2020年7月27日月曜日

「文学フシギ帖」


この本を、どうして持ってるんだろう?
岩波新書。著者は池内紀(おさむ)。 2010年の発行。
やっと思い出す。すこし前に市役所で買った古本なのだ。
100円、というより百円。
副題:日本の文学百年を読む。

きのうからずっと、むかしの各駅に停まる汽車に乗るように、
この本につかまって、ゆっくり文学百年のエピソードをたどった。
(100年前というと1910年、明治が大正にかわる2年前のそんな時)

おもしろかったから、この話を食卓ですると、こうきかれた。
「どの作家の話がよかった」
「・・太宰治かな」
どうしてかって、書き手の池内先生の着眼記述が気に入って。
目次の見出しは、太宰治の「家庭の幸福」。
死後の発表。主人公の名は津島修治(太宰の本名)。
だから、短編のかたちをした遺書なんでしょうね。
作家がポピュラー化してのこした遺書・・・。太宰さんの表の顔と裏の顔。
池内先生によれば、
  
   太宰治の自殺は女性づれのせいもあって、「情死」という情緒的な見方が
   されがちだが、はたしてそうだろうか。戦後の日本人に対する深い嫌悪と
   絶望感に根ざしていたと考えていい。昨日の敵が保護国に早変わりして、
   昨日の神国日本の住民が小旗を振りかざしてアメリカ兵を出迎える。まさに
   模範的な被占領国の誕生である。それもこれもそれぞれの「家庭の幸福」の
   ため。太宰治は、小説をつぎの1行でしめくくった。
   「曰く、家庭の幸福は諸悪のモト」


個人的には、「長谷川四郎と文学風土」とかね。
私は長谷川先生にドイツ語ならったよ桐朋学園で。すごいでしょ。
「堀辰雄とステッキ」もちょっと懐かしい。
堀辰雄がそのむかし肺結核で寝ていた4畳半を借りて、夏休みそこにいたの。
信濃追分の油屋という旅館の離れに。・・・ぼろいぼろい部屋よ。
池澤夏樹さんのお父さんは福永武彦でしょ。その人が歩いてるの見た。
そういう場所だったのよ、追分村は。
高3の時だから。1961年かな。
すごいよね。年よりだよ、わたしはもうまったく!

ステキなのは「五人旅、西遊記」とか、「寺山修司のパロディ」とか。
ぜんぜん作品を読んでないけど「村上春樹の自由 」も。
考えてもみてよ。
20代はじめの北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里が、
与謝野鉄幹に連れられて5人で旅をしたのよ。
詩人のベンキョー五人旅よね。
みんな重たい皮の靴はいて、1か月もね!
北原白秋の22才なんて、洒落た可愛いハンサムったろうね。

わが家の欠点は 、近代日本文学にほとんど縁がないことだ。
私など、ほぼ名まえしか知らないし、息子は私よりチンプンカンプンだろう。
でも、彼は、梶井基次郎の「檸檬」を何回も読んだ。持っているのだ。
すごい。私は読んだことない、有名な本なのに。



2020年7月26日日曜日

陽気なちくしょう


雨が降ってる。
と思ったら止んでる。陽がてってる。
と思ったら西にいた灰色の雲がやってきて、
まえぶれもなく、
また、だまったまんま雨になる。

若ければ、ちくしょうって、陽気にさけんでいるところだ。 
むかしは、なんでもおもしろがっていたのだ!
四畳半ひと間に住んで、文無しになる直前、貯金の、
5円玉とか10円玉とか100円玉とかを、部屋に放り投げて隠した。
本棚のうしろや、インド製のわらの敷物の下に。
見つけて喜びたいばっかりに。
もちろん、どこらへんにあるか、わかってるけど。
でも時々、うわっ、お金が、と、
急に10円玉なんか見つけると、やっぱり私はよろこんだっけ。

さっきは日が照ったから、洗濯物を急いで干した。
でも、雨になって、とりこむ。生乾きなのに。
するとジージー無限の虫の音、セミかなー。
ちがうとおもうなー。ミンミンゼミよ、きみは今じゃどこにいる?
みれば雨が降ってないじゃないの。
でも、もはや昼間じゃない。
カラスがうれしそうに、カァカァ、ワッカッカッ・カァー という。
あっちに青空、こっちに雨雲。
どっちなのよ。
  
朝刊一面の見出しはこうだ。
夏マスク 熱中症リスク
    人と距離あれば こまめに外そう
    内側さらに高温多湿 脱水症状に
専門家が警鐘
 
なにこれ。
そうすると、今度はこまめにちらちらちらちら、マスクをはずしてかけて、
距離がなければ、脱水症状になっても、マスクマスク・・・?

陽気になるのが大変だ。
陰気なちくしょうって、なんの役にもたたないだろうし。



2020年7月25日土曜日

大橋家にあるもの


気をつけないと、
頭も、気分も、意地も、失くすまいと年がら年じゅう用心している心意気まで、
冷えこんだ霧雨みたいなやつに、とりこまれてしまう。
さいわい1人ぐらしじゃないからいいけど、お手上げだ。

よく思うんだけど、
人の表情を見て、笑顔とまではゆかなくても、微笑らしきもの、温かい顔の輪郭、
その人からこっちに移ってくるものって、いつも、そばにあったんですよね。
私たちが、政治家から奪われたものって、自粛とマスクで失ったものって、
それじゃないですかね。
あとそれから、おちついて簡単で、よくわかる日本語かなあ。

