2021年1月31日日曜日

ゆったり

典型的な、なんにもしない一日。
なんにもできない。
手塚治虫さんの傑作「どろろ」ばっかり読んでいる。
食欲もなければ気力もない。
空には雲もなく、木々は風にゆれず、小鳥の声もきこえない。
うらうらと空気のやわらかく温かい日でよかった。

お風呂をわかしたけど、わかしただけ・・・。
お元気ですかときかれたら、
元気よと、ふわぁーと言いたいな。



2021年1月30日土曜日

幼児の直観


むかし、私が本当に子どもだったころ、
考えたことがある。
ことばをそんなにしらず、よく操ることができないころのことだった。
それは、しかしきちんと形になった感情であって、
いまでもまざまざと、何度でも正確に再現できる、
ちいさな私のこめかみから幼い頭を通りぬけた、考えだった。

自分は捕虜なんだという理解。

2才か3才のころだから、むろん言葉として考えたのではない。
いつものように悪い子だった罰に、ぶたれて大泣きをして、
これから押し入れの暗闇に入れられる、そういう瞬間に、
自分は、灰色の針金でできた四角い「鼠取り」の中の、
あの殺されてあたりまえのネズミなんだという、
そういう焼けつくような認識が、予言みたいに私に貼り付いたのだ。

だからといって、どうなったわけでもないが、
いつもいつも、幼稚園でも、学校でも、おとなになっても、
この理解が、自分から離れることはなかった。

みっちゃんと私は、小学校1年生の時からの友だちで、
お母さんの「友達になって仲良くして」という入学式の日の頼みが、
一生ものになったわけだが、みっちゃんと私はたぶんソックリで、
みっちゃんは脊椎カリエスで身体がぐちゃぐちゃ、私は母親にすてられ、
継母の虐待にあい、鼠取りのネズミまがいの捕虜になったこども。

子どもだったころ、私はみっちゃんをうらやんでばかりいた。
いいなあ、きれいなおうちに住んで、やさしいお母さんとお父さんがいて、
いいなあ、みっちゃんは。
ある時、おとなになってからだけど、みっちゃんは人にいわれて、
こうなりたい自分というのをむりやり文字にした。
みっちゃんが描いた理想の自分は、びっくりしたことに私によく似ていた。

みっちゃんのお母さんからたのまれ、「うん」とこたえて手をつないだ時、
たぶんみっちゃんは、私がぐちゃぐちゃな子どもだということを、
どうしてか理解したのだろうと、このあいだある作家にいわれた。
それがそうだったのか違ったのか、今ではまるでわからない。
けれど、子どもはどんな子も神さまのような、あるがままのものだから、
1950年のみっちゃんと私は、それぞれが受けた虐待をまんなかに、
わけもわからず運命の捕虜として、ながいながい道をあるきはじめたのだろう。

そう思う。





2021年1月29日金曜日

大統領選挙のことなど

一日を半分でくらしているので、
あっという間に日が暮れる。

11時頃読む朝刊・・・。
午後4時にもう届く夕刊。
新聞にアメリカの大統領についての記事がないのは、
バイデンさんとトランプさんの得票数がほぼ半々、
しかも投票者数が前回より増加していたというのだから、
アメリカはもしかしたら本当に、二つに割れているのだろう。
たぶん。

いったいどう考えればよいのか、こんなにシンとしているって、
日本では政府もテレビも新聞も、判断にこまってお手上げなのかも。
お手上げじゃなかったら、こんなにシーンとはしないでしょう?

バイデンさんが、大統領就任演説(1/20)で強調したのは、
「分断」を避けたいということだった。
彼は、アメリカ全土に、そして必然的に全世界に向けて、そう語った。
1863年元日のリンカーンの演説までもちだして。
それは、あるリアリティをもって、私たちの耳に迫るメッセージだ。
どんなに私たち日本人が、トランプを熱狂的に嫌おうと、
アメリカの大統領選挙の結果は、獲得投票数ほぼ半々だったのであり、
南北戦争以来の分断・接戦だったわけである。
合衆国選挙民の半分は、なんとバイデン大統領を支持していないのである・・・。

かのマイケル・ムーアはバイデン側、ええとジョン・ダワーもそう。
しかし報道によればトランプ陣営にもこういう政治家?はいるそうで、
選挙制度も全然ちがうし、私なんかすぐには理解できない。
マイケル・ムーアは、アメリカのいらない武器や軍艦をむちゃくちゃに
日本に買わせることに賛成なのか。ジョン・ダワーもか? 
まさかなんじゃないの。
見たり聞いたり本を買って読んだりしてそう判断していたけれど、
いったい、どうして彼らは民主党を支持するのかしら?

たぶん、アメリカの大統領選挙というのは、そんなことにかまって
いられないんでしょうね。そんなちいさなことには。

でも、日本はちいさな国なのだ。

ただいま伝えられるニュースのなにが、私たちにわかるというのだろう?
アメリカは途方もなく広い。日本語だって政治家の放言は意味不明なのに、
英語なんかいくらでも曲げた日本語に変えられるんだろうし。
だから島国日本の自分たちとしては、
「結論については、あっちからこっちから自分なりによく考えてみます」
というしか・・・専門家じゃないから。
というふうに私は思いたい。

しかし、日本には優れた専門家ってけっこう大勢いる。
ーなかでもすばらしいのは、ふたりの女性の書き手であって。
コロナ政治でがんじがらめの今こそ、このふたりの視点から、
世界と日本と自分(!)をぜひもう一度再確認して、
おもしろくて自分らしい元気を、と思う。

「たちどまって考える」は漫画家だというヤマザキマリさんの本。
     
      先日買ったヤマザキマリ作「テルマエ・ロマエ」は、
      映画(私はきのう映画もみた)ともちがって、
      いまどきの新聞やテレビに比べると、日本人(つまり平たい顔族)の
      あるべき立場を描き切って秀逸だ。
      平たい顔族には平たい顔族なりの文化があり、それは風呂文化だけど、
      何ものにも代えがたいものなんじゃないですか、にっぽんじん!
      とでもいうような。

もう一冊は小松由佳さんの「人間の土地」へ。
      このひとは世界第2位の山k2に登って、それからシリアに行き、
      シリアの超ど級ハンサムと、彼が難民になってから結婚、・・・!      

