2020年11月26日木曜日

不安というかたち


図書館のあるはずが、そこは西落合中学校で、どうしてそんなと、
わけがわからない。
こまって、そこを通り過ぎたばかりの年配の女性ふたりに話しかける。
図書館本館はいったいどこにあるんでしょうか、と尋ねる。
すぐにふたりは、ご案内してさしあげますよと、逆方向に。
ひとりでさがせるといくらお断りしても、いいんですよと言う。
「私たちはただ運動だと思って歩いてるだけなんですから」
みんなマスク、サハラ砂漠なみだ。
風がピュウっと吹いて、すぐ寒くなる、そして歩けばすぐ暑くなる。
草木の生い茂る美しい遊歩道を、二人に案内されて三人で歩いた。

なかなか図書館に着かない。遠くて、遠くて変だ、宮沢賢治の童話みたい、
すぐ図書館に着きそうなのに、ぐるーっとまーるく、いつまでも歩く。
私はなんだかそれを不思議におもったけれど、
「遠回りしてるから遠いのよね」
仲良しふたりは、うなづきあって朗らかだ。

おそらくここいらへんのどこか、あっちの棟とこっちの棟に住んで、
ひとりは夫を亡くして独りぐらし。もうひとりはご主人とふたり暮らし。

私たちはみんな同じような年まわりのようだ。
それで世間話としては、いかにこの頃じぶんはボケたかという話になる。
独りの方はパズル三昧であり、こういう人を私は三人も知っている。
パズルおよび川柳投稿は、コロナ下一人ぐらしの老女の流行りである。

でも、おじいさんとおばあさんの夫婦ふたりぐらしだと・・・。

ある日、台所の棚に未開封のヘアスプレーがのっていたのである。
そばには小窓があって、そのスプレーにすぐ手が届く距離。
見覚えのないスプレーは、なぜか三日前からそこにあった。
自分は買わない。主人もヘア―スプレーなんかゼッタイ、髪の毛もないし。
いったいなんで、だれが、わざわざそんなことしたのかしらと気味が悪いし
怖くてかえって捨てられない。
あと二日ぐらい考えてみて、主人に捨ててもらいます、というのである。
窓から誰かが手を入れて爆発させたらと本気で脅えている。

私がはとてもビックリした。
うわあイヤだわ、うす気味わるいわねと、
もうひとりの人がまぎれもなく本気で悲鳴をあげたからである。
「戸締りは? ちゃんと窓に鍵かけたの!?」
「もちろん。うちの小窓はちょっと高いところにあるから主人が」
殺虫剤とヘア―スプレーとか。
なにかと間違えて、ということとはちがうという。

だれが、こんなに平和そう親切そうな人を脅かすというのか?
彼女たちは、どうしてそんなに怖いのか。
それとも、いま世の中はそんなに怖いことになっているのだろうか?
見知らぬ誰かが、台所の小窓に手をさしこんスプレーを爆発させる。
そういう漠然とした悪意・・・。


2020年11月24日火曜日

月曜日

なんにもしなかった。

ドナルド・トランプの自伝を読んでいる。
一歩も外にでない。
新聞を取りにいく以外は。
ぜんぜん疲れてはいないけれど。
新聞と本。

お昼ご飯は、食パンのサンドイッチ。
インド料理屋さんから食べきれず持って帰った混ぜご飯。
きのうの地震は外を歩いている時間に起きたらしく、
予言?したわりに、自分は知らなくて。
こわいなーと思う。
こわいなーと思っても、避けようもない。
それがもっとこわい。

なんて不安な。




みんなで遠足

朗読の発表会をやるはずだった日に、みんなで神代植物公園に行った。
なんて月日が飛ぶように過ぎることだろう。
一日の半分を半午睡、こんなことばってあったかしら、大規模修繕で
室内に閉じ込められているので、
よくわからないうちに今日という時がきてしまった、ーあっというまに。
幼稚園の遠足の時のような。そこから恐怖と不安を除いたような。
私はいつも子どもの時、遠足がきらいだった。
遠足も、運動会も、学芸会も、苦しくて悲しかった。
年をとるということは、苦痛が引き算のように消えることで、
みんなと過ごす時間が、とっても、のびのびとしておだやかだ。

