2018年9月26日水曜日

連休・講演会と映画と


Ⅰ・講演会は東京新聞の望月衣塑子記者である。
  もうビックリした。
  あんまりステキなので、つられて本を二冊買ってしまった。
  
      最近の自分は悩みのタネが「サイン」であるから、考えてみたくて。
     それでつい、サインをお願いしますと講演後、望月さんにお願いする。
  新書版の、これから本文が始まる、その右ページが空白んあっているので、
  「すみません、ここに、サインをお願いします」
  望月さんはタテに、ご自分の名前を本文の番兵というか近衛兵のように、
  すらすらと書く。きれいな、良い字体。ピシっとしてスカッとしている。
  
  なぜサインがほしいか。
  元来、自分としては人にサインはしてもらわない。
      名前なんか書いてもらってどうする、という気持ちなのだ。
  でも、だれのサインだったら、べつ、かしら。
  ウラジーミル・マヤコフスキーだったらどうか。1930年の。
  とっくに自殺して、天才で、英雄で、進歩的。男性的な美男だし。
  革命的!! 詩だって、生活だって、なんだってかんだって。
  記念碑を見るようでしょうね、サインも。

  自分の場合、マヤコフスキーってわけにいかないから当然サインは渋る。
  
  望月さんはしかし新聞記者である。
  国の最高権力者に立ち向かい、怯むことがない人だ。
  言い訳しない、めげない、美人で小柄で勇敢、おまけに度胸満点なのである。
  講演は忖度(そんたく)なんかの真逆(まぎゃく)、ユーモラスだし。
  面白くってオモシロクッて、
  いいなーいいなー、あやかりたいなーと、当然そう思う。
  そうか、なんらか肖りたい(あやかりたい)と思う時、サインをと、
  ヒトは思ったりするんでしょうね。

  私の場合は、望月さんの「勇気」「やる気」がうらやましい。
  彼女の「頭脳明晰」がうらやましい。お守りにしたいというか。
  で、サイン・・・となるわけか。

2・文京区民センターで「スペシャリスト」を見る。
  10年ほど前にみた映画である。 
  元ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンの国際裁判と判決のドキュメンタリー。
  あららら・・・私の感想が、10年前とちがってしまっている。
  しかしそれがどうしてか判然としない、
  それで主催団体の打上げに、くっついて行く。
  疑問が解けるかもしれない、と思って。
  学校の先生だった人が多いが、ドキュメンタリーの製作・脚本・監督が職業と
  いう、唐辛子にラー油をぶっかけてたまにニッコリもしてみせる、というような
  白髪の紳士もいらっしゃいまして、日本という国のそもそもの構造を、原発、ダム、  政治、など切ッ先鋭く分析し説明なさる、おっかないほどの博覧強記、物凄い。
  一方には、どんなことがあっても生まれてから喧嘩はいたしませんでした、という
  ような典雅美形の初老もいらっしゃって。
  その方々は終始端正なること、イギリスに行ったこともない私であるが、
  ホント端正に徹して「英国紳士」のようである。
  楽しい打ち上げの会だった。
  「望月衣塑子さんの追っかけです」とおっしゃる方までテーブルの向こうに
  おいでになって、穏やか上品・まったくの英国紳士型タイプ、なるほどですよね。
  きのう、講演会の時に、知らずご一緒していたわけでした。




2018年9月24日月曜日

世界一まずいクッキイ


ピンポーン、とベルが鳴る。

3時半ごろだった。
玄関の扉を開けると、顔見知りの少女がたっていて、
お母さんがいないので、鍵をもってないから、家に入れません、
電話を掛けさせてください、と丁寧に言う。
ちょっと心細い可愛い顔が、どこからどこまでモハン的である。
「あがっていいですか」
「もちろん、いいわよ」
小学3年生と話ができるなんて、うれしいことだ。
女の子はお母さんに電話をかけている。
その時、
家には、なんにもなかった。