ものすごくわくわくしながら、2冊読みつづけたら、
いくらなんでも疲れちゃって、どんなに面白かろうと、
[テルマエ・ロマエ」は1日1冊がやっと。マンガで絵も字も大きいのに。




      

2021年1月28日木曜日

ぼたん雪のような


雪がふった、
はじめは大きなぼたん雪だった
はじめだけ

わくわくして星野さんの、
詩画集の詩をおもう

めずらしく
すずめ
3羽が描かれていて

     人間はいいねえ
     次は人間に生まれたいねえ
     米いっぱい作って食べよう
          (87ページ)

梅の枝の固いつぼみの横で
そうなんだって。


今度の画集には犬もいる。
尻尾という詩がかいてある

      心ってどこにあるのだろう
      おまえは
      尻尾の中かい
      よろこびではち切れそうな心が
      きっとその中で
      躍っているんだ
            (75ぺージ)


オスマントルコっていう似顔絵には少しながい文章。
すごく好き。絵もしみじみ懐かしい思い出も。



2021年1月27日水曜日

星野富弘「種蒔きもせず」

 
この星野富弘さんの本は10年ぐらい前に発行されました。
タイトルに惹かれて手に入れたのですが、
「種蒔きもせず」が聖書からの引用だとは知りませんでした。

  空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。
  けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、
  鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
   (マタイの福音書六章二十六節)

「種蒔きもせず」

星野さんは聖書でいちばん好きな一節からお借りしてと説明なさっています。
私は、聖書と無縁なまま生きてしまったせいでしょうか、
星野さんの画集をすこし持ってもいるのですが、
星野さんが、やっと生涯ぜんたいを、のびのびと肯定したのだと、
冬の寒空が厳しく氷のようにも晴れて。そういう自然の一部に星野さんもなって。
そして、のびのびとして遠慮のない表現を、
あらっぽくというとヘンですが。タイトルにしたのかしらと。
「種蒔きもせず」という語句から、むかし青年だった星野さんの自然を、
受け取ったような気がしたのでした。



2021年1月26日火曜日

曇天、形容詞あれこれ


きのう、ODDな、という形容詞を久しぶりに見た。
ODDという字ヅラだと、なんだかフマキラーみたいなやつだなと思うけど、、、。
Odd・・・となるとどうか。
私の記憶では、学校英語単語Oddは、「異様な」だったかなー。「変な」だとか。
悲しき口笛じゃないけれど、こういう辞書の定義にはどうも、
私たちの自然な、あるいは経験にもとづいた暮らしが反映されない。
というより、とんでもなく楽しい、すごう

子どもの、あるいは世間を見すぎてきた?老人の生活実感がない。

教室エイゴの彼方に幼いものが見るのは高校や大学の門構えだけだ。

ただいま、こうやって、コロナコロナの晩年をすごしていると、
こんな時にもやっぱり56万人?が大学受験したらしいと思うと、
くらしを実地で考えるチャンスがまるでない檻(おり)というか、
不自由な、日本の「学校」が眼に浮かぶ。

Oddとは、おかしくて、つまり笑えて。
奇天烈・奇妙で、つまり変わっていて。成績がわるくて、つまりバカで。
ええとそれからはぐれもの、変人というかで。それで・・・、
利口なんだかバカなんだか、本質的にコワイところがある人のことだ。

からくも彼らは・・・なんとか周囲にふところの深い理解者を得て、
「社会的人間という枠の中に」なんとかおさまっているのであるが、
こういう結論、こういう定義にあてはまるそこらの国民を、
日本に比べればエイゴの外国人はまーだざっくり、のんびり、
Oddなやつと形容するんでしょうね。
民主主義で。
     
     優れてOddな表現は、わかりやすいし、けっこう理解しやすいものだ。
     だって人間はみんな、もとは個性的なのだし。
     二重基準でもなければ、
     いったいどうやってこんな「コロナ人生コロナ」を引き受けられよう?

イギリスの俳優カンパーバッチが演ずる、天才で自閉症の学者?だとか。
渥美清という人なんか、フウテンの寅さんにして「死後」国民栄誉賞。 





2021年1月25日月曜日

雑な昼食


即席ラーメン(98円)を食べる気になってお湯をわかす。
なかなか熱湯にならない。
     +待てなくてナッツを食べだす。
即席ラーメンはびっくりするほどおいしい。
     +少量なので小さな玄米餅をひとつ入れた。
さめないスープにびっくりしながら 
     +焼けた玄米餅・・・つまりラーメンお雑煮?
なんだかよくない気がして。食生活が。
     +チーズをひとかけら。

朝食は野菜スープだけだった。
ご飯が食べられなくて悩んだが、私はご飯を食べない方がよい病気なんだから、
考えてみれば気にする方がおかしい。

とはいえ、おそろしくまずいロカボナッツに即席ラーメン。
玄米餅とチーズ。しかも途中で温かいハーブティなんか飲んで、
まだ足りずにヨーグルトにホエイなるものをふりかけている。
ホエイってたんぱく質補給の粉である。
よんでいる本は渥美清のものがたる戦後の長屋悪ガキ時代。
そこから彼に定着した食の習慣のことだ。

アンビバレンツって、たぶんこういう私をいうのだろう。
この単語は、「雑がたがた騒然一体化」、みたいな。
ホントの英語だと、
正式に言えばなんだっけ?・・・うーんと。
カタカナ英語辞典によれば、
::個人のなかに矛盾する2種の感情や態度が同時に存在すること。

私が男なら、そんないいもんじゃねーよと言いそうだ。



2021年1月24日日曜日

古本を買いに

ブックオフへ行って、6冊+3冊、本を買って帰ってきた。
6冊は「テルマエ・ロマエ」という漫画 。
あとは、以下の3冊だった。
①THE ANIМALS  まどみちお詩 美智子選・訳
②種蒔きもせず  星野富弘
➂木を植えた男  ジャン・ジオノ作 フレデリック・バック絵

「テルマエ・ロマエ」全6巻を探して買い、支払いがすむのを待っているとき、
小説や童話や詩集、美術書などがあるコーナーで、足台に登ってこしかけ、
大量の本をながめ、そこは無人にちかい空間だったから、ゆっくりしていた。
最初に見つけたのは ②
次に手に取ったのは ①
この2冊の大型の、②は絵本、①は英文詩集であった。
キャッシュ・カウンターのほうをみれば、
まだまだ時間がありそうなので、安心して本をひらき
本を買う時いつもそうすることだけれど、『文章』をさがそうとした。
そうして、
①の最初にぱらんとひらいたページに、めったにないほど・・・こころを打たれた。
それは以下のような詩と、以下のような英訳だった。

    シマウマ          ZEBRA
     ★              ★
    手製の            In a cage
    おりに            Of his
    はいっている         Own making



2021年1月23日土曜日

ひまな一日の


雨の一日。
休むことにして、ぼんやり考え事をし、ぼんやり本を読む。
あの本この本むかし面白く読んだ本に積んどいた本。
ぼやーっと・・・。
どれもこれも、私がなんとなく捨てなかった古本でいつも読む本だ。
がんばる気にもう絶対ならない一日

ところが夕方になって明日は雪だとわかる。
それがわかって急に5時ごろ、飛び上がって、セーターの上に、
二重デニムの上着と防寒半外套を着こんで外に出た。

買い物をしないと明日からこまる!