花のない桜の古木。砂利とそれから湿って黒い土の道。
冬はたかい木の梢がいいなと思う。小鳥や鴉がおなじ大きくて平和な空間にいる。
樹木の彼方は青い冬風の飛ぶ大空で、そこは太陽の輝く秋晴れ。
歩けば冷たい風が吹く、おひさまはきらきら、ベンチをみつければ温かいのだ。

懐かしい広大な枯れてワラの色した芝生、巨大なパンパスグラス。

・・・みんなで、ばらばらと歩くのは、楽しいことなのね。
たぶん、すこしづつ自分の趣味やこだわりや生きがいを、仲間にゆずる、
そういう・・・それぞれが失う時間が、遠足をステキにしているのかもしれない。
合計がしあわせを創り出すのだ。
こどもだと、そうはいかない。
こどもだと、不幸なのだ。

帰りのクルマの中で、不思議なことが起こった。
おもたく黒々とした横雲がクルマの前方の空にあるので、
その存在感があまりに重たいものだったので、地震になりそうと言ったら、
夜、ほんとうに地震がきた。
デヴォラ・ディスノーの話もしたら、もう何年もあっていないのに、
携帯電話にデヴォラさんから、夜、お元気ですかと送信されていた。
彼女はアメリカ人で、ずーっと前から深大寺の一軒家に住んでいる・・・。



2020年11月21日土曜日

まにあわない!

だめだ、なんとかして書こうとしたけど時間が無い!
豊ヶ丘図書館に10時までいかなくちゃ。
クルマはない。自転車はたぶん空気が入ってない。
歩きで、リュックサックで、
新書を読む会のあつまりの今日の課題が「童話」で、
それが読んでなくて、
借りた本を返さなくちゃならず、
期限が切れた図書館の本が見つからず。
おーい、トランプくん、
(トランプ大統領の伝記!)
いないの、いるの!?



2020年11月19日木曜日

深夜


夜風の音を聞いた。西風がどこかでZ型に東へと進路を変えるヘンな日。

朝からすこし暑くそのくせ私は寒い、血が私から撤退しはじめているらしく
どうしても温まらない。
オーバーを着こんで、そうすると汗をかいて 、暑いけれど寒いわけで。
寒気というものは、私の場合、いまや自然の冬からやってくるのではなく、
しもばしらという「霜柱」そっくりのなにかが自分の身に発生したわけである。
こういうものにヒトは勝てるのだろうか?

大橋Mr.のお向かいに腰かけてお話をきいていると、
心配と不安が遠ざかって、私はのんびり空想しはじめる。
いまでは現実は綿菓子のようにさだかではないもの、
全てをちいさくちいさく乗り越えて、と。
そんなふうに思うからには、そんなふうになるかもね、とか。

老人社会だというけれど、
どこへ行ってもみんながそうだということは、温かいことでもある。
はははは。だって今日の私って、午前中老人会で午後大橋家だったのよ?!
夜風がさっきから、ブイブイ、旅の音をたてている。
どこにいくのか知らないし、ずっとうちの前にいるのかもしれないし。

あのね、今日はいい日だったし、傷つかない日だったのよ。
           
     
    追記  今日こそ忘れものをしないぞとかたく決心していたのに、
        帰宅すると覚え書きした紙がみつからない。
        代わりに大橋杖代さんが手渡してくれたメモがでてきた。
        「小説となりのトトロ」を贈ってくださる方々の人名。
        あーあ、手元ごちゃごちゃ。
        自分の「なぐり書き」の方を杖代さんに渡して、
        彼女のメモを返さず、Mr.からいただいた本といっしょに
        家に帰ってきちゃった・・・。



        

2020年11月18日水曜日

日も暮れよ

きのう寝たのがあけがたの4時だったので、
どうも、私の黒いセーターの破れ目みたいに、オンボロな時が過ぎる。
3時間ねむって、目が覚める。
起きはしたけれど、気がつくとソファでまたねむっているのだ。
昼間なのに、眠くはないのに。

