2021年1月26日火曜日

曇天、形容詞あれこれ


きのう、ODDな、という形容詞を久しぶりに見た。
ODDという字ヅラだと、なんだかフマキラーみたいなやつだなと思うけど、、、。
Odd・・・となるとどうか。
私の記憶では、学校英語単語Oddは、「異様な」だったかなー。「変な」だとか。
悲しき口笛じゃないけれど、こういう辞書の定義にはどうも、
私たちの自然な、あるいは経験にもとづいた暮らしが反映されない。
というより、とんでもなく楽しい、すごう

子どもの、あるいは世間を見すぎてきた?老人の生活実感がない。

教室エイゴの彼方に幼いものが見るのは高校や大学の門構えだけだ。

ただいま、こうやって、コロナコロナの晩年をすごしていると、
こんな時にもやっぱり56万人?が大学受験したらしいと思うと、
くらしを実地で考えるチャンスがまるでない檻(おり)というか、
不自由な、日本の「学校」が眼に浮かぶ。

Oddとは、おかしくて、つまり笑えて。
奇天烈・奇妙で、つまり変わっていて。成績がわるくて、つまりバカで。
ええとそれからはぐれもの、変人というかで。それで・・・、
利口なんだかバカなんだか、本質的にコワイところがある人のことだ。

からくも彼らは・・・なんとか周囲にふところの深い理解者を得て、
「社会的人間という枠の中に」なんとかおさまっているのであるが、
こういう結論、こういう定義にあてはまるそこらの国民を、
日本に比べればエイゴの外国人はまーだざっくり、のんびり、
Oddなやつと形容するんでしょうね。
民主主義で。
     
     優れてOddな表現は、わかりやすいし、けっこう理解しやすいものだ。
     だって人間はみんな、もとは個性的なのだし。
     二重基準でもなければ、
     いったいどうやってこんな「コロナ人生コロナ」を引き受けられよう?

イギリスの俳優カンパーバッチが演ずる、天才で自閉症の学者?だとか。
渥美清という人なんか、フウテンの寅さんにして「死後」国民栄誉賞。