あんまりたくさん食料品を買ったので、両手がいっぱいで傘がさせず、
防寒半外套が雨にぬれ、荷物が重たい、傘がじゃまで地面につっかえる。
バスで帰ろうと思って歩きだし、
「これじゃあ(ほかのお客さんに)迷惑をかけちゃうじゃないのっ」
と自分に言って傘をなんとか開いてさした。階段を降りながら
「気をつけないと転ぶわけよ、ここで」
と自分に言って荷物をやっとこさ持ちなおした。また階段だ。
「いいかげんにしなさいよ!」
と文句をこんどは自分じゃなくて荷物に言う。重たくって。

「ローラ・インガルス」の「大草原」にいるならともかく、
多摩センター駅近くでひとりごと言っちゃダメじゃないの。
そうとう気持のわるいおば~さんだわよ、客観的に考えれば!
とそう考えたら笑っちゃって元気になった。

いいじゃないのよねー。雨と傘とマスクのせいで、
私の事なんか、だーれも気にしないのである。

 

2021年1月22日金曜日

ロベール・デスノスの詩片


一体、永久不滅でないということが、人生から意味を奪ってしまうものだろうか?
決してそんなことはない!

見よ、奈落のふちに一本の草。歌に耳かたむけよ-----
それはお前の知っている歌。お前が家の敷居でうたった歌。
バラの花を見よ。お前はまだ生きている。お前は通行人のようにすぎ去っていく。
言葉は死に、ちぎれた本の断章も消えていく。声もなく収穫もなく、貯水池もなく。
復旧を待つなかれ。お前、流れ星はかすかにきらめき、戻ることはない。
ものみなと同じく、お前は落下し、消え去っていく。
物質はお前の中におのれを見出した。そしてすべてはすぎ去り、
こだまも「ぼくはお前を愛す」とくりかえすことをやめてしまった。






 

2021年1月21日木曜日

不自然

キイィィィ・・・・。
言ってみれば鋭いが小さな音が、
ソファで本を読んでいる耳にとどいて、
目をあげると、隣家の庭の灌木のそこだけ楕円の空間ごしに、
バスが停留所にとまろうとしている。
みればすぐわかることだけれど、音はブレーキの音だった・・・。
メタセコイヤ通りに面した造成の土手の上の家でくらして、
20年がたっているというのに、
庭木の額縁ごしに、
はじめて聞いた、小さな、おとなしいバスがとまる音・・・。

なにを見て、なにをきいて、なにを相手にせず
私は生きたのだろう。

いいけど、私って、不自然なのね。


2021年1月20日水曜日

不眠考(1)


私の昔からの友人は、けっこうみんな不眠症である。
ある人はもうずーっと睡眠薬のお世話になり、
ある人は睡眠薬を医師の指示より少なめに飲み、
ねむれないねむれないねむれない、ねむれないというノイローゼ。 

私はちがう。
それは、ぜったいそんなことで悩まないという根性が、
子ども時代にできたからだ。

私は小学校5年生の時に、父の家を出た。
4才の時、私を捨てて、ほかの男の家に行った母の家へ。
そこは思いもよらない麻雀クラブで、お客さんが帰らなければ、
寝る場所もない小さい家だった。
お母さんというものを、私はなぜあんなに信じたのだろう?
南口クラブという、お母さんの麻雀やには、もちろん捨ててきた子どもの
居場所なんかなかった。
お客さんのひざに座って、深夜、私はずーっと、麻雀をみていた。
ポンッ、だとか、チーだとか。麻雀のパイは、大人たちの楽しさに乗って、
子どもの目の前で、おどるのだった。

不幸だと思わなかった。
麻雀をする人の楽しさが私という子どもを暖めるのだった。
父の家に比べれば、そこには5年生11才の子にも、選択の余地があった。
いまふうに言えば、他人は、たとえなんだろうと,
やくざの運転手だろうと、かつぎやだろうと、だれかの二号さんさんだろうと、
他人の子には、なんだかいいかげんにもやさしい世界なのだった・・・。



名無しの会話


夕ぐれ、とにかく歩いて、買い物へ。
やっと戻って来たら、知り合いと橋の上でばったり。
彼女は被爆2世で、そういえばみっちゃんの友人だ。
血統書つきの秋田犬を今じゃ「この人」と呼んでる。

胸の痛むような可愛がりかたに、心配になって胸が痛む。

きけば6才。犬の6才ならばまだ若いわよね?と私がきくと、
「去年病気をして、病院につれていったら緑内障で。
片方の目にこの人、義眼を入れてるんですよね」
緑内障になって手術して義眼。 私だってまだなのに。

めずらしく今日は親切な夫君がよこに居ない。
夕方の冷たい風がビュウビュウ。
犬が温かく私にぎゅーっと身をよせてくる。
覚えてくれているのだ。いつだったか家に来たから。

橋のむこうから別の犬連れのご夫婦が歩いてきた。
大きな洋犬はまだ生後6か月。幼ない様子でよってくる。
「彼」がうなってワンッと吠える。
気が弱いんです。なんにもしませんからと彼女が謝っている。

たぶん「あの人」は、はなから自分を犬だと思っていないのね。
片目が見えないだけじゃなく。

 

2021年1月18日月曜日

トロッコでとことこ

トロッコでとことこ 野原を走るような一日。
後藤さんに朝、電話をかけてみる。
お元気ですか?
大丈夫ですか?
       お元気じゃないにきまっている
       大丈夫でもない
       だって88才なのだし、
このあいだは救急車を呼びたいのですが、と電話をくださった。
考えているんですがね、様子をみることにした方がいいんじゃないかってね。      こういう状態は3度目ですし。どういうことか自分でわかっているから。
       笑顔温顔の、ゆっくりした物言い。
       私は6年前に亡くなったこの方の
       奥様がだいすきだった。

