨が横なぐりになり、暴風雨にかわったりすると、
やだやだ、わぁわぁと笑いながら、水たまりにわざと踏み込ん大騒動、
制服はぐしゃぐしゃ、運動靴もじゃぶぬれ、
信濃町めざして歩く友だちと大笑いしちゃって、いい気になっていた。

しかしそれから電車に乗る。
三つ編みにした髪の毛から雨水ぼたぼた、
頭のてっぺんからズック靴のかかとまでびしょぬれ。
水でガブガブ、歩くと靴から音がする。
電車には乗客がいるから、
迷惑が掛からないように車内入り口のすみで小さくなり、
新宿まで千駄ヶ谷、代々木と往き、新宿から京王線でまた棒立ち、
お客さんはみんな敬遠だけしてくれて、
だれからも叱られなかったけれど、我に返ると大変だった。

たぶん、見てくれがすごく子どもっぽかったのだろう。
大学の入学式に遅れそうになって、タクシーに乗ったら、
どこの高校に行きますかと聞かれた。
若く見られて、そのころでも、少なからずよろこんだみたいだ。
成績はビリから2番目。
だから大きくなりたくなかったのかも。

今は、暴風雨がやってくるとなると、修繕の代金のことばかり考えて、
楽しむってことが少ない。
まったくよろしくない。

さて。みっちゃんの「すいとんのひ」に、洒落た28行の大作、
大橋Mr.のお友達の「81才お誕生の祝い」の警句?が掲載されている。
「18才と81才のちがいとは」
    自分のことが何も分からないのが18歳、
    自分が何処にいるのか分からないのが81歳
もっとピリピリの傑作がたくさんあるのですが、

私は、自分なりに、これがロマンティックで好きですよね。


 

2020年9月14日月曜日

世間のひと、という本

「世間のひと」は、浅草寺の境内で40年間も、これという人をつかまえて、
写真を撮り続けた、鬼海さんの作品集である。
幾つだろう。1945年生まれというから、75才かしら。
その、これという人たちの写真を400人分も、
私は半日ながめて、ショックだった。

1973年から2013年までの、これという人の半身像・・・。
世間のひと、とカメラマンはいうけれど、
多摩センターという鉄筋コンクリートの公団の街に住み、
大規模修繕で日々、今のうちだからと片づけまわしている自分が、
いま、世間のひと、と思うのはこういう人たちじゃない。

ちくま文庫の、このページの中から、
写真家のカメラを見つめる人々は、もし彼ら彼女らが、
京王線や小田急線の乗客だとしたら、異常奇態な印象の人間たちである。
こういう人を見なくなって、いったい何年がたったのだろう?
60年以上もまえ、こういう人を私はよく知っていた。

私は11才のころ、
こういう人の中にいた。
こういう人間たちの中にいて、それから父と継母の家にもどったのだ。
郊外電車の路線上にある、帰りたくなかった文化な家に。
・・・高校に行き大学に入り、結婚し離婚し、いま公団住宅にいるショック。

 

2020年9月13日日曜日

ブログに復帰

なれない「老化」のかずかずに加えて、
私の家もある団地で、大規模修繕が始まっている。
大規模修繕というと、集合住宅の建物チェックがあり
修理の目安がきまり、順番に、建物全体に網?をかぶせられる。
大規模に、集中的に修繕されるわけで、それが規則である。
網をかぶるについては、建物周辺に置いたものをどけなければならない。
植木鉢だのなんだの。要らなければこの際、捨てるし、
ジャマなものはできたら、ひっこめる、家のなかに。

そういう作業を、今、したら、
私ってどうなるのかしら、老女なんだけど?
10年ぐらい前は、
わけがわからなかったけど、なんとかなった。
60代だったから。
ところが今は庭に出るとたちまち皮膚がかぶれてしまう。

どうしようかと考えて、・・・なんとかしようと思い、
なんの関係もないのに、家の中を片付ける。
これが私のバカなところで、
外国ぐらしの娘の部屋を、押し入れの中から、整理したりする。
遥の部屋だけど、いないから、捨てられないモノを放り込んある。
この際、あれをスッキリ・・・と片づけ始め、やめられなくなる。
子どもの頃読んだ抵抗文学の作者なら、
黙っていても考えているのだ、とか唄うところだろう。
でも、外壁修理にはなんのカンケイもないじゃないのね。

3階の息子の部屋は梅雨と炎熱とホコリ堆積。
ダニが発生して、それもなんとか・・・。

彼は随分まえから、2階の書斎で暮らしている。
3階は天窓つきの見たとこロマンティックみたいな場所だけど、
真夏炎上、真冬厳寒、最近はクーラーが壊れてどうにもこうにも。
ある日、息子がなにかを取りにいって、ノンキにベッドに横になったら、
たちまち手足をダニにくわれて、真っ赤に腫れ上がってしまった。
草取りをしようとした私みたいになった。