そとは小雨の降る寒い日。
うちで待っていらっしゃい、というと、
遠慮のかたまりみたいな 、おとなしい顔が、
大丈夫です、お母さんが帰ってくるまで、外でまちます、という。
そうだ、アイスキャンデイならあったと
私は、椅子にそっと腰かけた少女に、ブルーのアイスキャンデイをだす。
お皿からはみ出さないように、女の子は、行儀よくキャンデイを食べた。
なんだか、寒そう。
ええと、と私は言った。

うちって、今、なんにもないのよ。
あなたになにかおいしいものを食べてもらいたいんだけど。
あのねぇ私、昨日からさがしているものがあるの、でもそれ、見つからないの。
どうしても見つからないのよ。いまいましいけど、あなたが来てからも
探したんだけど、どっかに行っちゃったの。
「あの、いいです、だいじょうぶです」
「よくないわよぉ、だってそれ、世界一、おいしいチョコレートなのよ」
礼儀正しい女の子の極致みたいな少女と、
世界のとんでもない向こうからきたみたいな、おばあさんの私だ・・・。

「ところがね、世界一まずいクッキイならあるの、ロシアからの
おみやげなんだって。いただいたんだけど、ほんとうにまずいのよ。
世界一まずいってわかる?」
うん、と賢そうな大きな瞳で、彼女はいった。
「お父さんがドイツに行って。ドイツにはまずいおみやげしかなかったって。
そのおみやげは、ほんとうにまずかったから。」
北欧の話になった。
彼女の一家はデンマークに住んだことがあり、私はフィンランドに2週間行った
ことが あって、そこも、食べ物はいまいちだったかな、みたいな。

私はお皿にコロンとひとつ世界一まずいクッキイをおいた。
「このあいだ、食べたんだけどね、世界一まずいはずよ」
彼女は、おとなしく、たしかに世界一まずいかも、という顔で、
ゆっくりと礼儀ただしく、クッキイを食べた。
お母さんはなかなか帰らない。
でもやっぱり、そのうちちゃんと、帰ってきた。

あとできいたら、世界一まずいクッキイを食べた、とふきだして話したそうで。
まじめなまじめな顔をしていたけど、自分の家だとのびのび笑うのね。




2018年9月21日金曜日

試写を見て あの日のオルガン

 
fromМ
試写会でお会いできずに残念でした。いい映画でした。原作のつぎこさんの本をまだ
読んでいませんが、映画を見ながら、所々、つぎこさんを思い出したんですよね。メ
ルトダウンした(註・福島原発事故3・11)ということを理解できない親の私たち
に訴える堀江園長・・・とか。でも、一番感動したのは、エンドロールに流れてきた
「本間美智子」の名前です。お二人の友情を羨ましく思います。

そうねえ、幼稚園にみっちゃんは、話にきてくれた。若い母親たちに。
・・・障碍者で、働く人で、母親である自分について。

ホールの低い舞台に、深大寺の萬寿苑で買った花柄の、手縫いの 絨毯を敷いて。
ススキや買わないですむあれこれの花をみんなが採ってきてくれて飾った。
 みっちゃんと司会の私は低い舞台にこしかけ、みんなはホールの床に座った。
「母」たちは、もう文句なくみっちゃんが大好きになり、笑顔に魅せられたよう
になって、あの日の会は当然のことだけれど、大成功だった。
集会が終わるともちろん役員たちが、3階の小部屋で、ここはまたきれいな誰か
のテーブルクロスが、傷だらけの机の長い木目をかくして、みっちゃんにお礼の
お茶や手焼きのお菓子なんかを、みんなが嬉しがって、出した。
私が「みっちゃん」「みっちゃん」と呼ぶので、それじゃ自分たちには図々しす
ぎると思うらしく、「母」たちはこまった顔で「本間さん」とか「みっちゃん・
さん」とかよんで、講演のお礼を言うし、質問をして、自分たちの気持をなんと
かみっちゃんに伝えたくて、一生懸命だった。