後藤さんが私の家にいらっしゃって、お昼ご飯をということになった。

もうずーっと一人だからどうしようもなくて、ここんとこね。
後藤さんは、終始にこにこ。
ええ、胆石が痛くて祝日に病院へ。医者が誰も居ないから戻って来ました。
牧師さんがクルマで送ってくれて。さいわい石が出たからよかったですが、
あとで近所の病院に行ったら、ほっといちゃダメじゃないかと怒られた。
なぜかって、黄疸になってましたからね。

後藤さんって、クリスチャンだからかどうか、誰のせいにもしないのだ。
「だーって病院に行ったけどお医者さんがひとりもいなかったんでしょっ」
私がフンガイしても、 え? え? ええ、そうなんですよね。
片手を耳にあて、補聴器を落としてなくしたもんで、このあいだですけれど。
2万円もしたけど、ちょっと不便で。

                     春風駘蕩、とかってこういう、ことかしら。
                     野原を、ひらがなばっかりつかって、トロッコに乗って、
                     もうどこに着いてもかまわないというような会話体。

私たちは、亡くなった奥様の話や、ご夫婦の世界じゅうへの旅行のことや、
子ども時代の悪戦苦闘だとか、むかしの仕事場のことなど、などなど、など?を、
トロッコに乗り込んだ、とし寄りのクマのプーさんと、
すぐキーキーいうしっぽの長い布製チンパンジーみたいに、
もう平和に、とにかく縫いぐるみ的に、半分人間やめて。そうやって。
痛かったり、治りっこなかったりする病気とたたかったといいますか。
各自、じぶんらしく。

私は後藤さんが毎日忘れずもって歩いていらっしゃるチラシの、
アートパラダイスの会員にしていただいた。
アートとあそぶ日常。想像力こそ困難に立ち向かう最善の道。
自由参加・会員になりませんか。
きいてみたけど、アートは無理でもいいのですって。

後藤さんは出版社で70才まで働いていた人だ。
後藤さんは画家だ。
後藤さんの人格っていまアートとのみ、むかいあっている。
それでいいんだって。



2021年1月17日日曜日

メモ書き


ついこのあいだ出版されたコロナ対策本。
ヤマザキマリの「たちどまって考える」中公新書ラクレ。
ラクレとはどういう意味かしら? 鍵、だって。 
このヤマザキさんの本は、カタカナ外来語満載である。
漫画家。1967年生まれ。17才の時からの外国暮らし。
軽快な文体。すごくおもしろく読んだ。

いま同時に?読んでいる本は、
戸井十月の植木等伝「わかっちゃいるけどやめられない!」
2007年出版。
著者は1948年生まれである。
しつっこく引き算などしてみると、ヤマザキマリより19年早く生まれた。
いったい1948年ってなんだろうか?
日本敗戦の3年あとだ。

じゃ私は? 1943年生まれ。1才半だけ戦中派。

私は植木等本人の著書 「夢を食いつづけた男 おやじ徹誠一代記」のファンで、
文庫本をだいじに持っている。
違和感。・・・戸井さんの聞き書きとの。
   植木等 (1926-2007)

読みなおしているものがもう一つ。
ロベール・デスノスの詩の断片である。
ずっとまえに書道家の島津さんにお願いして書いていただいたもので、
額に入れて2階の書斎の壁に掛けて、、、それでいったい何年が過ぎたろう?
テレジンの収容所で殺されたユダヤ人の遺した詩の言葉が、
やっといまごろになって、全世界がコロナ禍にのみこまれた今になって、
なんとか理解できたわけである。



2021年1月16日土曜日

眠たくない

トシのことを名刺を配るひとみたいに、しょっちゅう言うのは、
私がそうなんだけど、たぶん、はた迷惑というものだろう。
77才が、78才にかわったら、私はどうするのかしら。
たぶん、いまの私は、77才という数字の列が気に入っているのだと思う。
77才は、綺麗でふわっとした白髪のような、文字である。

昨夜、何年かぶりに徹夜をした。
2時間ほど眠ろうとして起きたけど、びっくりしたことに眠くない。
本も、そんなはずはないと思うのに、すらすら読めてしまう。
トシをとると、睡眠時間は、すこしづつ少なくなるのだろうか?
もしかしたら人って、トシをとればとるほど、眠くなくなるの?

だんだん眠くもなくなって、起きている時間が長く長くなっていき、
音のない気持ちのよいある日、偶然にも小さくて黄色い蝶々になって、
小さい羽根を楽しくはたはた、それで柔らかい風に浮かんで、
自分にもわからないどこかに飛んで行けたらいいですね。


2021年1月15日金曜日

体験の重み


私は教養のために本を読むことなんてことがまるでできず、
ただもう現実から逃げたくて、活字に埋もれていた。
父は、そんなことも、よくわかっていたのだろうとおもう。
明治生まれの、三人兄弟の長男だったとしても。
・・・なにしろ、くたびれて、このままなら自殺と思われずに死ねるからと
一人っ子の私に言い、64才で死んでしまった人だ。

私は、マヤコフスキイの詩が好きだった。
その詩集はそのころ父の書棚にあった。いまは私の本棚にある。

メーデーの前夜祭の日。
そんな日もあったと思うほど、何十年もの遠い日のことである。
大がかりな、全国各地から旗をかかげて東京にやってきた労働者の行進を迎えて、
俳優がひとり舞台に現れ、激動の労働運動を祝う大群衆を前に、
(そのひとは若き日の新劇俳優・宇野重吉だったが)
祭典の会場、代々木体育館のはるか向こうの舞台正面に立って、
長編詩を朗読披露した。そこにいる私たちの気持そのもののような詩で、それは
子どもであっても一生忘れないような「時」だった。
(私は親に連れられてきた会場の、床板にぺたんと座ってそこにいた)
ことば・ことば・ことばの、ああなんという美しさだったろうか。

朗読されたのは、マヤコフスキーの、長編詩
「ウラジーミル・イリイッチ・レーニン」だった。

考えてみれば、その朗読は、素朴さと壮大さをかねそなえた、
ひとりの俳優の才能の極致の実現だった。
優れた異国の詩人の作品と、語り手と、大勢のつまりどこか子どものような
民衆の邂逅である。