このあいだ大橋家へ行った。
杖代さんとMr.と。おふたりにあえてとてもよかった。
8月の22日に豊ヶ丘地区市民ホールで、読書会を開く予定だって。
「新書探検」読書会の2回目なんだって。
おもしろかったですよ、と杖代さんが言った。
帰ってそれを話すと、「新書ってどういうの」と息子にきかれた。
「新書とか文庫とか、単行本とか。本の形態の区別につかうことばよ。
うちの2階の本棚の上から2段目はぜんぶ新書でしょ」

私も むかし、同じような質問を父にしたことがあった。
父の答えはこうだった。
「一種の、かたちを変えた百科全書だな、そんなもんだ」
母が編集者なのでうちは岩波新書だらけ。子どもでも新書はわかる。 
・・・新書探検なんてきくと、1冊が百科全書の1項目かぁスゴイなぁ。
あらかじめ読んでくると参考になる新書はこの3冊、ううむ・・・。

ところがですよ。
 Mr.作成の新書探検読書会の「案内」を読むと、
「語り合う読書会を」とあって、
         読むことよりも、話し合うことを
         新書は、ノンフィクションの書き下ろしが多い
         テーマはその時代の最先端のものが多い
         新書の読者は専門家じゃなく一般大衆である
       そして、なんと、         
         読んでこなくてもいい読書会

なんかこう、動脈硬化気味のあたまが、わわわあっと、うごくのかも。
読まなくて、聴いてるだけでいい。もしかしたら、結果、新書のどれかを、
手に取って読んでみようかな、という気になるのかもしれない。
杖代さんがおもしろかったって言ってるし。
このひと、ウソつかない人よね。
私にとっては、この、
自分におきる脳ミソの革新現象が大橋家の楽しさですが、いつだって。



2020年7月24日金曜日

オアシスとブラー


きのう、今日と「ライヴ・フォーエヴァー」を観た。
90年代イギリスの、パンク・ロック・クール・ブリタニア時代を、
代表選手たちの「独白」で描きだしたドキュメント映画である。

11年半におよぶサッチャー支配が選挙で敗退、政権は労働党のブレアに。
政権交代の直後ダイアナ妃が自動車事故で死亡。

その前後を描いた娯楽?映画を当時ビデオで観た覚えがある。
エリザベス女王を演じたのは名優ヘレン・ミレンだった。
映画ではブレア首相そっくりの俳優が大活躍したが、
今回のドキュメンタリー映画「ライヴ・フォーエヴァー」に登場した
ブレア(ホンモノ)は、当時のニュースのフィルムをつかっているのだろうけれど、
輝くばかりに眉目秀麗。なのにインチキの看板みたい。
もうビックリだった。

たぶん、本場のチャンピオンともなると、時代と生活と気骨を反映して、
ロックシンガーは、若いころのモジリアニとかアポリネールとかエレンブルグとか、
ジャン・ジュネみたいな、そんな顔をしているんでしょうね。
権力と反権力と。どっちを志すかによって、それが顔に出てしまう。
政治家は、そうなると芸術家にかなわない。
 
私は、ロックバンドの歴史をまるで知らない。さっぱりわからない。
はじめは、このドキュメンタリー映画を、
一世を風靡したバンド「オアシス」の話だと勘違いした。
まーオアシスという名前だってわからないんだけど。
本場イギリスのロック・シンガーたちの、
それぞれの回顧、対立、論理の分裂に惹かれ、顔だちも見事だから、
つりこまれて観ていたが、どうもオカシイ。
つじつまがあわない。わからず見ているから当然だけど。

ノエルとリアムは兄弟で仲が悪いんでしょ。
それでこのふたりは労働者階級。
そして、ええとデーモンというひとは中流の出身で?
おんなじバンドか? いや、そうじゃないらしい。
この映画って「ブラー」と「オアシス」と。二つのバンドの対立の話なの?
ニルバーナって? 名前だけ知ってたけど男だったのか・・・。
ええと、なんで急にデザイナーが? 
美術の話をする人がなんで急に? ええと、もうなにがなんだか。
 
やれやれ、
息子が部屋に引っ込んでから、
もう一度、紙とペンを手に、なんとか画面の交通整理にかかる。
2回くりかえして見ても、テンポは速いし、私って最近のろまだし。
なにしろパンク。人によっては喧嘩ごし。
しかし、退屈するどころではなくて見れば見るほどおもしろい。
非常にきちんと構成された、よくできた映画なんである。

どうやら「ブラー」って中産階級4人 の、
「オアシス」は労働者階級5人の、バンドらしい。
仕組まれ、煽られた、パンクバンドの階級対立?
政権交代の際の、労働党のブレアによる、パンクロッカー「選挙」利用。
ひっかかった兄と、ひっかからなかった弟と。
なんだかみんなが、コカイン漬けだったみたいな時なのに。 

少しわかったから言うけど、私は、「ブラー」の品の良いデーモン、
「オアシス」の、いかにもパンク風な、脅迫タイプのリアムが好きだった。

息子によれば、リアムは見ての通り、すぐ殴りかかろうとするんだとか。




2020年7月21日火曜日

道志から山中湖へ


オランダにいる遥の誕生日が近づいている。
どうしてもそこで、と息子がいう店が、
道志から山中湖に抜ける道路の途中にあるので、
日曜日に、オンボロ車で出かけた。
まず道志の店では「今日は作業中」といわれたけれど、
珈琲とか食事はいらなくて買い物だけというと、
どうぞどうぞと店内に入れてもらえた。
遥はものすごく狭いアパートに住んでいるから、
本の一冊もだめ。
それで普通じゃないイヤリング、というわけである。
お店の主人が申し訳ながって、飲み物をサーヴィスします と、
メニューを渡してくれた。それも和紙に手書きの芸術。
で、大失敗をした。
一番おいしそうな飲み物を頼んじゃったのだ。
すごくおいしかったけれど、一番高かったと息子が言った。
山中湖に向かって走り出してから、言うなんて。
値段なんかぜんぜん見なかった。
イヤリングは高い、ジュースは安い、という不用心。
・・・あーあ。