ベッドのダニも、押し入れの状態も、
外壁修繕の人たちには見えないけれど、
私って手をつけたら止められない。一応ぜんぶ片づけてしまった。

娘の部屋の床面のゴミが尋常じゃなかったけど、
ゴミの日になると捨てたから、
今、床の上にあるのはあれこれ本ばっかり。
遥の本の箱は、もう押しても退いても動いてくれない。
こんな箱。ロシアから帰国した時運びこんで、
こんど日本に帰ったら売るから、とくりかえしているけど、当分だめだ。
・・・世界中がコロナ禍になったから。
ロシア語と日本語で、チェーホフとか、ドストエフスキーとか、久保栄も。
冗談じゃないよー。全集ばっかりどかどか。
堀田善衛も全集、大西巨人の「神聖喜劇」だって一冊一冊がものすごく重たい。
私とちがうから、あの娘はちゃんと読んだのだろうけれど。
意地になってむりやり押したけど、骨折しそうだった。
56キロでこまっていた体重が41キロ半になったのだから、怖いみたい。
そんなの健に頼めばよいのだが、
気が短いから、夕方までまっていられないのである。

なんのかんので、ブログ空白が一週間。
77才なんだし、まさか病気じゃないかとご心配をかけましたが、
でも、これで「いつなんどき」修繕にこられてもまあ平気。
身体もこわれず、暑い、憂鬱、ぼんやり、はフツウみんなそうだって言うし。

みなさん、おたよりありがとうございました。


2020年9月6日日曜日

ゴリラの本


「ゴリラからの警告」という本を前に、朝からぼんやり。
ぎんぎらぎんのお天気をまえに、どうしようもない。
もうくたびれちゃって、ゴリラがなんだって?と、お手上げだ。
この本がどうやって家にきたのかも、よくわからないし。

新聞によると、今日はあとから恐ろしいほどの暴風雨がやってくる。
本当かなぁ ・・・新聞によれば3時から暴風雨なのだ。
3時。私が病院に到着しなければいけない時刻。

ゴリラから学ぶべきだというこの本は、
山極さんが、野生のゴリラから学んだ話である。

山極寿一という人は、魔法使いにちかい。
霊長類学・人類学者・理学博士・ゴリラ研究の世界的権威である。
長野県地獄谷を皮切りに、日本全国のサルの生息地を渡り歩いた。
ゴリラのことは、標高の高いアフリカの熱帯雨林でくらし、
ゴリラたちが根負けするまで追いかけ、生活を共にして観察調査。
山根さんとゴリラたちは、おたがいのルールにのっとって相手を観察、
ついに帰って来たときには、人間のほうがヘンにみえたというけど、
そこから人類の起源という話、ヒトはかくあるべきだろうというこの本、
「人間社会、ここがおかしい・ゴリラからの警告」が出現する。

この人は、それでなおかつというとヘンだけれど、京都大学の総長になった。
 ?!病院で待つあいだに、なんとかここまでの話をのみこむ。

血液検査の結果けっこうな状態ということになった 、ゴリラじゃなくて私が。


2020年9月4日金曜日

1家に1冊 おすすめ


岩波新書「作家的覚書」 高村薫
難しい本だろうか?
それがそうでもないというのが、自分なりの感想だった。

「難しい本」なんだろうな、という先入観は、
2014年から2016年までの時事評論で、高村薫だと思うそばから、
図書館にいる私にとりついた。
でも、読みやすい本だった。
岩波の「図書」という宣伝用小冊子(ただでしょ?)の連載だったので、
時評ひとつが、とても短い。2ページ読むとおわり。
それも、読みやすかった理由かもしれない。

たいていの人はだれでも時事評論なんか読みたくないと思うけど、
読まなくて政府にまかせっきりにすると、たとえばコロナ禍を皮切りに、
信じられないほどの悪政が、私たちを絶望させるわけで。
大人が、あるいは子どもでも、女でも男でも、
義務として知っておかなくちゃいけないことが、人間にはやっぱりある。
学校ならば「社会科」という科目。クラス運営という仕掛け。
これはいつか来る選挙権行使のための予備科目である。

本書の編集者がいうには、この本は、
「日本がルビコンを渡った決定的な時」の覚書、なるほどそういう本だと思う。
私は、読みやすさにつられて、おしまいまで読んだ。

高村さんは、文章の起承転結、そのぜんぶを書くひとである。
どんなに短い「短文」にも、起承転結。
律儀でまーじめ。
私はどうか、と比べては申し訳ないが、つい比べると、
私の場合、起と承 まで書いて、一転して村の噂話みたいにしてしまう。
読む人をなんだか、笑わせたくなるのだ。
これじゃ、たぶん一応騒ぐばっかり、誰の参考にもならないだろう。
高村さんは、ちがう。
高村さんは、わかりやすくて、親切な書き手だ。
彼女はどんな社会現象からも、逃げない、目を反らさない。
見事なほどの直球勝負で、ふらふらごまかすなんてことはしない個性である。