いまコロナで全世界あげての混乱の極にいると、
濫読(ただもう片っ端から読む)のたたりで良い考えも浮かばない私であるが、
どうしても、なんとも納得できず信じられないのは、
私という一人のこどもの人生の最初の感動が、
あの遠い日の、自分の一生を左右した大勢の人々の中での体験が、
海の藻屑のように社会からまるごと消えてしまったということである。

その「ヴラジーミル・イリイッチ・レーニン」が収められている詩集。
私は小さすぎたので、3冊の選集ぜんぶを読むことにはならなかったが、
父の話す声音は、正確に、記憶の底に落ちた。
「乱暴なことばを使っているがね、下品じゃないだろう?」
それがだいじなことだと、父はマヤコフスキーの詩を読んでそう話し、
私は、うんそうだねと、同意した。こどもにもよくわかることだった。

それは第二次世界大戦が終結して間もない1950年代の幸福なある日だった。

多くの場合、読書力も理解力も、実体験の大量浪費のあとにやってくる。
人生は決して思うようにはならないものだと、今ほどわかる時はない。
マヤコフスキイ選集には、こんなのもある。

       「ハイネ風の唄」(1920年)
    
    稲妻を、女は投げた、二つの目で。
    「見たわよ、
     ほかの女を連れてたでしょ。
     あんたはほんとにいやらしい、
     ほんとにあんたは卑怯なひと・・・」
    それから出るわ
    それから出るわ、
    それから出るわ、悪口雑言。
    おいらもちっとは学者だぜ、
    ごろごろいうのはやめときな。
    電気にうたれて死ななけりゃ、
    かみなりなんて
    へいちゃらさ。

ソビエトロシアを代表する作家のひとり、イリア・エレンブルグは、
マヤコフスキーのこんな詩片についても語っている。
「人間・歳月・生活」という彼の追想録のなかで・・・。
彼らは同時代の人だったのである。
レーニンも、マヤコフスキーも、イリア・エレンブルグも。

  私は自分の祖国に理解されたいと思う。
  しかし私は理解されないだろう。
  よろしい。
  私は、はすかいに降る雨のように、
  故国の端を通っていこう。

マヤコフスキーは、はやばやと自殺したのだ。



2021年1月14日木曜日

ゴッドファーザーを観た。


今日は、糖尿病の診断検査の日だった。
先生がビックリして、
「血糖値がすごくさがっていますね、どうしたんですか ?」
なんにもしてないし、わっからなーい。
「ええと」と私は言う。「すみません、わかりません」
クスリの入った袋を先生の机において、
「つい飲みそこないが多くて、先生に見ていただこうと思って」
ぼんやりしていると、飲めないクスリをゴミとして捨てることになる。
なぜか病院は、もうじゃんじゃん、お薬をよこすのだ。

どうしてだか肝臓以外は数値が正常。
薬局で薬剤士の青年が、どうしてですかと私にきく。
「お酒、飲みます?」
「はい、飲みます」
「毎晩ですか?」
「はい、毎晩」
「それが原因だな。やめられませんか?」
「はい。やめられません。だっておもしろくないもんね」
薬局の青年は、はっはっはっと笑っちゃって、
「そりゃそうですね、ごもっとも」
ぼくだって、といまにも言いそうだった。

いま読んでいる本の著者が、自分もパンデミックで外に出られないと言い、
いくつか昔の映画をビデオで観た、と書いている。
「ゴッド・ファーザー」を見るとよい、疫病の大流行で政治の手が届かない、
政治制度がどん底みたいな今だと、かえって理解できるものだとか。
それで、観る。おもしろくて素晴らしくて、途中で観るのをやめられない。
旅先の映画館でむかし観たなと思い出す。
名古屋とか大阪だとか、どこか地方の映画館で上映中だった。
旅先でも大評判だったので、みんなで観にいったのだ。
宇野(重吉)先生に、どう思ったかときかれて、
すごく間抜けな感想をいったというイヤな思い出。

あれから50年もたったなんて?


2021年1月13日水曜日

おんぼろ睡眠


最近、午前11時がくるまで起きない。かえって疲れると思ってもがんばる。
はじめ4時に起きるのだから、それからの睡眠はずたずたに切れて、
どうしても2時間おき、1時間おきに目がさめる。
それでも本なんか読んで、なんとかがんばって眠ってしまう。

不眠症のみっちゃんにこの話をきかせると、すごくうらやましいと言うけど、
私だって、こんな睡眠じゃスッキリというワケにもいかない。
なんだか疲れたなー、というのが午前11時ごろの感想である。
一応眠るということができるのは、劇団大部屋の旅生活のおかげかも。



2021年1月12日火曜日

ぼたん雪のふる日


朝、やっと立ち上がって何げなく友人の家に電話をしたら、
家の人が出て、いま救急車をよんだところだと、いう。
数日まえには、1人暮らしのご老人から電話があって、
救急車を呼ぼうかどうしようかと、せっぱつまった緊急の相談だった。
老人といったって私も老人なのだから、これが本当に切ないし悲しい。

以前は自動車の運転ができたから、相談されれば、
よろこんでお手伝いをしようという気構えでいたけれど、
今ではそんなことも、もうできない。気持ちはあってもお役に立てない立場だ。
医療崩壊だとか、待って待ってやっと救急車が到着してくれても、
受け入れ先の病院がなかなか見つからない、という話が、
あっちからもこっちからも聞こえる。
病気が自分にもじわじわとやってきたような雰囲気である。

あーあ、
これって、デマみたいなもんじゃないのかなぁ、もう。
むかし、戦争が終わってまもなくのころ、
私たちはこんなにお医者さんに頼ってくらしていたかなぁ。

私は、医者にも薬にも頼らない、そういう年月を
頑固に送ってきたし、インフルエンザの予防注射もしない。
糖尿病になってたとえ血糖値が400になっても、インシュリン拒否のかまえ、
健康保険だって支払いはするけれど、自分のためにはめったに使わない。
ところが、としをとって、歯だとか目だとかに故障が出てくると、
とたんに考えてもいなかった生活がはじまって、もうビックリ。
ちょっと医者にかかろうものなら、
ありとあらゆる臓器が、たちまち血液検査されて、イモヅルみたいに、
体中が欠点だらけということになる・・・!?
もう死ぬまで気楽に原始人でいよう、というような無頓着はゆるされず、
私は元気さ、という間抜けな錯覚が、どんどん自分から遠ざかる。
ノンキなおじいさんにも、ノンキなおば~さんにも、なれやしないのだ。