夕方、暗くなってから、買い物にでかけた。
宵闇のむこうを、もはや影になった子どもたちが、走っていく。
にぎやかな声が坂道をのぼる私のところまでとどく。
そういう夕方は、とても冬らしくて、
ひとり歩く時間が友だちのようだ。

大きな樹の下いっぱいの枯葉、大空には不安な雲、
橋の下の道路をまがりくねって自動車がどこかへと急ぐ。
行きかうこの街の人々も、不意に聴こえた若い声の切れ端も、
あたたかく、すぐさまむこうへと遠ざかってしまう。
そうやって時間がすぎた。


 

2020年11月17日火曜日

すぎゆく秋の1日


洗濯物を乾かすことで日が暮れた。

家の北側には昨日も今日もおとといも、
クリーム色のペンキ?を壁面に刷毛で塗る人がやぐらの上にいる。
作業着がくたくたにくたびれて、泥とペンキだらけ。
どの人もあたまに巻いた手拭が汚れて、マスクなんか顎の下だ、
規則通りやっていたら働けない、息だってつけないだろう。

シンナーがものすごく匂うから、窓もドアもきびしく封印されている。

こんな作業を何人もの人がやっていて、よく見れば苦しい顔である。
なんて過酷な仕事だろうか。こんな毒々しい作業をして、
休憩や健康被害防止手当は保証されているのだろうか。
こんな労働を長時間やって当然みたいな。
いや、まさかそんなことでも無いのだろうか。

私が小さかったかったころ、両親が建てた家はすごく小さな木の家だった。
職人さんがペンキを床に塗っていたけど、気にならなかった。
いい匂いだという気がしてそばにいたりした。ニスのにおいがお気に入りだった。
住宅金融公庫で借金をして建てたという家。
ながいあいだかかって、借金がなくなるまで大変だったときいたけど。

今日、庭のある南側は、塗装が終わったからか、人影がない。
ガラスに張り巡らしたポリエチレンの覆いもなくなっている。
私は、外に出るなという張り紙のついたガラス戸を、開けっ放した。
撤去されて網戸なしの生活なのに、
シンナーのにおいが建物をどっと取り巻いているので、
鳥もこないし蚊もこない。けっこう・・・いいのかなあ。
昆虫だって野良猫だって、おそれをなして寄り付かないのだ。
ニンゲンの場合は、まあいいのかしら。

暗くなるまでガラス戸をあけっぱなしにして、
Tシャツだの上っ張りだのをハンガーにかけて干した。
とっかえひっかえ・・・、もうほかのことはなんにもできなかった。
鉄筋コンクリートに住んでいる人は、乾燥機つきの洗濯機を買うらしい、
でもたとえ中古でも、いま車と乾燥機なら、うちはクルマ。

私って苦笑いしたことがないな、と急に気がついた。
ど単純。怒るか笑うかそれとも悲しむか。微笑というのもしないんじゃないの? 
いやまさか。微笑ぐらいしてるわよ。
とかそう思ったりしてよくよく見ると、
作業する人達は、土曜日に私が買った「中古のスズキ」みたいな車に乗っている。
どうやら中古のスズキで、ここのところ、うちの団地の敷地は混雑だ。
 


2020年11月16日月曜日

市役所で手続き


市役所で書類を申請するのに、
こうは出来ないと思うほど、二つの布バッグを、きのうの晩から整理して、
朝も用心してまた整理して、カヤノさんが来てくれた時には、よしこれで
大丈夫とおもったのに、市役所に着いて、あれこれ自分の分と息子の分と、
委任状だ、なんとか証明だと申請しはじめたら、お財布がない!
ぎょっとしたけどそれはいい、封筒があったから。そこにお金はあるし、
駐車場にカヤノさんがいるから借りることもできる。ーと思う。
それで落ち着いたつもりなのに、あーあ、またも書類を床に落とす。
いま印鑑も机の下に落とされましたよと、言われる!
そうなると布の手提げ袋がばらりんと書類ごと椅子からずり落っこちるから、
これでなんにも失くさなかったらミラクルだ。
また始まったよなーと思う。だって、げんにお財布がないじゃないの。
市役所の別の窓口に忘れたのかもと心配だけど、財布にかまうヒマもない。
たぶん、財布はいつものようにうちのどっかにいるのだ。
舞台で何かやっていた時は、けっこうなんでもかんでも平然としていて、
北林谷栄さんから、アタシなんか初舞台のときアガちゃって、
張りぼて紙張りの川に足突っ込んじゃったのに、あんたっていうのは本当に
心がまえがなってない、と怒られたほどだった、それなのに。

