2021年1月6日水曜日

追憶

寒くて。
灰色の空をながめて、自転車にのる。買い物にいかなければならない。
年末からの力仕事がたたって膝が痛い、テープみたいなものを貼って外にでる。
風が寒気に凍って私にあたる。曇天の下、樹木も花壇も蒼褪めた灰色だから、
石畳の一枚になったみたいに寒い寒い寒い寒いとおんなじことしか思えない。

ずーっと水木さんの本を読んで、やっと読み終わる。
「人生をいじくりまわしてはいけない」という文庫本がいつのまにか、
私の本棚にあって、水木さんの妖怪談義が最初から最後まで不思議だった。
こういう本に引っかかってしまうと、今までに捨てたたくさんの愛読書を思う。
100回も200回も読んだものを、自分はどうして捨てたりしたのだろう?

17才の頃は現実が恐怖そのものだったので、活字の行間に身を隠そうとした。
我を忘れたくて本の世界に逃げ込むわけだから、
作者の意図なんかにかまっていられず、作家が教えていることを無視した。
77才の今ごろになって、不思議なことに理解力が愚かな私に追いつき、
いったいこれはどういうことだろうかと、よくよく考えるのである。

もしかしたらあのころ100回も同じ本を読んだのだから、
活字たちは、知らぬまに本の行間から私の記憶の谷間に落ちて、
そこでずーっと眠っていたのかしら、もうずっと今日の日がくるまで?
「ゾーヤとシューラ」だとか、「ふたりのロッテ」だとか、「魅せられた魂」だとか?
それらの本の活字の並びたちは、知らない場所で、私の脳内のどこかで、
考え方だとか、なにかの愛だとか、感動の品格のようなものが、
その時がくるまではと、苦しい私を待っていてくれたのだろうか?

私は自分も知らないようなことを、今ごろになって考えるようになった。
不思議にも、最近は言語や想いの断片を鮮やかにそして正確に思い出して、
冬の木立をしばらく眺めているわけである・・・。