山中湖 は遠くて遠くて。
でもそこで、息子がもうひとつ、遥のイヤリングを買った。
兎の耳飾り。
いいね。ウサギに生まれてうれしいウサギ はねてもはねても。
遥のかわりにちょっとうれしかった。
店内はものすごい混雑。目がよく見えてないから、
みどりいろだと思って藍色のワンピース?みたいな服を買った。
食料以外の買い物。断崖絶壁から飛びおりるような。
ま、いいか。 スリル満点で。

帰りに、むかし鄙びて(ひなびて)今コンクリ―ト仕様になった
道志温泉へ。評判が落ちてるから空いているかもしれないと思ったら、
日曜日なのに本当に空いていた。はじめは地元の人ばかり。
道志で暮らす人にしてみれば、こういう方がいいだろうなと思う。
東京都内の銭湯みたい。小ぶりではあるが。
それでいてホントの、混ぜものじゃない山の温泉ですもんね。



2020年7月18日土曜日

エッセイを読むたのしみ


公民館ですごく面白い本を手に入れた。100円。
「日本エッセイストクラブ編 / 96年版ベスト・エッセイ集」
それを手にコインランドリイへ。雨続きなので満員だった。
1996年版なので、神戸の大震災について書いている作家が多く、
当時どうしても他人ごとだったものが、コロナ禍真っ最中の今は、
思い当ることも多い。

トップバッターは司馬遼太郎の「本の話」。
こんなに文章がうまい人の後に並ぶなんて、さぞかし恐ろしいだろうと、
ヒトの事でもぞっとした。

それなのに二番手は杉浦昭義という耳鼻咽喉科の先生である。
「世界一の叔母」。叔母さんの?話。しかもきいたこともない人のエッセイだ。
ところが、読めばその叔母は「前畑ガンバレ!」の前畑なのでであって、
日本初の金メダリスト、昔はみんなが教科書で読んだぶっちぎりの歴史的人物。
しかもその叔母の、オリンピック後の話。
話術の天才みたいな文章力にもびっくり、日本一の次だって平気である。

そうだとすると三番手はと、つりこまれてページを繰る。
「震度7の記憶」。書いた人は流行作家藤本義一。
たたみこむような筆致がすごい迫力。
引き込まれるように読んでいたら、こんな記述があった。
コロナ禍にある現在なので、なおいっそうの親近感をもった。
   ー前略ー
   長女の家から戻った午前六時四十分に、わが家の庭に無数の鳥ガ飛来した。
   カラス、スズメ、ヒワ、メジロ、ムクドリ、野バト、ウグイスの番(つがい)
   までやってきた。-中略ー
   鳥ガ飛んできた時、もう此処は安全だと思った。ガス洩れがない 証拠である。
   この知識は五十年前の大阪大空襲の時、親父から教えられたものだ。十二歳の
   頭に入った知識が五十年間生きているのが不思議だった。
 
藤本家のように無数とはゆかないけれど、うちの小さな庭にも鳥は集まってくる。
最近は坂を下って歩き始めると、ウグイスがどこかの木の梢でにぎやかに囀って、
うれしいことである。
 


2020年7月16日木曜日

「北朝鮮で兄は死んだ」など


どうやら身体の具合は普通なのに睡眠時間のコントロールができない。
1時間おきとか、2時間おきに目がさめて、本を読み始めてしまう。
 夜中に、2冊とか3冊、かわるがわる読んでいると、朝がくる。
どこかで気の早い親分みたいな小鳥さんが、号令口調?で、
いつまでも鳴く朝だ。今朝はそれがカラスだった。
うるさくはないんだけれど、ちょっとなぐってみたいなと。
説教がましい訓示みたいなカーアカーア声で、鳥たちだってイヤがってるわよ
と、そう思う。

そういえば、幼稚園の門の外で、お母さんと子どもを待っていると、
お向かいは小学校の校庭で、毎朝、朝礼が行われていた。
人にもよると思うけれど、小学生にああしろこうしろと号令を掛ける先生は、
なんと冷淡で、思いあがった声音の人だったろうか。
部外者で、あんたをちょっとなぐってみたいなと思う人が、この世にはいるんだと
チャンスがあったらわからせたいと思ったものだ、と思い出す。

と、人のことをあれこれ言うのはやさしいが、
今朝、読了した小さな本は、私が恵まれていたためにしでかした昔のまちがいを
手遅れだけれどほんとうに思い出させるものだった。

「北朝鮮で兄(オッパ)は死んだ」  七つ森書館
 ヤン・ヨンセ   聴き手は 佐高信
複雑な在日の事情を、対談の形式が、
読み手に、わからないとはいわせないような、効果をうんでいる。
だれだってヒトは複雑な事情を抱えているものだけれど、
本書で語られる悲劇と比べられるものがあるだろうか。
映画という形式を駆使する女性が話しているせいか、
隠された戦後の歴史がほんとうによく判る。
彼女の告発や非難や批判に、あいまいさは一切ない。
それでいて、過去の日本の歴史が私にも無関係ではないと、
わからせてしまう。
家族を、ドキュメンタリーという手法で描くせいかしら。

こんなふうに柔軟でなければ、しかも率直でなければ、映画も書物も、
人々の眼にふれず 終わってしまうのだろう、これからは。

ヤン・ヨンセは、ドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン 」の監督で、
この映画を私は、何年もまえに、東中野ポレポレで観たのだと思う。
2005年のこの映画は
ベルリン国際映画祭アジア最優秀映画賞、サンダンス映画祭審査員特別賞、
山形国際ドキュメンタリー映画祭特別賞など、多くの賞を獲得した。
最新作は、「ソナ、もう一人の私」

東中野ポレポレに行けば、まだ、観られるんだろうか?



