2021年1月30日土曜日

幼児の直観


むかし、私が本当に子どもだったころ、
考えたことがある。
ことばをそんなにしらず、よく操ることができないころのことだった。
それは、しかしきちんと形になった感情であって、
いまでもまざまざと、何度でも正確に再現できる、
ちいさな私のこめかみから幼い頭を通りぬけた、考えだった。

自分は捕虜なんだという理解。

2才か3才のころだから、むろん言葉として考えたのではない。
いつものように悪い子だった罰に、ぶたれて大泣きをして、
これから押し入れの暗闇に入れられる、そういう瞬間に、
自分は、灰色の針金でできた四角い「鼠取り」の中の、
あの殺されてあたりまえのネズミなんだという、
そういう焼けつくような認識が、予言みたいに私に貼り付いたのだ。

だからといって、どうなったわけでもないが、
いつもいつも、幼稚園でも、学校でも、おとなになっても、
この理解が、自分から離れることはなかった。

みっちゃんと私は、小学校1年生の時からの友だちで、
お母さんの「友達になって仲良くして」という入学式の日の頼みが、
一生ものになったわけだが、みっちゃんと私はたぶんソックリで、
みっちゃんは脊椎カリエスで身体がぐちゃぐちゃ、私は母親にすてられ、
継母の虐待にあい、鼠取りのネズミまがいの捕虜になったこども。

子どもだったころ、私はみっちゃんをうらやんでばかりいた。
いいなあ、きれいなおうちに住んで、やさしいお母さんとお父さんがいて、
いいなあ、みっちゃんは。
ある時、おとなになってからだけど、みっちゃんは人にいわれて、
こうなりたい自分というのをむりやり文字にした。
みっちゃんが描いた理想の自分は、びっくりしたことに私によく似ていた。

みっちゃんのお母さんからたのまれ、「うん」とこたえて手をつないだ時、
たぶんみっちゃんは、私がぐちゃぐちゃな子どもだということを、
どうしてか理解したのだろうと、このあいだある作家にいわれた。
それがそうだったのか違ったのか、今ではまるでわからない。
けれど、子どもはどんな子も神さまのような、あるがままのものだから、
1950年のみっちゃんと私は、それぞれが受けた虐待をまんなかに、
わけもわからず運命の捕虜として、ながいながい道をあるきはじめたのだろう。

そう思う。