2021年1月20日水曜日

不眠考(1)


私の昔からの友人は、けっこうみんな不眠症である。
ある人はもうずーっと睡眠薬のお世話になり、
ある人は睡眠薬を医師の指示より少なめに飲み、
ねむれないねむれないねむれない、ねむれないというノイローゼ。 

私はちがう。
それは、ぜったいそんなことで悩まないという根性が、
子ども時代にできたからだ。

私は小学校5年生の時に、父の家を出た。
4才の時、私を捨てて、ほかの男の家に行った母の家へ。
そこは思いもよらない麻雀クラブで、お客さんが帰らなければ、
寝る場所もない小さい家だった。
お母さんというものを、私はなぜあんなに信じたのだろう?
南口クラブという、お母さんの麻雀やには、もちろん捨ててきた子どもの
居場所なんかなかった。
お客さんのひざに座って、深夜、私はずーっと、麻雀をみていた。
ポンッ、だとか、チーだとか。麻雀のパイは、大人たちの楽しさに乗って、
子どもの目の前で、おどるのだった。

不幸だと思わなかった。
麻雀をする人の楽しさが私という子どもを暖めるのだった。
父の家に比べれば、そこには5年生11才の子にも、選択の余地があった。
いまふうに言えば、他人は、たとえなんだろうと,
やくざの運転手だろうと、かつぎやだろうと、だれかの二号さんさんだろうと、
他人の子には、なんだかいいかげんにもやさしい世界なのだった・・・。