2020年7月1日水曜日

コロナ都市風景


月曜日、草取り。
夕方、長男にあいに、行った。
半年ぶり。
パン屋の厨房で(彼はパン屋)、私の誕生祝い。
「・・・うーんと」
めずらしく長男はこまっている? 
地元のどこか料理やさんに入るとか、そういうことが、なにかを生んでしまう。
そんな縛りがあって当然の商店街の、1店主としての彼のコロナ禍?
私には、踏切のむこうの町が突然、物語の舞台装置のように見えた。
縛りに掛けられた自粛の町だ。

長男についてスーパーマーケットに行こうと外にでる。
目前の光景は、掃いて清めたようだ。雨に濡れて底光りしている。
まったくの無人!? まだ夜も7時でしかないのに。
 「えー、いつもこうなの!」
私の住んでいるコンクリートの街・多摩センターだと、ざわざわぞろぞろ、
ここに比べれば朝も晩も人が動いている。そうだ、全員が白マスクで。
どっちがコワイ感じなのか、もうなんだか、改めてショックを受けた。

個人主義ではどうしようもないストレスって、大変そうだ。
ものごころがつくまえから、子どもを、金子みすゞじゃないけど、
みんなちがってみんないい、と思いこんで、そうやって育てた。
自己肯定ができる人間になってほしかったからだ。
どんなに自己嫌悪で潰れそうになっても、個別にシッカリ生きてほしいと願った。
約40年がすぎて、いま目の前にある景色は、
そういう考えとはまったく別の、真ぎゃくの思想的風景であった。

長男は、しばらく会わないうちに、すこしふっくらして、すてきな人になっていた。
麦ちゃんの管理?がいいのだろうと、いまさらながらそう思う。
私はかれらの結婚に賛成 だったけど、
よかったなーと思いながら、帰ってきた。