なにしろ、みっちゃんにはオーラがあるから。



2018年9月19日水曜日

海辺で


難しいできごとが、あまりたくさんあるので、
オンボロ自動車で、息子と、城ケ島へ行き、海を見ようとした。
何年ぶりの海辺行きだろうか・・・。
私は、家事と仕事で手いっぱいのとしより。
息子は、若いけれど、日勤、夜勤、バンドの練習と演奏 の繰り返し。
そのくらしの中で、
たぶんだれにも起こるような、平凡で単純な災いが 、
自分たちを襲う。

75才と36才、それなりの二人家族、
原発事故以来、海流は全世界を回るのだろうからと思えば、それもあって、
なかなか、海辺に足がむかなかったけれど。
夜勤あけで、なんにも仕事がないという日が彼にあったので、
私も、なんの用事もない日だったので、
思いつきで遠く、遠く、城ケ島まで行くことにした。
遠くても、高速道路をつかって、
川崎をすぎ、横浜もすぎ、葉山もすぎて。

・・・とうとう城ケ島まで行ってしまった。

何年ぶりだろうか、海浜公園のその先の、巖の連なり、その向こうが海なのだ。
痛んだ気持ちが、海風と湿気と、岩にあたって猛烈に砕ける白波を見るうちに、
・・少しづつ、・・少しづつ、なおる。
でこぼこの、砕けた貝殻 ばかりの浜辺を痛い裸足で踏んで、
やっときれいな海水に脚をひたした。
小さい波が、バシャンバシャン 、・・・大きな波がときどきザブーン。

ひとりで横になって、のんびり貝殻をひろっていたら、
寂しい人がそばにきて、それは、たどたどしい日本語を話す、
長い真っ黒な髪のアジアの女の人だったけれど、
・・・ふたりで話しながら、貝を集めた。

手のひらに、淡いみどり、ピンクや白くて灰色 の貝殻をのせて、
「ほら、この貝殻を見ると、家に帰っても、きっと私はあなたを思い出すわよ、
あなたは こういう人でしょ」
黒い瞳が、ニコニコ、風に吹かれている。
イツモ、ヒトリ、ワタシハ、といった。
別れる時、手のひらいっぱいの、桜色した貝殻をぜんぶ私にくれようとする。
「ナニヲ、ウツシテイマスカ、空デスカ」

歩いてきた息子に彼女が尋ねると、
息子は空気を揺らさないように、用心深く、にこりとし、
「そうです。空を写していました」
といった。
ありがとうと彼女に貝殻のお礼を言って、別れられたのが
幸せだったかな。



2018年9月10日月曜日

思い出


ナイン・パーティーに行く。

長男がトーク。古本を売ること40分の見世物、語る芸能である。
途中、母親が好きだった画集でと話しながら、ツィルレの古本も売る。
母親とは私だろうけど、ツィルレって誰なのだろう?

やっと思い出をたぐり寄せれば、むかし私は、
その画集を、本棚に並べたままでは子どもにけっきょく届かないと思い、
素朴な、芸術そのものの画集をこわし、
すきなページを切り抜いて、トイレの壁に貼ったのだった。
子ども達の目に、いやでも入るようにと。
・・・桜上水の実家に住んでいた、あの苦しい13年間。

いつ画集を捨ててしまったのか、私の本棚にもう、その本はない。
 何年も捨てられないでいた、たしかドイツの、画家ツィルレ。
だいじなページを切り抜いてしまったから、残骸でしかなくなって。

ハインリッヒ・ツィルレという画家の名前を、自分ではもう思い出せない。
私の人生は、たぶん終わりかけているのだ。
二男が、その本を買って、見せてくれた。
ナインパーティーの帰りの小田急電車の中で。

私は忘れたのに、長男の心に私の気持ちの残像がのこっていた。
あの時は小さかった二男が、子どもの世界、という本の名に惹かれたのか、
・・・さっき、兄からそれを買った。
なんという懐かしい、繰り返しなのだろう。