2020年7月13日月曜日

手紙が届いた


むかし、私がよく知っていた少女から手紙が届いた。
ながい、かわいそうな手紙だった。
彼女がなんで不意にみんなの前から消えちゃったのか、
手紙を読むまで、なんにも知らなかったので、
きっと幸せを手にいれたから消えたのだろうと、ずっと思っていた。
・・・ひとは幸せならば消えたりしないものなのにね。

私は、その手紙のおしまいに書かれていたことを、
「町田子ども劇場」の谷田久美子さんに、電話してはなした。 
何年ぶりかで手紙をくれた少女が、
つぎこさんのブログで谷田さんの勇気に感激して、また泣けてきちゃいました、
と書いているから。縫物をしている女の子と猫の絵のヨコに。

  「パンフレットに書いてあるという文章、何度も読み返しました。
  こんな時でも確固たる信念を持って動いている人がいる というの
  が本当に嬉しいです。ただわたしに何ができるか、どうしたらいい
  か、という問いに対しては答えがみつかりません。
  でも自分の気持ち、感じることに嘘はないし、それに向き合うことを
  疎かにするのはもうやめようと思っています。
  ソーシャルディスタンスって本当に必要なんでしょうか。いきすぎた
  個人主義をもっと加速させて、これまであった地域のネットワークだ
  とか、助け合いの心とか、どんどん人間同士の係わりが希薄になって
  いきそうで、社会がどこへ向かっていくんだろうかと不安です。」

  「わたし、実はつぎこさんに本を一冊お借りしたままなんです。ごめん
  なさい。これと一緒に包んで送ることもできるけれど、会ってお返しし
  たいので、まだ持っています。朗読の会のみなさんともお話したいなあ。
  また書きます。」

彼女の手紙には、私たちがつねにさがしている、努力する理由についての
答えがある・・・。
記録映画「氷上の王 ジョン・カリー」を観たあと、
書きとめたジョン・カリーの言葉の、こだまのような、かすかな響き。

ある時(費用のかかる彼のカンパニーの公演宣伝のためだろう)
アメリカの華やか有名なTVショー出演したジョン・カリーが、
世にも意地悪で無礼な司会者にこう答えている場面。
質問はこうだった。
「あなたはなにか社会的に貢献したわけでもないし、なにか功績があったわけでも
ないですが、ご自分としてはそれについてどうお考えですか?」
弱々しく、神話のような美青年は、抵抗もせずにこう答えた。
歴史に残る天才なのに。

「スケートをふくめてあらゆる芸術は、人の人生に喜びを与える。
生きていてよかったと思わせる。人生はただ生きるだけではつまらないもので、
人はなにかを見て、喜んだり、悲しんだり、心を動かされたりする・・・
僕らのいったいなにが社会に貢献しているかときかれれば、
僕は人の心を動かすことができた。それが僕の幸福だ。」

自分がなにゆえに努力するのか、私たちはいつも、さがしている。
答えは、邪悪な者に問われて、心の中の思わぬ場所から溢れでる。
そして、そうであるのに、すぐにまた思いは行方不明になってしまうのだ。
1984年の「BURN」は彼のダンサーとして最後の作品だけれど、
そういう人間ならではの苦悩を描いて余すところがない。