ぐちゃぐちゃになった書類とか、カードとかハンコとか。
案内の人も拾ってくれて、親切なのに、困れば困るほど狼狽し混乱し、
これはいま思うと、布地の手提げ袋がぐにゃぐにゃして、
書類の整理に向かないのかもしれない。

というような苦しい一日でしたが、カヤノさんがいてくれたので、
それで東京都の老人パスまで取得できちゃった一日なのでした。
・・・お天気がよかったしのんびりしたような・・・、うららかな茫漠。



2020年11月15日日曜日

松ぼっくり


ひっそりと木の下があるのです

あんまりキレイで可愛いので、
手にとって
ためつすがめつ
しっかりかたちをたしかめて、
持って帰った
松ぼっくり
すこしまえ家にきた
こげた色の先輩のとなりに
おなじ
かたちで、ぽん、ぽん
かわいた秋なので
おともなく
おとなしくもなく
ただ
ふたつならんで

いまでは玄関に
いるのです


忙しかった

忙しくって、タイヘンだった。
車を買う。
アッというまに、買ってしまった。
もちろん中古である。
これで、私自身はクルマ運転生活とお別れ。
無事にすんで良かった。

べつのはなしだけれど、
唐木田駅のことを忘れなくなった。
唐木田駅を横目にみて笑ってしまった。
おーい、唐木田くん。
あのむかしの歌謡曲だけれど、
おーい、中村くん、じゃなかったっけ?   



2020年11月13日金曜日

はやくも金曜日?!


水曜日あたりかなと思っていると金曜日で、びっくりしている。
歯医者に行き、糖尿病の病院に行き、大規模修繕に対応し、
始末し損ねたゴミを捨て、買い物にでかけ、ヘタでまずいご飯を毎日つくる。
寒いから冬にむかって衣がえを済ませ、図書館で本を借り、その本を読み、
周りに心配をかけ、周りの心配も少しだけどする。

火曜日ぐらいのはずがたちまち金曜日になって、
ブログが頭の老化を食い止めるはずなのに、パソコンをひらくと、
金曜日になっちゃったとビックリする。
ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ。
そういえば映画も観たっけ、立川へ行って?

室内の階段をのぼりながら、
まーしょうがないかと思うんだけれど、
これって、いえばあんがい健康な生活かしら?
唐木田駅のなまえが、いつもどうしても思い出せないのは、
アルツハイマーのはじまりもどき? 

はははは。
「ほら、私が思い出せない駅のなまえがあるじゃない?」
息子に聞くと「あゝ唐木田ね」とすぐ答えてもらえる記憶喪失。
これだと工夫でなおるかな?・・・おーい、唐木田くんとか
むかし歌謡曲があったじゃない? 苗字がちがうんだけど。



2020年11月10日火曜日

オンボロなひととき


黒いセーター
ふるいカシミヤでやわらかく、あたたかく、ふかふかである
何年たっても、着心地がよい
捨てられなくて、新しいのは買えなくて
毎年、セーターの破れ目を、数える
そういう時が、好きかな、ちょっと
ビンボウの醍醐味、のような時がながれて

首にひとつ。左腕にどかんとひとつ
右腕は、そでぐちに一つ、二の腕にふたつ
脇のあたりは、両袖が壊れかけてオンボロ
そのわりにお腹も無傷
背中もぶじだ
指折りかぞえれば、7つの穴ができてしまった
戦場のような、上等品

このセーターが、いちばんだ
下に黒いTシャツを重ね着して、それから着れば
だれにもわからない
と思うのはいくらなんでも楽天的で無理かしら

世の中の人が私みたいに、
みんな老眼というわけじゃなし



 