2020年7月15日水曜日

それはともかく


それはともかく、
昨今の私は、童話の断片で、絶望をしのいでいる。
トラヴァースは子どもの時からお気に入りの作家だが、
なんという作品だったか、短い短編。

「星と石、鳥と人では陛下、どこがちがいましょうか?」
「どこもちがいはせん、教授どの。石は輝きなき星で、人は翼なき鳥ではないか」

王様はこんな唄を教授に歌ってきかせた。
     おお、勉強するなら
     とことんまでもやりましょう
     だけどそれではいそがしくって
     よく考えるひまがない
それとも教授殿、おおかたこのほうが気に入ろう。
     世界をぐるりとまわるのは
     わたしはあまりしたくない
     だってそしたらただまっすぐに
     家にもどってくるばかり

大教授は手をたたきました。
「もひとつあるが」と王様が言いました。「聞いてみたいと思うならば」
「なにとぞお歌い下さい、陛下!」
すると王様は、道化のほうへ首をかしげて、いじわるい笑いをうかべて
歌いました。
     大教授はみんな
     ずっと小さい子どもの時に
     水におぼれて
     死ぬがよい!
歌がおわると大教授は大声で笑って、王様の足もとにひれふしました。
「おお、王様よ」と言いました。
「永遠にましませ! わたくしめがお役に立つどころではございませぬ!」

 前川喜平さんは、現代教育行政研究会の代表であり、高級官僚だった人だが、
子どものとき、メアリーポピンズなんか、読んでたかも。
講演をきいたり、コラムを読んだりすると、ちょっとそんな感じ。
子ども時代にただ好きだったにすぎない詩句や童話は、
根強い教育論にすがたをかえ、
わけなく時空をこえて、彼方から読み手の心に飛んでくる。
そういうのを教養というんじゃなかろうか。
たとえ東大を出て、官庁に就職し、ヤクザな出世の階段をのぼってもね。




2020年7月14日火曜日

ミーちゃんからハーちゃんへ


ミーちゃんからハーちゃんへ
というメールを受けとった。
ハーちゃんはこの私、久保つぎこである。
77才としては、けっこう至極な宛名じゃないの。

私があんまり大演説したものだから、朗読の会の老いたる知的読書家2人が、
「美空ひばり恋し お嬢さんと私」をつられて読んだというメールである。
はははは。この本の破天荒な題名に、またおかしくなっちゃって、
くすくす思いだし笑い。年の割にド派手な本よね。

もしも電車の中で読むことになったら、あのインテリふたりは、
本にカヴァーをかけるだろう。なにしろ「美空ひばり恋し お嬢さんと私」
だもんね。いまは一億総マスク。だったらどう思われてもいいか。
ミーちゃんからの送信で私が1番うれしかったのは、
なぜこの本が好きか、スッキリわかってもらえたことだった。


ばんごはん


今日の晩御飯は、
生協で買った焼き鳥(冷凍)と、なにかの葉っぱのベーコンいためと、
厚揚げと、オクラだった。
焼き鳥はすごく見てくれがよかったので、私は楽しみにしていたけど、
息子は冷凍の焼き鳥に対して、のっけから悪意をもち悪口しか言わない。
厚揚げと菜っ葉だけでいいと、図々しい態度だ。
おいしいかもしれないじゃないの、と言うと、
いや絶対に不味いから! 口のうまい奴のいうことなんで信じたのかな!
怒りながら、フライパンで冷凍の焼き鳥を温めている。
どういうわけか、私が宣伝につられて買いこんだと思って、ガミガミガミガミ。
せっかく買ったのにと私はげんなり、厚揚げをサカナに一杯のんじゃって、
「うるさいよ、おじさん!」

できたから食べたらホントに不味かった。
なんとか覚えていられたら、二度と買わないわ。
ものの本を読むと、
老人って、何度もおなじ物をそれでも買っちゃうらしいけど。


2020年7月13日月曜日

手紙が届いた


むかし、私がよく知っていた少女から手紙が届いた。
ながい、かわいそうな手紙だった。
彼女がなんで不意にみんなの前から消えちゃったのか、
手紙を読むまで、なんにも知らなかったので、
きっと幸せを手にいれたから消えたのだろうと、ずっと思っていた。
・・・ひとは幸せならば消えたりしないものなのにね。

私は、その手紙のおしまいに書かれていたことを、
「町田子ども劇場」の谷田久美子さんに、電話してはなした。 
何年ぶりかで手紙をくれた少女が、
つぎこさんのブログで谷田さんの勇気に感激して、また泣けてきちゃいました、
と書いているから。縫物をしている女の子と猫の絵のヨコに。

  「パンフレットに書いてあるという文章、何度も読み返しました。
  こんな時でも確固たる信念を持って動いている人がいる というの
  が本当に嬉しいです。ただわたしに何ができるか、どうしたらいい
  か、という問いに対しては答えがみつかりません。
  でも自分の気持ち、感じることに嘘はないし、それに向き合うことを
  疎かにするのはもうやめようと思っています。
  ソーシャルディスタンスって本当に必要なんでしょうか。いきすぎた
  個人主義をもっと加速させて、これまであった地域のネットワークだ
  とか、助け合いの心とか、どんどん人間同士の係わりが希薄になって
  いきそうで、社会がどこへ向かっていくんだろうかと不安です。」