あのさあ、
この錯覚こそが、馬鹿げているにもせよ、私の元気の支えだったのよ?
のんき、どんかんが、健康の素って、いいじゃないのよねー。
見逃してもらいたいわよねー。
こんなことをクサクサ考えていると、淡くて真っ白できれいなぼたん雪だって、
もしかしたら、気象庁が均等割りに降らせているのかも、などと。



2021年1月11日月曜日

東中野ポレポレ坐へ

 
写真展に行って、
考えたこともない世界を見た。
最後の湯田マタギ。黒田勝雄写真展。
大橋ご夫妻と。

とてもたのしい午後だった。
どこに行ったかというと、JR東中野駅から徒歩3分。
ポレポレ坐ビルの7階、ありかHoLeだった。

広々としたしつらえの1階喫茶室で、生姜紅茶をご馳走になる。

いつだったか、1階のここで、炭鉱労働者に一生をささげた、
「せんぶりせんじがわらった」を書いた人の記録映画を観たと思う。
上野英信という、思いがけない炭鉱に関わる作家の特集イベントだった。
それも杖代さんのお誘いである。

実家の父の書斎の本棚に出版したてのこの本があって、
そのむかし、高校生だった私が読んだのだ。
炭鉱も、炭鉱労働者も、作家も、表舞台から消え去って久しい。

今日は、ポレポレの若いスタッフのセンスなのだろうか。
正面のスクリーンで西洋の文化映画?が音もなく淡い色どりで進行中。
なかなかステキである。

この鉄筋コンクリートのビル全体が、杖代さんの従兄弟の「せいちゃん」、
つまり本橋成一さんの所有だときいて、とてもびっくりした。
ポレポレには私も、私の友人たちも、名画を観によく通ったものだけれど、
まさか地下にある曲がりくねった階段下の映画館ポレポレだけじゃなく、
7階もあるこのビル全体が、本橋成一氏の、
写真家、映画監督、各種文化事業主催者の、ほかにもの仕事だなんて。



2021年1月10日日曜日

零下にある夜空

 
濃紺の色した空に、
投げ出されたような星が風に吹かれて、
斜めにかかっている。
東の空には驚いた風情の、淡い雲の壁。
西の空というと、どこまでも寒風にゆがんだ暗闇ばかり。
今夜は夜空がはるか遠方にあり、
西では星もそれぞれが氷のように透明分離して、
はすかいの風に飛んで輝いているせいか、驚くばかり美しい。

冷たくて寒くて、
風に見とれるというわけにいかないが、
厳寒の深夜というものは、
ビロードのように輝くにせよ、風に雲が飛ばされてゆくにせよ、
圧倒的に輝いて、凍る厳しい暗黒とともに、
決して忘れられない、なにかだと思う。



2021年1月9日土曜日

サイケな1日

これは冗談だけど、
私のトシのとり方は、なにやらガリバーのよう、巨人ふうである。
なんでそんなことを考えるか・・・
手の指の爪がじゃんじゃん、のびて、それをパチン、パチン切るというのは、
そんなに大変じゃないけれど、 
足の爪となると、常にどうにもこうにも決心がつかず、
わかっていながら、なんとかしよう、なんとかしようと、
3日も、4日もかかる、それでも切ろうという決心がつかない。
足の爪は、私からものすごく遠くに、ある。
ガリバーだって、巨大な腕を何マイルものばして、爪をきるのは、
たぶんすごく、厄介で息がきれてめんどー至極だったんじゃないのかなーと、
ぼんやりしながら、自分もぐずぐずと決心がつかない。
155センチしかないのに、77才ともなると、
サイズという基準が永遠サイズに代わってくれるのかしら、
この私の、どこにあるのかよくわからない脳髄の、奇天烈はたらきで。

今日はいわゆる非生産的な1日で、
ストーブの火を消し、はだし(裸足)を日光であたため、
手塚治虫の「アドルフに告ぐ」を読んではねむってしまい、
それからふっと目をさまし、どうしてか急に決心して、
足の爪をきちんと切ったのがトピックスなのでありました。



2021年1月8日金曜日

レストランに行った


萱野さんの小さな黄色いクルマが、坂をぐるぐるまわって走り、
高台にあるきれいで広いレストランで、お昼ごはん。

そこには、いろいろな野菜だとか手芸品だとかが置いてあり、
私はレストランに入るまえ、萱野さんの手提げを借りて、ついつい買い物をした。
いちごだとか、カブだとか、にんじんだとか。根生姜も買った。
べつにいそいだわけじゃないけれども、なんとなく私ってせっかち、
萱野さんはというと、のんびり売り場のあれこれを見て歩いている。
「あなたは買わないの?」ときいたら、
「私は食事が終わってから、帰りに買います」という。
そうよね、いま買うと重たいしじゃまよねー。
萱野さんは、あれもある、これもいい、おいしそうとか新しいとか、言ってる。
私はそうか、そうよねと、どうする気なのかついつられちゃって、カブなんか買う。
新鮮で、小さくて、かわいらしくて、安いカブなのである。

ふたりで話しながら食事をして、ゆっくりゆっくりハーブティを飲んだ。
雲のむこうの富士山をながめる。日差しがつよくてこまるほど温かかった。

帰りに萱野さんと私はまた、レストランを出て、小さい売り場のほうへ。
私なんかさっき買い物をしちゃったのに、まだ、なにか買えたらたのしいわけで、
無農薬、小振り、新鮮、安い・・・大根はうちにあるからいらないし、とか。
でも、びっくりしたことに、ほとんどのお野菜がいつのまにか買われて、
いまじゃもうあとかたもないのである。
苺だって、あんなにあったのに、ひと箱しか残っていない。
めったに買い物客が来ないような場所だという気がしていたのに、
いつのまにか小人が大勢やってきて、ばたばた買って行っちゃったのか、
腑に落ちない・・・。・・・あーあ。

カブの話。
まず、買い置きの豚肉によく下味をつけ、フライパンで焼いて、お皿に分けた。
そのフライパンに作り置きの出し汁をけっこういっぱい加え、
切り目を入れたかたい小さなカブを葉もいっしょに茹でる。
大蒜に生姜に塩コショウに、ターメリックになんのかんの。
固めの小カブはお醤油をかけると、びっくりするほどおいしかった。
このカブなんか、箱の中にたくさんあったけど、萱野さんって買えたのかな・・・?



