2020年9月25日金曜日

時間の案配


暴風雨がくるかと思えばこなかった。

ブログに毎日とりくむ、という自分に課した義務をやめて、
家の片づけを中心に暮らしたら、
3時間ぐらい余裕ができて、ぼんやりと暮らした。
私って、すこし前から三浦雄一郎さんの本の提案にしたがって、
午前中は、ぼんやりしている。
ぼんやりプラス、追加ぼんやり。
本を3冊ぐらい、かわりばんこに読むのである。

ぼーんやりと、炎熱の夏に、くたびれていた。
だれだって、そうだろう。

もともと、糖尿病を薬で抑えていたけど、クスリだけでは治らないわけで、
夏になって、急に決心して、歩くことを始めた。
あっちの理屈とこっちの理屈を自分なりに整理すると、
歩くのは、どうしても午後になる。
炎天下、樹木の影を、まあ5000歩。
4時には買い物をすませて、それで晩ご飯の支度。

歩くのはよかった。歩く習慣がどうやら身について。
でもやっぱり、歩いて疲れた、ということもある。
気がついたけど、どうやらムキになる性質、加減ができない。

炎熱ねえ・・・。

呼吸をするように、自分はブログいのち、と思っているけれど、
それは客観的には、いい話じゃないのだ。
たぶん、私の生活って、
バランスを欠いているのだろう。
団地は大規模修繕。順番がくれば家の中が、無作為に人目にさらされる。
それで、この際だから家の整理をして。
だけど、糖尿病なんだから、炎天でも、歩く。
ぼんやりは義務、ギムと家事と5000歩とブログが
押し合いへしあい。
えーい、しょうがない、ブログをあきらめよう、なんとか頑張って。

たぶん、それがよかったのだろう、
突然、さむくなったけれど、風邪もひかない。
家の中も、多少は、きちんとした。
コロナにも、かからなかった。
電車にも乗ったし、映画も見て、ヒトにも自然に会っていた。

オリンピックの選手じゃあるまいし、
克己心じゃなくて、融通無碍(ゆうずうむげ)が、老人の誉れなんじゃないの。
77才にもなって、習慣がかえられず案配ができないなんて、
たぶん、私は、ただのおもしろくもない頑張り屋なんだ。
今まで、考えるヒマというものが、
きっと、私にはなかったんじゃないの。

という半生の、もとい反省の仕方からして、
なんとなく、久保つぎこさんは、もとのもくあみ、なのでありました。