  「わたし、実はつぎこさんに本を一冊お借りしたままなんです。ごめん
  なさい。これと一緒に包んで送ることもできるけれど、会ってお返しし
  たいので、まだ持っています。朗読の会のみなさんともお話したいなあ。
  また書きます。」

彼女の手紙には、私たちがつねにさがしている、努力する理由についての
答えがある・・・。
記録映画「氷上の王 ジョン・カリー」を観たあと、
書きとめたジョン・カリーの言葉の、こだまのような、かすかな響き。

ある時(費用のかかる彼のカンパニーの公演宣伝のためだろう)
アメリカの華やか有名なTVショー出演したジョン・カリーが、
世にも意地悪で無礼な司会者にこう答えている場面。
質問はこうだった。
「あなたはなにか社会的に貢献したわけでもないし、なにか功績があったわけでも
ないですが、ご自分としてはそれについてどうお考えですか?」
弱々しく、神話のような美青年は、抵抗もせずにこう答えた。
歴史に残る天才なのに。

「スケートをふくめてあらゆる芸術は、人の人生に喜びを与える。
生きていてよかったと思わせる。人生はただ生きるだけではつまらないもので、
人はなにかを見て、喜んだり、悲しんだり、心を動かされたりする・・・
僕らのいったいなにが社会に貢献しているかときかれれば、
僕は人の心を動かすことができた。それが僕の幸福だ。」

自分がなにゆえに努力するのか、私たちはいつも、さがしている。
答えは、邪悪な者に問われて、心の中の思わぬ場所から溢れでる。
そして、そうであるのに、すぐにまた思いは行方不明になってしまうのだ。
1984年の「BURN」は彼のダンサーとして最後の作品だけれど、
そういう人間ならではの苦悩を描いて余すところがない。
 

2020年7月12日日曜日

輝く1日


朗読の日だった。
みんな、ちがう顔の、ちがう性質の人たち。
ちがう書物をちがう感受性とちがう生活の声で朗読する。
注意深い姿勢と敏感な視線が、のびのびと変化する。
そういうことが、笑いながら出来るようになったのだ。
なんておもしろい、陽気な仲間になったんだろうか。

私は、12時開始のまえに、掃除洗濯朝ごはん団地の草取り、
幾らなんでも、疲れすぎてヘンなことになるかも、と思った、
でも、眺めがよくって、面白く4時間が過ぎた。

お天気も雨降りじゃなくってよかった。
洗濯を、洗濯機に5回分。
4回分は風でかわいちゃった。
5回目はついにコインランドリーのお世話になって乾かし、
ネパール料理の店が並びにあったので、ネパール人がつくる夕飯となった。
はじめての小さなネパール料理店! 
子どもがごちゃごちゃ。タイみたいな雰囲気だと健が言ってた。
子どもは彫りが深く美しくて可愛い。
ネパールって、ヒマラヤの、エヴェレスト山がある国?
なんで多摩市にきたの?
ネパール料理はおいしかった。

輝く1日。
雨季で憂き世で浮かない日々の。


2020年7月11日土曜日

美空ひばりとカフカ


温泉に行くことにして、息子と私は読む本を取り換えた。
私は息子から「絶望名人 カフカの人生論」を借り、
息子は私から「美空ひばり恋し お嬢さんと私」を借りて、読むことにした。
両方とも、図書館の本である。
温泉には安楽椅子がばらまかれていて、そこで何時間でも本が読める。
息子が美空ひばりの話を読む気になったのは、
私がこのお手伝いさんが書いた本を3回も読んじゃって、つい好意をもっちゃって、
べらべら、べらべら、しゃべるので、じゃ風呂屋でそれ読む、となったのである。
カフカのほうはその逆で、自閉の塊みたいな話らしいけれど、
「おもしろいよ、カフカって、いまの日本のおれたちとそっくりなんだね」
おとといから幾分暗い顔して息子が話すから、
面白いとくりかえすから、それじゃ私はカフカにするか。
「その本、勉強みたいな本?」ときいたら「ちがうよ、読みやすい本だよ 」

お風呂はガラ空き、食堂もぱらぱら。「美空ひばり」と「カフカ」だけど、
両方とも、活字ぱらぱらだから、早く読めてしまい、
こうなると美空ひばり記念館に行ってみたいな、という話だ。
この本を書いたお手伝いさんを見てみたい。
カフカ記念館だってあれば行ってみたいけれど、ドイツは遠いし。
カフカの話は、よくわかるけど暗いし。

今日1日が、温かく終わってしまいました。




かなしいニュース


選挙は小池さんが圧勝した。
いま権力を手にしている側を、大勢の都民が支持したということである。
その結果、加速してゆくであろう「これから」が、
もうさっそく今日の朝刊に反映して載っている。

哀しいとか、悲しいとか、そんなかんじじゃない。
なんといったらよいのか、根太(ねだ)を欠くかなしいニュースである。
低能、幼稚、迎合、鉄面皮。

あの検事総長になるところだった賭け麻雀おとこが、起訴猶予になった。
たいした罪じゃないからと起訴しなかったのは東京地検である。

地検って、なんの略か。信じられなくって広辞苑で調べちゃった。
地検って、東京地方検察庁なんだって。
じゃ、検事総長って?
私の広辞苑はこう語る。 最高検察庁の長である。
最高検察庁の庁務を掌理し、かつすべての検察庁の職員を指揮監督 する。

常習化していたらしい賭け麻雀のお相手は、朝日とサンケイの記者で、
彼ら3人も、日ごろ書くものはとにかく、
陰では仲良しだったのだろう。
今日の東京新聞は東京地検に対し「身内に甘い」と三段ぬきの大見出し。
あかちゃんを放置した母親については四段ぬきだったのに。
ちなみに産経新聞社は賭け麻雀のお相手2人を4週間の出動停止。
朝日新聞社は停職1か月の懲戒処分。
新聞社の考え方も、政府そっくり、起訴猶予なのね。