2021年1月7日木曜日

なんにもない日銭湯に行くと


身体があんまり冷えてしまい、左眼が痛くなり、
なんだか死ぬんじゃないかというほど寒くなった。
ま、いいやと風邪薬を飲んで、夕方ちかくお風呂やさんに行くことにした。
熱をはかっても36度3分だから、なんともないはずなのだ。
あたためれば元気がでるかも、と思ったわけである。

このお風呂やさんは調布の深大寺のむこうにあって、
男湯のほうにはヤクザがいつも来ているという話。
いつか女湯にも、全身刺青のすらりとした美人がきていて、
サウナから出るとさーっと水風呂へ。
ミス・ユニバースみたいな美人だったけれど湯殿全体がシーンとなった。
今日はそんな目の覚めるような人はいない。
しかし男湯のほうからはなぜか派手なわめき声がきこえてきた。

むすこの話では、ここのサウナは入ると親分さんと手下の人でもう満員、
お待ちしていましたと話しかけてくれて(!)場所をあけてくれて(!)
丁寧なんだけどやっぱり落ち着けない、とか。そりゃそうよね。
からかわれているみたいですもんね。・・・やくざ版応対ユーモラス。
そうだとすると、今日のあのわめき声は、なんなのか。
ヤクザにしてはめずらしい型のヒトが来場しているのかしら?

帰りのクルマの中で聞いてみたらば、
「えっ、わめきごえって?」
今日はヤクザは来なかったというのが返事である。
それで湯船じゃ、3人ばかりの人が本を読んでいた、というのである。

「本、読んでたの! 3人も? 湯船で?!」
わっ、いいな。そんなのありなの? そんなことしていいの!
「いいんだろうね、3人もそういう人がいたからね」
ヤクザは留守。今日は誰もなんにもしゃべらなかった。
こういう日はラクでいいよね、というのがわかる感じでおかしい。
じゃ、あのわめき声はなんだったのと、私はきいたけど、
そんなことあったかな。なんにも聞こえなかったよ。
それが息子の返事だった。

         ?    ?


2021年1月6日水曜日

追憶

寒くて。
灰色の空をながめて、自転車にのる。買い物にいかなければならない。
年末からの力仕事がたたって膝が痛い、テープみたいなものを貼って外にでる。
風が寒気に凍って私にあたる。曇天の下、樹木も花壇も蒼褪めた灰色だから、
石畳の一枚になったみたいに寒い寒い寒い寒いとおんなじことしか思えない。

ずーっと水木さんの本を読んで、やっと読み終わる。
「人生をいじくりまわしてはいけない」という文庫本がいつのまにか、
私の本棚にあって、水木さんの妖怪談義が最初から最後まで不思議だった。
こういう本に引っかかってしまうと、今までに捨てたたくさんの愛読書を思う。
100回も200回も読んだものを、自分はどうして捨てたりしたのだろう?

17才の頃は現実が恐怖そのものだったので、活字の行間に身を隠そうとした。
我を忘れたくて本の世界に逃げ込むわけだから、
作者の意図なんかにかまっていられず、作家が教えていることを無視した。
77才の今ごろになって、不思議なことに理解力が愚かな私に追いつき、
いったいこれはどういうことだろうかと、よくよく考えるのである。

もしかしたらあのころ100回も同じ本を読んだのだから、
活字たちは、知らぬまに本の行間から私の記憶の谷間に落ちて、
そこでずーっと眠っていたのかしら、もうずっと今日の日がくるまで?
「ゾーヤとシューラ」だとか、「ふたりのロッテ」だとか、「魅せられた魂」だとか?
それらの本の活字の並びたちは、知らない場所で、私の脳内のどこかで、
考え方だとか、なにかの愛だとか、感動の品格のようなものが、
その時がくるまではと、苦しい私を待っていてくれたのだろうか?

私は自分も知らないようなことを、今ごろになって考えるようになった。
不思議にも、最近は言語や想いの断片を鮮やかにそして正確に思い出して、
冬の木立をしばらく眺めているわけである・・・。



モーリス君

 
このあいだのクリスマスに、健がクリスマスプレゼントだといって、
どっかーんとお金をくれた。
といっても、コロナ以来私は、たのしく「物欲」と別れをつげてしまい、
衣類なんかは大規模修繕の際、屋上コンテナの中に5,6年も放りっぱなした
セーターやワンピースを見つけ、古着数点を懐かしく着ている。

(しかもどっと痩せて、ボワボワしたパーマネントひっくりかえり頭だし)
自動車はもう運転しないから、買い物といったって、いまいち欲がないし。
 
プレゼントなんていいのに、とはいったけど年の暮れに、
指輪を二つ、とそれからモーリス君を買って、うちに連れてきた。 
指輪は二つとも細い□(四角)に小さな△(三角)の金の板がついていて、
その上にひとつはオニキスが、もうひとつにはなんだっけ、忘れたけど
小さい宝石?がついている。
四角い指輪で、
両手にべつべつにはめると、むかしから老人みたいな私の指が童話みたい。
でも指の爪に、ひるま草取りをした泥がのこっていて、ガッカリだった。
それから、綿羊ふうの角の陶器のへんてこな置物を残りのお金で買ってもらった 。
胴体にチアシードが塗りこめてあるちょっと小さくて重たい羊、
葉がすこしのびかけているのをわけてもらう。
焦げ茶色のモーリス君である。
連れてくるとこの陶器の綿羊はケッコウだけど厄介だ。
毎日、クビのところから水を入れてやらないと緑のチアシードがもたない。
そのくせ日光にあてすぎても良くないと注意書きが、言ってる。
水もそうだけれど、健が、日光の件ではらはらしている。
私だってはらはらしている。
したがって、今のところモーリス君は、
しょっちゅう向きを変えて落ち着かないくらしである。 
 
そうしたら昨日は、オランダの遥からクリスマスプレゼントが届いた。
可愛い真っ赤な装束の小さなお人形と銀色の小さなクリスマスの木。
カードがあって。チョコレートと。
弟の健あてには、黒いTシャツだけれど、
真っ黒な夜空にこまかい星がちらばって、はしっこのかなたに、
小さい宇宙飛行士がひとり引っかかっているのがロマンティックだ。
世の中って、1.2とか1.3とかね、
必要不可欠な物のほかに、なくても生きていける物があると、
暖かくて幸福ね。