私は、「作家的覚書」は必読の書であると思う。
そう思うわけは、
苦手な社会科に取り組む義務が今こそわが国の大人ぜんぶにあると思うから。
読み手の期待に応えようとするこの作家の努力が、
おどろくほど真剣で、優しいからである。
  


2020年9月3日木曜日

歯磨きのチューブ


忙しい日。
なにか思い出そうとしても、記憶に残るできごとが、ひとつしかない。
冷蔵庫の扉をひらいて、緑茶がそこにあるはずと、上の棚に手をのばしたら、
掴んだのは、歯磨きのチューブで、シュミテクトとかいう・・・! 
なんでも薬用高濃度フッ素配合だった。
たしか2、3日前にさがして、ないと意識したおぼえがあるけど、
どうしてまた、私ってそれを冷蔵庫なんかにしまったのか!?

今までにも、冷蔵庫に自分のお茶碗をしまおうとしたことがあって、
うちの中に自分しかいなくても、どうかしてるアハハハと笑ったが、
それはもちろん、事前に気がつくから笑えるのである。

忙しい日だった。
とにかく。

私は料理が苦手でこまるけど、それでもスピードが出てきて、
外に食べに行こうよと息子に元気なく言いながら、5品目なんとか作った。
だから、けっこう頭は無事なのかも。
ご飯、イサキの塩焼き(大根おろし)、ナスの煮びたし、
味噌汁(豆腐、きのこ類、長ネギ)、漬物(キュウリ、ニンジン茗荷、生姜、
大根などを小さくきって漬けたもの)、砂肝とゴボウの炒め物も予備に。

これだと、たぶん塩分過多かも。
でもお医者さんは、あなたの食生活はそのままでいいですよ、となぜか言う。
自己申告で、問題はアルコールとお菓子ですと、私は話すけど、
それをできるだけ控えてと先生は言い、うーん出来ませんと私は言う。
「ま、いいでしょう、そんなに飲まなければ」
そんなに飲めないのよ、食べられないし。
もしかしたら、自然はうまくできているのかもしれない。
実習の話を息子から聞いては、晩ご飯の時どっと笑ったりしてるけど、
そんなに食べられない。とくにお米がダメだ。
   
片手で能力をのばし、一方で歯磨きを冷蔵庫にしまう。
ボケているかもの一方で、スピード5品目。
大丈夫、けっこういい線いってると考えることにした。

夜、DVDをふたつ。
「新聞記者ドキュメント」と「ホテル・ムンバイ」
日本の話とインドの話である。
新聞記者の話には、
このたびの総裁選第一候補(まちがいなくこの人が次期首相だろう)の
菅官房長官がたびたび記者会見に登場する。
冷たい顔つきの、あからさまな「言論の自由」への高慢・嫌悪・不公平。
彼の、差別意識まるだしの氷のような不機嫌に胸をうたれる・・・。
なんて恐ろしい人だろう。
この人にも家族はいるのだろうかと怖いようだった。

「ホテル・ムンバイ」はテロリズムの、これはドキュメンタリーではなく、
事実にもとづいて創作されたドラマ、事実の商業的再現、大ヒット作である。
こわくても目が離せないほど凄まじく、しかも華麗なエンタテイメント。
絶望的な映画なのに森達也監督による「新聞記者ドキュメント」よりは、
登場するどんな人にも、血の通う立場というものが用意されている。
虐殺を描いて、なおかつヒューマン、という映画。おもしろく見た。

虐殺の周辺にヒューマニズムがみえる、それは人間の願望にすぎないのかも。

それにつけても自民党は、これからどこに私たちを引き摺っていくのだろう? 
首相になるだろう人の実写から伝わってくる未来は 、
いよいよ言論の自由や、あたたかな理解力や、人間らしい愉快な柔軟性が、
どうしようもなく失われるだろうことを予感させるコワイものだった。



2020年9月2日水曜日

部屋の模様がえ


一日中、時間が足りなくて、とうとう自転車で買い物に。
夜中近くになって、ソファのカバーを変えようという気になって、
青に、替えてしまう。

人によっては、こんな道楽とは、まるで無関係だろうなと思う。
でも、私はどうしてだか、たいして絵画的でもないのに、
模様替えをし、あれこれ、今までは赤でまとめていたというのに、
ソファの覆いを青い更紗にして、そこからもうずーっと、
なんというか、じゅんばんに 部屋を青くしようとするのだ。

壁に掛けている額装立派な、永井潔さんの絵はどうしよう。
濃い深緑が沈むばかりの、「青」とも「藍」とも無関係な沼の絵。

むかし私は、幼稚園の園児の絵を一枚、むりやりもらった。
その、彼方という名まえの子どもの絵が青い色づかいの絵であったならば、
それは魚の絵なんだけれど、私のソファのこんどは藍色に合わせて、
むかいあった壁に、旅するあの青い魚の絵を掛けたってよかった。

ああざんねんなことに、
彼には完全な自由がなかった、まだ子ども、いいえ幼児だったので。