なんかこう、ぶよぶよ。かなしい。

おなじ今朝の朝刊、5ページ。
46才の主婦、金 未来さんの文章が「発言」に取り上げられている。
小池都政に向けて書かれた短文である。

虐殺の歴史に向き合え
   今回の東京都知事選では争点にならなかったが、都民に知ってほしいこと
   がある。再選した小池百合子知事にかかわる問題だ。
   1923年の関東大震災、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」などのデマ
   が乱れ飛び、軍隊や警察、自警団が中心となり、多くの無実の朝鮮人を虐
   殺した。
   墨田区の横網町公園では毎年、朝鮮人虐殺犠牲者の追悼式典が営まれてい
   る。歴代の都知事は追悼文を送ってきたが、小池都知事は2017年に
   送付をやめた。 「毎年の大法要で全ての方々への哀悼の意を示している」
   というのが理由という。だが、天災で亡くなったことと、差別を背景にした
   朝鮮人虐殺を同列に語ることは許されない。
   今年は新たな問題が持ち上がった。都が突然、横網町公園の巣用条件を決め
   たのだ。 「公園管理上支障となる行為は行わない」との誓約書を出さなけ
   れば、使わせないという。都は「公園利用者の安全確保のため」と言うが、
   今まではそんな条件はなかった。追悼式典の実行委員会も要求された。
   公園では17年から追悼式典とおなじ日時に、デマによる朝鮮人虐殺を否定
   する団体が集会を開いてきた。 「不逞朝鮮人」などとヘイトスピーチを行い
   拡声器で大音量も出す。実行委は「そのような団体と、静かで厳粛な式典を
   行ってきた実行委を同列視するのはおかしい」と抗議している。
   一律に誓約書を出させようとするとの姿勢は、追悼式典の歴史と意義を理解し
   ているかどうかを疑わせる。忌まわしき史実が忘れられているのだろうか。
   これからも小池都政への監視の目を緩めてはいけない。


「電通とディスタンスとれ経産省」
     時事川柳にはぷらりとこうあった・・・。   


  

2020年7月9日木曜日

痛ましいニュース 7/9


3歳児放置され死亡 容疑の母逮捕 8日間外出

若い母親の写真が朝刊に載っている。まだ24才でしかない。
数年前に離婚。死なせてしまったノアちゃんと二人暮らしなのに、
彼女は、ただもう、飲食店で働いていた。保育園を利用することもなかった。
赤ちゃんが生まれた時つけた名前は「稀華」、まれな華と書いてノア。
ノアの箱舟のノアである。
たとえ束の間の結婚であっても、 若すぎて親となった男女の気持ちの在りかを、
一生懸命を感じさせる名前だった。

6月、コロナ禍の8日間、彼女は鹿児島の交際相手に会いに行ってしまう。
帰宅して、稀華ちゃんが死んでいたので119番。自殺して死ねず。
病院に運ばれ、回復を待っていた警察に逮捕されたのである。
こんなに孤独で可哀想な話があるだろうか。
マンション仕様のアパートの住人はだれも、隣人さえも、
あかちゃんの泣き声ひとつ、きかなかったと報道されている。
この集合住宅では、 24歳の母親と同様、昼間はみんな働きに出て、
だれもいない場所になっていたのかもしれない。

この20才前後で母親になった人には、だれもいなかった。
相談できる人間が皆無だった。今朝の新聞記事には、
東京という大都会なのに区役所の影もなく、保健所の影もない。

  *ベーシックインカム、ということばが頭にうかんでしょうがない。
   税金の一部を生活費として全国民に再配布しては、ということらしく、
   異論があってなかなか実現しないのだと聞いた。

  *幼稚園で働いていたころ、
   自分のこどもが抱っこできない、イヤだと言う母親が案外多いと知った。
   「NO抱っこママの会」をつくったらというぐらい、悩む人は多かった。
   わたし達はだれもが、出産と同時に母親らしい母親になれるわけではない。
   母親仲間のなかで、学びながら、話しながら、人知れず苦しみながら、
   なんとか一人前の親に育つのである。

いまさらながら、自分が子どもの親になって、どれだけご近所さんや親たちに、
友人に手を貸してもらっていたかを、思い出す。私は30代で母親になったけれど、
おそろしく未熟な、覚悟の出来ていない人間だった。それに貧乏だった。
夫は文楽の人形遣いで、1年の半分以上留守である。
アパート6畳一間の家賃が払えず、11か月分もためてしまった。
野生の動物とちがって育児期間のながい私たち人間は、
孤立させられたら、とてもじゃないけど優しい母親になりにくい。

新聞の見出しって男性がつくるのだろうか。
3歳女児放置され死亡、という4段組みのデカデカとみっともない大活字。
放置されたのは「母と子」なのに。

育児は手元に置いたやつの責任といわんばかりの、無考えと無情に腹が立つ。



2020年7月6日月曜日

開票


病院に行くと、大勢の年老いたひとが、順番をじーっと待っている。
私の受けている治療が痛いので、ここにいるみんなも同じように痛いのかしらと
待つ間ついつい、考える。
痛くない病気ってあるのかしら。病気って痛いものだ。
だから痛いんだろうなと、私よりもっと痛かった友達の顔を思い浮かべる。
手術のあとのお見舞いに行った時、TさんもKさんも痛かったはずだし、
Yさんはすごく痛かったろうし、OさんもNさんだって、Aさんだって、
と私はだまって思っている。みんなから愚痴をきいたことがないなーと。
私なんか思ってることをすぐ言っちゃうから愚痴ばっかりだ。
とそこまでくると、しかたがなくて、私はいま読んでる本にひとりで戻るのだ。