 

2021年1月4日月曜日

お雑煮

淑人さんとみっちゃんが来てくれる。
世にもまずい料理を作って、食べてもらった。
どーしてこういうことになるのかなー、まったく。
朝から、一生懸命つくったのに。

とくにデキが悪かったのがお雑煮で、
自分で食べてみてびっくりした。
私は新年になって、水木しげるさんの本の中をさまよっているが、
今日のこういう味覚ってどういうもんかなと、
本の挿絵なってたネズミ男の容貌と衣服をどうしてか思い浮かべる。
みっちゃんも淑人さんも、私とはちがって、
どこどこまでも上品高潔街道の人たちなので、
おいしいとか嘘をつくんだけど、
悪かったなーと思う。

お雑煮の失敗の原因は菜の花を加えたことで、
菜の花ぞ、ぞ、雑煮なんか、むりなのだ。
イメージと味はこの世では一致しないもので、
菜の花が加わったところで、せっかくの出し汁がふんわり風味を増すなんて
そんなことはヤッパリなくて、
とんでもなく暗いドンヨリ味になんの救いもない、愛想が尽きた。
後片づけをすませて、ふたりがいた時のことをかんがえるんだけれど、
大橋家からもどった晩とまったくおなじ、
たのしかったと思うのに、どういうわけで楽しかったのか、かんじんの会話が
菜の花のせいで、あーあもうなんにも思い出せません。




2021年1月3日日曜日

テレビ・サンドイッチ


きのう、大橋家からもどってきたら、あっちもこっちも電気がつけっぱなし、
午前中に買ったTVがなくて、箱だのなんだのが散らかっていてビックリ。
玄関にとってかえすと健の靴がない。電話を掛けたけれど、掛からない。
少し待っていると向こうから連絡してきた。
「ダンボール箱から出したら画面が割れていたのでテレビが」
だから取り換えてもらっていま帰るという。
電気消しなさいよ、メモぐらい置いてけ。
(と思う)

お米をといで出し汁をつくる。だって晩ご飯の時間なのだ。
しばらく待ったら戻ってきた。古いTVを引き取ってもらいに行こうよという。
新年早々の粗大ごみはイヤだから、段ボールにあれこれ詰めてまた出かける。
出る時、食べるかどうか、炊飯器のスイッチを押した。
同じサイズ、同じ会社のTVだというのに、今までの台には乘らないとわかって、
だからべつに頑丈な板を買わなくちゃならないのだ、今から。
頑丈な板と、それから今までの古いテレビを引き取ってもらう代金と。
ついでにお風呂桶も買えればうちはバンザイよね。
(という感じ)

大きな量販店でなんのかんのと手間取って、帰宅が夜の8時半になり、
こうなるとみょうに落ち着いちゃって、晩ご飯は9時すぎから。
家にもどって、私は豚肉ねぎ生姜大蒜どんこ卵のあまから丼をつくった。
食べなかったからわからないけど、ちょっとおいしそうだった。
自分は、健のつくった定番スープと、クワイと蒲鉾。
一杯のまなきゃ、おもしろくない晩である。

朝と晩のあいだに、大橋家であんなにゆっくりさせてもらっていたのに、
買ったTVと取り換えたTVに朝晩はさまれて、
なんだかぼんぼりが灯るみたいにうれしかったなあとしか、
・・・昼間のことが思い出せません。



2021年1月2日土曜日

新年二日目

新年の初日は、ただもう、なんにもなく過ぎた。
一歩も外に出ない。
ふわふわと一日が過ぎて、そういう時間の過去になり方が楽しい。
おととい買った鉢植えのパンジーに陽があたっている。
花の小さいこと、それから紫と水色と黄色の植木鉢のなかの混ざり具合がよくて、
それを眺めて、ながいながい午後が過ぎた。
陽が家の中までやってきて、気がつくと私はいつのまにやら眠り込んでいる。

新年なのだからと気をつけて選んだ本には、すべて退屈した。

今日は我に返って、テレビジョンを買いに行く。
壊れてつかいものにならない機械を、ずっとつかっていたけれど、
いくらなんでもアイソがつきちゃって。
テレビは映画をみる道具で、家になくてはならないものなのだ。

子どもを育てることになって、テレビを捨てて以来、テレビ番組を無視して
くらしてきたので、31日のNHK紅白歌合戦を観てびっくりしちゃった。
テレビってこんなにも断末魔だったのか・・・!・・・?
だから、シャープの新品機械が3万円で買えたのかしら。



2021年1月1日金曜日

あけましておめでとうございます!

みなさん、お元気ですか?
ご無事でしょうか?

今年の私の課題はブログを休まない、
みんなと一緒に、考えながら生きる、地球の多様性を信じて!
大雑把にいえばそうなんですけれど、
融通無碍に、いってみれば頓智をきかせて、
ふうん、ふうんと、
ヒトの笑顔と太陽の光をたよりに、
ゆかいに笑って生きよう、ということでしょうか。

ユーモアかなぁ、つまり。

という割に、去年はブログどころじゃなくて、
なにをしていたかというと、モノを捨てる、洗濯物を乾かす、乾かす、
買い物と一日5、6000歩く、掃除、家事、掃除、
屋上と部屋の中としまいには庭と。
大規模修繕という団地の大イベントに、なかなかついていけないし、
しまいには強度の神経痛・・・。
夏がガラリと秋に冬に移行するときは、気をつけなくちゃいけなかったのに。

私の友達は、みんな千差万別、人間ですからね。
みんながみんな各自の持病と戦うわけで、病気のデパートのよう、
華やかなものだなーとおかしくなりました。
みんなそれぞれ。
ちゃんと克服。私だって治ったし。
コロナコロナといわれて、つい夏の炎熱に気が行ってなかった。
地球を大事にするべきですよね、炎熱をなんとか・・・。

判断の基準、ということを、考えずにはいられませんでした。

處を得て生きる、
それが幸福。
そう思うと友だちの顔が浮かんで、
よい年にきっとなるだろうと思うのです。

昨日は去年でしたが、やっと煤払いもガラスみがきも終了、
出来なかったのはお正月の用意だけ。
買えたのはかまぼこと、クワイで、
かまぼこのないお正月なんてとくりかえしたら、
それが一個見つかったから、おかしいじゃありませんか。

みなさん、よいお正月を!
あらあらかしこ。