2020年11月2日月曜日

大規模修繕のフロク


屋上のコンテナ(100x50x50)を半日かけて6台、カラ にする。
それをコンテナごと、5日までにぜんぶ撤去しなければならない。
物干しの台も、物干物干し竿も、どけろと言われている。
ばからしい。ぜんぶに、お金がかかる。
残すものよりは捨てるものが多く、ゴミ袋が九つにもなった。

思いがけなく、失くしたと思っていた大型のショールが見つかる。
くすんだブルーの・・・・・・とても、なつかしいものだ。

何十年もまえ、別れた夫の入院先に、姑(はは)と一緒に行った日は、
クルマから降りると、風がピューピュー、とても寒い日だった。
風が冷たい暗い日で、私は車にこの青いショールを取りに戻り、
お姑さんをくるみ込んだ。
姑はとても喜んだ。
「あたたかいわぁ」
にこにこして暖かい声。
そういうお人柄だったから、別れた嫁の私もこの病院にくっついてきたわけで、
「つんこさん、これとても素敵ねぇ、さぞかし上等なものなんでしょうね」
はははは、私はついつい笑っちゃって、
ひろったのですよ、これ、と言ってしまった。
「ひろったの! まあこんなにいいショール? 落ちてたんですか!」
「ええ、ゴミ置き場にね、一か月ぐらいまえに」
いいでしょう、お姑さん、これ? 大きいし、色だってステキだし。
お洗濯はちゃんとしたから、きれいよ。
あのころ、日本人は、ステキなものをたくさん捨てたのである。
バブルだったにちがいない。私なんかもうまるで無関係だったけれど。

拾ったもので自分をくるんだのかと、お姑さんが気を悪くしそうで
心配になったけれど手遅れ。まあ、いま思えばそれどころではなくて。
私たちは、窓口で手続きをすませ、階段を登り、彼の病室を訪ねた。

姑には親としての怒りがあり、私には別れた嫁としての屈託があった。

あとで義妹の秀子ちゃんから、
お母さんからつんこさんの拾ったショールの話をきいて、
みんなで(3人姉妹)大笑いしたのよと言われた。
あの日の帰り、私たちは鬱憤ばらしに大きなお蕎麦屋さんに寄り、
しゃくにさわるからと、ビールで乾杯なんかした。
きっと、お姑さんは、その話だって娘たちにしている。
姑は、だいじな息子のざまに憤慨してプンプンしながら、
蕎麦屋のお品書きにあったビーフステーキを2人前、
私と自分に注文したのである。
  
・・・あのころのお姑さんは、いまの私のトシをすぎていたかしら。