本といえば、待合室で辛抱強く待つ病気の人々をながめて、
古典的でホコリがでそうな文章のかけらが、頭をかけめぐる。
ここにも本を読む人っているけれど、あの人はどんなことを思っているのかしら。
いっとき新劇にいたせいか、私は「どん底」の暗い舞台装置と俳優を連想する。
若いころ読みふけったソビエト革命文学選なんかだと、
やまいを得てここに集まっている見知らぬ静かな白いマスクの人々を、
勇敢な人々、という括り(くくり)にするのかなと思う。
運命に英雄的な忍耐力で耐え忍ぶけなげな人間的資質・・・とかなんとか。
ゴーリキーもファジェーエフも、ショーロホフも、
もう一度読んだら、やっぱり、いやいや、しかし、
昨日今日の自分は、いったいどんなことを考えるのだろうか。

それからフンガイし始める。
痛くても、わかんなくても、要らないクスリを山ほどもらっても、
納得がいかなくても、こんなのまちがってると思っても、
みんな、夫婦揃って(夫唱婦随が最近多い)も個人でも、がまんばっかりだ。
病院の待合室は、
がまん、がまん、がまんばっかり。

東京都。我慢の票田。


2020年7月5日日曜日

投票


投票券(多摩市役所)が見つからない。
これは失くしちゃいけないと、1番目につくところに置いたのに、
その場所がどこだかわからない。
市役所の窓口できくと、身分証明書があれば投票所ですぐ手続きができるという。

あー、もうやんなっちゃう!

7時開始だと言うので、7時に家を出て、歩きだした。
並木の緑と雨で湿った街路が薄荷みたいな香りをはなって、静かな朝だ。
歩きだしたら足がツルかもしれないというかんじ、
隣を歩いている息子に知られたくなくて、用心深くなった。
足の付け根をぎゅーっと掴んで、
「朝のみどりってきれいだね 」というのに
「うん、ほんとうにそうね」と私はいう。

投票は未来を作る行為だ。

このあいだ、長男が私に言ったっけ。
誕生日のプレゼントを買いに行ったけど、いいのが無くてさ。
考えたけど、ぼくと母さんと2人で 、3回いっしょに映画を観ようって。
そうすれば会えるし話もできるし、いいよね。
「ねえ、あれって・・・」
もしかしたら私がもうじき死んじゃうとあの人、おもったのかな。
帰りのクルマのなかで、息子にきいたら、
うーんと、こまってあやふやな表情。
そうかあ、むりもないね。

77才にもなった老人にとって、未来を作る行為って、いったいなにか。
投票。
期待はいつも裏切られる、ここは現実の地点、おれの椅子
ぎらりとだんびらの痛みを引きぬいて・・・。
選挙って。

でもね。
生きてゐるって。まどさんの詩じゃない?

うさぎにうまれて  うれしいうさぎ  はねてもはねてもはねてもはねても
うさぎで なくなりゃしない
うさぎにうまれて  うれしいうさぎ  とんでもとんでもとんでもとんでも
くさはら なくなりゃしない

わたしたちがねがう世界ってこうよね。
選挙とはとんでもなくちがっちゃって、いてもね。



2020年7月4日土曜日

かたわらにおきたいことば


THE ABSENCE OF TWO
という写真集の装丁は印象的だった。
写真の中に浮かび上がる、ふたりの、ばあちゃんと孫。
カメラマンも、ばあちゃんの孫だから、
このカメラマンは、被写体になった孫の、大輝の従兄弟 なのだ。
彼が書いた文章は、彼のカメラが写し撮った写真のように、
事実をそのままに、あるがままに、
哀しく、弱く、のんびりと語って、
なぜか光りかがやくので、
私たちを悲しませる。

  何気なく過ぎていく二人の時間は、かけがえのない美しい時間となって
  静かに流れ続けていた。〈吉田亮人〉

このごろ年をとって、いつも思うことだが、こんなふうに思っていようと。
生きていればみんなが病気をかかえ、放射能や疫病で不幸にもなり、
しかし、みんなが、何げないふうに時間をかけがえのないものにしている、
その辛抱強さを学んで、笑ってくらしたい。



都知事選の見方


今日はゆっくりしようと思った。
選挙のことを、だまってはすかいに降る雨を見ながら、考えていたら
電話のむこうで、おもしろいことをいうヒトがいて。

なんで宇都宮さん、都知事になろうとするんだろう?
大変だよ、こんな時に。 やめたほうがいいんじゃないの。
新聞を読むとまた小池が勝つらしいけどさあ。
ロクでもない小池の後始末なんか、小池にやらせたらいいんじゃない?
どうせコロナ騒ぎのあとだしさあ、すごく大変だろうと思うね後始末ばっかり。
都のカネだって小池がもう散々使っちゃったアトでしょ。
あとの苦労をわざわざ引き受けることないと思うよ。
宇都宮さんや山本太郎に、いっぱい票とってもらってさあ、
両方合わせると、都知事になれなかったけど、
獲得した票は小池より多かったって、そうなってほしいけど、ぼくは。

なるほどそうか、ふーんとなんだか気が晴れちゃった。
なんで票を割ったかなんて思うより、いっそスッキリするじゃないですか。
選挙なんかしてもしょうがない、という考え方には、
選挙権がもし無かったら、という想像力が欠けている。
選挙権の行使、ということばの、行使、は美しい単語だ。
行って使うって、天使なみの力量だと思う。
天使は天のお使い、行使は、私たちの行いあってやっと実現する、
政治の基本、基本中の基本なのだ。