2020年11月9日月曜日

ユーモアとの折り合い


ソファに移動して、ロビー・ロバートソンの自伝を読み
眠っていたことにきがついた
このまま死んでもいいかなと思う絵柄だけれど
私のおじいさんが刑務所の囚人の家具を買ったというソファで
逢ったこともない、ながいきの孫の私が
さいきん息子に買ってわたした「自伝」を今度は借りて
それを洗いざらした洋服のスカートにのっけて
読みながら眠って、そして
どうやら死んだなんて

わるくないなと思いながら
そうだ
コインランドリイに行かなきゃ
古ぼけたスカートの色が気に入っているからか
生活の部分的責任というものが、おかしく私を引きとめる

晴れているはずの部屋の外はもはや曇って
まあ、行こうと、まあ、気をとりなおそうと
私は一緒に生きてきたみんなを思う



2020年11月8日日曜日

朝から晩まで

しかたがない、昨日は、いきあたりばったりに暮らした。
朝はコインランドリーへ。洗濯物の乾燥。
おわって、朝食。
それから、買い物。南大沢の方面へ。
劣化ここに極まれりみたいな息子の衣類をふたりでさがす。
古着やもさがすし、アウトレットにも行く。
だんだん日が暮れて、衣類と食料をすこし積んだまま、
いっそ映画を観ようかと、立川へ。

       ザ・バンド
    かつて僕らは兄弟だった

むかし勉が私の誕生日に、
「The Last Waltz」という2枚組のDVDを、プレゼントしてくれた。
マーティン・スコセッシ監督の傑作で、私は100回も繰り返して観たろうか。
立川でいま上映されているのは、その続編である。
1978年のバンド解散から40年。
今回は20代の若いカナダ人が、監督。
ダニエル・ロアー。新進気鋭のドキュメンタリー映画の人だ。
両親がザ・バンドのファンで、影響を受けてという2代目ファン。

よかった。疲れて無理にも観たわけだけれど、だんぜん元気がでた。

帰ってきて、夜中までかかって、台所、ふろ場、洗面所、洗濯機置き場の、
排水口周辺をできるだけ徹底的に掃除。
日曜日がくれば、午前中に排水管掃除の人がやってくる。
引っ越して以来、3度目の屋内からの洗浄。
入居したばかりのころは様子がわからず、掃除もしなかった。
失礼なことだったと思う。
とんでもないバカだったと、思い出すとはずかしいのに、
今度は眼がよく見えないし、体力もなくて。




2020年11月5日木曜日

くちこみ世相判断


トランプさんとバイデンさんと、どっちがいいのだろう?

もちろん、多くの人がトランプNO、というだろうけれど、
どっちが大統領になると、日本からアメリカへの献金が安くなるのか。
なんでそういう視点からの意見が新聞に載らないのかしらと、
尊敬している友人にきいてみた。
こたえは、ものすごく複雑だった。
原始的にくらしている私なんかの手におえない。
アメリカの駐留軍に対する途方もない思いやり予算や、武器の下請け爆買いを、
コロナ禍ではあるし、観光だめなんだし、すこし思いやってほしいと考えるのは、
自然の人情だと、つい思うけれど。

彼は、世界や日本の政治情勢にひじょうに詳しいが、
こたえは支離滅裂? とんでもないものだった。
バイデンが大統領になれば、思いやり予算はさらに高額化するよね。
トランプは、それなら自国の平和は自分で守れと、軍隊を日本から引き揚げて
しまうかもしれない。それも怖いんだよね。
アメリカが手をひけば、中国が、もともと中国の領土だったんだからと、
沖縄をねらってやってくるでしょ、台湾、尖閣列島(石垣市)、沖縄と。

この人はなんでこんなに、よく知っているのだろう?
ラジオがいいよ、と彼はいう。
へんなCMもないしさ、きいてるとやっぱり、
ああ、全体としてこうなってるんだなとわかる、自然にね。

きのうの東京新聞の夕刊はすごかった。
全ぺージ、バイデンとトランプのてんこもりで、号外みたいだった。
なんで新聞がヒトの国の選挙にこんなに興味を持つのか。
きいてみたらば、
一回ぐらいバランスを取っとかなきゃ、東京新聞だってタイヘンなんでしょ。
なんだ、おまえアカハタみたいじゃないかって、
そうずーっと言われてるわけだしさあ。

民主主義なんだろうか。
21世紀のこの支離滅裂を克服するのは?