2020年7月2日木曜日

こまねずみ


こまねずみ、がどんなものか知らないが、
きのう、きょうの私が、そうだ。
今日の私なんかすごい。
洗濯をして干して、洗濯をして干して、洗濯をして干して、
風の中から乾いた分を取りこんで、たたんだ。
笑いたくなるのはそれからで、
バスに危うくまにあい、病院の待合室で2番のカードをとり、
椅子にこしかけ、よし手続きの書類を待ち時間におちついて整理、
と思ったら、じょうだんじゃない、
肝心の書類一式がないじゃないの!
思案投げ首迷いはしたけど、なんとか決心、
バス停まで歩き、バスがいたからバスに乗り、座席にもこしかけ、
たぶんこのバスは鶴牧循環なんだから回って戻ってくるはずと思い、
家の見える停留所で、息をつめてバスから降りる。
通りを横切り、石段を昇り 、鍵で扉をあけ、書類をひっつかみ、
たぶん間に合うと別の石段を駆け降り、選挙公報の看板をながめ、
循環したバスにまにあい、病院にまにあい、2番のカードを受け付けてもらい、
時計をみたら、多摩センターから家まで往復して35分だった。
バスってすごい。なんて便利な街に住んじゃったんだろうと、
感激してうれしい。

「書類のこの部分を切り取ってきていただきたかったんです」
美人の看護士さんがそういったけど、
できるわけないわよー、私は今やっとここにいるのに。

駅でお茶をのんで、買い物をして、クリーニング屋によって
晩ご飯までつくったから偉人伝だ。
晩ご飯は、イサキの塩焼き、きゅうりとタコの酢の物、おすまし、枝豆。
さっきパンをふたつも食べちゃったので、駅で。
自分としては食欲なしで、
もうつくづくこまったもんである。




自己肯定の足あと


自己肯定ということに、私が踏み出したのは離婚の前後だったような。
離婚とは直接関係がないけれど、50代のことだった。
どう考えても、肯定できる自分がみつからない。
子ども達については、こんなもんでいいじゃないの、と思うのに、
自分のことはもうさっぱり。ぐじゃぐじゃして取り柄がないとしか思えない。
ずっとそういう状態が続いて、病的になり、眠ってばかりいるようになり、
歩けなくなり、仕事もないし、自己どん底ノイローゼ状態になった。

たぶん学者だの役者だの先生だの教授だの編集者だのアニメーターだの、
えらい勉強家がまわりにいすぎたせいだろう。
 
ある日、悩むのにもくたびれて、
そんなふうに感じることを自分に禁じた。
みっともない、ぐじゃぐじゃした、半人前の自分、などと、
あんたにそう思う権利はないはずだと、そう思うことに決めたのである。

理由はくだらなくて、
大学に三つも行ったじゃないか、ということだった。
卒業したのは1つだから、まー言うほどのことじゃないけれど、
大学の門を出たり入ったり、サボって悩んだだけだったけれど、
そんな図々しい時間を持てた人なんかめったにいないはずだ、
それなのに、ぜんぶお手上げだなんて。
それならいったい誰に、なにが出来るというのだろう?
あんなにじゃぶじゃぶ教育ばっかり受けたのに? 
私にできないなら、ほかの誰に、あてもない努力ができるだろう?
知ってる人はだれだって、みんな、あんなに苦労している・・・。

いってみれば、50才にもなって、私は1500メートルリレーから降り、
50メートル競争のスタートラインに小さい子と並んだというか。
それならそれで、そういう努力をするぞと、
自分で考えついたことがミソかも。
 
自己肯定ということを考える場合、
日本人はどこどこまでもヒトに決めてもらいたがる。
ヒトの基準がどうなっているかと、そればかりを気にする。
みんながマスクをすれば自分もマスクをして、自分以外のヒトを縛るのだ。
そうやって、精神の荒野をあるがままに肯定しない民族に、
私たちはなってしまったわけである。


2020年7月1日水曜日

コロナ都市風景


月曜日、草取り。
夕方、長男にあいに、行った。
半年ぶり。
パン屋の厨房で(彼はパン屋)、私の誕生祝い。
「・・・うーんと」
めずらしく長男はこまっている? 
地元のどこか料理やさんに入るとか、そういうことが、なにかを生んでしまう。
そんな縛りがあって当然の商店街の、1店主としての彼のコロナ禍?
私には、踏切のむこうの町が突然、物語の舞台装置のように見えた。
縛りに掛けられた自粛の町だ。

長男についてスーパーマーケットに行こうと外にでる。
目前の光景は、掃いて清めたようだ。雨に濡れて底光りしている。
まったくの無人!? まだ夜も7時でしかないのに。
 「えー、いつもこうなの!」
私の住んでいるコンクリートの街・多摩センターだと、ざわざわぞろぞろ、
ここに比べれば朝も晩も人が動いている。そうだ、全員が白マスクで。
どっちがコワイ感じなのか、もうなんだか、改めてショックを受けた。

個人主義ではどうしようもないストレスって、大変そうだ。
ものごころがつくまえから、子どもを、金子みすゞじゃないけど、
みんなちがってみんないい、と思いこんで、そうやって育てた。
自己肯定ができる人間になってほしかったからだ。
どんなに自己嫌悪で潰れそうになっても、個別にシッカリ生きてほしいと願った。
約40年がすぎて、いま目の前にある景色は、
そういう考えとはまったく別の、真ぎゃくの思想的風景であった。

長男は、しばらく会わないうちに、すこしふっくらして、すてきな人になっていた。
麦ちゃんの管理?がいいのだろうと、いまさらながらそう思う。
私はかれらの結婚に賛成 だったけど、
よかったなーと思いながら、帰ってきた。