司馬さんという流行


ビックリしたことに、対訳・「21世紀に生きる君たちへ」には、
コロナのコの字もでてこない。それはまあ、あたりまえだけど。
20世紀日本を席巻した国民的流行作家司馬遼太郎の遺言、
出版社は朝日、親日家ドナルド・キーン氏もかかわって、
21世紀がやってきて3年目に8刷り発行の・・・。

どうも、あたりまえじゃないのは、
資本主義ここに極まれり、という現実が基本的に予想されていないことか。
あぶないぞ、あぶないぞと一応いいながら、
司馬さんは遺言でも、江戸期の、西暦1800年あたりの緒方洪庵にもどる。
日独伊3国同盟が日本人になにをもたらしたかには、触れない。

そうかといって、そんなことに注目してばかりいたら、
うれしくない本ばっかり書くことになって、どうなるのだろう。
日本人にはいいところがある、なかなかいいところがあると思いたくて、
たくさんの人たちが司馬さんの本を愛読した。
企業戦士たちも自分の必読文献とかいって、不可思議なことだった。

自分に都合のよいところだけを採用してバブル期をすごした、
私は自分のこともそう思う。なんとかがんばって子どもを育てたが、
地球の不幸がこれほどハッキリしても、私個人の意見をもつことが難しい。
でもそれで、こんなおとな達を親世代にして、日本人は、私たちの子どもは、
この21世紀を、どうやって生き延びるのだろう。



2020年11月2日月曜日

大規模修繕のフロク


屋上のコンテナ(100x50x50)を半日かけて6台、カラ にする。
それをコンテナごと、5日までにぜんぶ撤去しなければならない。
物干しの台も、物干物干し竿も、どけろと言われている。
ばからしい。ぜんぶに、お金がかかる。
残すものよりは捨てるものが多く、ゴミ袋が九つにもなった。

思いがけなく、失くしたと思っていた大型のショールが見つかる。
くすんだブルーの・・・・・・とても、なつかしいものだ。

何十年もまえ、別れた夫の入院先に、姑(はは)と一緒に行った日は、
クルマから降りると、風がピューピュー、とても寒い日だった。
風が冷たい暗い日で、私は車にこの青いショールを取りに戻り、
お姑さんをくるみ込んだ。
姑はとても喜んだ。
「あたたかいわぁ」
にこにこして暖かい声。
そういうお人柄だったから、別れた嫁の私もこの病院にくっついてきたわけで、
「つんこさん、これとても素敵ねぇ、さぞかし上等なものなんでしょうね」
はははは、私はついつい笑っちゃって、
ひろったのですよ、これ、と言ってしまった。
「ひろったの! まあこんなにいいショール? 落ちてたんですか!」
「ええ、ゴミ置き場にね、一か月ぐらいまえに」
いいでしょう、お姑さん、これ? 大きいし、色だってステキだし。
お洗濯はちゃんとしたから、きれいよ。
あのころ、日本人は、ステキなものをたくさん捨てたのである。
バブルだったにちがいない。私なんかもうまるで無関係だったけれど。

拾ったもので自分をくるんだのかと、お姑さんが気を悪くしそうで
心配になったけれど手遅れ。まあ、いま思えばそれどころではなくて。
私たちは、窓口で手続きをすませ、階段を登り、彼の病室を訪ねた。

姑には親としての怒りがあり、私には別れた嫁としての屈託があった。

あとで義妹の秀子ちゃんから、
お母さんからつんこさんの拾ったショールの話をきいて、
みんなで(3人姉妹)大笑いしたのよと言われた。
あの日の帰り、私たちは鬱憤ばらしに大きなお蕎麦屋さんに寄り、
しゃくにさわるからと、ビールで乾杯なんかした。
きっと、お姑さんは、その話だって娘たちにしている。
姑は、だいじな息子のざまに憤慨してプンプンしながら、
蕎麦屋のお品書きにあったビーフステーキを2人前、
私と自分に注文したのである。
  
・・・あのころのお姑さんは、いまの私のトシをすぎていたかしら。